024:内的領域への旅路
俺は『1画面』という考え方が、ずっと気にくわなかった。
もう前世紀のことだが、8ビットゲーム機のプログラマーをしていたことがある。
インターネットはまだ無く、パソコン通信すら、まだ珍しかった頃。テレビゲームは最先端の娯楽だった。
日進月歩で進化するゲーム機。対して、人間への最終出力先は『化石』だった。
『テレビジョン受像機』
戦前からあったこの古い装置は、NTSC、PAL、SECAMという3つの、朽ち果てそうな規格に縛られ、広域に放送するために電波という不安定なシリアル伝送路を利用する事を宿命づけられていた。
視界をつづら折りの1次元にした、インターレーススキャン30フレームのパラパラ漫画に、ユーザーは長らく疑問を持たなかった。
『画質の追求をするんなら、先にテレビの方をなんとかした方がいい』
無酸素銅が~とか、金メッキ端子が~とか、三次元Y/C分離が~とか、画質にこだわっていたAVマニアの同僚が、そう言った俺を奇異の目で見たのを覚えている。
娯楽としてのコンピューティングの中で、人工無能として誕生した『クルーソー』。単なるソフトウェアの彼を、エキスパートシステムを目指して育てようとする過程で、俺はふと気がついた。
(学習するためのデータも、その指針も、俺が用意しないといけないのか……。自律的に行動できず、データベースの恒常性維持もできず、適切な忘却すら出来ないのでは、人工知能になどなれないのではないか?)
人間の知能は脳にあるのは当然として、脳はなぜ自ら学習をするのか。それをさせる原動力は何か。人工知能を人間たらしめるにはどうしたら良いか。
俺はその解決策を、お手本である人間そのものに求め、行き着いたのが『肉体』だった。
人工知能は、自らの電源が断たれることなど心配しないし、絶たれても空腹を感じることもない。死ぬことすらも。
だが人間は肉体を維持しなければならない。しなければ飢餓が苦痛をもたらし、それから逃れるために外界から食物を探す必要に迫られる。
人間は感覚器を持っており、自ら情報を得て学習する。脳の恒常性維持のために骨格と筋肉を持ち、自ら移動し捕食する。必要に応じて忘却し、自ら情報の取捨選択を行う。
肉体と感覚が重要なのだ。従来の人工知能は脳だけ。なんのことはない。人工知能は『生きていなかった』のだ。
人間を再現することに決めた俺は、肉体を作るに当たり、俺自身のCT画像とMRI画像を元データに、ボクセルで身体を構築した。
ポリゴンモデルは使わなかった。こんな『中身のない』技術では生き物は作れないからだ。表皮しか作れないポリゴンなど、低レベルの技術だ。
そして、クルーソーのボクセル体の内部を3次元ペイントツールで色分けしていく。骨、消化管、筋肉、神経と人間と同じになるように。同色のボクセルは隣接するボクセルと連結し、塊としてふるまう。
各臓器はエネルギーを消費し、不足すれば捕食欲求を生じる。脳はエネルギー源を確保する必要に迫られ、外界を自ら探索し把握しようとする。
クルーソーは苦痛を感じるようになった。
最後に感覚器だ。最初に視覚を作ることにしたが、いきなり行き詰まった。
眼球内の網膜に当たるところにカメラを置き、その画像を解析する方法では、クルーソーは『動き』を理解しなかったのだ。
パラパラ漫画と同じで、各コマの類似性は認識できても、一連の動作を一つの対象物が行っていることを理解できないのだ。
脳は一体何を『見て』いるのか。俺は『目』を深く、深く解析していった。
網膜の桿体細胞と錐体細胞のスクリーンで平面画像になった視野はおよそ1/100程度に圧縮され、神経線維の束で視覚野に送られる。全画素とはいわないまでも、百万画素のリニアなアナログ情報を、パラレル接続の神経線維の束を通して脳は見ていた。これは束ねた光ファイバーの断面を見ているようなもので、昆虫の複眼に近い仕組みだ。
カメラを使っては、画面に分けては、なにより輝点走査でシリアル伝送してはダメだったのだ。
