1年目の春
村の特産は異世界です
・1年目の春
4月になると、流石の大谷村も暖かくなる。それは標高の上がった上里集落も例外ではなく、日なたでは暖かいなと感じられるぐらいにはなっていた。ただ積み上がった雪は、この程度の暖かさでは溶けてくれない。除雪した道路は良いのだが、積み上げられた雪はどこかの観光地のように道路の両側に壁を作っていた。高さだが、10mぐらいある気がするぞ。道路側に倒れてきたら、流石にまずいよな。
それはそれとして、県道が普通に使えるようになったのだ。そうなると、様々な人たちが上里集落までやってくることになる。
「お久しぶりですね」
そう言って顔を出したのは、大谷村役場の上村さんだった。北地区出張所の職員で、軽い厨二病に罹っている丁寧な物腰の人でもある。
その上村さん、俺の顔を見る限り『ご無事でしたか』と言ってくれた。いや、そこは、『お元気でしたか』程度だと思うぞ。どうして、『無事』と言う話になるのだろう。
「いえ、諸星さんは初めての山奥でしたよね。この深すぎる雪で、怪我とか病気とかされなかったかと考えただけです」
環境と言う点で言えば、流石に否定するのは無理がある。異世界に送り込まれる前だったら、確かに耐えられなかったのだろうな。だがあちらの世界では、圧雪もされてない雪山越えをしたことがある。暖をとるため、師匠と裸で抱き合ったと言う夢のような経験もしたぐらいだ……おかしいな、なんでその先に進まなかったのだろう。
それはそれとして、この程度の雪……いや、豪雪と言うことは認めるぞ。ただ住環境とか魔法とか考えると、比較にならないほど楽だったのだ。そんなこと、正直に言えるはずはないのだけど。
「ええ、ちょっとしたカルチャーショックはありましたよ。ただ、まあ、お籠もりして乗り越えたと言う所ですね」
「雪下ろしとか除雪とか考えたら、お籠もりも難しかったのでは……と言いたいのですけど。いつの間にか人が増えていませんか?」
「そうですね、なぜか人が増えてしまったんです」
「もしかして、信者の方でしょうか?」
やっぱり、新興宗教か何かと受け取られているのだな。と言うのか、そう言ったことを探ってくれたのか。のんびりとしてそうで、中々抜け目がないと言っても良いのだろうか。いやいや、ただの厨二病と言う可能性もあるぞ。どちらかと言えば、その可能性の方が高そうな気がするぐらいだ。
それはそれとして、否定しておくことが必要だろうな。
「ここは宗教施設じゃありませんよ」
「ちょっと言ってみたかっただけです。ですが、こちらは若い方が多くて羨ましいですな。ちなみに県の方から、研究所を設立されると言う連絡が来ています」
そうか、ちゃんと後沢が動いてくれていたのだな。
「上のキャンプ場跡に、施設を作る予定です」
「それも伺っています。ええ、役場の方ではちょっとした騒ぎになっているんですよ」
そうか、騒ぎになっているのか。ちょっと、その方向が気になるのだが。
「ところで、何かお困りのことはありませんか? いえ、村長から話を聞いてこいと言われているんです」
「困っていることがあるかと聞かれたら……そうですね、あると言うのが答えになります」
「私どもで、お力になれることでしょうか?」
「先ほど、人が増えたと言いましたよね。それに絡むことなのですが、住居の問題が出てきたんです」
俺の言葉に、上村さんは大きく頷いてくれた。
「あの辺りは、平地が殆どありませんからね。それに国立公園内なので、開発には厳しい規制が掛かっているんですよ。ただ幾つか村有地が残っているので、ご相談に乗ることは出来ると思いますよ」
「そうですか、それはありがたいですね。だとしたら、スポンサーに相談してみます」
「スポンサーですか。確か実業家の後沢氏、堀内氏と関係されているのだと。それもあって、役場の方で盛り上がっていると言うことです」
ど田舎だと考えれば、降って湧いたような出来事に違いない。確かに、騒ぎになってもおかしくはないな。
「ご迷惑をおかけしていると言うことはありませんか?」
