023:尖塔のもとに
昼食を終えた昼下がり。
皆がうとうとと微睡みの中にはいろうかという頃、御者台の商人が声をあげた。
「ああ見えてきました。あれが学究院の学区塔です。日滅前には着きますよ」
微睡みを破られた俺が、のっそりと窓から前方を見ると、いまだ残る陽炎の向こうに、ひょろりと細い尖塔が見えた。周りの建物から見ると飛び抜けて高い。
「学区塔? 学問と塔にどういう関係が?」
「ご存じないんで? 入学を希望する者はあの塔を目印に集まるんですよ。塔が見える範囲がその学究院の学区になるんです。塔が高いほど、たくさんの学生を受け入れられる設備が整っているってことです。国土が一気に広がった今じゃあ有名無実になりましたが、規模に相応しい高さの塔を建てるのが伝統として残っているんですよ」
へえ、面白い伝統だな。実際のところ、塔は床面積が少なく利用価値が低い割に、建築の手間も危険も大きいので何故立てるのか理解しがたかったが、そういうことなら塔に意味が出るか。
だんだん日が昏くなるにつれ、少しづつ近づいてくる学区塔。
ゴーン、ゴーン、ゴーン――
鐘が鳴り始めた。
「え?! 街門が閉まる合図じゃ無いのか? 間に合うのか?」
慌てる俺に、商人は笑って答える。
「あれは図書館の閉館の鐘ですよ。学究院は年中無休。誰か彼かがいつもどこかでなにかやってます。もちろん授業は昼だけですがね。だから街も年中無休。街門なんて有りませんよ」
コパラ・カルパは小高い丘陵地に建てられた学究院を、幾重もの城壁と街区が囲む、古い都市だった。
最外縁は腰の高さほどの塁壁だったが、門をくぐる度に城壁は高くなる。
この城壁は街の拡張の歴史なのだな。最初は城塞として作られ、その後学究院になり、運営に携わる人々がその周囲に住み着いていき、時代が過ぎて平穏になるに従って防備の必要が薄れ、住人も加速度的に増加していったのだろう。
駅馬車は外縁の停留所で停止し、そこで乗客と荷物を降ろすと、商用に向かっていった。
「へー、にぎやかなところだね」
おのぼりさんよろしく、キョロキョロと辺りを見渡すレアーナ。彼女の言うとおり、街の通りは様々な人で溢れていた。
ポロスボロスのような優雅な繁栄ではなく、迷走する熱狂というか、方向の定まらない情熱のようなものがここには満ちている。
最高学府なので、生徒といえる年齢の子供は滅多に見ない。いわゆる学生服に当たる制服は無いようで、一目で学生と分かるような人はいない。
「ふらふらしてるとはぐれるぞ。まずは宿を見つけないとな」
「紹介してもらったんだよね。なんてとこ?」
ニーナ女史の書いた箋紙を取り出して確認する。
旅館『随筆亭』か。
「ここ、シメオンは知ってる?」
「し」「つ」「て」「る」
レアーナが水を向けると、どうやらシメオンには土地かんがある模様。始めて訪れるのではないらしい。ここはお願いした方が良さそうだ。
「ここまで案内してください。我々だけでは日滅までにたどり着ける気がしません」
「こ」「つ」「ち」
うなずいたシメオンは、付いてこいと手振り。
「ひゃー、ありがとー」 「たすかります」
レアーナは満面の笑顔。俺は二人の後をついて行った。
レアーナはシメオンと、子供の頃の思い出話をしながら歩いている。彼女にとっては、小さい頃遊んで貰った、仲の良いおじさんみたいなものなのだろう。