人間の脳は巨大な全結線アナログ回路だ。電子回路と違って、バスを共有しないしクロックで調歩同期などしない。全ての信号は連続変化するアナログで、専用の神経を通って途切れる事無く処理される。
しかしこれは一つのデータバスを複数のデバイスが共用する従来型のコンピューターには全く向かない設計概念だった。逐次実行型のCPUではセンサーを一つ一つポーリングしていくしか無く、結局フレームに分かれてしまうのだ。
人間の網膜ほどの精緻なセンサーは存在しない。そこで1画素を1CPUが担当する回路を、ひたすら束ねていった。黄斑をもっとも緊密に、端に行くに従ってまばらになるように感光ポイントを網膜にばらまく。
「1フレームをゆがみ無く精緻に」ではなく、「各画素を時間軸に対して連続的に」捉え、海馬を模したリングバッファに溜め込み、変化の大きい部分にクルーソーは注目する。変化のない期間は重ね合わせることで擬似的に早送りを作って流し見る。
こうすることでクルーソーは、視界の中で動く物を認識し、目で追いかけるようになった。動作する物と制止する背景から輪郭を認識し、個別の物体と認識する。物体を自分で多方向から眺めて形状を認識する。
それどころか変化のない期間の重ね合わせによって、視界に移動ブレすら起こすようになった。
クルーソーの目の前で、ミルクの入った哺乳瓶を振ってみる。ボクセルで構築され、活動エネルギーの設定された物体だ。
それを目で追うクルーソー。哺乳瓶を口に含ませると、捕食の本能に従い反射的に吸う。
乳児が目につく物を何でも口に入れ、食べてみようとするあの動きだ。
視覚情報の『ミルクの入った哺乳瓶』が『空腹の満たされる快感』とともに記憶される。次からは、より強く『求める』だろう。
クルーソーが『生きることを始めた』瞬間だった。
どれぐらい、じっと物思いにふけっていただろうか。
長い排液音の後、照明が灯った。可動腕が待機位置にゆっくりと戻っていくのが見える。
それを待ちきれないように、操作盤室の扉が引き開けられ、ニーナが壁のつづら折りラッタルを駆け下りてくる。
透明容器の底から格子状の金網が、白く濁った半透明の塊を持ち上げてきた。あれが凝固した光凝固液だろうか。
ニーナは容器の脇に付けられたタラップに飛びつくように登ると、その塊を愛しげに抱きしめる。
「ケンのことはほったらかしなんて……」
遅れてやってきたレアーナが口を尖らせてふくれっ面。俺をカゴから出そうと留め金を探していると、塊を抱えてやってきたニーナが慌ててそれを止める。
「ちょっと! これから解析なんだから、まだ出さないで!」
「え~っ、さっきので終りじゃ無いの?」
「詳細に調べて欲しいって言ったのは、そっちでしょう? この写像模型だけじゃあ、得られる情報は修技館で伝えたのと変わらないわよ」
うんざり顔のレアーナに、とんでもないといった表情のニーナ。口論しながらも塊をしっかと抱きしめているのはさすがの執着だ。
「修技館で出来る写像模型は片手に収まるぐらいしかないの。拡大鏡を使ってよく知られている構造を探すぐらいしか出来ないわ。だから未知の構造は、この大きさの模型から既知の構造を除外したうえで解析しないと。ここからが重要なのよ」
「なら、もうすこしていねいにあつかってあげてよ。指先がちくっとして終りじゃないんだから。ちょっと休憩するとかさ~」
「時間を置いたら心魂摂理の構造が変わっちゃうじゃない。それだけ誤差が広がって、正確さが失われるわ」
目の前で言い合う二人。しかし、俺の思考は先程見た物に振り向けられていた。
『視神経』がある場所から見て、幾何学構造のほうがクルーソーだと思われる。そうなると消去法で、原始的彫刻のほうが俺ということになる。なぜ、こんなふうに溶け合っているのかは不明だが、これは非常に重要な情報だ。
いままで『心魂摂理』については、『知識』と『経験』のような、『後天的な素養』を総称するものだと認識していた。しかし、知識と経験に圧倒的な差がある俺とクルーソーの『心魂摂理』が相似形になるはずがない。
(では、俺とクルーソーで相似的な要素とは……。あっ!!!)