「迷惑だなんて……実のところ、大谷村はここ10年で人口が1千人以上減っているんです。50年前と比べると、人口が半減しているんですよ。ご覧になればわかると思いますが、村には観光以外の産業がないんです。ええっと、少し言い過ぎました。一応第二次産業もあるのですけどね。ただそれにしても、地域に閉じたものでしかないんです。ちなみにですね、村としての目標は村内への人の流れを創出することなんですよ。諸星さんは、北地区の人口をご存じでしょうか?」
ご存じかと聞かれたら、知らないと言うのが答えになる。
「それは申し訳ないとしか答えられませんね」
「まあ、知らなくてもおかしくはありませんね。ちなみに、350人強と言うのが現実なんです。諸星さんたちを除くと、356人と言うのがすべてになります。そして大谷村全体で2625人なんですよ。村の現状なんですけど、こちらをご覧になっていただければわかるかと思います」
「大谷村、第6次総合計画……ですか」
80ページぐらいの冊子を貰ったのだが、確かに明るい未来を見て取ることは出来ないな。当たり前だが、人口も右肩下がりになっている。
「かなり厳しい状況と言うことですか」
「思いっきり厳しい状況と言うことです。小谷さんでしたか、彼女でしたら色々と事情はご存じだと思います。人口構成も、しっかり逆ひょうたん型になっています」
それを考えれば、この集落の人口構成は魅力的なのだろうな。しかも東京の資本が投下されるのだから、村としては願ってもないことになるわけだ。
「ここだけの話、なんでもと言うのは言いすぎにしても、村長、村議会からも最大限の配慮をしろと言われているんです」
「NIMBY……迷惑施設とか考えられていないのですか?」
何しろ研究所と言うのは、環境活動家のターゲットになるものだ。特に生化学関係ともなると、色々と騒ぎ立てる奴らが湧いてくるのが相場だった。
「最先端の研究所を、迷惑施設ですか? 環境アセスメントを通過しているのであれば、心配するようなことはないと思います。それに、上流とは言え集落から離れていますからね。しかも施設のお陰で、村も注目を集めることになるのですよ。迷惑施設どころか、神様の贈り物ではないかと言われているぐらいです」
「神様の贈り物と言うのは大げさだと思いますが……仰りたい意味はわかります」
「村全体の活性化が出来ないか。役場総出で支援方法、活用方法を考えていると言うのが実情なんです」
「つまり、上村さんがお越しになる頻度が増える……と?」
別に彼ぐらいどうとでもなるのだが、面倒かなと言う気持ちもしないではない。それがわかったのだろうか、上村さんの表情がさっと曇ってくれた。
「やはりご迷惑、でしょうか?」
「ちょっと、情報の取り扱い……公開のことを考えただけです。基本的に、私か小谷さんが対応するのですが、時々留守にしていますので。迷惑と言っても、その程度のことだとお考えください。いい加減、色々とばらしてしまう衝動に囚われているぐらいです」
「口の堅さは……流石に保証はできないですね。それに、私程度の保証では安心できないのも確かでしょう。秘密を墓まで持っていく……口で言うのは簡単ですけど、実行するのは不可能だと思います」
「仰るとおりですね。ですので、頻繁に顔を出されると面倒なことになるわけです」
「かと言って、お呼び立てするのも問題だと思っているんです」
「でしたら、月1ぐらいで連絡会議……と言う名の懇親会を開くと言うのはいかがでしょうか?」
「月1の連絡会議、ですか。村長が大喜びするでしょう」
ほっとした空気があるのは、機嫌を損ねていないことを理解したからか。
「承知しました。こちらで、適当な場所を見繕ってご案内差し上げます」
「それなのですが、工事業者が入る前に役場までご挨拶に伺おうかと思っています」
「役場までお越しいただけるのですか?」
「受け入れて貰う側ですからね、それぐらいの労を厭いませんよ。ただ、スケジュール調整……後沢氏とのですけど、それが必要なのでしばらくお待ちください」
「もしかして、後沢氏もおいでになると?」
警戒と言うより、緊張したと考えた方が良いのだろうな。それぐらい、奴はビッグネームと言うことか。
「ところで、こちらから選出されている国会議員の方は?」