歩きながら眺める町並みは、学生達が安く長期に住める下宿、量が売りの大衆食堂。消費される大量の学用品を供給する問屋、商人達のための業務ホテルなどが、雑多に混じり合っている。
学究院を中心に、数階建ての不揃いな建物が街路を形成し、それらの前面に、道を狭めるように平屋の小屋や屋台が建てられている感じ。
利便性があり客が見込める学究院に近いところから、早い者勝ちで我先にと建てていった結果、形成されたって感じがプンプンするな。
なかでも目立つのが右筆と印刷の看板だ。学び舎の街だけあって、そういう需要が多いんだろうな。
ドン
「ひゃっ!」
よそ見をしていたら、レアーナの背中にぶつかってしまったぞ。立ち止まっていた二人の肩越しに前を見ると、古い木造3階建ての建物が見えた。
土台は石造で、壁は漆喰塗り。屋根や床は板葺き。建物は全体が、長い伝統の重みに耐えかねたように、若干上下にひしゃげている。入り口の磨りガラスからは暖かな光があふれ、日暮れの道を照らしている。
「こ」「こ」
シメオンがそう言って、前を譲ってくれる。
入り口の張り出し屋根の下には『随筆亭』の看板。そして古ぼけた大鍋が揺れている。これは食事も出来る宿であることを示していて、これがないと素泊まりのみとなる。
扉を開けると、つるされたカウベルがカラコロと鳴り、人いきれとざわめきがあふれ出た。
待ち合わせや談話用の応接セットが並ぶ玄関ホールは、たくさんの人々でごった返していた。眠ることの無いこの町では、昼夜を分かたず出入りする人がいるようだ。
正面突き当たりの帳場のカウンターに近づくと、書き物をしていた主人とおぼしき鼻眼鏡の老人が、愛想良く話しかけてきた。
「おや、いらっしゃい。一見さんだね?」
ご明察。ちゃんと客の顔を覚えてるとは、さすがだな。
「はい。ニーナ・ガーシュタイン女史から、この宿を紹介されまして」
「おお、そうかね。そういうことじゃったか。なるほど、合点がいったよ」
「は?」
一見の客と言いながら、まるで知っていたような口ぶり?
「予定通り着いたみたいね。神霊が暴れたって噂を聞いたから、どうなるかと思ったけど」
背後からいきなり声をかけられた。この声は――
振り向くと、腕組みで悠然と立つニーナがいた。何時もと違い、黒のローブに赤の太い組紐を腰に結んでいる。
「え? あれ? どうしてここに?」
戸惑う俺に、薄く微笑むニーナ。
「あなたを手伝うと約束したでしょう。分光器を扱う技能を持っているのに他人に依頼する意味が無いわ」
「でも、いつのまに」
「私は勤め人よ? 街を出るからってすぐに休暇が取れるわけ無いじゃない。休暇願を出してから槽車に飛び乗ったのよ。まあ、そんな話はどうでもいいわ。とりあえず――」
そのとき、ニーナの肩にポンと手が置かれた。
「なによ! 話の邪――」
話の腰を折られたニーナがいらだちの声をあげて振り向き、そのまま固まった。その視線の先にいたのは、遅れて入ってきたシメオンだった。
「あ、あれ? もう回収の時期はとうに……」
立板に水を流すように流暢だったニーナの話しぶりが、急にぎこちなくなった。シメオンの顔には「ひさしぶり」の5文字。
「おひさし……ぶり……です……教……授……」
バツの悪そうな顔で答えるニーナ。徐々に視線を逸らし、だんだんうつむき気味になっていく。
「「教授?」」
俺とレアーナは顔を見合わせた。なんだか話が妙な方向にころがったぞ?