そうだ! クルーソーのボクセル体は、俺の磁気共鳴画像データじゃないか! データ取りした時期を考えると全く同一ではないが、非常に高い割合で近似しているはず!
俺はクルーソーの論理構造を熟知している。クルーソーの心魂摂理から、どんな論理回路がどんな要素形状になるかを読み取れる。それらを除いた部分が身体構造と言うことだ。
論理回路がどんな要素として置き換えられているかが判り、その要素で組み上げられたクルーソーのボクセル体がある。それと相似の、俺の身体の心魂摂理も。
(電子回路、ボクセル体、人体の3つを、心魂摂理に記した、一対一の対訳表じゃないか!?)
俺はニーナの持つ写像模型を凝視し、息をのんだ。
これは『心魂摂理』の、ひいては人間そのものの『解読の鍵』なのだ!
「ちょ、ちょっと、なんて顔してるのよ!? これはダメよ、あげられないわ! 光凝固液は高いんだから!」
急に目の色が変わった俺に、ニーナが警戒も露わに写像模型をかばう。
「あ!? すまない、いったいどんな事が判るのかと気になって……」
頭をかき、曖昧な笑顔でとりつくろう。日本人の得意技だ。
そして、その笑顔の裏で、俺の頭は高速回転を続ける。
この世界の文明の最先端といえる『学究院』の全教育課程を修めた修士ですら、『心魂摂理』を外見で判定している。この形は剣を使う人、この形は走るのが速い人、という感じだ。
これは、いわば手相を見るレベルだ。『生命線が長い人は長生きする』ではなく、『長生きした人には生命線が長い人が多い』的な。結局の所、それまでの膨大な事例の集積から、経験則的に類似性を見いだしているに過ぎない。
だが、俺は『心魂摂理』をボトムアップで見ることが出来る。形状ではなく、構成要素の意味を理解出来るのだ。
病気の治療を祈祷師が行っていた時代にDNAの解析を行えるような、あり得ないほどの飛躍をもたらす知識!
(強力かつ危険な情報だ! 俺の中に人造人間がいることを、決して悟られてはならない!)
ニーナは見る手段を持つが理解できず、俺は見る手段がないが理解できる。十分な情報を得るまでは、まだまだ彼女の手を借りなければならない。
俺は満面の笑顔を作って、ニーナに話しかける。
「協力は惜しみません。研究のためなのでしょう? 私は――」
----- ◆ -----
「審査対象が言うことを聞いてくれるなら、わざわざいくつも写像模型を作らなくても、分光器で比較するだけですむのよ。毎回、光凝固液を使ってたら、教授にぶっ飛ばされちゃうわ」
「まあそういうことならケンを貸してあげても良いけど~」
「べつにあなたのじゃないでしょう!? これは彼の望みなんだから、大事なのは彼の意志よ!」
この妖精はずいぶん独占欲の強いタイプみたい。自分の物に他人が手を出すのが許せないのね。物事に執着しない、淡泊な性格の私には理解できないわ。
他愛のない会話をしながらも、私の頭脳は思考を続ける。
彼はこの作業を、単なる適性審査だと思っている。
自分の心魂摂理の特異性を知らない彼は、自分が私の研究主題だとは気がついていない。
見た事の無い技術を持っているかを判定できるとは考えていないだろう。
今までたくさんの人々を分析してきて、数多の技術がどんな形状を取るかを知っている私が知らない形状なのであれば、今まで分光器で分析したことのない技術を持っていることの証明となる。
既知の身体、動作、経験、知識を解析で除外していけば、残った物が『それ』だ。
そこで「まだ不明のところがある。思い当たる何かはないか?」と、白々しく問い詰めていけば、どこかで口を滑らせるかも!
