虚構の補題④
巨大な女の子が好きすぎて、日本国最高学府であるT大学の学生であるという地位を捨て、ボクが近くに住んでいるという理由だけで地方の二流の国立大学の大学院に進んだ人たちの研究会がある。
研究会の名をSF研という。
サイエンスフィクション研究会の略称ではない。
公平が言うには紛らわしいから名前を変えろと本当のSF研究会の人間に苦情を言われたことがあるらしい。
SF研の面々はそんなことを気にもせず、定期的に集会を開いているらしい。
順調にメンバーが増えているとリーダーの田母神さんは言っていたが、真偽は定かでない。
彼らは元T大学の学生であるがゆえに一様に優秀である。
数学科の田母神サン。生物学科の峰崎クン。それから法学科の朱音クン。
彼らは公平のように「何となく数学得意だし~」という浅はかな考えで己の道を決めたのではない。互いに幼馴染でも高校時代のクラスメートだったわけでもなくバラバラの場所で生活してきたにも関わらず、同じ思想・同じ理想のために進学先を決めたのだ。
「あらゆる科学の基礎は数学。未来の研究を支えるにはその先を行く数学の力がきっと必要になる。だから私は数学科に進む。そしていずれは巨大娘を創る研究を……」ということで田母神サンは数学科に進んだ。
「生き物の大きさを弄る一番手っ取り早い手段は遺伝子的な改造を施すことのはず。俺はだいたいなんでも得意だけど特に理科系が好きだし、生物学科に進むべきだな。そしていずれは巨大娘を創る研究を……」ということで峰崎クンは生物学科に進んだ。
「残念だが僕は理系人間じゃない。ってことは僕の仕事は自分で研究することじゃなくて研究者は仕事を出来る場を用意することなんだ。となると目指すのは政治家……。まずは法律を勉強して、金貯めて、地盤を固めて出馬だな。そしていずれは巨大娘を創る研究を……」ということで朱音クンは法学科に進んだ。
要するに全員巨大な女の子をこの手で創りたいという野望の為に進学先を決めてしまったのだ。
研究会としてまだ小さな規模である今はともかく、これがもっと大きくなって実績まで出してしまったら、控えめに言って昔の特撮番組に出てくる悪の組織である。とはいえ優秀なことには間違いない。
今回、ボクはそのSF研の3人を呼んだ。条件としてボクの撮影会を開くことを要求されたが、その程度でこの数式の謎を解くヒントが得られるならヨシということで了承した。
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田母神サンはウチに来て開口一番「今日は撮影会をさせてもらえるということで伺いました」等と言い出したので、「こっちの要件が先!」と窘める。
三人をテーブルの上に降ろす。ボクの使う用のテーブルは魔女用なので巨大だ。人間が使うには大きすぎる。というわけでこの上に人間用のテーブルを置いてある。そちらのテーブルの上にはボクと公平で作った考察ノートが置いてあった。
「これが例の式?」
「そ。世界五分前仮説のモデル」
「ふうん……」
ボクがお茶を入れている間に公平と田母神サンが会話をしている。数学の学徒同士の会話だ。実のある話が出来るといいけれど……。
「あんまり美しくないね。この式」
……危うくお茶を零すところだった。最初の一言目で言うことがそれかい。……まあ、ちょっと分かるけど。
「ああ。分かる。もうちょっとどうにかしたいよな」
「ね」
田母神サンと峰崎クンが二人だけで数式が美しくないという点で納得してしまった。
「美しいとか美しくないとか分からん……」と朱音クンがぼやく。彼にとっては専門外の話なので仕方がない。
問題は公平の方だ。「どこがだよ?」と食って掛かっている。数学科でしょうがキミも。
「だってこれ線形でもないし群でもないし……」
「自然な演算に対する零元が定義できないのがすごく気持ち悪いんだよな。もうちょっと何とかならない?」
「これが世界のモデルって言うなら世界が醜すぎて泣いちゃうね、私なら」
ボロクソだ。「ああ。言われてみれば」と言うのは朱音クンである。
公平ではないのが残念だ。それどころか見苦しく反論をしている。
「いやでも、零元無理やり定義すれば……」
「無理やり定義しないとダメな零元なんて美しくないでしょ」