「なんじゃ、ニーナ嬢ちゃん、しばらく姿を見んと思っとったら、登院しとらんかったんか」
旅館の主人が目を丸くする。
「あの、その、個人的な用事で……」
「と」「に」「か」「く」「か」「お」「だ」「す」
シメオンと宿の主人にとがめられ、ニーナはしどろもどろだ。いつもの余裕ある態度は吹っ飛んでしまった。
どうやら学究院を中退したってのは嘘っぽいな。休学でもないようだし、まだ在籍中のまま無断欠席を続けてたのか。
「今日は人と会う約束があるので……」
ニーナがこっちを示して言う。
「な」「ん」「の」「よ」「う」「じ」
「ええと、それは、その……ちょっと設備を使いたくて……」
「な」「ん」「の」「た」「め」「に」
「て、適性審査を依頼されまして……」
「わ」「ざ」「わ」「ざ」「こ」「こ」「で」「か」「ね」
「それは……そう! 精度が必要で……」
ニーナの目線が泳いでいる。ごまかそうとしてるのが、俺から見てもわかる挙動不審っぷり。
「べ」「ん」「か」「い」「は」「へ」「や」「で」「き」「く」
「……はい」
ついにシメオンの最後通告。
あーあ。
「部屋は取っとくから、しっかり搾られてくるんじゃな。門限は無いから、あわてんでもええ。うちの食堂はもう終わっとるで、どこかの屋台で食べといで」
ニーナは随筆亭の主人に見送られて、シメオンと学究院の本館にむかう。俺とレアーナも、この先のことをニーナに聞かなければならず、成り行きでついて行く。
その道すがら、角を曲がる度、アーチをくぐる度、ニーナはそっと横道にそれて逃げようとするが、その度にシメオンに取り押さえられて、ついに逃走を諦めたのか、ふてくされた顔でしぶしぶついて行く。
太陽はすでに日滅間近。しかし街は眠る気配を見せない。辺りの屋台は営業中のところと、終業済みのところがまちまちだ。どこかの店が閉まれば、どこかが開く。かがり火が灯され始めた道のそこかしこでは、学生とおぼしき若者たちが三々五々集まって、地面に図面や論文を書き殴って、時間を忘れて熱い討論をかわしている。そのあいだを縫うように進んでいくと、彼らがシメオンに向かって会釈をする。どうやらシメオン教授(?)は、ここでは有名人のようだ。
もっとも高い城壁をこえると、急に視界が開けた。
広い中庭に石畳が延び、その左右には石柱が立ち並ぶ。その向こうに砂岩とおぼしき黄土色の外壁の、石組みの巨大な建物が夕映えに染まっている。これが本館らしいな。丘陵に石垣で底上げして出来た平坦部の上に建築したんだな。台形の石壁に小さな窓の並ぶ外見は、西亜にあるバハラ城塞を彷彿とさせる。この建物のみが建っていた頃は、まさしく荒野の城塞だったのだろう。
緩やかな登りの石畳を進むと、石柱の上に揃いの石像が立っているのに気がついた。頭に冠を被り、王錫をかかげているその像は、上半身が人、下半身が獣だ。
「あれはなんの像なんだ?」
「え? ……うーん、見た事無いなあ。人間領で有名なやつなんじゃないの? あんなのがこの辺にいたとかさぁ」
レアーナも知らないらしい。かなりローカルな存在のようだ。西洋建築にありがちな、グリフォンやガーゴイルみたいなもんかな。そう思って納得していると、前を歩くニーナが口を開いた。
「アショカトリポカ像よ。ここの創始者」
「え? 想像上の存在じゃ無くて、実在の人物なのか?」
「別に会ったわけじゃ無いわ。だから本当にいたかは判らない。でも入学したての学生は全員話を聞かされるのよ」
ニーナは説話を聞かせる教師のように語る。
「むかしむかし、この土地が『タクシラ』と呼ばれていた頃、ここにはテスカトリポカという獣の神霊が居ました」
!?