「上条先生と武藤先生ですけど。今のところ、静かにされておいでですね。票田として小さいので、滅多に顔を出されていないと言うのもありますけど」
「保革が別れていると言うことですね。了解しました」
「先ほどのは、こちらでのことを言っていますよ。流石に東京のことまではわかりませんので」
「あっちのことは、後沢氏に任せますよ」
「とにかくですね、村を挙げてサポートいたしますのでよろしくお願いいたします」
ああ、そこまで頭を下げる必要は無いんだがな。多分だけど、多大な迷惑を掛けることになるはずだ。
「こちらこそ。色々とお願いに上がるかと思いますが、その時はよろしくお願いいたします」
「繰り返しますが、村として全面的なサポートをお約束いたします」
失礼しますと言って、上村さんは集会所を出て行った。てっきり第一とか第二とかの話題が出ると思ったのだが、どう言う訳か話題にも上らなかったな。面倒がなくて良いのだが、逆にどうしたのかと心配になってしまう。
私の名前は上村、上村亮平と言います。出身は大谷村の北地区、村役場に勤めている普通の男です。ご多分に漏れず女性関係で苦労をして……ええっと、出会いがなかったと言う意味で言っています。それで、なんとか30前に結婚をして、今は一男一女の父親になっています。ちなみに私の実家、妻の実家双方とも農業をしているので、これからの季節田んぼや畑の仕事が忙しくなってくれます。
もっぱら稲作と葉物野菜……雪中野菜とかにもチャレンジなどしています。それ以外は、そうですね、キノコとかそばですか。畜産にまでは手を出していないと言うのが家庭事情です。
ちなみに役場仕事ですが、北地区出張所などに詰めています。はい、出張所ですので、人員は最少になっていますね。竹葉さんと言う年上のおばちゃんと二人が、出張所のすべてになっています。
趣味、趣味ですか。映画とかテレビとか読書が主になっていますね。ええっと、スキーですか。すみません、スキーの腕は自慢できるレベルにあると思いますよ。ただ、私にとってスキーは生活の一部になっているんです。ですので、趣味と言うのは憚られてしまいます。
人口が減っていく村、しかも冬は雪に閉ざされる生活を送っているんです。毎日がとても穏やかで、刺激の無い生活と言って良いと思います。ただ春先からは、良くない意味で少し忙しくなりますね。春山登山ですか、遭難とまでいかなくても、トラブルを起こす方がちょこちょこ出てくれるんです。後はですね、野生動物……熊とかイノシシとか鹿とかの害が出てきます。ああ、サルによる農作物への被害なんかもあったりしますね。
と言うことなので、これからの季節は結構忙しくなったりするんです。
一見自然に囲まれた平和な村、そしてその実は勢力を広げる自然と闘いを続けている村と言うのが大谷村と言うことです。その自然と闘う戦士の一人が、この私上村亮平と言う訳です。
「あなたぁ、お茶が入ったわよ」
ええっと、ちょっと盛り上がってしまいましたね。それはそれとして、穏やかそうで殺伐とした村……誇張が酷い。良いじゃないですか、これぐらいしか娯楽がないんですから。それはそれとして、今日のおやつはスィートポテトなのか。ふるさと納税でのお取り寄せ……駄目とは言わないが、ほどほどにしておいてくれよ。一応世間の目と言うのがあるんだからな。上限まで使ってもたいしたことはない。里帆、それを言ってはおしまいだと思うんだ。
それはそれとして、刺激の少ない村で大事件が発生しました。ええ、外国人4人の遭難事件と言うのがその大事件です。いえね、地元住民としては、面倒を起こすんじゃないと文句を言いたいぐらいなんですよ。オーバーツーリズムでしたか、日本の自然を舐めていますよね。ヒマラヤ登山とは言いませんよ、でもですね、もう少し下準備ぐらいはしてほしいと思うんです。
とても痛ましい事故と言うのは確かなんですけどね。村としての一大トピックは、最先端の細胞化学研究所が出来ることです。ただ疑問なのは、一体誰が誘致をしたのかと言うことです。有名な起業家が関わった研究所の設立ですよ。誘致に関係した人が、静かにしているなんて考えられませんよね。
ええ、絶対に手柄を自慢するはずなんです。