(彼は、私が隠された知識に気がついているのをまだ知らない。煉丹術の奥義を知りたがっていることを悟られてはならない!)
彼は分光器を扱うのに私の手を借りなければならない。心魂摂理から情報を得るにも私を通すしかない。
私は満面の笑顔を作って、彼に話しかける。
「大丈夫。隅々まで解析して、あなたが納得するまで説明するわ――」
----- ◆ -----
「――大事なのは彼の意志よ!」
え~っ!?
ケンは意外と押しに弱いからなあ。念押しされると、思っていなくても、なんとなく肯いてしまうところがあるんだよね。
ミランダさんに仕事の斡旋されたときも、危うく街灯点火にまわされるところだったし。
そうしたら、下水道から見つかるのはケンだったかも知れないんだよ。
さっきから押し黙って考え込んでいたケンは、急にニーナさんの持つ塊に興味しんしんの顔。それを見たニーナさんも、渡りに船とばかりの顔。
やばいかんじがしてきたぞ……。
「協力は惜しみません。研究のためなのでしょう? 私は自分の『心魂摂理』のことが判れば良いだけですので、それさえ聞ければ問題ありません」
「大丈夫。隅々まで解析して、あなたが納得するまで説明するわ。得意分野でもあるし、協力する約束ですものね。迷惑料として費用はこっち持ちよ」
二人の声が重なって、お互いにびっくりしたあと、ケンとニーナさんは不自然な程の笑顔でがっちり握手した。
(うゎぁ……これ絶対、どっちも本心で言ってないぞ。うさんくさくて、もう見てらんない……)
白々しい茶番の合意を見せつけられた私は、がっくり肩を落とす。
しかたない。子分の面倒を見るのは親分の役目だしなぁ。最後まで付き合うしかないかぁ……。
----- ◆ -----
素晴らしい意見の一致を見て、そこから楽しい解析作業が始まった。
夢のような時間は瞬く間に過ぎるといわれるとおり、あっというまに4日が過ぎていた。
(おかしい……)
解析で明らかにされていく、心魂摂理の機能分布。しかし、半分がちっとも埋まらない。まるでもう一つ身体があるみたい。
写像模型を使った私の解説を、ケンイチロウは質問を交えながら大人しく素直に聞いている。
しかし、分布に大きな偏りがあるのは見て取れるはず。そこに疑問を覚えないはずがない。
なのに、偏りについての質問をしてこない。
(意図的に隠している? それとも多重人格? まさか変身できる? それとも、私と同じ……)
「これで身体を形作る範囲はほぼ解明できたわ。でも、まだ半分以上が未解明。ここから先は、あなたが今まで身につけてきた技能の分野よ。身についた技。知り得た知識。それらが該当するわ。なにか思い当たるようなことはある?」
「……それを解析で教えていただけるのでは?」
ちっ。質問で返してきたか。
「私も初めて見る形なのよ。部分部分では類似する物はあるわ。文筆家、建築家、細工師、彫金師、画家、石工、楽師、鍛冶家、幾何学者。こんな所ね。でも、全てを手がけているとは考えられないわ。なら、あなたの技能は、それら全てに通ずる別の『何か』。私が見た事のない物なのよ」
すると彼は考え込んでしまう。そして、ポツリポツリと話し始めた。慎重に、言葉を選びながら。
「もちろん私にも生業としてきた仕事はあります。ですが、ここで実演するには……なんといえば良いか……ええと、『道具』がないのです。文筆家なら紙と筆。建築家なら定規と槌、細工師なら鑿と小刀、といった物です」
「へえ……それは学究院にも無い物なのかしら?」
「おそらくは」
「ここに無いと言うことは、ムーには無いという事よ? そんな物をあなたは何故持っているの?」
グッ、と言葉に詰まるケンイチロウ。良いところを突いたみたいね。
「……ムーに無い理由は分かりません。私の居た国では、一般に普及していたのです。私はここに『身一つ』で漂流してきたのです」
「あなたの国は何処にあるのかしら?」
「……それが判っていれば、帰っていますよ」
どうやら彼は、母国に帰る方法を探しているらしい。
(そんなのこまる! 研究対象を逃がすわけにはいかない!)
