表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/28

022:歩行杖

「うああああああああああ!」


 俺は手近にあった薪を手に取ると、とっさに相手を横殴りにした。


ボチュッ! ゴッ!


 間近だったので、薪は相手の腕にめり込み、骨に当たった。まるで餅をついたような手応え。

 再度振りかぶろうとするが、ねっとりとして薪は僅かにしか動かない。見ると、薪は相手の腕にめり込み、絡め取られている。


「いやああぁぁぁ!」


 背後でレアーナの叫びが聞こえた。

 俺は絡め取られた薪を手放し、身をひるがえして転がるように相手から離れた。一月とはいえ、底上げした基礎体力がそれを支えてくれる。

 レアーナの側で起き上がった俺は、新しい武器を探し、焚き火の中から火の付いた薪を手に取る。さいわい、ここは俺の武器だらけだ。

 これなら視界を確保しつつ、打撃以上の効果が期待できる。


 動悸に傷む胸を押さえて相手を見ると、めり込んだ薪に顔を向けて、それをもう一方の手でゆっくりと抜いた。


(効いていないのか!?)


 持ってきた四分杖(クォータースタッフ)は、台車と一緒に街道に置いてきてしまった。もうすこし長い棒はないかと目は小屋の中を探すが、残念ながら小屋の外らしい。


「レアーナ、武器を持て!」


 相手を見据えたまま叫ぶ。そして俺は、背後から羽交い締めされた(●●●)


(え!?)


 目を向けると、革の腕甲(ブレーサー)植物ボタニカル柄。


(レアーナ!? どうして!?)


 思いがけない行動に混乱する。振りほどこうともがくが、背中に張り付かれ執拗にまとわりついて離れない。


「だめだよ、離さない」


 レアーナの耳打ち。

 操られているのか? 二対一のはずが、いきなり一対二になり、逃げることも出来ない。


 相手はそんな様子を見て取ったのか、焚き火を回り込み一歩々々(いっぽいっぽ)、落ち着いた歩みで近づいてくる。

 灯りを背にして、その体表がギラつく。身体は両手両足以外テラテラとぬめる半透明で、内部に骨格と思われる影。頭部の中には、何かゴツゴツとした物の固まり。


はっ! はっ! はっ!――


 恐怖の内圧が高まり、呼吸が浅く、速くなる。必死に暴れるが、羽交い締めを解くことが出来ない。

 時間が引き延ばされ、(まばた)きを忘れる。相手の顔が近づく。


ギチッ ガシュ ゴリッ カチャ ――


 相手の顔が波打ち、その体内から響く金属音。もう目の前だ!



 恐怖で  目が  離せ  ない



「うわあああああああああああああああああああああああああああああ!」
























「それで、困ってたって事?」


ガチン コツッ カチカチ ゴン


「すっごい雨だったからねえ。私にはちょっと多すぎだったけど」


キチキチ コン カツッ カカッ


「それで、何処に行くつもりだったの?」


コン コン カチャ


「へえ、私たちもだよ。何をしに?」


ココッ カチン ガッガッ


「へえ、回収なんだ」


ガチャ ガシュ キン キン


「じゃあきっとパンパンだよ。早く行ってあげないと」


 驚くべき事に、これは会話だ。

 横で見ている俺にはレアーナの声しか理解できないのだが、二人(●●)の間では意思の疎通が成立しているのだ。

 状況が劇的に変わったのは、ほんの数分前のこと――




「こ」「ん」「ば」「ん」「は」


「ああああああああ……あ?」


 思考の空白。そして困惑。


(こんばんは、だって?)


