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12話「事件」

病院を出た真夏は一度帰宅して着替えたあと、すぐに学校へ向かった。とはいえ、到着するころには正午をすぎており、生徒たちは既に昼休憩に入っている。授業中よりも校内への出入りがしやすいため、真夏にとっては好都合だ。


生徒玄関から渡り廊下を経由して西校舎へ向かう。二階への階段をあがりきったところで、廊下に香の姿を確認した。同時に、香も真夏の到着に気付く。


「あれ、真夏? 今日はもう来ないのかと思ったよ」


「来るつもりはなかったんだけどな。千秋、来てるか?」


「来てたけど、早退したよ」


「早退?」


「うん、ナズナの……あ、真夏、この話もう聞いてる? ナズナが怪我して」


「病院送りだろ? でもすぐに退院できるそうだな」


「よかった、もう知ってたんだ。そう、それで、大丈夫なのはわかってるんだけど、やっぱりどうしても心配みたいでさ。ナズナの様子を見に行きたいからって」


「なるほどね。香は行かなくてよかったのか?」


「僕は放課後に行くつもりだよ。たいした怪我じゃなかったってことは、ナズナからメールで聞いてるから、そこまであわてなくてもいいかと思って」


無事と知りながら、それでも様子を見に行きたいと早退した千秋。無事と知って、そうあせらなくともよいと学業を優先する香。心配しているのか、していないのか、薄情か温情か――という話ではない。感情的な千秋と、理性的な香の対比だろう。


「まあ、香まで早退したら、ナズナが休んだ間のノートを誰がとっておくんだ、ってことだわな」


「それもあるね。千秋、本当に今さっき帰ったところだったんだけど、見かけなかった?」


「そこまで僅差の入れ違いだったのか? ってことは、ちょっと急げば、すぐ追いつけそうだな」


「追いつく?」


「帰るわ」


「え、今来たところでしょ?」


「千秋に話があって来たんだ。千秋がいないなら、こんなところに用はねえ」


「こんなところって……うーん、それなら止めないけど。病院へは家に帰ってから行くって言ってたから、このまま千秋の家のほうへ歩いていけば追いつくと思うよ」


「わかった、ありがとう。じゃあな」


「うん、また月曜に」


香と別れ、今来た道を引き返す。階段をくだり、渡り廊下を早足に通り抜け、中館へ移る。そのまま生徒玄関へ向かう途中、保健室の前を通ったときだ。


「先輩?」


真夏のことを先輩と呼ぶのは一人しかいない。振り返りながら返事をする。


「彩ちゃん」


「あ、やっぱり先輩だったんですね。今日はお休みだって言っていませんでしたか?」


彩は真夏の弁当を用意してくれているので、休むときは早めに連絡しておかなければならない。今日の欠席は昨日の夜のうちに彼女に伝えていたので、真夏が学校にいることにおどろきを隠せないようだった。


「休みだよ。ちょっと用があって来たんだけど、もう帰るところだから」


「帰っちゃうんですか?」


「帰っちゃうんで――あ、電話だ」


ポケットの中の携帯電話が長く振動したため、そう判断してすぐに取り出す。彩のほうを見て、ひと言、断りを入れてから、彼女に背中を向けて電話に出た。


「千秋?」


『真夏? 私。あのね、今、香から連絡あって、真夏が私に用があるって聞いたんだけど』


「そう、話したいことがあって。ついさっき早退したって聞いたけど、今どこ?」


『まだ学校出てないよ。先に職員室に寄ってて、今ちょうど生徒玄関の……あ!』


真夏、と声が聞こえて、顔を上げる。廊下の向こうで千秋が携帯を耳から離すところだった。通話を止め、歩み寄る。


「よかった、すれ違うところだったね」


「ああ。ナズナのお見舞いに行くんだろ?」


「うん、最初は香と一緒に、放課後に行こうと思ってたんだけど、どうしても気になっちゃって。話って?」


「大事な話なんだ、歩きながら話そう。送るよ」


「それはいいんだけど……」


千秋がちら、と真夏の背後を見る。彩がいたことを思い出した真夏も、そちらを振り向く。


「ごめん、彩ちゃん。またメールでね」


「あ……は、はい、さようなら」


校門を出て、千秋と二人で並んで歩く。彼女と二人で会話することは別段、珍しくもないが、二人で学校から帰るというのはあまりない。真夏が忘れているだけかもしれないが、もしかすると初めてかもしれない。いや、だからどうということはないのだが。しかし、どうやら千秋も同じことを考えていたらしい。


「そういえば、真夏と二人で帰ることって、普段ないよね」


「下校に限定すると、たしかにないな。休みの日に二人で出かけることは、たまにあるけど」


二人で出かけるといっても、ほとんどが蒼絡みの目的がある外出だ。次のデートに着る服や、つけていく香水などを選ぶため。蒼の好みをある程度把握している男の意見を得られる、ちょうどいい立ち位置なのだ、真夏は。


「蒼のことで気兼ねなく相談できるのって、真夏くらいしかいないから。ナズナと香はさ、身近すぎてちょっと恥ずかしいんだよね。夏目は部活忙しいし」


「夏目はなんでもかんでも、それいいね、しか言わないと思うぞ。そもそも志村にしても、香水はともかく服なんてあんまり見てないと思うがね。お前が好きだと思ったものなら、あいつも気に入るんじゃないか?」