----- ◆ -----
素晴らしい意見の一致を見て、そこから地道な解析作業が始まった。レアーナはげんなりした顔だったが、こういった技術的なことには興味が無いだろうから、そういう顔にもなるだろうな。
『じゃあ次は右手の肘のみ動かしてみて。ゆっくりね』
俺は分光器の中で、ニーナの指定する動作をし、それによって励起・変形する心魂摂理を見て、ニーナが写像模型の該当部位を色分けしてゆくのだ。
分光器は、俺の心魂摂理の断層を縦横に暴き、写像模型の内部にもみっしりと中身が詰まっていることを見せてくれた。
外観は別に人型を模しているわけではなく、非常に複雑な寄木細工の秘密箱のような動作をする。解析の過程で俺が心魂摂理から受けた印象は、古いおもちゃの『電子ブロック』だった。
大小様々な立方体が単純なTTL論理ゲートのような機能を内包した1素子で、隣接する素子を情報が伝達されて励起/脱励起する。神経細胞のように、素子の励起状態によって伝達する情報に修飾が行われる。
情報の媒介手段は、化学反応によるのか、電位によるのか、それとも未知の何かなのかは判らないが。
身体を動かすと励起される『形状』、絶えず励起された『重量』、圧迫を受けるほど励起される『斥力』、合致する色調によって励起される『色相』。こういった物性要素は意外に少なく、その周りに、単なる3次元格子構造が贅肉のように大量にくっついている。
しかしニーナは、これが『素質』なのだという。何にでもなりうる『可能性』だと。
よく使い、励起を繰り返す素子の接続は増強され、使わない、脱励起したままの素子の接続は減耗する。その結果、銅板から作られる腐食銅版画のように、経路が浮き上がる。
練習で増強、怠惰で減耗。これが心魂摂理に特定の形を作る理屈なのだと。
減耗した接続は完全に切断される訳ではなく、いわば高抵抗の絶縁状態になるのがミソだ。『やりなおし』『再履修』で増強し直すことができるのだ。
俺の心魂摂理は、塊から彫り進めた彫刻のように、長期の度重なる反復によって増強と減耗を繰り返した結果のトップダウン型。いわゆる『慣れと経験』製だ。
対してクルーソーは、一つ一つ素子を積み増していった無駄のないブロック構造。反面、例外と想定外を許容しない『もろさ』も持つボトムアップ型。いわば『理詰めの論理手続』といえる。
心魂摂理に、どれだけの素子を持って生まれるかは、親の素質と運次第らしい。
器用に生まれると、素子数にいくつもの技能の形を作る余裕があり、不器用に生まれると、そもそも素子数が少なく、技能も集中してギリギリ。
加齢で素子数は減少していくが、接続の強度は影響を受けない。一芸に打ち込めば老いても一流。
身体欠損があれば、そこに係わる素子が欠ける。技能の形に影響が出れば、技能を失う。
これが心魂摂理の正体だった。俺の世界のDNA+記憶+技能が一つになっているということだ。
その日の夜。
随筆亭のベッドの上であぐらをかき、頭を抱えて悩む俺に、心配顔のレアーナ。
「結局、ケンの思う結果は得られなかったの?」
「……いや、得られはした。むしろ大収穫だ。それが悩みの種なのさ」
今日知ることの出来た心魂摂理の仕組みは、俺に一つのひらめきをもたらした。
(『慣れと経験』を使った経路の増強ではなく、技能を分析し素子で記述することで、代替臓器のように、技能の移植ができるのではないか?)