「この土地を切り開こうとする人間は、ここに城塞を築き、テスカトリポカを退けようとしましたが、長い間果たせずにいました。人々が疲弊しあきらめかけた頃、遠い地より流れてきた、アショーカという男が城塞を訪れます。たった一人なのに、自らを王と名乗るこの男は、豪腕で大層な知恵者でした。アショーカは民をまとめ直し、テスカトリポカを追い詰めます」
アショーカ……アショーカ……どこかで聞いたことがあるな。インド辺りの王様だっけ。
「変化を繰り返しても逃げ切れぬと知ると、テスカトリポカはアショーカに呪いをかけました。テスカトリポカとアショーカの心魂をつなぎ、片方が死ねばもう一方も死ぬ呪いです。アショーカは一計を案じ、心魂がつながっているのならばと、秘術を持ってテスカトリポカの体躯をもつなぎ止めました。心魂と体躯が共につながったアショーカはテスカトリポカと溶け合い、その時から半身半獣の姿になったそうです。」
俺は石柱の像を見上げた。この姿はそういうことか。
「神霊を鎮めたアショーカは、アショカトリポカと名を改め、この地でも王として立ち、立法の時代の到来を宣して、ここに学府を開きました。爾来、知を尊ぶ気風はこの地に根付き、今に至ります。おしまい」
語り終えると、ニーナは肩をすくめる。
「ま、ありがちな創設話よ」
そしてくるりと振り向くと、俺の目をじっと見つめて言う。
「で、ご感想は? どこか興味を引かれたところはあったかしら?」
「……感想と言われても、そういう謂われがあったのか、としか……」
「……本当に?」
心の中まで覗き込もうとするような、貪欲な視線。思わず気圧される。
ゴッ
「ぐぇ!」
背後からニーナの頭上にシメオンのげんこつが落ちた。
「い」「あ」「つ」「す」「る」「な」
「ちぇ……」
シメオンには頭が上がらないのか、叩かれた頭をさすりながらもニーナは従う。
隣を歩くレアーナが、そっとみみうち。
「ニーナさんって、じつは結構ポンコツなんじゃ?」
「まあ、意外な一面が見られたよな」
俺もささやきでかえす。
だが、たまに見せるあの視線。妙に鋭いところもあるし,俺の素性に疑問を抱いているそぶりもある。要注意であることは変わらんな。
しかし、なかなか興味深い話だった。テスカトリポカとアショーカ王か。以前読んだ童話のインカ王もどきといい、太平洋上にあったといわれるムーは、どうやら中南米の古代文明と交流があった可能性があるな。液火を通じて、東欧のバルカン半島や、西亜のアナトリア半島あたりの古代文明ともだ。
話のレベルは、こちらの世界でも伝説や伝承のレベルで、真偽の程は定かではないが、両方の世界を知る俺には、この情報は特別な意味を持つ。
本館の中は元城塞らしく、落とし格子のあるアーチを抜けると、小ぶりなエントランスホールになっていた。内部にも石壁が有り、二重構造になっている。ホールから左右に小さな矢狭間を兼ねたたくさんの窓がある外壁、そのすぐ内側を通る扉の並ぶ回廊が伸びていた。
シメオンは勝手知ったる場所とばかりに、すたすたと進んでいき、その一室に入った。俺たちもその扉をくぐると、中はバスケットコートほどもある大部屋だった。
以前は多目的ホールだったらしいその部屋はかなり天井が高く、壁と床には木の内張りがほどこされていて、壁や床の要所に置かれた洋灯台が部屋を飴色に照らしている。
部屋の奥は数段高くなっており、装飾のほどこされた大きな箱と、その背後に枯れ木のような物が立っている。これのせいで、古い礼拝堂のような印象を受ける。
入り口近くには、落ち着いた色のチーク製らしき執務机が、微妙に崩れた配置でいくつも並んでおり、紐で綴られた書類やくくられた紙束が、卓上や周りの床に乱雑に積み上げられている。所々、崩れかかっていて、ずいぶんと散らかっている。
書類の山を崩さないように注意しながらあいだをぬって進むと、その先には大きな作業台が置かれ、様々な物品が未整理のまま並べられている。
「いかにも学者の部屋って感じだね」
レアーナが好奇心一杯の目で、作業台の上をのぞき込む。
