第2夜 これはゲームだよ
ガシャガシャという無情な響きと、手首に食い込む冷たく硬い感覚から察するに、手錠のようなものかけられているようだった。
金属で身動きを止められているという言葉を捕まえれば、正しい意味で『金縛り』にあっていると言えるのかもしれない。
加えて、僕の二の腕あたりの高さで胴をぐるりと回すようにテープが巻かれているようで、腕の可動域は肘の先だけに限定されている状況だった。
おかげさまで、目元にかけられた布製の何かを取り外すことも叶わない。
これ、あれか?
マジでやばいやつか?
「…………」
未だ状況が掴み切れない僕は、恐怖心に蝕まれながらも、物音を立てないよう細心の注意を払いながら周囲を探ってみる。
僕が寝転がっている布団の感触、匂い、モノの配置から察するに、ここは一人暮らしをする僕の家であることに間違いはなさそうだ。
つまり賊と思しき何者かは僕の寝こみを襲う形で侵入し、僕に手錠と目隠しを施したということになる。
無論、それは自分自身で器用に手錠と目隠しを装着したという可能性を除外すればの話だが、さすがに酔っぱらっていたとしてもそんなことをする自分ではないと信じたい。というか、ひとりでにテープを巻き付けるのはほぼ不可能だろう。
芋虫のように這いつくばりながら記憶を振り返ってみる。
昨日は確かバイト先の飲み会があって、二次会はウチで宅飲みした――はず。
矢口さんのアルハラにギリギリまで付き合ってどんどん気分が悪くなっていったところまでは辛うじて覚えている。
けれど、その先が思い出せそうにない。
記憶を遡ろうとするたび、ズシンとした鈍痛が頭を揺らす。
まごうことなき二日酔いである。
いつ頃、宅飲みは解散したのだろう。
二次会まで飲むと大体いつも記憶を失ってしまうのだが、今日に限っては皆が無事に帰宅できていることを心から願う。
「……?」
そこまで状況把握を進めたところでふと思い至る。
これは――果たして強盗なのだろうか?
覚醒してから数分経過したが、室内を物色する音は聞こえない。
そもそも、如何にも大学生が住んでいそうなアパートを狙って強盗に入ったりするだろうか?
未だ脳の表面にモヤがかかったような感覚だったが、目隠しされていることが逆に奏功して少しずつ思考がクリアになっていく。
もちろん強盗が既に退散したという可能性はあるし、それに越したことはない(手錠をどうすればいいかという問題は残るけれど)。
ただ、もしそうでないのなら答えは一つ。
つまりこれは――誰かのイタズラだ。
そう言えば飲み会の最中に手錠がどうだの、寝込みがどうだのと、そんな話をした記憶がある。
大方、二次会の最中に爆睡してしまった僕を見て矢口さんや佐々木あたりが提案したのだろう。
今頃みな息を殺しながら、ビビる僕を見て笑っているに違いない。
全く、悪趣味なイタズラである。
事態が見えてくると、一気に緊張の糸がほどけたような気がした。
ほどけたというか、程々にしとけよというか。
怒りよりも先に安堵が去来した僕は軽く脱力しながら、姿も気配も掴めない誰かに向かって文句を言おうと口を開きかけ――。
「『あぁ、やっと起きてくれたんだね。待ちくたびれたよ、村崎くん』」
そんな言葉が聞こえてきて、全身が凍り付く。
「『キミは相変わらず、飲み会の最中に寝てしまったら目が覚めないんだねぇ』」
そいつは愉快そうに言う。
それは映画なんかでよく聞く、機械で加工したような奇妙な声色だった。
妙に甲高い割に男か女かも判別がつかない、薄気味の悪い声。
「『鍵も開けっ放しだし、ほんとう不用心だなぁ』」
「――誰だ、あんた」
五里霧中、それでもなんとかペースに飲まれまいとして、恐怖をへそ下に押し殺しながら僕は口を開く。
「言っておくけど、我が家に他所様が欲しがるモノなんて置いちゃいないぞ」
「『うん、知ってるよ。ボクはモノが欲しくてここに来たワケじゃないからね』」
不意に、頬に走るひんやりとした感覚に、思わず肌が泡立つ。