「中林村長さん……は流石にないか」
妻よ、あの村長にそんな人脈があるはずがないだろう? 相手は、とても有名な起業家二人なんだぞ。そもそも、どうして細胞化学研究所なんだ。主任研究員の女性なんだが、この村に縁もゆかりもないんだぞ。
「だとしたら、中地区出身の人が居たでしょ。と言うのも、流石に無理筋ね」
ああ、無理筋過ぎるな。あの集落……集落のリーダーは、諸星と言う男性だ。その諸星さんは、この村に縁もゆかりもない人なんだよ。
「そう言えば、その諸星さんって……奥さんがもの凄く美人と聞いたんだけど、本当?」
本当かと聞かれてもだな、俺も奥さんに会ったことは無いぞ。
「そっかぁ、道の駅で顔を見た人が居るらしいんだけどね。高身長の美男美女……諸星さんってイケメン?」
奥さんは知らないが、諸星さんは……俺よりは間違いなくイケメンだと思うぞ。ただなぁ、もの凄くイケメンかと言われたら……普通よりはちょっと良いぐらいだな。
「そんな人たちが、どうしてあんな山奥に篭もるんだろう?」
どうしてって言われてもだな。そんなものわかるはずがないだろう。
「なにか、疚しいことでもあるのかなぁ。だったら、研究所説立なんかに関わらないか」
今度村長のところに挨拶に来ると言っていたからな。それを考えると、疚しい所と言うのも穿った見方でしかないのだぞ。
「そっか、そうよね。ねえ、ちょっとご挨拶に行ってきて良いかしら? 上村の妻ですって」
ご機嫌を損ねる真似をするなとくどいほどに注意を受けているんだ。だから、行くなと言うのが俺の答えになる。いいか、本当に駄目なんだからな。一つ間違ったら、俺の首が飛ぶことになるんだからな。いいか、行くなよ、行ってくれるなよ。
はい、と言うことなので遊びに行くことにしました。夫のあれって、芸人さんの『押すなよ押すなよ』と同じ奴ですよね。そう解釈したので、お茶菓子を持って遊びに行くことにしました。ちなみにお茶菓子ですけど、手作りのちゃのこです。ちゃのこって何か、ですか。ちゃのこはちゃのこなんですけど、そば粉と小麦粉、馬鈴薯の粉で皮を作って、その中に野沢菜とか茄子とかカボチャとかで作った餡を入れて焼いたおまんじゅうのようなものです。
おやきじゃないのか、ですか。ええっと、大谷村ではちゃのこと呼んでいるんです。いいですか、おやきの皮には馬鈴薯を使っていないんですよ。だからちゃのことおやきは違うものなんです。
この道って、軽だと結構きついんですよね。ガソリンは高いし、スタンドは遠いし……本当は電気自動車がよかったんですよね。でも、あの軽って四駆がないんですよ。
と言う話は良いんですけど、あらあら、結構綺麗に除雪がしてあるのね。村で除雪をしたと聞いていないから、集落の人が自発的にしたのかしら。
ここって、懐かしいなぁ。昔は古い温泉宿のあった所よね。もう少し上に行くと、温泉宿があと2軒あったんだけど。両方とも廃業しちゃったんだよね。小さい頃には、お風呂に入りにも来たんだけどなぁ。
ここもしっかり除雪されているんだ。こう言ったマメさが、田舎住まいには大切なことだと思うわよ。でも、綺麗な家ね。まるで住宅展示場から持ってきたみたい。
あら、どうしてお出迎えが? 背が高い、そこそこのイケメンって、もしかして諸星さんなのかしら。はい、こちらに止めれば良いんですね。
「すみません、どのようなご用件でしょうか?」
いきなり尋ねてきたら、不思議に思われても仕方が無いわね。ええ、保険の勧誘じゃありませんよ。昔アルバイトをしたことはありますけどね。はい、上村亮平の妻里帆と申します。夫がお世話になっているので、少しご挨拶をと考えたんですけど……ご迷惑でしたか?
そんなことはない。ちょっと驚いただけと言うのですね。はい、上がってお茶でもですか。ええ、お構いなく……ではなくてですね、喜んでお邪魔いたします。でも、本当にご迷惑ではなかったのですか? 大丈夫、はい、安心しました。
ええっと、奥様ですか。その、噂には聞いていたのですけど、もの凄くお若くて綺麗な方なのですね。旦那さんも、背が高くて格好良いと思いますよ。いえ、これはお世辞などではありませんっ!