古ぼけた熊手っぽい道具。宝石の原石っぽい石。木彫りの面。獣のなめし革。揃いの丹塗りの椀。素朴な部族風の装飾をほどこされた槍。ガラスの容器に入った植物の標本――
壁際にいくつも置かれた戸棚にも、一貫性の無い品物が所狭しと並んでいる。
シメオン教授(?)は、民俗学か博物学を専攻しているっぽいな。先程の机は学生や研究員が使っているのだろう。
「呪いのかかってる物もあるから、触らない方が良いわよ。眺めるだけにしときなさい」
「うぇっ!?」
ニーナの忠告に、伸ばしかけていたレアーナの手がすすっと引っ込んだ。
シメオンに先導されて、俺たちは部屋の奥の箱の前まで来た。
近寄ってみると、箱は金を下地に赤青で派手な装飾が施されていて、箱の背後にあると思っていた枯れ木のような奇妙なオブジェは、箱から生えていた。この見た目、おおきな盆栽といえなくもない。
箱のある所は、床から一段高くなっているので、祭壇のようにも見える。すると、箱と枯れ木のオブジェは神体なのだろうか。
オブジェは、金属製の骨組みを組み合わせたもので、真っ直ぐ延びた幹に、直線的にカクカクと折れ曲がった細い枝が何本も生えている。左右対称なんだけど、なんだか不吉な見た目。神体でも、あんまり拝みたいものじゃない。
後を振り返ると、研究室か教室といった風情。その場合、教壇と教卓ということになるが、少々華美に過ぎるし、そもそも木が邪魔だよなあ。
「死んだ木みたいで、ちょっといやだなあ」
レアーナがぼそっとつぶやく。そうか、おまえもおんなじ気分か。
シメオンがニーナに向き直り、無言で何かをうながすと、ニーナは諦めたように大きな溜息をついた。そして、大きく息を吸うと、枯れ木に向かって大声をあげる。
「ニーナ・ガーシュタイン修士、参りました!」
答えは無い。
何が起こるかと身構えていた俺は肩すかしを食った気分になった。こっそりまわりをうかがうと、シメオンもニーナも何かを待っている。
「あれ? なんか聞こえる……」
キョロキョロするレアーナの言葉に、俺も耳を澄ます。
ザザ……ザザ……ザ……
(これは……水の音? 何でこんなところで?)
どこからか、水面が波打つ音が聞こえる。高い天井に反響して、どこから聞こえているかはっきりしない。
ザン! ザザザ――
そして、ひときわ大きい水音と共に、箱から奔流が吹き出した。竜巻のように渦を巻き、枯れ木のオブジェに絡みついて、上へと伸び上がって行く。
シャラ……シャララ……
その流れの中には壁の炎に照らされてキラキラときらめく無数の小片が混じり、ぶつかりこすれあって涼やかな音をたてる。
「キレイ……」
レアーナがぽかんと口を開けて見入っている。
鮮やかな赤。意志を持った動き。これは……濘水人?
7、8メートルはある梢までを覆うと、さらに枝へと絡みついていく。
とても箱に入っていたとは思えない体積だ。どうなってるんだ?
先端まで絡みついた枝は、腕として機能し、消えている壁の燭台に火を移していく。灯りが増えて行くに従って、部屋は照らし出されていき、姿が明らかになった。
枯れ木のオブジェは、十二本の腕を持った巨大な濘水人になっていた。見た目は動く木だ。幹の中には大量の小片がゆっくりと流れている。シメオンの例を考えると、あれは活字だろうか。身体の大きさに比例して、その数は比較にならないほど多い。
「お」「お」「あ」「し」「え」「る」
シメオンの呼びかけは、俺にはいまいち意味がつかみづらいが、濘水木には届いたようだ。
ジャラララ――
幹の中で大量の小片が渦を巻き、幹の表面に一つの文章が浮かんできた。
「お」「お」「シ」「メ」「オ」「ン」「随」「分」「と」「遅」「か」「っ」「た」「な」
「そ」「う」「な」「ん」「し」「た」
それを見た濘水『木』は,身体を細かく震わせ、モーンと唸った。どうやら笑っているらしい。
「代」「わ」「り」「に」「イ」「ッ」「サ」「カ」「ル」「を」「行」「か」「せ」「た」
「す」「ま」「ぬ」
あちらは活字の数が段違いに多いのか、意字も子音も使える様だな。
「で」「は」「融」「け」「よ」「う」
「と」「け」「よ」「う」
(は? 融ける?)
