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知らないことを知ろうとして


 背中に冷たい汗が流れた気がした。病院に行かない選択肢を取ったならばネロは安易にそう動いていた可能性が高い。他の医者が馬鹿でなければ、騒ぎが起こるかもしれない。あの医者の発言の意味がようやく分かった。対処を間違えれば大変なことになる。


「……大丈夫ですよ。帝都の病院はどこも優秀です。例え騒ぎは起こっても最小限で抑えられるでしょう」

「……だといいけど」


 ネロはため息をついた。ベッドの上ではクロが穏やかな寝息を立てている。まだまだネロには知らないことがいっぱいである。強制進化薬や魔力風邪マナカゼ。今日半日だけでも知らないことだらけだ。ネロは時々自分の無知さをどうしようもなく嘆きたくなる。


「……さて、お昼ご飯でしたね。食堂へ行きましょうか」

「……クロを置いて大丈夫かな」

『静かに行けば大丈夫かと』

『それもそうだな』


 2人は音を立てないように部屋を出た。食堂へ向かう途中、共用のゴミ箱がある。クッキーを個包装の上から握りつぶし、紙袋の中に入れ丸めて捨てた。これだけ念入りにすれば誰かが拾って食べるなんてことはないだろう。……まったく忌々しい。


 学校がある日だから食堂にはネロたち以外は誰もいない。……というか作る人もいない。2人は顔を見合わせて笑い寮の外で食べることに決めた。

 遠出する必要はないから近場で店を探す。歩いて数分のところに蕎麦屋があるのでそこにすることにした。一杯250Gの冷えたとろろ蕎麦は少し気分が落ちたネロの胃にするりと消えた。……ともするとここに通うかもしれないな。店を出てネロはぼんやりとそう思った。


「……おや? あんなところに出店がありますね」


 蕎麦屋から帰る道中、ヴァンがいきなりそんなことを言い出した。視線の方角を見ると確かに出店が見える。甘い匂いが漂ってくる。のぼりにはクレープと書かれている。食後のデザートにはちょうどいいかもしれない。


「……寄ってみますか」

「……そうだな」


 ヴァンはにこりと微笑んで出店へ向かって歩き出した。即答しなかったのは出店にあまり良いイメージが無かったからだ。一例で偏った考えになってしまうのはよくない。ネロは両頬を手で叩いてヴァンの後を追った。


「いらっしゃい」


 若い男が大粒の汗をかきながらクレープを焼いている。客が来ない間でもこうやって生地を焼いてストックしているのだろう。数枚の焼き上がった生地が積み上げられていた。


「何かおすすめはありますか?」

「うちはなんでも美味いよ! よく出てるのはいちごチョコかな。注文したらすぐ作ってやるよ」


 メニュー表を見ると確かにいちごチョコが書いてある。値段は400G。蕎麦を考えると少し高く思えるが、出店なんてこんなものだろう。ネロはとりあえずとそれを頼もうとして、あることに気がついた。


『……魔物用?』


 声には出さずに念話で呟く。ヴァンもメニュー表を見て少し目を開けた。そして周囲をざっと見渡し、さらに目を見開いた。


『…………主様、少し時間がかかりますがよろしいですか?』

『……あぁ、大丈夫だ』


 ヴァンは懐からあるものを取り出し、店主によく見えるように手元で揺らした。店主はクレープ作りに集中しているのか中々顔を上げなかった。


「このお店、調子はいかがです?」

「……調子? ……あぁ、なんだ。気付かなかった。見回りしてたのなら最初に言ってくれよ」


 店主はため息をついた。ネロとヴァンは真顔をつらぬく。ここでボロを出すわけにはいかない。


「失礼。……それで調子はいかがです?」

「今日はてんでダメだな。売れたらオマケだって言って押し付けようとしてるんだが、一個も売れないんじゃ何もできねぇ。クレープって人気じゃねぇのか?」


 売れたらオマケとして押し付ける。押し付けるとは魔物用と書かれたあのメニューのことだろう。「連れてる魔物にもどうです? オマケしますよ」なんて言葉をかければ大半の人は受け取ってしまう。ひとまず今日はまだ誰も被害を受けてないのは安心である。


「この時間にクレープを食べる人は中々いないのかもしれませんね。夕方以降増え始めると思いますよ」

「……だといいがね」


 店主はやれやれとばかりにクレープ生地をまた焼き始めた。今のところネロとヴァンを疑っている様子はない。もう少し探りたかったが、ボロが出ると大変だ。引き続き頑張って下さいとだけ言い残してその場を去った。


 いつもと違うルートで寮へと向かう。あの店主なら気付かないだろうが、それでも可能性はなるべく解除しなくてはならない。一般人に混じって歩くこと10分弱、寮の自分の部屋へとたどり着いたネロたちは扉を閉めてようやく安堵した。


「……どういうことだ? まだ研究所はあるのか?」

「……分かりません。ですが、思った以上に根深いことは確かです。……どうやら私たちは厄介なものに手を出してしまったみたいですね」


 ヴァンはそう言いながら手の中にあるペンダントを見た。出店の端に同じ模様の手拭いがかけられていた。幻獣研究所。あの件はまだ片付いていないらしい。

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