 相手の顔を凝視していたのだ。間違えようが無い。

 顔にそう書いてある(●●●●●)のだから。

 粘液質の顔面に浮かび上がった、5文字。縦に並んだ文字は、『こんばんは』と読める。


「いきなり殴りかかったから、どうしようと思ったよぅ」


 俺の後で、レアーナが(あき)れ声でぼやく。


「この人、私の知人なんだよ」


「え!? でもさっき、『あなた誰?』って言っただろう」


「うん、言ったよ。だって今の名前が判らない(●●●●●●●●●)からね」


 やっと羽交い締めが解かれて、気が抜けた俺はへなへなと座り込んだ。


「あやまって!」


「え?」


「叩いてごめんなさいってあやまって!」


「……叩いてごめんなさい」


 俺は言われたとおり、ペコペコ謝った。反論は許されなかった。




 そして、今に至るというわけだ。

 座り込んだ俺の前で、二人は差し向かいで立ち話中。


「で、今はなんていう名前なの? 紹介しないといけないからね」


 すると、粘液人は手甲(ガントレット)を差し出してみせる。手甲をじっと見たレアーナは、ふんふんと納得顔でうなずいた。


「じゃあ、紹介するね。この人の今の名前は『シメオン』。濘水(ねいすい)領の人なんだ。私の里にも何回か来てるんだよ。んで、こっちはケン。私の旅の仲間なんだ」


濘水(ねいすい)領? それは、どこにあるんだ?」


「妖精領の隣だよ。人間領からだと、ちょっと遠いけど。妖精領をてっぺんにした、潰れた三角形の感じかな」


 身体が流動体の生き物か。いかにも幻想じみてきたな。


「しかし、なぜ今の(●●)名前なんだ? いくつも名前を持っているのか?」


濘水(ねいすい)領の人はね、もともと名前が無いんだって。でも他の領域ではそれじゃあ困るから、その時だけ名前を持つの。その名前っていうのが――これ」


 そういってレアーナはシメオンの手を取り、俺の目の前へ。見ると、手甲に”シメオン号”と刻印されている。


「シメオン()? 彼らは(ごう)(しょう)する文化なのか?」


 代々受け継ぐ称号ということなのだろうか。号付きの名前に違和感を感じて聞き返すと、レアーナは訳知り顔でニヤニヤ。


「ちょっと違うかな。ねえ、見せてあげてよ。そのほうが言葉より判りやすいよ」


 レアーナがそういうと、シメオンの身体に変化が現れた。

 頭がぐねぐねと波打ち、形が溶け崩れていく!


「う、うえぇぇぇ!?」


 思わず、変な声が出てしまった。

 頭はみるみるうちに溶け崩れ、その体積は胸へ、そして腕へと順次流れていく。

 そのまま手甲(ガントレット)の上を這い、繋いだままのレアーナの手へ、腕へと這い上る。


「くすぐったい」


 レアーナは目を細め、むずがゆそうな顔。

 しかし俺の目は、シメオンの体内から現れた物に吸い寄せられた。


 現れたのは、鈍い金色に輝く真鍮製の、直線的な構造の骨格だった。背骨に当たるのは一本の棒。垂直にくみあわされた鎖骨に当たる横棒。肋骨は無く、関節は球状や、一軸の機械的な回転接続になっている。およそ生物的では無い。

 頭はすっかり形を失い、背骨の頂点、(あご)の辺りには金属製の(ざる)がある。その中にはこんもりと小山を作る、2センチ角ほどの立方体。

 手に取ってみると、一つ一つ文字が浮き彫りになっている。


「これって……活字か?」


 いや、これは印刷用の活字じゃ無いな。鏡文字になっていない。表示専用に作られた物だ。


(そうか! これが『こんばんは』の正体か!)


「わかった? こっちのドロッとした身体が濘水(ねいすい)人。そっちの金属製の骨組みは乗り物なの。『歩行杖(ほこうじょう)』っていうんだよ。歩行杖(ほこうじょう)のシメオン号。だからこれに乗った人はシメオンを名乗るってわけ」




 嵐の夜が明け、朝がやってきた。

 朝(もや)の漂う森の中。地面はしっとりと湿り、木々の葉には朝露がきらめく。


 シメオンの行き先も俺たちと同じコパラ・カルパということで、彼(?)も同行することになった。

 俺たちは、昨晩使った薪の代金に1デナリを置き、街道へと戻る。

 三人なので、二人の延長線上にもう一人が進むやり方で、直線的に進めるので、森を通り抜ける街道を探すことは容易だった。


「でろんでろんだな……」


「これ、お腹壊すよね……」


 街道に置き去りにした荷物で、防水されていない物はすさまじい状態だった。

 叩きつける雨で段ボール箱は溶け崩れており、ペットボトルは周囲に散乱している。

 肉もチーズもふやけたうえに、風で舞い上がった木の葉や雨で跳ね上がった土で汚れて、口に入れられそうな状態では無い。パンなどはもちろん原形をとどめて居らず、地面にへばりついた練り物(ペースト)にしか見えなかった。