それからですね、手ぶらはどうかと思ったのでお茶菓子を持ってきました。ちゃのことって言うのですけど、おやきに見えますか。ええ、おやきと思っていただいて結構です。違いと言っても、皮に馬鈴薯が混じっている程度ですから。まだ暖かいですから、レンジで少しだけチンすれば良いと思います。
中身は甘いあんこと、野沢菜の刻んだのが入っています。もちろん、別々ですよ。
「どうやら、私が居ない方が良さそうですね」
ええっと、イケメン好きの私ですから、口が裂けてもそんなことは言いませんよ。でも、諸星さんが居ると構えてしまうんですよね。夫にも、迷惑を掛けては駄目と言われているんです。
繰り返すけど、迷惑とは思っていないと言うのですね。でしたら……おやき食べません?
「これは、上村さんお手製なんですか?」
「は、はい、母に作り方を仕込まれたんです」
「だそうだセレス。上村さんに作り方を教わったらどうかな?」
「ですが、ご迷惑をおかけすることになりませんか?」
「めめめめ、迷惑だなんて、そそそそ、そんなことはありません!」
「でしたら上村さん……すみません、お名前はなんと仰るのですか?」
「りりり、里帆、と申します」
「でしたら、里帆さんとお呼びして宜しいですか?」
「ここ、光栄、ですっ!」
「でしたら、今度遊びに行っても良いでしょうか?」
「せ、セレスさんが、ですかっ!」
「ご迷惑でしょうか?」
「と、とんでもない、歓迎いたしますっ!」
ああ、セレスさんが綺麗な笑みを浮かべてくれました。なにか、それを見ているだけで幸せと言うのか、なんと言えば良いのか。セレスさんって、とっても綺麗で神々しいのよね。
でも、うちに遊びに来るって……大掃除をしないといけないわね。
「セレス、上村さんを任せて良いかな?」
「はい、お帰りになるときには連絡しますね」
「上村さん、ゆっくりしていってください」
「その、旦那さんはどちらに?」
「外のプレハブの建物なんだけど、ちょっとした事務所になっているんですよ」
なるほど、お仕事の邪魔をするわけにはいきませんね。
「じゃあセレス。後は頼む」
長居はしませんので、あまり気を使っていただかなくても結構ですよ。子供二人を、義母に任せてきてしまいましたから。
事務所に入ったら、『良いんですか』といきなり小谷さんに言われてしまった。ある意味、本当の一般人の訪問だからな。心配になるのも仕方が無いと言えば仕方が無いのだが。
ただ、これからのことを考えると練習しておく必要がある。流石にルーテシアやラズライティシア様では厳しいので、セレスに任せることにしたんだ。
「セレスさんが一番心配……でもないか。ただ諸星さん、相手が女性だからと言って安心しない方が良いですよ。子持ちの主婦って、結構怖い存在ですからね」
それぐらいのことは知っているんだけど。いいかな、市会議員になるには、そういった女性を味方に付けないといけないんだ。お……女性のネットワークって、一度悪評が立つと挽回は不可能に等しいからね。だからセレスに任せた所があるんだ。
今、おばちゃんと言いかけただろう、かな。小谷さん、わかっていても突っ込んじゃ駄目な所だよ。
「そうですね、突っ込んだら駄目なんでしょうね。それはそれとして、菅谷先生から連絡が来ました」
「それで、先生はなんと?」
「しばらく、内閣改造予定はないのだそうです。なので、色々と話を進めたいのだそうですよ」
「それは構わないのだけど、具体的に何をさせようと言うのかな?」
「その前の段階として、東京まで出てきてほしいそうです。詳細を詰めるには、顔をつきあわせた方がやりやすいのだそうですよ」
「具体的な日程は? 後沢のこともあるから、調整が必要になるんだよな」
IMO研究所設立に関して、県知事への挨拶も必要になる。すでに根回しはされているのだけど、俺が顔を出さないのは許されない。そして菅谷先生の用ともなれば、駆けつけないわけにいかないのは確かだった。
「それぐらいのことは、私が調整しますよ」
流石は小谷さん、本当に頼りになるな。この集落は、小谷さん抜きでは成り立たないとしか言いようがない。小谷様々、本当に拝まないといけないな。
「ヨイショをしても何も出ませんから」
その割に、嬉しそうと言うのは言ってはいけないのだろうな。
「それから後沢さんから連絡が来ました。1週間後に、工事関係者がこちらに入るそうです。後はですね、経理担当の方も来られるそうですよ。ちょっと気になるのが、結構年齢の高い方と言うことです。確か……60歳を超えていたような。奥様と二人で、こちらに赴任されるとのことです」
60歳越えって……大丈夫か、この環境。いやいや、翼人とかエルフのことじゃないぞ。これからの季節は良いのだろうけど、冬の厳しさは並じゃないと思うんだ。
情報がある、成人病持ち。なんで、そんな人材を派遣してくるんだ。なになに、その情報にはおまけがあるのか。俺がいるのが決め手、ひょっとして強制力を使って直せとか言ってるんじゃないだろうな。そうか、その通りなのか。それ以外はとても優秀だと言うのだな。しかも頭は切れるし、考え方も柔軟だと言うのか。
「引退しようとしたのを引き留めたみたいですね」
もう60を超えているんだよな。だったら、引退させてあげてもいいと思うんだが。いや、菅谷先生とかのことを言ってるわけじゃないぞ。普通に会社勤めしていたら、第二の人生を考えても良い年頃だろう?