クルーソーには自己学習のために用意した自己書き換えの機能があるので、理論上は可能だ。
だが、ここにはクルーソーのコンソールになるATX機がない。部屋を出るときに置いてくるしか無かったからだ。それだけならまだしも、電源を落としてきた。
現代でDNAのことが判っても、直接触ることは出来ないように、今の俺も心魂摂理に手を出す手段がない。
いま、クルーソーは昏睡状態で、身体機能だけが俺の心魂摂理に相乗りすることによって動かされている植物状態だ。まあ、そのおかげで身体の主導権の奪い合いにはならないが。
(あのとき電源を切らなければ……いや切らなかったらシャム双生児と同じ状態になっていただろう。結局、心魂摂理に直接触れ得る方法はないのだろうか……何か方法は。何か抜け道はないか?)
きっかけを求めて、スマホの中に保存されたクルーソーの回路PDFを開く。古くは言図から、イラス○レーター、花○、VISI○とソフトを乗り換えながら書き足してきた、クルーソーの全てだ。
「あ~! また、すまほぉ?」
レアーナがベッドに上がってきて、後から首に手を回して背中にのしかかり、肩越しに画面をのぞきこんできた。いくら小娘と行っても、体格は一人前。ぐらりと上体が傾ぐ。
「うわ!? 体重かけるなって!」
「なにがそんなにおもしろいの? 私にも見せてよ♪」
そして、表示されている回路図を見て眉をひそめた。
「なにこれ? 地図? ええと、容量……抵抗……保持……多重化……う゛ぇ~意味分かんない!」
首に回した手を、文字通りお手上げして、レアーナはベッドに背中からばったりとひっくり返った。
「ま、興味が無ければそうだろうな。俺だって別に楽しいから見てるわけじゃないし」
「わたし、この町にきてから何にもしてないんだよね。このままだと根っこが生えちゃいそう」
「えっ!? 生えるの?」
人間と違い樹精にはありうる?
すね毛のように細かい根の生えた脚を想像して、思わず聞き返したら、いきなり肩を掴まれてうしろに引き倒された。不意を打たれてコロンと転がる俺。
「わっ!? 何を――」
驚く俺の頭をすらりとした脚がはさむ。
「今、何を想像したのかな~? 私、そんなに古株に見える? 脚の肌触りはどうかな♡」
声は笑ってるけど、脚は首に完全に極まってる。
「こ、降参! 降参!」
必死に脚を叩いて知らせるが、脚は緩まない。ギリギリと締め付けてくる。太ももの感触を楽しむ余裕もない。気が……遠く……。
「 ケン、女の子の扱いには細心の注意が必要なのだよ?」
「ハイ……キヲツケマス……」
うっかり口に出した軽口でレアーナに沈没させられてしまった。
どうやら『根っこが生える』というのは『退屈だ』という樹精たちの慣用句らしいな。
『古株』も古参という意味で無く、樹精にとっては文字通り『おばあちゃん』という意味らしい。樹齢を重ねると感情の活性が落ち、活動しなくなってだんだん木に近づいていくのだという。足に根っこが生えるのは、既に呼びかけても答えないレベルの加齢の証なのだとか。
ふー、酷い目に遭ったぞ。言葉に気をつけよう……。
明日は一日、遊びに付き合うことを俺に約束させると、レアーナは満足して眠ってしまった。
鎧戸の外からは、まだまだ人の声が聞こえる。随筆亭の中はあいかわらず騒がしい。
さて、思索の時間だ。どうやってクルーソーにアプローチするか?