分かる。お茶の用意を終えたボクは無言で頷いて同意する。自然に定義される零元が一番すっきりするよね。分かるよ。心の中で言いながら、魔法でみんなの分のお茶を飛ばす。
「お、まえら……アルバのやつが泣くぞ……」
「そのアルバくん?だって話聞いたら納得すると思うけど……」
「取り合えず零元定義できるようにしたいな。どうするかな……」
「自然な零元は零関数だと思うけど、零関数はこの集合の中に入らないしなあ」
「一番零元に近そうなのはある時刻移行ずっと0の値を取る関数かな?」
言いながら、ボクはボクの分のお茶を持って、席に座る。
「やっぱそれですよねえ……。どうしようかな。……あ、そうだ」
何事か閃いた田母神サンが持ってきたノートにあれこれ書き込み始める。
「ねえねえ峰崎さ。この関係性利用して商集合定義すればさ」
「あー……それなら自然に零元定義出来るな」
「商集合ってなんだっけ」
朱音クンが尋ねたので田母神サンが適当に答える。
「滅茶苦茶かみ砕いて言うと集合の元を特定の共通点でグループ分けする感じ。例えば男女グループとか。身長160cm以上か以下かとか」
「ふーん。……それでなんで零元定義出来るんだ。よくわかんね」
SF研の中だけで話が進んでいく。
もう公平は話に入っていけない。話を理解することは出来ているだろうけれど、その先を思いつく閃き力が足りていなかった。ちょっと不貞腐れた顔でお茶を飲んでいる。
ボクも話に入っていきたい気持ちは少しあった。でもそうすると公平が可愛そうなので、一緒にSF研の考察を見守ることにした。
「……ふんっ。線形とか群とかにしたらなんだっていうんだ……。ん?なんだ?」
公平がスマホを取り出す。何か通知が届いたらしい。初めこそ興味なさげにしていたが、やがて「え?」とか「おっ?」とか興味を持っているような声を出し始める。
「どうしたんだろ、公平」
「まあいいですよ。それより式が出来たましたよ、っと」
Vの同値関係~に対する商集合V/~を田母神サンが見せてくれる。
W1,W2∈V,W1~W2⇔∃t0,st t≧t0,W1(t)=W2(t)∈ℝ
言葉で表現するなら、実数空間上に露出した関数W1とW2に対して、ある時刻より先でW1とW2の値が一致するのであればW1とW2は~という関係性を満たしているということである。
この関係~は、反射律・対称律・推移律を満たす。よって同値関係である。
関係~による商集合V/~は零元を定義可能だ。考察の前にボクが言った、ある値より先では常にゼロの値を取る関数の集まりを0と定義すればいい。
「なあ田母神。この商集合実数から実数への関数全体と同一視できる?」
「それは無理。商集合の条件がガバガバすぎる」
「ああそっか。y=xもy=|x|も同じものになっちゃうか」
「そそ。どう頑張っても1対1 ontoにならないから。もうちょっと厳しい条件を入れれば……」
「いいや。ここまでで十分だ。概ね謎が解けたぞ!」
公平が得意げな顔で言った。その顔を見たボクとSF研の三人は、きっと同じことを思ったと思う。果たして田母神サンがそれを言ってくれた。
「例のアルバくんがなんか思いついたの?」
「なんで分かるんだよお前は!」
「分かるよそりゃ。さっきまでぶすーっとしてたのに急に生き生きしてるから」
「く……」
「で?何を思いついたの?」
「……アルバのやつも線形でもなければ群でもないことは気にしていたんだ。で、同値関係を入れて商集合を定義することを思いついた」
「それは私たちもやったよ」
「問題なのは数式の解釈だ。ただ関数の集まりとしてみるんじゃない。商集合こそ世界のモデルとして考えるとどうなるか?」
「ん……。……ああ。そういうこと?」
田母神サンは公平の言いたいことを理解したらしい。
理解されたせいで公平は悔しそうだ。
自分で答えに辿り着いたわけじゃないのになんで公平が悔しそうにしているんだ。
ただ、田母神さんにも公平にも分かって、ボクが分かっていないという状況は面白くない。だから少し、考えてみる。
ええと。あの同値関係の意味は、実数空間に露出してから先のある時刻で同じ値を取り続ける関数は同じものと見なす、ということだ。
現実に起こっていることは……虚数空間上での過去改変が無かったことになったということである。現実に於いては惑星rが破壊されたことに変わりがなかった。その後過去の虚数空間に戻ってみるとボクが時間移動したという事実そのものがなくなっていた。