違う、今が第二の人生中と言うのか。だったらさぁ、もう休ませてあげて良いんじゃないのか? 何もこんな過酷な環境に押し込むことはないと思うんだ。
「追加の情報ですけど、その方、立木さんと仰るのですが。温泉マニアでお酒が大好きなのだそうです」
その情報って必要か? 酒好きって、だから成人病のオンパレードになるんじゃないのか? それは否定しないが、能力は確かと言うのだな。更に追加の情報……なんか、追加情報が多くないか。そうか、結構な属性持ちと言うのだね。その属性ってのが気になるな。
「奥様は、高校で先生をされていたようです」
先生って……就業人口が多いのだから、別に珍しくもないと思うんだけど。公立のインターナショナルスクールで教えていた。だから、適応力が高いと言うのか。それにしても、限度があると思うぞ。流石にここは、規格外すぎると思うんだ。
いや、後沢が適任だと派遣してくれるんだろう。だったら、駄目と言うつもりはないのだぞ。ただ、気になったことを言っただけだ。本人に言うのか、か。これから一緒にやっていくのなら、当然話をすることになると思うんだがな。
「ああっと、まだ情報がありました。その方、立木さんなんですけど、元々大手電機メーカー……ITメーカかな、そちらでエンジニアをされていたそうです。その方をですね、後沢さんがスカウトしたのだそうですよ」
大手ITベンダのエンジニアだったんだよな。どうしてそんな人が経理なんかやっているんだ? いったい、どんな理由でスカウトをしたんだ?
「どうしてでしょう……そこまでは経歴に書いてないんですよね」
どうして、一番重要なことを教えてくれないんだ? 絶対に、何か隠しているよな。
「ええ、間違いなく何か隠していますね。それで、どうします?」
何を隠しているのか気になるのだが、まあ後沢を信用することにしよう。
経理担当の話はわかったけど、工事関係者は良いのか? 最初にやるのは、現場事務所を作ること。長野県知事、大谷村村長を招いて鍬入れ式をやることになるのか。そこに俺も出席しろと言うのだな。なに、テレビカメラも入ってくるのか。うちのメンバーだが、パンの国に避難させた方が良くないか?
その可能性は否定しないと言うのだな。幸いなことに、ポンパドール家の屋敷には十分部屋があるんだ。エルフの里の方は、建設中だから使えないのだがな。
「それなんですけど、いっそのこと諸星さんが作ったら良いんじゃありませんか?」
せっかく領民にお金を落とそうと……まあ、それならそれでもう一棟作れば良いのか。多分だけど、これからも人が増えることになりそうだからな。
ここがオープンになったら、観光客を入れるのもありだと思うんだ。宿泊施設を作っておけば、その時に役立つんじゃないのかな。
「異世界旅行、ですか。何を見せるのかが問題ですけど、かなりの高額ツアーでも成立すると思います」
だろう。だったら、手っ取り早く住居を用意するか。ポンパドールの屋敷を参考にすれば、作るのも難しくないからな。
なに、それだと大きすぎないかと言うのか。言われてみれば、確かにかなりの規模になるな。だとしたら、もう少し小ぶりな建物を考えた方が良いのか。
それも、あちらに行って考えて見ることにしようか。
そして1週間後、集落は2組の客を迎えることになった。いや、仕事をしに来ているのだから、客と言うのは違っているのだろう。
最初の1組は、IMO研究所の工事関係者……正確に言うと、ゼネコンのプロジェクトリーダーを名乗る男だった。如何にもエリートと言う顔をした、工事とは無縁に思える男である。
「石原と言います。後沢様から、諸星様に説明するようにと申しつかってきました」
渡された名刺を見たら、『石原設計事務所 所長』の肩書き書かれていた。大手ゼネコンじゃないのだな。
「工事は、地場の業者を使う予定です。ただ気密室関係は、専門の業者を連れてきますがね」
俺の懸念を察したのか、石原……石原慎太郎氏は工事体制のことを教えてくれた。
「プレキャスト工法を採用しますので、工期は5ヶ月を見ています」
……やけに短くないか。場所を考えると、そんなに簡単には思えないんだが。