濘水木の長い腕が、シメオンの頭上に伸ばされ、そこから身体の一部がどろりと流れかかる。
シメオン教授の全身を覆うと流れは止まり、今度はスルスルと腕に吸い上げられていく。
後には抜け殻のシメオン号が残された。
「自」「由」「に」「話」「せ」「る」「の」「は」「素」「晴」「ら」「し」「い」「な」
「融けるとはこういう意味か。そのまんまだな……」
「一つになっちゃった。シメオンはどうなっちゃったの?」
レアーナが戸惑ったように問いかける。彼女も初見のようだな、
「こ」「こ」「に」「い」「る」「月」「桂」「樹」「の」「娘」「よ」
「今」「や」「区」「別」「は」「無」「い」
「今」「ま」「で」「の」「こ」「と」「は」「既」「に」「知」「っ」「た」
同時に三言。もしかして、同時に複数の会話を行えるのか? これは発声で会話する人間には不可能だ。濘水人特有の行動様式だな。記憶や経験も共有されて溶け合うのだろうか。
アショカトリポカの逸話を連想した。
「では、今はなんと呼ぶべきでしょうか?」
「ア」「シ」「ェ」「ル」「で」「よ」「い」
とりあえず、あの「木」の固有名は「アシェル号」というらしいな。
「さ」「て」「ニ」「ー」「ナ」「く」「ん」
「博」「士」「論」「文」「が」「出」「て」「お」「ら」「ぬ」
「ちっ……」
まるで空気のように気配を消して、俺の影にいたニーナが、舌打ちをしてしぶしぶ前に出た。
このままうやむやにしようとしていたのかな?
「あ~、ええと~、いまより良い主題がみつかりそうというか~、なんというか~」
ニーナが弁解らしい言葉をつなげて、のらりくらりと追求をかわそうとする。
「こ」「こ」「で」「学」「べ」「ぬ」「主」「題」「を」「選」「ん」「だ」「と」「聞」「く」
「あ~、そちらはですね~、手は付けたのですが進捗が思わしくなくてですね~」
「で」「は」「よ」「り」「良」「い」「主」「題」「と」「は」
「それはその、私の研究ですので、論文が書き上がるまで口外は~」
「ま」「っ」「た」「く」「進」「ん」「で」「お」「ら」「ん」「の」「か」
「ですから、いま下調べ中で~」
「内」「職」「を」「し」「て」「お」「る」「よ」「う」「だ」「が」
アシェル教授が俺たちを指して言う。
あー、そうか。適性審査は内職って事になるのか。
「これも研究の一環というか~、全く新しい分野なので~」
「は」「っ」「き」「り」「せ」「ぬ」「と」「設」「備」「の」「使」「用」「許」「可」「は」「だ」「せ」「ん」
「えっ!? ちょっと! それは困ります!」
だんだん弁解が苦しくなってきたニーナ。視線をあちこちに走らせて考え込む。
設備とは『分光器』のことだろうか。話が思わしくない方に進んでるな。
「……判りました、話せるところはお話しします。ですが、内密が条件です」
ニーナは数瞬考えて、そう言い放った。知識はコピーできるから研究成果を奪われるのを警戒してるんだろうな。
「と、言うわけで、教授は説得するから、あなたたちは今日の所は宿に戻って。明日、朝一でまたここにきて」
そういって俺たちは宿に追い返されてしまった。アシェル教授がシメオンを分離して送ってくれたので、迷わずにすんだのが救いだ。
階段をどたどたと上り下りする音で目が覚めた。寝惚け眼でむっくりと起き上がる。
「なんか、ぜんぜん眠れなかったよぅ……」
「そっちもか……」
俺もレアーナも、半閉じの目でぼやく。いままで静かな夜に慣れすぎてた。学生宿は夜更かしや昼夜逆転している者も居て、絶えず騒がしい。門限が無いのも納得だ。年代物の建物がたてるきしみ音が、騒がしさをさらに助長する。
ここの食堂の朝食がまた強烈だ。がぽっと盛られたサフランライス。刻んだベーコンを混ぜて炒めてある。安いつみれのミニハンバーグの煮込みに菠薐草と粒コーンのバターソテー。炒めすぎでカリカリの細切れ焼肉ともやしの辛炒め。どれもこれも、脂っこくて味が濃い。