先ほどの商集合がモデルならば……。必要なのは虚数空間上にある部分ではない。現実に露出してから先の実数部分だけだ。
「……ああ。なるほど」
「そうだ。まだ虚数空間にある時の世界の状態は、商空間の定義に必要ない。虚数空間上での出来事は必要なのは現実に出てから先の値だけだ。だから……」
「だから現実世界は虚数空間上の過去改変の影響を受けない。そっちは関系無いから」
「……そう!そして過去改変が無かったことになるのは」
「過去改変の事実があってもなくても変わらないなら、なかったことにする方が現実との連続性が保たれるから、とも考えられるわね」
「……まあ。そういうこと」
「最後の結論だけ取るなよ」と公平がぼやいた。
「……そういう話になるならこれはもう数学の領分じゃないわね」
田母神サンは匙を投げるみたいにペンを置いた。
純粋数学は現実の現象のモデルとしての数式ではなく、数学そのものを探求する。そういう意味ではアルバクンの閃きは数学とは少し離れているのかもしれない。
かといって数理科学とも違うような。
いっそ文学的な領分とも言えるような。
「というかさ。そのアルバクンと話した方が早いんじゃない?」
朱音クンが言った。「言っちゃったよ」とボクは心の中で呟く。公平が口を開いて「えっ」とだけ答える。それ以外の言葉を失ってしまったみたいだ。
「ああ。それは俺も思った。そのアルバクン呼んでくれよ」
「や、それはちょっと……」
「なんで嫌がってるの」
「いや別に嫌がってるわけでは……」
「なにか隠してる?」
「何も隠してないよ……」
公平がそっぽを向きながら言った。これは何かを隠している時の仕草だ。ボクには分かる。付き合いが長いもん。
そうなると流石のボクも気になってしまう。何を隠しているんだよ。SF研の追及に参戦しようとしたとき、朱音クンが「あ、分かった」と口を開いた。
「そのアルバクンは実はアルバちゃんなんだろ!」
「あ……っ!」
「あ。図星っぽい」
「いやそれはほら」
ボクは何か弁解らしきものをしようとしている公平に手を伸ばした。「うわっ」と慌てる彼を問答無用で握りしめ、首だけ出した状態でボクの目のすぐ目の前にまで持ってくる。一瞬理解が追いつかなかったが、所詮一瞬だけの出来事である。
「女の子だって聞いてないんだけど?」
「い、言ってないから……」
「なんで?」
無意識のフリをして、意識的に少し力を入れる。手の中で公平が「痛い痛い!」と呻く。机の上ではSF研の三人が「おおーっ!」と感嘆の声を上げていた。こんなところで再確認するのもどうかと思うけれど、やはり彼らはある意味で大物である。
……いや。今、それはいい。問題は公平の方だ。
「隠し事にしていたってことは……なにかやましいことでもあるの?」
「ないっ!誓ってもいい!それは絶対にない!」
この時点でボクは公平にはやましいことはないことが分かった。
嘘をついている時の雰囲気ではない。嘘をついているときの公平はもっと分かりやすく嘘をついているのだ。多分これは本当の弁解だ。付き合いが長いから分かる。
……この時点で許してやってもいいのだけれど。けれど、この状況で公平を揶揄うのは、それはそれで愉快なので、もう少し意地悪することにしてみる。
「じゃあなんで黙ってたんだよぅ」
「そ、そりゃあ……。女の子と友だちになったって言ったら誰かさんに握り締められるから……」
「あン?」
もう少しだけ手の力を強くしてやろうか。
強くした。「ぐええ」と公平が悶える。
「……ご、ごめん。でも本当にただの友だちで……」
「でもなあ……男女の間には友情は成立しないってよく言うしねえ」
朱音クンが不意打ちのように呟いた。公平にも聞こえていたみたいで、ボクに握り締められつつも机の上を睨む。「余計なことを言うな」とでも言いたげである。
「公平、ボクはね。キミがいくら女の子と友だちになったって構わないんだよ。でもそれを内緒にされたら寂しいじゃないか。ボクのことを信じてないってことだろう?」
「そ、そういうわけでは……」
「ならボクにもちゃんと教えてよぉ。友だちのこととかさぁ」
「……分かったよ。ごめん」
「いいでしょう」とボクは言う。公平は「あれ?」と首を傾げた。何か納得が出来ていないというか釈然としない雰囲気である。
ボクは誤魔化すみたいに「ふふふ」と笑った。