「とりあえず、次の街に急ごう。ここじゃあ立て直しも出来ないし」


 台車にペットボトル、キャリーケースを回収すると、俺たちは次の街へと歩き始めた。




その道すがら、俺はレアーナから、シメオンとの出会いを聞いた。


「私がまだ若木の頃、川遊びをしてた所に、引っかかったんだよ」


「引っかかった?」


「そう。上流から流されてきたの。身体に絡まって、仕方なく水から上がったら、うにょっと動いて。あ、これ生き物だ、って判ったんだ」


「身体一つで流れてきたってことか。でもどうやって話をしたんだ? 発声できないから活字を使ってるんじゃ無いのか?」


「子供の会話なんて、身振り手振りで十分! しきりに一方へ伸びようとするから、それに従って進んだら歩行杖(ほこうじょう)があったってわけ」


「そもそも、なんで流されるような羽目に?」


「水に入りたかったんじゃ無いかな。濘水(ねいすい)領は湖が殆どで、濘水(ねいすい)人は水の中で暮らしてるんだって。私にとっての森の中みたいなもんで、休んでたんじゃ無いのかな。乗り物なんだから、ずっと乗りっぱなしだとくたびれるんだと思うよ」


 見たところ動力も無いようだし、自力で動かしているなら体力を使うのかもな。人間が竹馬に乗って水上を移動するのに相当するのだろう。


「これなんだろうって近づいたら、歩行杖(ほこうじょう)にするするっと巻き付いて話せるようになったんだ」


 コツン、カチャ、ガッ


 シメオンの顔をみると、「そ」「う」「い」「う」「こ」「と」の六文字。


 ふーむ。生態が違う生き物なのに、意思の疎通に問題が無いとはな。

 人間や妖精は形状の酷似した発声器官を持っており、聴音器官も可聴域はズレがあるにしろ、同じ周波数帯を聞き分けることが出来る。

 意思の疎通に音声を用いるのは自然なことであるし、そこから定型化された言語が自然発生するのも当然といえる。


 しかし濘水(ねいすい)人は発声器官を持っていない。聴音はできるようだが。

 にもかかわらず、同じ発音を持つ、同じ文字体系が生まれるだろうか。


 全く形態の異なる知性体の、同一の言語体系か。後天的に獲得した、学習の成果だろうか。それとも言語体系に係わる、この世界のみの特別な法則が存在するのだろうか。

 これは知る必要があるな。




 昨晩から何も食べていなかったことを、空腹で思い出した俺たちは、とっておきのカップ麺を朝昼兼用でいただく。

 シメオンは熱い物は苦手らしく、水で溶いてペースト状になったエナジーバーを摂取した。

 当然、口の無いシメオンの摂取法は特殊で、直接胴体に流し込み時間をかけて消化する。アメーバ等の原生動物が食物を取り込むのと類似した摂取法だ。

 “食べる”より“摂取する”が相応しいだろう。


 昼過ぎには目的地である二つ目の宿泊地に着いた。

 村は森の出口に隣接しており、外縁側の林業と、中央側の農業で生計を立てているようだ。


「予定より半日以上の遅れか。もう今日中に次の宿泊地に向かうのは無理だな」


「一晩ゆっくりしたいよぅ」


「よ」「る」「は」「あ」「ぶ」「な」「い」


 意見の合致した俺たちは、この日の残り時間を体制の立て直しに当てることにした。



 この村は街道に沿って長く伸びており、すべての家屋は道に面している。外縁側は、森から切り出された木材が山積みされた貯木場になっており、次に材木加工場、中央側には民家や商店が固まっている。


 こういった街道沿いの村や町には、宿泊施設が必ず一つはある。

 徒歩や荷馬車で移動する零細な行商が、生活に必要な物資を相互に運び、貴重な現金収入をもたらし、同様に徴税吏(ちょうぜいり)が全国を行き来するからだ。

 そのため、量や質を考えなければ、旅行に係わる消耗品や耐久消費財は、どこでも手に入れる事が出来る。

 豪雨で濡れ鼠になった俺とレアーナは、さっそく雨具を買い求めた。旅人は手を塞ぐ傘は使わないので、いわゆるレインコートと言うことになる。

 壁のハンガーに陳列された古着のコートを見比べてうんうん唸っていると、さっさと自分の分を選んだレアーナが見かねて選んでくれた。


「うん。かっこいいとおもうよ?」


「そうか? ちぐはくじゃないか?」


 レアーナの選んだのはいわゆる二重回し(インバネスコート)と帽子だ。外套(コート)部は毛羽立てた羅紗(ラシャ)肩掛け(ケーブ)部はなめし革になっている。袖があるから、洋装式だな。