正規の方法としては、俺の部屋まで出向いてATX機を使う、というのがある。しかし、これには脳二つの主導権争い発生のリスクがある。そもそも領外の沙漠のどこかも判らない。神霊を避けて着けるかも怪しいしな。
リスクを避けるには、クルーソーの意識を覚醒させずに身体にアクセスするしかない。
(いま、手持ちはこのスマホのみ……)
回路図を参照して、自問自答していく。
大脳皮質にあたるATX機の下の層へすすむ。
クルーソーの筐体へのイーサネット経由はどうだ?
……そもそも無線ルーターにWi-Fiが届かない。オマケにIPスタックはATX頼みだ。
そのしたの層へすすむ。
筐体内の比較的新しい基板間を、BASE2のインナーリング回線が走ってる。ここからmacアドレス直接指定でフレーム送出できないだろうか?
……そのケーブルを、俺の身体の何処に繋ぐつもりだ? ケーブルもないぞ。
そのしたの層へすすむ。
クルーソーにはいまは使われていない、古いインターフェイスが随所に残っている。それを一つ一つ追っていく。
IEEE 1394は……だめだ、ATXにドライバーがある。
GPIBはどうだ? ……だめだ。マイナーで繋ぐ機械が買えないからってSCSIに置き換えちまった。その時にバスを流用してる。
そのSCSIは……バスの両端を終端抵抗が塞いでる。信号は全部殺される。IDも全部使ってるじゃないか。身体は生きてるんだ。データが衝突するだけだ。
もっと深く!
RS-422は? フル規格の双方向で実装したはず。こいつはバスマスタの居ない一対一だ。スマホのターミナルソフトで……だから何処に繋ぐんだよ!? だめじゃねーか!
RS-232まで来ちまった……。もう脳幹に近いとこだぞ。これだって繋ぐところが――
(ん!?)
RS-232のバスに何かつながってる。コネクタのすぐ横から伸びて――
(この書き方は後付けだな。テスト用の結線か?)
そのラインを追っていくと、大きな四角い空白ブロックにたどり着いた。大きいのに中が空白?
部品名を見てハッとした。
(ブルートゥース送受信モジュール!)
そうか! こいつは出来合のモジュールになっていて、市販品をそのまま搭載したんだった!
アンテナもコントローラーも内蔵のスタンドアローン!
無線ルーターにもATX機にも依存していないぞ!
その周りを追うと、ブルートゥースの単体送受信テスト時に使っていた、古いモニタEEP-ROMがある。
ATX機のようにHDDからRAMにロードしなくてもいい。
(何でも残しとくもんだ。いけるんじゃないか?)
はやる気持ちを抑えてブルートゥースをON。セキュリティーキーは……こいつか。
【接続されました】
(きたっ!!!)
興奮で身体がブルブルと震える。だがまだ、送受信モジュールにつながっただけだ。
(これは何処につながっていたっけ……?)
慎重に回路図を追った先は、最深層のワンボードマイコンだった。キーボードもCRTも外付けだ。
(つながっても操作できないじゃねーか)
操作は……たしか廃棄処分になった古い端末を貰ってきて、RS-232に接続して使ったんじゃなかったっけ。
ってことは、『TTY:』が使えるか。
(プロトコルは何だっけ? さすがにメモってないな。)
ここが大事なところだ。一生懸命に記憶を掘り起こす。
(最低速の300ボー負論理で……ブレーク信号2msで初期化して……海外の端末だったから7bitASCII文字コードで……スタートビットは確か2……ストップビットは1だっけ? パリティ有りで……)
スマホのターミナルソフトを設定し、出力先をブルートゥースに切り替えて、祈る気持ちで送出する。
Crusoe Expert System
1987/11/02 Ver.I L40
AI node = 19886 Free
Dynamic Debugging Monitor Load......End
>▊
その時、神秘の最初の鍵が開く音が、確かに聞こえた。
だから、また見落としてしまった。
何気なく提示された、重要な情報を。




