甘い罠
「魔物なら基本的に食べられなくても差し出されたものは口にします。いつもよくしてくれる主人なら尚更」
「そうだろうな。だから今回みたいな騒ぎが起こる。今日は朝から同じような患者ばかりだ。……おっとここでした話は俺が言っていたと外では言わないでくれよ?」
ひとしきり愚痴のようなものを吐き出して医者はおどけてみせた。医者も大変なのだろう。もちろんネロはここでした話を他所でするつもりはない。
「……ついでにこれも外で言わないで欲しい話なんだがね」
「……?」
「他の病院が馬鹿じゃなければ大丈夫だが、今日の夕方あたりに騒ぎになるかもしれん。その魔物は今日は絶対安静だ。あんたたちは巻き込まれないようにするんだな」
「騒ぎに……?」
「ならないのが一番良いね。俺ァ忙しいのは嫌だよ。さ、診察はこれでおしまい。あんたたちはこの薬持って早く帰りな」
医者はネロに残りの粉薬を押し付け半ば強引に診察を終わらせた。長居するつもりはなかったが、先程の発言は妙に引っかかる。夕方、何も起きなければいいが。
会計カウンターに並んで支払いを済ませる。今回の診察は薬代と合わせて4000G。高いのか安いのかは分からない。多分適正価格なんだろう。
寮へ戻ったネロはクロをベッドへ寝かせた。時間はまだ昼前。遅刻にはなるが学校へ行くことはできる。
ただその場合黒を見る人がいなくなる。安静にという話だから学校へ連れていくのはやめた方がいいだろう。つまり今日は欠席するのが無難だ。まあたまにはこんな日があってもいいだろう。
さて、ちょっと早いけど昼食を食べようか。ヴァンを誘おうとヴァンの方を向く。何か考え込んでいるのかヴァンは一切反応しなかった。
「……ヴァン?」
「! ……失礼しました。主様、なんでしょうか?」
「いや、昼ごはんでも食べようかと思ってさ。ヴァンは何を考えてたの?」
「あぁ、それはこれですよ」
そう言ってネロに見せたのは個包装されたクッキーである。テッドにもらったものであることはすぐに分かった。いたって普通の美味そうなクッキーに見えるが医者は医者泣かせのクッキーだと言っていた。ヴァンが考え込んでいたのはそのことだろうか?
「このクッキーには強烈な薬が混ぜ込んであります。健康な魔物でも体調不良になるほど副作用の強い薬です。下痢や発熱、嘔吐等の様々な症状が現れるでしょう」
「それでドリヤードがあんなに苦しそうだったんだな」
「それだけではありません。特定の解熱剤に混ざるとこの薬はさらに強い効果を持つようになります」
「げねつざい?」
「熱を下げる薬のことですよ。その辺の薬屋で簡単に手に入ります。症状が発熱だけなら解熱剤だけで治そうとする可能性は大いにあります」
なるほど。げねつざいってのは発熱が起こった時によく使われる薬なんだな。その辺で買えるなら病院に行かずにそれを使って治そうとする人も結構いるかもしれない。
……しかし見た目は完全にクッキーだぞ? よくそんなことが分かるな。
「これは随分と前魔界でも流行した薬ですから」
「……なるほど、それでよく知ってるんだな。ちなみに何て薬なんだ?」
「強制進化薬です」
ネロは静かに首を少し傾げた。頭の中で漢字を思い浮かべる。色々と考えてはみるが、一番しっくりきたのが強制進化薬。しかし……そんなものあるのか?
「通常の進化では強くなった力を自分でコントロールできるだけの肉体が備わります」
「……からだが大きくなるとか?」
「その通りです。……ですが、強制進化薬はそうではありません。脳のリミッターを外しまるで進化したかのような力を一時的に付与する。それが強制進化薬の効果。強くなりすぎた力は制御できず、理性は吹き飛びただその場で暴れるだけの獣となる。改善されているやもしれませんが、それが私の知る強制進化薬です」
……聞けば聞くほど恐ろしい薬だ。これがお菓子に擬態して出店で出品されていたという事実にネロは震えた。テッドのように魔物が喜ぶならと買い与えた人は少なくないだろう。果たして今の帝都にどれだけのクッキーが配られているか、考えるのも嫌な話である。
「……幸いこの薬は飲むだけではその効果は現れません。先ほども言ったように解熱剤と組み合わさって初めて効果が現れます」
「だが、下痢とか熱とかは症状として現れるんだろう?」
「食べた量にもよりますが、一日経てば自然に回復します。その点が腐ったものを食べた食あたりだと勘違いされやすいところです」
なるほど、ただ口にしただけだったら1日で自然回復するのか。その点で言えば食あたりよりも楽だな。苦しいのは嫌だけどね。ま、それじゃあ症状を抑えるくらいの治療で大丈夫そうだな。
……ん? 症状を抑える?
「主様もお気づきですか。そう考えて発熱を抑えるために解熱剤を使う。実によくありえる話だと思いませんか?」