 これだけ見れば、某英国探偵風でイカすんだが、中がスウェットだからなあ。全体で見た時に、なんとなくしっくりこない。

 帽子は渋茶色の革製で、形状はウエスタンハット風。しかしつばがかなり広く、肩幅ぐらいあって先端が重さで垂れ気味だ。見るからに笠と同じ用途でつかってくれって感じだ。


 レアーナ自身は頭巾(フード)付き肩掛け(ケープ)を選んでいた。厚手の綿キャンバス地で、起毛して柿渋らしき染料で染めてあり薄茶色。前開きで、首元に留め金に引っかける飾り付きの鎖が3本。風でめくれ上がらないように、重りとして四隅に三角形の真鍮金具が付いている。その先には大きめの飾り房を垂らし、四辺にはへり飾り(フリンジ)が付いている。頭巾(フード)は大きく、顔がすっぽり隠れて見えなくなるくらいだ。


「そっちはまた、ずいぶんと小洒落てるな。文句なく似合うと思うぞ」


「でへへ。ちょっとよくばっちゃった」


 照れてはにかむレアーナ。

 まあ実際、日本のサブカルチャーでよく見る妖精(エルフ)の、野伏(レンジャー)狩人(ハンター)かといった、いかにもな風体(ふうてい)だ。漠然と持っていたイメージに沿った姿は大変しっくりくる。

 少々お高いようだが、差額はこの笑顔の代金と思っとこう。




 そのまま精算をすませて、小間物屋から待ち合わせの宿屋に向かう。

 シメオンは雨具が必要ないとのことで、先に宿を取りに行ってもらったのだ。

 雨具を買うと言ったら、「ふ」「べ」「ん」「だ」「な」との返事。

 シメオンにとっては雨は恵みで有り、降ってくれれば、体表に付着した埃が落ちるわ、足りない水分が補給できるわで、濡れた方がありがたいらしい。


 ここの宿屋は入るとすぐに受付ロビーになっていた。ロビーから続きの、調度品は最小限だが品の良いサロン。正面には帳場(カウンター)。その隣には上への階段がある。フォーマルでホテルっぽい作り。

 帳場(カウンター)には、ちょっと古風な燕尾服のフロントが立っており、そのまえでシメオンが微動だにせず待っていた。

 宿帳はすでに書き終わったようで、カウンターの上には輝くルームキー。


「おまたせ~」


 レアーナがシメオンに駆け寄っていく。

 ロビーに立っていたクローク係が俺に寄ってきて、台車とキャリーケースを預り、クロークルームに運んでいった。単なる宿屋で無く、ホテルとしてのサービスが付いているようだ。