「そうかなあ。蒼って結構、好みが変わってるっていうか、マイナーっていうか、十人のうち九人が良いと思った、その残り一人の側なことが多くない?」


「あー……なんとなくわかる。感性が独特……というより、気難しいんだよな、あいつは」


「だよね。あ、それで、大事な話って?」


「ああ、志村のことなんだけどな。最近、あいつの様子が変だと思ったことはあるか?」


「え? うーん、蒼が変なのはいつものことだし……冗談。そうだね、たしかにちょっと、どうしたんだろう、って思うことは多くなったかな。変っていうほどかどうかは、わからないけど」


「千秋に勘付かれないほどとは、あいつは表情を隠すのが誰よりうまいからな。逆か。表に出すのがへただ」


「なにかあったの?」


「あいつな、少し前から誰かに嫌がらせを受けてるんだ」


「えっ、嫌がらせ?」


「といっても、いじめとかそういう話じゃないから安心しろ。いや、安心しちゃダメだな。誰かにストーカーまがいのことをされてるんだよ」


「そ――そうなんだ。それって真夏にだけ話してたの?」


冷静に受け答えはしているが、やはりショックはあっただろう。動揺を隠しきれていない。


「俺が聞いたのも、つい最近のことだ。今はナズナも知ってる。ただ、気を悪くしないでほしいんだけどな、千秋に話さなかったのは、無駄に怖がらせたり、余計な心配かけたくないっていうのもあっただろうし、男としての意地みたいなのもあっただろう。あいつはあいつで悩んでた」


千秋は無言のまま、真夏の言葉を聞いている。


「すぐにおさまるイタズラかもしれない。知らない間に誰かの恨みを買ったのかもしれない。親に打ち明ければ警察沙汰になるだろう。そんなにおおごとにするようなことなのか。誰に話すべきか、誰に話さないべきか。さんざん悩んだ結果、俺に話してくれたんだろう」


「ん……うん、それは、いいの。もし私に同じことが起きたら、蒼には言えなかったと思うし。でも、それなら、どうして真夏はこのことを私に?」


「ナズナがこのことを知ったのは水曜日の夕方。打ち明けたんじゃなくて、バレたから話さざるを得なくなったんだけどな」


真夏は千秋に、水曜日の夕方、ナズナが一切の事情を知ることになった経緯を説明した。千秋と香が帰ったあと、玄関に血のついたハンカチが置かれていたこと。それによって、犯人が女であるのがわかったこと。そして昨日の朝、ナズナを襲った不審者も女であったこと。真夏が知る情報の多くと、そこから生まれた推測。


「――だから、それなら千秋も危ないと思って話しに来た。とはいえ志村になんの断りもなく、俺の独断での行動だ。あとで怒られるかもなあ」


「私のためだったって説明すれば、たぶん、ちょっと文句言われるだけで済むと思うよ。しばらくは黙っててあげる」


「いや、今朝ナズナに会って話したとき、千秋にも話したほうがいいって言っちゃったから、話したことはすぐバレるよ」


「蒼はその話、どこまで知ってるの?」


「千秋には俺もさっき気付いたようなことまで話したからな。今の話ほど詳しい話は知らない。でも、周囲に被害が及ぶようになったなら、千秋も危ないかも――っていうのは、まあ、すぐに考えつくことだ。俺が言わなきゃ、いつかあいつが自分で話してただろう。ただ、いつなにが起こるかわからない以上、悩んだり考えたりしてる暇も、そのいつかを待っている余裕もない」


「蒼が行動に移すのを待ってたら、そのぶん、なにも知らない私が危険になる、ってこと?」


「そのとおり。俺の話はただの推測にすぎない。現状、考えが完全にまとまりきってるわけでもない。だが、ありえない話じゃない。根拠のない推測とはいえ、容易に考えつくことならば、可能性は否定できないだろう。できるだけ一人では出歩かないようにしてくれ。登下校は香たちと一緒だから大丈夫だろうけど、ひと気のない場所、暗くなってからの外出は避けろ」


「うん、わかった。気を付けるよ」


「志村は家のほうでいろいろごたついて、今日は外に出れないみたいだからな、自宅と病院までは俺が送るよ」


「ありがとね、心配してくれて」


「お前になにかあってからじゃ遅いからな。もし、千秋が傷を負うようなことがあったら、俺もあいつも立つ瀬がない」


千秋の家に到着したあと、一度は家の中に引っ込んだ彼女だったが、ものの五分もしないうちに外に出てきた。本当に着替えただけのようだ。あまり真夏を待たせたくなかったのだろう。病院は千秋の家からもう少し東のほうへ歩いたところにある。


「俺は外で待ってるから、帰るときには連絡してくれ。ゆっくりしてこいよ」


「一緒に病室まで行かないの?」


「ガールズトークは男子禁制っていうのは、昔から決まっていることだからな」


「病院でそんなに込み入った話はしないよ……でも、わかった。ちょっとだけ待っててね」


「のんびりしてていいぞ。俺は俺で物思いにふけるとするさ」


「そう? じゃあ、またあとで」

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