数コンマ遅れて、手のひらを添えられているのだと理解する。
その手は然程大きくはない。
直感する。
これは――きっと女性の手だ。
「……じゃあ、何が目的なんだよ」
「『うーん、そうだなぁ。実を言うとね、今日ここに来た目的の大部分は既にほとんど果たされてしまっているんだよ』」
こいつの目的を聞き逃すまいとして僕はじっと耳を澄ます。
機械的な音声に紛れてしまってはいるが、僅かに女性の声色が聞こえたような気がした。
しかしあまりに小さ過ぎて、それが聴き覚えのある声かどうか判別はつかない。
「……はぁ?」
「『うん。ま、言葉で説明するよりも実感してもらった方が早いかな。というか、意外に気が付かないものなんだねぇ』」
妙に演技がかった口調でそんなことを言うと、頬に添えられていた手が滑り、僕の手のひらをつかんだ。
ほっそりとした指に掴まれた僕の手はてっきりそいつの身体にでも引っ張られていくのかと思いきや、そのまま僕自身の股間のあたりに導かれていく。
「……あ?」
僕はすぐに異変に気が付いた。
あそこが妙に硬いのである。
人は生命の危機に瀕すると、子孫を残すため本能的にあそこが硬くなってしまうというが、そういうのとは違う。
触感としてはシリコンやゴムに近い何かが、僕のあそこを完全に覆いつくしていた。
根元には金属か何かでできた硬く小さな塊のようなものが結びついている。
「……ナニコレ」
「『貞操帯だよ』」
「はっ!?!?」
僕は反射的に強く自分の股間をまさぐる。
しかし手のひらに伝わる触感は、その言葉が確からしいことを力強く証明してくる。
貞操帯と言えば、エロ漫画やエロアニメで稀にでてくるアレだ。
SM的な使われ方をするケースが多いアレである。
しかし当然ながら実物を目にしたことはない。
「『ボクはキミのことが好きだ』」
一切脈絡のない唐突な告白に、現実を嚥下しきれていない僕の混乱は加速する。
「『村崎くん、ボクはキミのことが好きで好きでたまらないんだ。もちろん、ライクではなくラブの方の意味でね。最近じゃ寝ても覚めてもキミと一緒になることを――キミを僕だけのモノにすることを考えてしまっているんだよ』」
僕は言葉が出ない。
なんて返すのが正解なのだろう。
少なくとも、『ありがとう』ではなさそうだが。
「『けれど、困ったことにキミがボクの想いに気づいてくれる素振りは一切なかった。だから色々考えたよ、どうすればキミと一緒になれるか。考えて考えて――ひとつの結論に辿り着いたんだ。ボクのものにならないのならば、せめて貞操帯をつけて他の人間のモノにならないようにしようって』」
「待て待て」
どうすれば一緒になれるかを考えてその結論に至るのはおかしい。
もうちょっとやり方はあるじゃん!
そっちから僕に告白してくるとかさぁ!
「『だって恥ずかしいじゃない。ボクなんかが村崎くんに告白するだなんて恐れ多いよ』」
感性バグり散らかしてるんかこいつ。
人の家に忍び込んでこっそり貞操帯を装着する方がよっぽど恐れ多いだろうがよ。むしろ恐れ知らずもいいところだ。
「……いや、そろそろマジで話が見えてこなくなってきてるんだけど。なに、イタズラだろこれ? もういいって、そういうの」
「『ん、まぁそう思いたくなる気持ちもわかるけれど、残念ながらこれはイタズラなんかではないよ。貞操帯と鍵は本物だし、ボクは本気だ』」
その声色から、そいつが冗談を言っているわけではないということを悟る。
「『村崎くん、これはゲームだよ。貞操帯を解錠してほしければ、ボクを見つけ出すことだ』」
暗闇の中、抑揚のない機械音が鼓膜を揺さぶる。
「――お前を、見つけ出す」
「『そう。ボクが誰なのかを当てること、それがキミのミッションだ。ボクのことを正しく口説くことができれば、然るべきタイミングでこの鍵は外してあげるよ。あぁもちろん、キミから誘いを受けたらボクは断らない。それは約束しよう」
「……もし、僕が間違えて別の女子を口説いちまったらどうするんだよ」