 俺が帳場(カウンター)に着くと、フロントが(うやうや)しい一礼。


「おそろいのようですね。では客室係がお部屋までご案内いたします」


 そういって、帳場(カウンター)に置かれた、瀟洒(しょうしゃ)な金色の呼鈴(ベル)を取り上げ、軽く振る。


リリーン


 澄んだ音がロビーに響く。


「どうぞこちらへ。お足元にご注意を」


 階上から現れた客室係の女性が、慣れた足取りで俺たちを上へと先導した。




 通された部屋は、二間続きのスイートだった。

 内装は豪華ではないものの、見るからに高級で品のある作り。

 ここが外縁の小村であることを考えると、この宿で1、2をあらそうような部屋だろう。


 当たり前のようにすたすたと入って行くシメオン。だが、俺とレアーナは、リビングに入ったところでガチンと固まってしまう。


「おい、流れのままに来ちゃったけど、これ不味いんじゃ無いか? 一泊いくらかかるんだ?」


「わ、わかんないよ。わたし、こんないいとこ泊まったこと無いし……」


 脇を肘で小突きあいながら、小声で相談する。


「私、ちょっと聞いてくる!」


 不安で青くなったレアーナは、たまらずシメオンの所に飛んでいった。


「……では、ごゆっくり」


 客室係は、入り口で固まった俺たちを怪訝(けげん)な顔で見ていたが、何も言わずそのまま去って行った。

 まあ俺も、シメオンが何故この部屋を選んだかは聞きたいところだ。

 客室係が置いていったキャリーケースを転がしながら、寝室の窓を開けているシメオンの所に向かった。


 リビングの隣は、ツインの寝室になっていた。


「まかせなさい、だって」


 先に話を聞いたらしいレアーナは、なんだか良く分からない妙な表情。どういう聞き方したんだよ。


「シメオンさん、何故この宿を選んだのでしょう。この格式は、私とレアーナには少々見合わないようなのですが」


 すると間髪入れずに返事。


「わ」「た」「し」「の」「じ」「よ」「う」「や」「ど」


 わたしのじようやど? わた……私の……じよう……ああ、定宿(じょうやど)か。

 持てる活字の数が限られているのか、子音の活字を持って無いようだ。

 まるで旧仮名遣いの日本語を見るようだ。


コンコンコンコン


 そこに、儀礼的なノック音。シメオンが扉を開けると、客室係とボーイが数人。


「お客様、寝台をお持ちしました」


 そういって運び込んできたのは、豪華な箱だった。足つきの真鍮製で、専用の蓋が付いている。

 猛禽の頭や翼をイメージさせる意匠があちこちに施され、一部が赤や青の顔料で彩色されており、全体的なデザインはエジプト風ともアラブ風とも取れる。どっかで見たような気がすると思っていたら、映画に出てきた聖櫃アークに似てるんだ。


 シメオンが、手振りでちょっとした指示を出すと、寝台(?)は慣れた手つきで寝室に設置された。

 どうやら、何度も行われたことがあるらしく、補助ベッドのようなサービスらしい。

 重そうな蓋が外されると、中は空洞になっていた。磨き抜かれた美しい金属面。これ、沐浴槽か?


 ボーイ達が、手押し式の水槽から純水を流し込んでいく。


「ふ」「た」「り」「は」「し」「ん」「だ」「い」


 シメオンがツインのベッドを指して言う。


「そっか。シメオンはシーツの上には寝られないもんね」


 納得したらしいレアーナは右のベッドを占領して背嚢を降ろし、装備を外し始める。

 俺もようやく判ってきた。シメオンはこの水の寝台がある宿にしか泊まれないのだ。この部屋だって、本来人間が二人で泊まることを考えて作られている。シーツの上は、俺たちが泥濘(でいねい)上で寝るようなものなのだろう。濘水(ねいすい)人が泊まれる宿は、案外少ないのかも知れない。


 水で満たされた寝台は、また蓋が被せられた。

 夕食時まで手持ち無沙汰になった俺たちは、今のうちに入浴を勧められた。シメオンはお湯に浸かる文化は無いとのこと。


「ずっと身体冷えてたもんね」


「雨に濡れると、乾いても皮脂で髪も服もゴワゴワになるからな」


 俺とレアーナは換えの服を持って、大浴場にやってきた。

 入り口で左右に分かれ、脱衣場へ。篭に入った麻の袋に汚れ物を入れると、あとは石造りの浴室へ。

 商用と思われる人達が思い思いにくつろぐ中、いそいそと洗って湯船へドブン。さすが高級ホテル。湯量も十分!

 ちょっと熱めのお湯に、ゆでだこのようになりながら上がると、洗濯(ランドリー)サービスのカウンターに麻袋に入れた汚れ物を出す。

 これで翌朝出発前にはルームサービスで届くそうだ。


 大浴場前の廊下で二〇分ほど待つと、やっとレアーナが出てきた。


「♪~」


 薄く日焼けした肌に、淡いピンクのワンピース。油を補充されて、かすかにきらめく秘色(ひそく)の髪。

 鼻歌を歌いながらの満足顔で、昨日のべそをかいてた姿が嘘みたいだな。


「おまたぁ~せ~」


 鼻歌の旋律(メロディー)で言いやがった。

 男と女の入浴時間は、とかくこうなりがちだ。しかたない、しかたない。



 部屋に戻ると、シメオンは書き物机で手紙を書いていた。

 このホテルは商用の人間がよく利用するためか、大きめの書き物机と文房具(ステーショナリー)がそろえられている。どうやら文面はしたため終わったようで、吸取器(ブロッター)で、コロコロとインクを乾かしていた。

 歩行杖の手足は、籠手(ヴァンブレイス)手甲(ガントレット)脛当(グリーブ)鉄靴(ソルレット)の部分は人間の鎧と変わらない。

 これは乾いた地面を歩いたり、人間の生活圏で同じ道具を使う為だろう。



 他人の手紙を覗く趣味は無いので、ソファーでくつろごうとすると、となりのレアーナがそわそわしている。興味がわいたのか手紙を覗きに行こうとするレアーナの手をはっしと掴んで、その企みを阻止すると、リビングのソファーに腰を降ろさせた。俺もその隣に腰を降ろし、ほてった身体を扇ぐ。


