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第1夜 始まりは金縛りというやつで

 みんなは『金縛り』にあったことはあるだろうか?


 テレビのホラー特集や漫画、アニメを見ていれば、その言葉自体はほとんどの人が一度は耳にしたことがあるだろう。

 ところで僕は昔から、この金縛りの『金』が何を指す単語なのか常々疑問に思っていたのだが、調べてみると金縛り自体は元は仏教用語で、敵を身動きできないようにする修法であるところの『金縛法』からきているらしい。

 そもそも古語における金は「固定する」や「動きを止める」といった意味を持つそうで、おそらく禁や緊と掛けられているのだろうと想像する。


 ともすれば金縛りを霊的体験と捉え、それを面白おかしく紹介するエピソードがそこかしこに跋扈しているわけなのだが、あいにくと僕はそんなものは信じていない。

 医学の世界では睡眠麻痺と呼ばれる睡眠時の脱力と意識の覚醒が同時に発生した状態のことを指すらしい。

 別に僕は医学関係者でもなければ、そもそも理系の人間ですらないのであまり偉そうなことは言えないのだけれど、『金縛り』とされるエピソードのほとんどが睡眠中の話であることを踏まえると、それがなんとなく確からしいと直感できる。

 要は夢と現の狭間で半覚醒した脳が勘違いを起こしているという事象に過ぎないワケだ。

 完全に目が覚めている時に金縛りにあった、なんて話は聞いたことがないしな。


 何が言いたいかというと、僕は一般的に金縛りであるとされる症状を体験したこともなければ、それが霊的由来であるなどと嘯くことはしない。

 漫画やアニメは大好きだが、それはそれ、これはこれ。

 どこまで行ってもフィクションはあくまでフィクションでしかないことを僕はとうに知っていた。

 20歳が迫ろうという中、未だに科学的に説明のつかない事象を盲信するほど分別のない人間ではないのだ。


 以上を踏まえた上で、僕の告白を聞いてもらいたい。

 僕は今、『金縛り』にあっていた。



「前々から思っていたんだけどさぁ」


 その日の――正確に言えば前日の夜のことを簡単に話しておこう。


 大学二年生である僕、村崎仁(むらさきじん)は、バイト仲間の集う飲み会に参加していた。


 参加人数は十人程度で、社員を除けばほとんどが大学生だ。

 目の前に座す美人――矢口(やぐち)美花莉(みかり)もそのうちの一人である。


 バイト先近くの居酒屋で10時過ぎにキックオフした飲み会は、既にてっぺんを回っていた。

 僕を含め、全体的に酔いがまわりつつあるのが場の雰囲気でわかる。


「村崎くんって、どっちかって言ったら根っからのドMってタイプよね」


 ぷはーっとまるでCMでも狙っているかのようにジョッキいっぱいのビールを豪快に飲み干した矢口さんは、口元をぬぐいながらしみじみとそう言った。

 仕草だけ見たらおっさんのそれなのだが、眉目麗しい年頃の女の子が主語になるだけで途端に絵になるのだから、美人って本当に得だよなぁ。


「なんです急に。どんな選択肢を並べたら根っからのドMが正答になるんですか」

「根っからのドMか、ぬっからむドラムか、どっちかって話よ」

