救済の証明④
ぱちゃぱちゃぱちゃ。お湯に手を叩きつけると飛沫が舞う。自分のお人好しさというか……甘さに、私は少しばかり打ちのめされていた。仇敵の言葉を言葉をあっさりと信じてしまうなんて。
「しかも。しかもしかもしかもぉ!」
水飛沫が一層強くなる。でも仕方ないじゃん。泣いている顔まで見られちゃってさ!ムカつくったらありゃあしない!
その上お風呂までいただいちゃって!考えれば考えるほどどうかしてるじゃん!馬鹿じゃないの!私!
「んにゃああああああ!」
悶えていると、お風呂の外から「随分楽しそうだね」「よかったね」なんてエックスと公平の声が聞こえてきた。ちっとも楽しくないんだが?ちくしょうめ。
とはいえいい湯ではあった。脱衣場に用意されたバスタオルでわしゃわしゃ髪の毛を拭いて、適当に整える。籠の中には私の服が入っている。……洗濯した?もう乾いてる?早くない?
疑問を抱きつつも服を着て、エックスたちのいる居間にまで歩いていく。
普通の一軒家といった趣である。まだ人間だった頃に住んでいた家のことを思い出していて、すぐにそれがただの記憶の中の情報でしかないことを思い出して落ち込む。エックスは私の過去が嘘ではないと言っていた。それは果たしてどういう意味なのか。
がらっと音を立てて居間に入る。「おかえり……」とエックスが言いかけて、それから「なんで髪の毛乾かしてないの?」と聞いてきた。
……何をくだらないことを聞いているのだろう。私は首を傾げて逆に問う。
「魔女が使えるドライヤーなんてないじゃん」
エックスと公平が呆然としていた。何かおかしなことを言ったかな。首を傾げるとエックスが「そんなわけないじゃん」と言う。
「そんなわけないってなによ」
「魔法で乾かせばいいだろ。ドライヤーよりも自由自在じゃない」
「……」
その発想は、なかった。
その発想が今まで出てこなかったことに私は驚いていた。
魔法のことを復讐の道具としてしか認識していないにも程がある。
「……いいじゃん別に」
「乾かしてあげようか?」
「いいってば!」
「そ、そう……?」
いたたまれない気持ちだ。いっそ馬鹿にしてくれた方がよっぽど気が楽になるのに、エックスも公平もそういう感じじゃない。「多分疲れてるんだろうね」くらいの雰囲気だ。やめてくれ。そういう反応をしないでくれ。
気恥ずかしさを誤魔化すように、私は語気を強くして言う。
「いいから!例の話をしてよ!」
「わ、分かった!なるべく分かりやすく説明するけど、分からないことがあったら言ってね!」
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「このVが世界五分前仮説のモデル……今回はリインの世界Rのモデルとなるわけだけど。このままだとちょっと都合が悪くて」
「……うん」
「あっ。次元の話は一端無視してほしいな。ややこしい話になるから」
「今よりややこしくなるの……。わかった……」
「今の状態だと群にもベクトルにもならないでしょ。だからここでVの元に対する関係性~を次のように定義するね」
「ぐん……。べくとる……。ほにゃらら……」
「……とすると。この商集合V/~はベクトルになる。証明は……」
「うん……」
「……このV/~を見ると分かる通りで、過去の虚数空間上における過去改変は現実世界には影響を及ぼさない。つまり……」
「うん……」
「……というわけで過去の虚数空間上にはキミの復讐相手であるエックス‘がいる。更に……」
「うん……うん……」
意識が遠くなる。エックスの声が右の耳に入った途端に左の耳から出て行くような感覚を覚える。
「……リイン?」
「うん……。ううん……。……」
「……」
「エックス先生。リインさんが寝ています」
「こらっ!起きろっ!」
「うんっ!」
頭をチョップされて私は目を覚ました。
なんて酷いやつ。名前も覚えていない数学の先生を思い出す。そういえばあの先生も私は嫌いだった。
「寝ないでよ。せっかく説明してるのに」
「仕方ないじゃん!」
私は「キミの過去はニセモノなんかじゃない」という発言の真意を聞きたかったのであって、嫌いな数学の授業を受けたかったわけではないのだ。
……いやちょっと待った。証明とかなんとかとか、足し算掛け算がどうとか言っていたから多分数学だろうと思っていたけれど、果たしてこれは数学だろうか?数字が一個も出てきていないじゃない。
分かった。これは数学ですらない。意味の分からない謎の授業だ。机の上のコビト……公平も苦笑いしているし。
私にこんなことから教えようとするとか、実はエックスという説明がヘタクソなんじゃないのか。私は訝しんだ。
「えーっと。どこまで行ったっけ」
「い、いい!もういい!数学は嫌いだったの!ほら、ジンマシン出てる!」
「魔女に蕁麻疹出るわけないだろ……。仕方ないなあ。せっかくみんなで考えたのに……」
「いいって!要点は分かったから!要するに、私の過去はその……虚数空間?であったことなんでしょ!」
「ああ。なんだ。分かっているじゃないか」
「……その後のことはよく分からないけど。そこに私の世界を滅茶苦茶にしたあの魔女がいる。それだけ分かれば十分よ」
「……ん?ちょっと待って。リイン、ちゃんと分かってる?」
「分かってるって!うるさいな!」
「ごめん……」
エックスは、『あのエックス』……エックス‘のいる虚数空間上での過去改変は現在に対して影響を与えないと言った。現実に出てくる時にそれらの改変は全部なかったことになるらしい。
つまり、仮に虚数空間上の過去でエックス‘を倒したところで、私の世界は元には戻らないということだ。家族も親友も好きな人も、取り戻せない。
それでもいい。虚数空間上の過去でエックス‘を倒せば、その後私の世界が現実に出てくるまでの100年は平和が続くということだ。
私の家族も。親友も。好きな人も。あんな理不尽な死に方をせずに済む。人間であった私は、復讐以外の生き方のない魔女にならずに済む。
それだけで、私は満足だ。
「私は私の過去に行く。アイツに滅茶苦茶にされた世界を、今度こそ護ってみせる!」
「……うん。分かった。じゃあ、行こうか?」
「うん。……え?アンタも来るわけ?」
「そりゃそうでしょ。リインとボクだから大したことにならなかっただけで、ボクたちクラスの魔女が本気で戦ったらその余波だけで星が吹っ飛んじゃうよ。エックス‘は手加減なんかしてくれないだろうし……。誰かがキミの星を守ってあげないと」
「あ……。そっか……」
「よし!今回は俺も……」
公平が立ち上がる。あんたも行くの?まあいいけど……。私は公平に手を伸ばして彼を摘まみ上げようとした。
だがそれより先にエックスが公平を捕まえて、「だーめ」と言いながら遠ざける格好で机の上に再び降ろす。
「なんでだよ!」
「危ないし。……それにボクの顔をしてボクの声で喋るボクと同じ名前のヒトを襲う魔女とか公平に見られたくないし!」
「いいじゃん別に。アンタそういう魔女でしょ」
「全然違うし!リインのバカ!」
「バ……!~~!1000歳超えているお婆ちゃんのくせに!」
「おば……!言っていいことと悪いことがあるぞリイン!」
「うっさいババア!」
「ババアじゃない!」
「ババアババアババア!」
「さっきの続きやるかァ!?ボクがその気になったらリインなんてイチコロだぞ!?」
「望むところじゃない!お生憎様、正々堂々1対1なら、私が負けるわけないし!?」
言い合いと掴み合い。それから殺し合いの一歩手前をやっている私たちを見つめて、公平が「いいから早く行けよ……」と呟いた。