「ええ、普通ならば絶対に無理だと思いますよ。勿論、不可能を可能にするからくりが存在します」
それは凄いな。ただ、俺が聞いても理解出来ないと思うんだが。
「実は、工期の殆どは基礎工事と仕上げ工事なんです」
なるほどと納得できるほど、俺は建築工事を知っているわけじゃない。ただ、5ヶ月と言う工期が、非常識なほど短いことぐらいは理解出来る。基礎から始めたら、一軒家だってそんなに簡単には建てられないぞ。しかも、内部の機器搬入まで含めてと言う話だからな。
「後沢様から、諸星様が特別な能力をお持ちと聞いています」
ああって、あの野郎、そんなことをばらしたのか。いや、だからと言って、普通は信用しないよな。
そんなことを言っても仕方が無いので、取りあえず否定することにした。
「いえいえ、諸星様が異世界帰りと言うことも教えて貰っていますよ。大丈夫です、秘密は厳守いたします。ですので、翼人とエルフを紹介して貰えませんか?」
そこまで教えられたと言うことか。だがなぁ、普通は信用しないよな、そんなこと。
あと、秘密を守ることと、ですのでが繋がっていないぞ。それ以前に、後沢は翼人とエルフのことも教えたのか? 違う、そこまでは教えて貰っていない。
「種を明かすとですね、実は私は諸星様を見かけたことがあるんです。年末、有明と言えばご理解いただけますか?」
つまり、なんだ。翼人たちのコスプレを見たと言うことか。
「ええ、ですのでこんな写真も持っています」
そう言ってスマホで見せてくれたのは、俺が一緒になって踊っている姿だった。
「構造的に、あの翼を模型で作ることはできません。正確に言うと、背中に固定することは出来ないんです」
だからプロって奴は……つまり、翼人の正体を疑っている奴が大勢居るということか?
「噂レベルでは……」
なるほど、その割に静かと言うのはどう言うことだ?
「騒ぎにしたくないから、と言うのが答えになりますね」
なるほど、そう言うことなのか。ところで石原さんに尋ねるのだが、今夜の予定はどうなっている?
「後沢様から、是非とも泊まってきた方が良いと言われていますよ」
なるほど、今日は久しぶりの宴会と言うことになるわけだ。しかしなぁ、そろそろ情報管理が難しくなってきたぞ。
それから、石原氏は結婚されているのか?
「一応独身と申し上げておきます」
なるほど、中々グッドな人選だな。了解した、今夜は寝かせないことを約束しよう。
そして石原氏に遅れて1時間、赤い4駆に乗った立木氏が現れた。少し疲れて見えるのは、やはり年齢なりと言うことなのだろうか。助手席から降りてきた奧さん……は、かなり眠そうな顔をしていた。まあ、常識的な美人かなと言う女性だ。ただ胸元は、思いっきり神代さんよりなのだが。
「立木と申します。後沢さんから、経理も含めてみてこいと言われました」
経理も含めてって、なに?
「他にも、色々と手伝うことがあるだろうと言うことです。早速ですが、ここには自然噴出の温泉があったかと思います」
温泉って、少し離れた所で使っているのだが。それのことを言っているのかな、違う、ここも昔は旅館だったと言うのか。かなり高温のお湯が出ていると言うのか。
「この上に砂防ダムがあるのですが、その先辺りに源泉があるんです。まだ枯れていないと思いますから、引っ張ってくればこちらでも温泉に入れると思いますよ」
なるほど、それは良いことを教えて貰った。なるほど、流石は年の功……失礼。
「いえいえ、なんの取り柄もなく60年ちょっと生きてきてしまいましたよ。もうちょっと真面目に仕事をしていたら、今頃執行役員ぐらいにはなれたと思うんですけどね」
ええっと、履歴書が確かなら、あそこって日本有数のIT企業ですよね。だとしたら、執行役員って、凄くないですか。
「執行役員にもなれない、技術部長がせいぜいの凡人と言うことですよ」
いやいや、凡人を後沢がスカウトすることはないと思いますよ。それに、技術部長って技術部門のトップですよね。だとしたら、エリートと言って良いと思いますよ。
「それは、過大評価と言うことです。それは良いのですが、ここに来る前にちょっと調べ物とかしてみました」
調べ物、ですか。一体どんな調べ物をされたのですか?