「胸焼けしてきた……」
若者がガツガツ食う用のハイカロリーな脂っこい食事に、俺は朝からグロッキー気味。
「ほう? ひゃふいひへっほうひへるへほ」
口いっぱいに頬張ってモグモグやってるレアーナには高評価。若いっていいなあ……。
腹の中にエネルギーをぱんぱんに満たし、急ぎ足で学び舎に向かう学生たちの流れに乗って、俺とレアーナも本館に向かう。彼らは昼の講義を受ける単位取得中の連中だ。単位を取り終わり、論文のネタを仕込み始める頃になると、だんだん昼夜の区別が怪しい生活になっていく。
本館の入り口ロビーは、意外に空いていた。近くにある案内図を見ると、本館にあるのは教員関連の施設と教授たちの研究室であることが判る。
さあて、アシェル教授の部屋はどっちだっけ、と見回す俺たちは、ロビーにたくさん置かれているソファーの一つに、『燃え尽きた』ニーナがひっくり返っているのを見つけた。
「ニーナさん、おはようございます」
「う……あ……そうか、もう朝か……」
額に手を当て、頭を振りながら起き上がるニーナ。寝不足らしくつらそうだ。
「眠そうですね」
「……説明に時間がかかったのよ。まあ使用許可は条件付きだけど取れたから問題ないわ」
どうやら最悪のケースは避けられたようだ。
「宿に帰らなかったの?」
レアーナが心配そうに聞くと、ニーナはニヤリと笑って答える。
「そっちは眠れたのかしら?」
俺もレアーナも苦笑い。ニーナは大きく背伸びをすると、気合いを入れ直した。
「じゃあ、早速始めるわよ」
ニーナに先導されて、別の棟に移動した。ここにはたくさんの学生たちが行き交っている。
「ここは実習棟よ。大型の設備はみんなここ」
そう説明を受けながら入った先は、巨大な球状のホールだった。円周下からの間接照明に照らされた室内。ベージュの均一な内張が丁寧にほどこされた丸天井。部屋の中心には巨大な装置が鎮座していた。
中央には球状のカゴ。その真下からは長短各種のアームが伸び、円形や方形のレンズ、三角柱や円柱のプリズム、偏向ミラーなど灯台にありそうな巨大な光学装置が乗っている。歯車や伝動鎖がその下にあり、カゴを中心とした円周上を回るほか、アームの先端で角度も調節できるようになっているようだ。
部屋からはプラネタリウム、装置からは太陽星系機構を模しているような印象を受ける。
「これが?」
「そう、分光器の本体。操作盤はあそこ」
頭上には並んだ小窓があり、そこから中がのぞけるようになっている。その反対側の壁には投影幕らしきものが張られており、その前にはなにやら透明な巨大容器があった。
「案外、普通だな」
「なぁに? 学究院の設備にそんな突飛な物を想像してたの?」
あきれ顔のニーナに、中央のカゴの中に押し込められる。まあ、苦痛を伴うような事は無いだろうが、不安を覚える形状だよな。
「審査が終わるまではその中から動かないでよ。さあ、あんたはこっち。中にいると可動腕にぶん殴られるわよ」
「ちゃんと見ててあげるから~」
気遣わしげなレアーナは、ニーナに背中を押されて操作盤室に入って行った。扉が閉められると、室内はシンと静かになった。試しに声を出してみると、無響室に居るかのように音は全く響かない。
『聞こえるかしら? これから審査を行うけど、注意点がいくつか。審査中は室内の照明が落ちて真っ暗になるわ。平衡感覚を失う人もいるから、心配なら手すりに掴まっているように。それから身体の正面を投影幕に向けること。背後から強烈な光線が当たるから、直接見ると最悪、視力を失うわよ。指示が有るまでは身体を大きく動かさないこと。動かすときは指示に従うように。見慣れない物を見たり、かなりの騒音があると思うけど、ここは学究院の中で、危険なことは無いからあわてないように』