「そんな二択はこの世に存在しねぇよ」

「すいませーん! 生おかわりくださぁーい!」


 矢口さんは僕のツッコミを払いのけると、店員に見えるように空のジョッキを掲げた。

 ちなみに言っておくと、この人の意味不明さはアルコールによるものではない。

 割といつでもこんな感じなのである。


「いやマジな話、気を付けた方がいいよ。あたしも色んな男を見てきたけど、村崎くんみたいな男の子って女子からしたら尻に敷きやすいタイプだと思うんだよね」

「尻に敷きやすいタイプってなんですか。僕は座布団かよ。僕のどこら辺がそうだって言うんですか」

「正方形で、綿が詰められていて、下に敷くとお尻が痛くないところ」

「それは座布団の特徴だろ!」

「だってぇー、村崎くんって女の子に雑に扱われたり、虐められたりするの好きじゃーん? 女子からしてみればそういうタイプっていろいろと扱いやすいのよね」


 そう言って手のひらを上に向けて円を描く。

 転がしやすいとでも言いたげだ。


「それにほら、村崎くんって女子の頼み事、断れないでしょ?」

「あのですね、あんまり僕を見くびらないでいただきたい。こう見えて村崎仁はノーと言える男ですよ。たとえ、とびきりの美人から壺を買ってと言われても金銭面を理由にきちんと断れます」

「お金があったら買うんじゃん」

「言葉の綾ですよ」

「ふぅーん。ところであたし、男らしく飲んでくれる人が好きなんだけど、どこかにそんな男の子はいないかなぁ?」

「刮目せよッ!」


 そう言ってビール満杯のジョッキを傾け炭酸の波を嚥下していく僕を見て、矢口さんは手を叩いて笑っていた。楽しんでもらえたようでなにより。食道から胃にかけて込み上げる満腹感を堪えながら頷く。


 そりゃあ確かに女の子にいじられるのは好きっちゃ好きなのだけれど、それは雑に扱われるのが嬉しいというよりも、女子に構ってもらえることに喜んでいるという感覚が正しい。

 別に虐められること自体に価値を見出しているわけではない。 


「あたし、特技があってね。目の前の人間がこれからどういう人生を送っていくのか、目を見ればだいたいわかっちゃうのよ。昔からそうだったわ。かつては細木数子の後継者などとよく呼ばれたものね」

「既に本物が芸能界にいるんだよなぁ」

「あぁ、見える、見えるわ、見えてしまったわ! 村崎くんには――ズバリ女難の相が出ています!」

「あはは、胡散くせー」


 矢口さんは親指と人差し指を丸めて出来た穴から覗き込むように僕を見つめると、芝居がかった口調でそんなことを言った。


「予言しましょう。君はこれから半年以内に女性関係のトラブルに巻き込まれます。悩みに悩んで、一つの結論に至ることになりますが、その過程できっと多くの女性を泣かせることになるでしょう」

「マジっすか。超モテ期じゃないですかやったぜ」

「うわ、さいてー」

「や、別に女子を泣かせたいってわけではないですよ? つーか、今の僕の状況からどうしたらそんなことになるのか見当もつきませんし。まぁ別にモテ期なんて来なくてもいいんですよ、モテモテにはならなくても、僕はきっと可愛くて優しい彼女をひっそり見つけて平穏に大学生活をエンジョイするはずなのです。僕は僕の可能性を信じてますから」