「『ははっ、ボクだって鬼じゃない。多少のトライアンドエラーには目を瞑るさ。但し、万が一ボクが看過できない領域にキミが踏み込んでしまったなら――その時はボクが持っている唯一の鍵は永久に手に入らなくなると思ってほしい』」
清々しいほどにあからさまな脅迫だ。
顔を見ずともわかる。
声は笑っていても、こいつの眼はきっと笑ってはいない。
しかも僕が正解を引き当てたとしても、鍵を返してもらえるタイミングはこいつのさじ加減ときた。
もちろんゲームの性質上、僕が口説いた相手が犯人だということにはなるのだけれど、僕が広範囲にお手つきすればするほど、それはこいつにとって隠れ蓑になり、犯人が誰であったかを確信することは難しくなっていく。仮に後日部屋の中に鍵を投げ込まれるみたいな処理の仕方をされてしまえば、犯人が誰であったかを直接知る機会は永遠に訪れないということになる。
こいつは僕に気を遣ってトライアンドエラーに目を瞑るだなんてことを宣っているが――とんでもねぇ。とんだ不平等条約だ。
「『念のため言っておくけれど、シリコンといってもそれなりの強度はあるから無理に外そうとするのはおすすめしないね。何がとは言わないけれど、たぶん引きちぎれると思うよ。それからピッキングで鍵を開けるのもやめたほうがいいね。かなり繊細で小さな錠前だから、もし変なところを傷つけたらボクの持っている鍵でも開けられなくなってしまう』」
いったい僕にどんな恨みがあってそんな仕打ちを。
「『こうでもしないとキミが彼女を作ろうと積極的になってくれないからだよ。奥手だものねぇ。要はキミの背中を押す企画というわけさ。単なる探し物さ、簡単だろう?』」
「崖っぷちで背中を押されてる気分にしかならねーな。つーか、いくらなんでも無理ゲーすぎるだろ。手がかりもなしにどうやって探せってんだ」
「『言っただろ、ボクだって鬼じゃない。ささやかだけどヒントを進呈させてもらうよ』」
「ヒント?」
「『ゲームには付きものだろう? まぁ、進呈するというよりは、こちらが貰う側かもしれないけれど』」
そんな意味深な言葉とともに、再び僕の頬に手が添えられる。
先ほどとは異なり――両の頬に。
「『忘れないでね――ん』」
唐突に、キスされた。
呼吸が止まり、目隠しをされているにも拘らず咄嗟に目を瞑る。
目隠しされていてもそれとわかる、唇に伝わる熱く、柔らかな感触。
飢えた獣のごとく、僕の唇が情熱的に貪り尽くされていく。
「――っ、ぁ」
ちゅっ、ちゅっ。
あー、キスって本当にこんな音するんだ。
啄まれる度に鳴り響く淫靡な音を耳にして、他人事のようにそんなことを考える。
如何せん身体が動かせず、また何も見えない状態であるからして、自分がどういう状況に置かれているかよく理解できていないわけで、とても自分事とは思えなかったのである。
息継ぎの間もなく唇を舐られ、軽い酸欠状態に陥る。海中を漂うアザラシが波の隙間を狙って水面に顔を覗かせるように、僅かな合間を縫って浅い呼吸を繰り返す。
後から考えてみれば鼻で呼吸をすればよかっただけの話なのだけれど、この時の僕は顔も見えない相手に鼻息を吹きかけまいと謎の漢気を見せており、文字通り自分で自分の首を絞めてしまっていたのであった。
「『……ふぅ』」
1分か、3分か、あるいはそれ以上か。
ようやくまともな口呼吸が再開できたころには、すっかり頭の中に白いモヤが立ち込めていた。
息も絶え絶えな僕を後目に満足げに息を吐いたそいつは静かに立ち上がる。
「『さて、もうじき夜も更ける頃合いだ。やるべきことは果たしたし、そろそろボクは退散するとしよう。精々、変な女をひっかけたり――ひっかけられたりしないようにね。キミがボクのところまで一直線に向かって来てくれることを祈っているよ。そうそう、手錠の鍵は玄関に置いておくから、ボクが帰った後で自由に外すといいよ。じゃあ、またね』」
僕の返事など最初から待っていなかったのだろう。
小さな足音とともに意識が遠ざかっていく。
こうして、僕の初キスと貞操の自由が奪われたのであった。




