11話「不審」
部屋番号と名前を確認してから、スライド式の扉を開ける。白く広い部屋には六台のベッドが設置されているが、使われているのはそのうち三台だけのようだ。窓際のベッドによく見知った顔を見つけ、病室内へ入る。金曜日の朝、片並総合病院のとある大部屋でのことだった。
「ナズナ、無事だな」
「無事ではないよ」
ベッドに座って窓の外を眺めていたナズナは、真夏の言葉にため息をつく。外はよく晴れているが、まだ日差しはそれほど強くない。
昨晩、蒼から一本の電話があった。
ナズナが何者かにナイフで切りつけられ、病院に搬送された――と、彼は真夏にそう伝えた。
昨日の朝、蒼たちとともに家を出たナズナは忘れ物に気付き、それを一人で取りに帰ったのだが、その道中で起きた事件だったそうだ。治療と簡単なカウンセリングのために二日ほど入院することになったが、それほど深い傷ではなく、大事には至らなかったという。
カーテンを閉め、ベッドの横のパイプ椅子に座る。ナズナはいつもに増して不機嫌そうな顔だ。
「横っ腹を切られたって聞いたぞ。怪我はどうだ?」
「痛い。何針も縫った。ほんと最悪。警察も来て、ずっとなんかいろいろ聞かれて。疲れた。……っていうか真夏、学校は?」
「サボり」
「クソ野郎だな」
非常事態ではあったが、軽口はいつもどおりだ。物理的な傷はともかく、精神面に心配はないとみていいのだろうか。いや、動揺はしているだろう。一晩経って少しだけ落ち着けた、といったところか。
「それで、どうだったんだ。犯人の顔は見たのか?」
「いや、顔までは。曲がり角でいきなり飛び出してきて、思いっきりぶつかられて。刺されなかっただけマシだけどさ」
「そうか」
それもしかたないか――真夏はため息をつきそうになる。ナズナが、ああ、と思い出したように続けた。
「でも、女だったのはわかった」
「女?」
「そう。ぶつかったときに香水のにおいがした」
「香水? どんな香水だ。今どきは男でも香水をつけるやつがいるらしいぞ」
「メンズ物って感じじゃなかったよ。あれは金木犀――だと思う」
「キンモクセイ? ああ、蒼がきらいなやつか」
「あいつ花のにおい全般きらいじゃん。あと、髪が長くてツインテールにしてたし。背も低かったし。服は黒ってこと以外はわからないけど、あれが男ってことはないよ」
「は――」
今、なんて言った?
「ツインテールの――女?」
硬直する真夏に気付かないまま、ナズナはうんざりしたように頭を掻く。
「だからさ、もしかして――ほら、蒼の。なんか、嫌がらせみたいな。されてたじゃん。あれじゃないかと思って。ほんとムカつく」
「蒼に嫌がらせをしてくる犯人と、ナズナを襲ったのは同一人物だ、と」
ナズナは頷く。
「このタイミングでこんなこと起きたら、そうだって思わない?」
「蒼のことも警察に?」
「そりゃ、言うしかないじゃん。一歩間違えば殺されてたかもしれないわけだし。ここまできて、まだ隠そうとすんのはいい加減おかしい」
「まあ、そうだわな。それならいいんだ。俺もそうしたほうがいいと思ってたし。蒼にもそう言ってた。話す機会が向こうから来てくれたわけだ」
「こっちは巻き込まれて散々なんですけど」
たしかにそうだ。
「いや、ああ、うん。そうだな、悪い。……そのこと、香や千秋には?」
「蒼のことはまだ言ってない。でも、私が不審者に怪我させられたってことだけなら、たぶんもう、蒼が言ってる」
「そうか。なら早いうちに全部話しておけ。とくに千秋には」
「……なんで?」
真夏の忠告に、ナズナは訝しげに眉を寄せる。真夏は一瞬、返しに詰まった。
「な、んで、って。そうしたほうが……いいと、思うか、ら?」
「だから、それがなんでって。お前、今まで私にすらこのこと隠そうとしてたじゃん」
「いや、それは蒼が誰にも言うなって言うから、あいつの許可なく話すわけにいかなかったからで」
「千秋に話すのだってそうじゃん」
「状況が変わったからだ。とりあえず千秋には……ああ、蒼に言ったほうが早いか。いや、俺が話すのが一番手っ取り早いな。よし、じゃあ千秋には俺から説明しておく。ナズナは怪我を治すことに集中してな」
「は? ちょ、おい! 説明って」
言うだけ言って立ち上がり、その場を去ろうとする真夏の袖を、ナズナが捕まえる。しかし、真夏は落ち着いた様子でその手をそっと掴んで解かせた。
「千秋は学校にいるはずだな? よし、善は急げだ」
「かみあってない、会話がかみあってない! キャッチボールしろよ!」
「その怪我じゃ、まだキャッチボールは無理だろ」
「比喩だバカ!」
「週明けには学校来れるのか?」
「い――くけど、ちがっ、ちょっと、真夏、おま、人の話聞けって!」
「あんまりうるさくすると同室の人に迷惑だぞ。じゃあな」
「お前さあ」
*
「言われたとおり、持ってきたぞ。真夏」