「ここから南西に80kmぐらいですか。2つの有名な観測施設があるんです。はい、素粒子の観測施設、重力波の観測施設と言う奴です。その両施設に、日付をピンポイントで指定してノイズが乗らなかったかを問い合わせしました」
その施設のことは聞いたことがあります……が、普通に問い合わせを出来るものなのですか?
「良いですよねお金持ちは、と言うことです。つまり、後沢さんを利用させて貰ったと言うことですよ。多分ですけど、政治家さんも利用されたのでしょうね。おかげで伝手を使わなくてもなんとかなりました」
なるほど、菅谷先生も絡んでいると言うことか。ちなみに、今『伝手』って言いませんでしたか。気にしなくても良い、いえ、気になるんですけど。それは、別の機会にですか。
それはそれとして、問い合わせの結果はどうだったんです?
「12月と1月……もう少し日にちを絞り込めますがね。かなりのノイズが発生したとのことですよ。ちなみに重力波の方は、レベルは下がりましたが未だノイズが収まっていないそうです」
時間を考えると、翼人とハイエルフが現れたタイミングと重なる。つまり、異世界へのゲートが関係していることになるはずだ。
俺の疑問に、立木氏は大きく頷いてくれた。
「この時点で、ノイズではなく立派な観測結果になったと言うことです」
なるほど、後沢の人選の理由を理解することが出来た。いや後沢、疑って悪かった。
ですがIT系の技術部長って、この方面にも造詣があるんですね。違う、不思議なことがあれば、ニュートリノと重力波を調べるのは定番だと言うのですね。ちなみにですね、その定番と言うのはどの方面での定番なのでしょうか。
マルチバース系なら不思議じゃない。すみません、マルチバースってなんですか。はい、ユニバースは知っていますよ。宇宙のことを言っているんですよね。マルチバースのマルチは、ユニバースのユニに対応する言葉だと。ユニが1つを示しているのに対し、マルチは複数を示している。つまり、宇宙が沢山あると言うことですか? ますます、IT系と関係ない気がしますね。
そうですか、サイエンスフィクション……つまり、SFと言うのですね。立木さんはそちら系の人だったと言うことなんですね。
ちなみに『伝手』と言うのは、SF系の方たちと言うことですか。違う、研究所の関係者の方なんですか。あのぉ、全く関係の無い分野ですよね。どうして、そんな方たちと伝手が出来るんです?
「奥飛騨の温泉で、意気投合したからと言うのがお答えになります」
もしかして立木さん、本職以外の方が顔が広くありません。照れるって……それで良かったんですか。
ところで立木さん、立木さんの今晩の予定は?
「2泊分の着替えを持ってきましたよ。実はですね、ここの温泉に入るのを楽しみにしてきたんです」
それは良かった。ところで奧さんは問題ないのですね? ええっと、諦めていると言うのですか。その諦めていると言うのはどう言う意味で仰ってます?
「夫が活躍できる余地があるのなら、それを見守るのも妻の役目だと思っているんです。思っているんですけど、そろそろのんびりしてくれてもいいと思うんですよ。もう、無理の利く体じゃないんはずなんです。つい先日も、3週間近く入院したばかりなんですよ」
ええっと、本当に大丈夫なんですか。そうですか、色々と後沢から聞いているんですね。だったら良いんですけど、今度御衣黄さんと一緒に診察することにします。
それで諦めていると言う方なんですけど、良いんですか、諦めて。
そうですか、やる気を出しているのを止めることは出来ないし、止めようとも思っていないと言うのですね。お二人は、良いご夫婦なんですね。その、少し羨ましくなりました。
その少しと言うのが、私たちの今を現していると仰るのですか。すみません、思いっきり羨ましくなったと言い換えます。いえ、お世辞じゃなくて、本心なんですよ。
過疎の村は厳しいな。それから、経験豊富なオタクの登場