伝声管を通して聞こえるニーナの声は、金管楽器を通したようにくぐもっていた。背後を伺うと、窓からは手を振るレアーナが見える。
俺は手すりの位置を確かめると、それをしっかり握りしめて身体を固定した。
『照明が落ちたら、もう背後を見ちゃダメよ。じゃ、始めるわよ』
ゴウンゴウンゴウン――
床下から低い周期音が起こり、ギリリと歯車がきしみ音を立てて回り始めた。伝動鎖が可動腕を動かし、順次初期位置と思われる位置に移動を開始する。
すぅっと照明が落ち、周囲は完全な暗闇になった。室内を満たす機械作動音。
磁気共鳴画像撮影装置を体験したことがあるだろうか。暗闇であることも相まって、あれにかけられたときのことを思い出した。
肌に空気の流れを感じる。うっかり身体を動かしたら、機構の動作に巻き込まれそうで、恐怖で身体を動かせない。
ジュブブブブ、ゴボゴボゴボ――
正面で、なにか粘性の液体が流れ込む音。透明容器に何かを注入しているのだろうか。
流入音が収まると、背後から縦に細く長い光が当たる。強烈な光だ。巨大な眼科の検眼鏡で照らされているような感じ。
投影幕に映像が投影された。俺はそれを見て目を見張った。
緊張した面持ちの男が、こちらを向いた姿だ。背後からの投光なのに前面が見える!? 影絵ではなく、天然色!?
投影幕の僅かな光量で、分光器の動作がうっすらと見える。
『分光を開始するわ……』
可動腕のプリズムが微妙に角度を変える。すると、映像から色だけが、横にスライドした。
(えっ!? プリズムって色相を分解するための物じゃあ!?)
周波数による光の屈折率の違いで、色別に分光するのがプリズムのはず。なのに全色が同時に屈折!?
別の可動腕が位置を変え、絞りの動作音。映像から凹凸だけが、横にスライドした。
(えええっ!?)
続いて、サーモグラフ分布のような温熱像が、全身骨格が、陰影が、血管像が、神経像が、次々と『分光』されていく。
(光の振る舞いがまったく違う!?)
愕然とした。
光の振るまいが違うと言うことは、電磁気力が、重力・強い力・弱い力を含めた統一場理論が、ひいては物理法則が、俺の世界と異なると言うことなのだ。
いままで創作で見た異世界が思い出される。
曰く『魔法』がある。曰く『竜種』がいる。曰く『亜人』がいる。曰く『魔王と勇者』が……。
その程度、せいぜい『亜』世界だ。俺の世界と、大して変わらない。
燃素が存在し、燃焼のプロセスが違うのも当然だ。酸素による酸化反応での燃焼など、有るかどうかすら怪しくなった。
いまこそ確証を得た!
(俺の世界と似ているのは見た目だけだ! こここそが『異』世界! 俺は今、別の宇宙にいるのだ!)
『分光』の最後に人の輪郭がスライドすると、人型の形状すら失われた後には、見た事も無いものが残された。
手で削り出した原始的な彫刻のような、生体的に結合された構造体。それと一対をなす相似的な形状の、整然とした幾何学的な結合の構造体。ふたつが二人羽織のように寄り添い溶け合った姿。
『これよ! これが見たかったのよ! 光凝固液が凝固するまで動かないでよ?』
興奮したニーナの声が聞こえる。
(これが、俺の心魂摂理!?)
俺は、目をこらして構造体を観察する。そして、その中からそれを見いだした。
「おまえ……こんな所にいたのか……」
思わず声が漏れた。途端にニーナの怒声が飛ぶ。
『動くなっていったでしょ! 凝固に失敗するじゃ無いの!』
俺は素直に従った。そんな事はもう気にならなかった。やっと手がかりを見つけたのだ。
修技館で聞いた、ジョージの言葉を思い出す。
『――常人の倍はありそうな程の、にわかには信じがたい量だ。だが惜しむらくはその大半が使われていない。未完成な子供のようなものだ。――』
それは、俺が悩んで設計した特徴的な回路、『クルーソー』の網膜・海馬間多ビット連続抽出回路、通称『視神経』だったのだ。