さかのぼって、昨日。夏目と別れたあとの真夏は、駆け足で自宅へ急ぎながら白坂を電話で呼びつけた。急な呼び出しにも関わらず二つ返事で了承し、すぐさま真夏のもとへやってきたのはさすがと言うべきか。真夏の部屋にたどりついた白坂は、肩にかけた手さげバッグから、先ほどの通話中に真夏から持ってくるよう言われていた物を取り出す。
「ほら、角崎中の卒業アルバムだ。なにかわかったのか?」
白坂は真夏の幼馴染であり親友であるが、一瞬たりとも同じ学校に通ったことはない。夏目が言っていた角中――角崎中学校――は、たしかに真夏にとっては名前しか知らない学校ではあるが、そこは白坂が通っていた中学だったのだ。似顔絵の女に似ているらしい三島頼子という少女が角崎中の生徒で、我々と同期生ならば当然、アルバムに顔写真が載っている。
「山吹を盗撮しているストーカー女の顔がわかった。あいつの家に送りつけられてきた写真のなかに、撮影者本人が写り込んだ写真がまざっていたんだ。それをもとに似顔絵を描いて、そいつを知っている人がいないか探していた」
「それで?」
「ダメもとで夏目にも見せてみたら、これは三島頼子という女に似ているようだ。角崎中の卒業生で、今は北桐に通っている。だから確認したいんだ。その三島頼子が本当にあの写真の女なのか――あった」
三年三組、三島頼子。
「ああ――こいつだ」
やや吊り上がり気味の目。耳よりわずかに高い位置でふたつにまとめた長い髪。まわりの生徒の写真は笑顔だが、彼女だけはカメラをにらむような仏頂面だ。似顔絵を描く際に注意深く観察した少女の顔を思い出す。
「三島……三島頼子か。だったら、ありえない話でもないかもな」
白坂がぼそりとつぶやいた言葉を、真夏は聞きもらさなかった。
「知ってるのか?」
「知ってるとも。一年と二年のときは同じクラスだった。ぱっと見た感じはおとなしそうな子だったんだけどな、実際はかなりの問題児だったよ」
「問題児……三島頼子と小学校が同じだった夏目も、似たようなことを言っていた。普段はおとなしいけど、急に怒りだしたり、学校に親が呼び出されることもあったって」
「あったな。たしかに普段はあまり目立たない、教室のすみで読書しているような感じの子で。でも、友達がいなかったわけじゃない。一年のころは、仲のいい子たちと四人くらいで話しているのをよく見かけたよ。もっとも、三年になるころには完全に孤立してたけどな」
「どう問題だったんだ」
「色恋沙汰が原因で、たびたび騒ぎを起こしてた。クラスの女子と三島が同じ相手を好きになったとかで、三島がその子に殴りかかって、そのまま取っ組み合いの喧嘩になったり。付き合っていた男子が他の女子と話しているのを見ただけで激怒して、怒鳴って暴れたこともあった」
「……他には?」
「二年のときに、好きになった相手の家まで押しかけて迫ったり、一方的に別れを告げてきた彼氏のストーカーになったこともある」
「そんなに数々の逸話が?」
「好きな相手がころころ変わる恋多き乙女だったから、そう長い間つきまとわれることはなかったみたいだけど、そのぶん被害者も多かったんだよ。同じクラスになった男子は目をつけられないよう、常に戦々恐々としてたもんだ。なんせ、目が合っただけでも惚れられるほどだ」
「お前は大丈夫だったのか」
「残念なことに、俺はお姫様のお気に召さなかったらしい。会話の機会は多かったけど……どうも、きらわれていたみたいでな」
「よかったな。厄介な女に目をつけられなくて」
「そういう言い方をするなよ。もうちょっとオブラートに包んでだな……」
「包み方を間違ってるお前がなに言ってんだ。その嫌味な言い方の十倍はマシだ。とにかく、そういうやつだったと言われると、なおのこと怪しいな。どうあれ、詳しく調べたほうがよさそうだ」
「ならば請け負った。三島が相手なら、お前よりも俺のほうが動きやすい。三島の最近の動向を調べてくればいいんだろ?」
「ああ。少なくとも、ここ一ヶ月はほとんど学校に行ってないはずだ」
「あいわかった。いや、わかった――のはいいんだが、厄介なことに、ひとつ気がかりなことがある」
「なんだ?」
白坂はアルバムのページを二枚ほど進めると、トントンと指で一枚の写真を示した。
「これを見ろ」
「――なるほど。それは……ああ、厄介だな」
「併せて調べてみるから、そのあたりは俺に任せろ。それから一応、このことは露木さんにも相談しておいたほうがいいと思うぜ」
「露木さん?」
「ほら、真冬さんの知り合いの――」
「ああ、あの人か」
「なんなら、俺から連絡しておくから」
「わかった」
「じゃあ、なにかわかったら連絡する。お前も、なにかするなら先に、俺に連絡してくれ」
「わかってる」
帰る白坂を玄関先まで見送り、真夏は腕を組んだ。進展はあったものの、一歩進んで二歩下がる事態に陥らなければいいのだが。正解の道に進めている自信はない。しかしそれでも、打てる手はすべて打たなければ。
蒼からの電話でナズナの事件を知ったのは、それから二時間ほどあとのことだった。