「すっごい早口ねぇ。というか二年の秋に言うことなの、それ?」

「四捨五入すればまだ入学したばかりとも言えます」

「そーいや、村崎って一年の頃にも変な女に捕まってたよなぁ。お前、そういうのを引き寄せやすい体質なんじゃねぇの」

「どんな体質だよ。ラノベの主人公か僕は」


 隣に座る同期の佐々木がこちらに身を乗り出してくる。

 同じ大学で同じバイト仲間、同い年と共通点も多いが、イケメン、彼女持ちという点で決定的な違いがある。

 こんな俗っぽい言葉を使うのは主義ではないのだがあえて言わせてもらおう、爆ぜろリア充め。


「つーかなんだよ変な女って。京坂(きょうさか)のことか? あれは別にそんなんじゃない」

「そーだったか? ま、どちらにせよ村崎にとっちゃ望むべくって感じじゃねぇの。暴風だとしても無風よりゃマシだろ?」

「だいぶうるせぇ」


 隣から茶々を入れるようにして肩を組んできた佐々木の腕を振り払った僕は、目の前に置かれたビールのジョッキを口に運ぶ。


 無風よりはマシ――本音を言えばそういう気持ちがないでもなかった。

 当方、如何せん彼女の「か」の字すら踏めていない状況だ。

 多少性格に難ありでも僕のことを好きになってくれる人がいるのならば、僕はきっと喜んでそれを受け入れるんじゃないかと思う。


「ふぅん。ま、受け入れるも受け入れないも好きにすればいいと思うけどさ。世の中には本気でやばいのもいるからねー、精々気をつけなよ」


 矢口さんはそう言って、いたずらっぽく笑う。


「家を特定するのなんて今の世の中、朝飯前だからね。寝てる間に忍び込んで手錠をかけてあれやこれやされちゃったりしてね」

「日本の治安はまだそこまで悪化していないと信じたいですけどね。さすがにそこまでされたら目も覚めるでしょうし、顔を見られて逃げ切れるほど日本の警察は甘くはないでしょう」

「それこそ甘いよ。本気でやるならパクられないように顔は隠してやるに決まってるじゃない」

「なんで微妙に犯人側の視点に立ってるんですか」

「まー、そういうちょっとばかし過激な経験を積むくらいが出遅れてる村崎くんにはちょうどいいのかもしれないね」

「出遅れてるとか言わないでください」

「いえーい!」


 ほんのり頬を上気させた矢口さんは新たに届いたビール満タンのジョッキを僕に配ると、半ば強引に乾杯を促してくる。

 僕は、仕方なしにジョッキを傾けながら、矢口さんの言葉を反芻していた。


 正直に言えば、この時の僕にとって矢口さんの話はあまり恐ろしいモノとは思えなかった。

 それはきっと、どこまで行っても自分事に思えなかったからだろう。

 正常性バイアスというべきか、そんなことが自分の身に起きるかもという予感や実感は、心のどこを見渡しても存在しなかった。


 だから、僕はこの時の僕を責められない。

 まさか、この矢口さんの予言にも似た言葉が、数時間後には現実のものになるだなんて――たとえ僕がどれだけ経験や修行を積んでいたとしても、きっと想像にすら至らなかっただろうから。



「……うぇっ?」


 ガシャリという金属の擦れ合う音と妙な寝苦しさで僕は目を覚ました。

 開口一番でなんとも間抜けな声が漏れてしまったが、誰にも聞かれる心配がないってのは一人暮らしのいいところだ。


 昨日の酒が残っているせいか、小槌をガンガン打ち付けられてるかのように脳の奥の方が痛みを訴える。

 得も言えぬ気分の悪さと砂漠を横断したかのような喉の渇きに耐えきれず、僕はゆっくりと重い瞼を開いた。


 外はまだ暗い――異様なまでの暗さだ。

 世界から光が消え失せたかのように視界は暗黒に包まれている。


 ふぅん、どうやらまだ夜更けは遠いらしい。

 イマイチ思考の定まらない脳みそでぼんやりとそんなことを考える。

 とりあえず、水分を欲してひりつく喉奥をなんとかせねば。


 ガシャリ。


 僕は上体を起こすべく腕を床につこうとしたが、なぜだか腕が上手く動かせなかった。

 僕の身動きと連動するように、聞き覚えのある金属音が冷たく鳴り響く。


 ……ははぁん、これはいわゆる金縛りというやつか。

 しかし甘いな。

 僕はそのメカニズムはとうに把握済みだ。

 金縛りなんてものは結局のところ、意識が覚醒しているかそうでないかの問題でしかない。


 僕は遠くに散らばった意識のかけらたちに再集合の号令をかけながら、試しに身体をモゾモゾさせてみる――が、お腹のあたりに添えられた両腕は動かない。

 より正確にいえば、手首どうしが何か硬い金属――そう、例えば手錠のようなもので繋ぎ止められているかのように、ある一定以上の動きが制限されていた。


 へぇ、珍しい金縛りもあるもんだなぁ。

 身体の一部分だけ動かないなんてケースもあるんだなぁ。


 ……いや、そんなわけなくね?


「……あ”?」


 冷水を浴びせられたかのように、意識が一気に覚醒していく。


 どうやら僕は拘束されているらしい。

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