「他人の手紙を覗くなんて、お行儀が悪いですよ?」


「えーっ? シメオンは怒ったりしないと思うんだけど……」


 すまし顔で注意すると、いたずらを見つかった子供のような表情。

 手紙を丸めて封蝋をほどこし、宛名を書き込んだシメオンは、書簡を示して言った。


「だ」「し」「た」「ら」「し」「よ」「く」「じ」


 出したら食事、か。全部表音文字だと、理解に時間がかかるな。


 表音文字のみを使う場合、人間の声帯の発声能力と、耳の聴音能力にはばらつきがあるため、相互で区別できる音が最大公約数的に制約されるので、数多有る言葉を個別に表記するために、どうしても単語の文字数が多くなり、発音も微妙な差異で区別する必要が出てくる。

 ゆえに、表音文字言語は、語彙の拡張を長大な単語で行ったり、修飾語過多の文になるなど、記述においての限界が低い。

 ロンゴロンゴ文字、ヒエログリフ、トンパ文字、アステカ文字などの絵を起源ルーツとする表意文字は、音楽の次に、異種族間の相互交流に有利なツールたり得る、というのが俺の持論だ。




 シメオンは一階の広間ロビーまで降りて、フロントに書簡を示して会話を始めた。


「……」


「はい、こちらで承ります。お急ぎですか?」


「……」


 シメオンの会話は、話している相手以外は伝わらない。(はた)から聞いていると、暗号通信だな。使い勝手は手話に近い。


 広間ロビーはたくさんの商人達が集まっていて騒がしかった。俺は手続きが終わるまで、商人達の会話に耳を傾けた。


「コログミンタを通るやつは居ないか?信書2通だ」


「反転側からで時間がかかって良ければ、わしが引き受けよう」


「チャウルアンカの近くを通る者は? 商工業協会留めでもいいぞ」


「速配! 速配だ! 手間賃をはずむから優先でたのむ!」


 商人達は、麻紐で束ねた不揃いの封書や書簡を手に声を上げる。どうやら郵便物の受け継ぎをしているようだ。

 肩に手が置かれる。振り返ると、シメオンが居た。


「き」「よ」「う」「み」「が」「あ」「る」「の」「か」


「……私の居たところとは異なる制度なのでね」


 どうやら郵便局のような、郵便物の配送を専任で行う機関は無いようで、街道に沿って移動する商人達がそういった業務を担っているようだ。行き先の違う郵便物でもとりあえず引受け、商人間で行き先に合わせてやりとりをする事で、最終的に目的地に到達させる仕組みなのだろう。

 引き受けるのが商人であるため、その保証は彼らの信用を担保に行われる。

 当然、郵便事故等もあり得るのだろうが、その為に手紙を複数、別ルートで出すことも行われるようだ。配送相手を指定の信書、速度優先の速配、引き継ぎを待つための商工業協会留めなど、現在の郵便制度にもある特別な手段もあるようだ。

 そこにフロントマンが先程の書簡をもって加わる。これは差し出しに間に合ったってことなんだろうな。

 交渉をする彼らを横目に、俺たちは食事に向かった。




 落ち着いた調度品で品良く飾り付けられた、大食堂。

 腰の高さのフラワーボックスや観葉植物のプランターで仕切られた、4人掛けのテーブルセットがならんでいる。


「席にご案内いたします」


 入り口脇に控えていた給仕(ボーイ)が、流れるような動作で先に立つ。それに自然について行くシメオンと、ギクシャク追いかける俺たち。


「どうしよう。ここも高そうなんだけど」


「どうしようもないだろ。任せろって言ってんだから」


 ぼそぼそ小声で話し合う俺たち。給仕(ボーイ)たちは、聞こえているのかいないのか、実に礼儀正しい。

 案内されたのは、奥まったところにある、周りと仕切られた半個室の一つ。給仕(ボーイ)が椅子を引いてくれる。

 丁寧に持てなされるたびに感じる、薄ら寒い場違い感。

 席前には畳まれたナプキンと大きな皿。その横には既に品書きが用意されている。


・早秋の香りの前菜

・きのこと人参のポタージュ クリーム添え

・甘鯛と香草の蒸し焼き(ポワレ)

・ブルーベリーの氷菓(シャーベット)

・子牛のひれ肉あぶり焼き(グリル) 赤ワインと牛の強酒精ソース

・甘栗の糖衣がけ(グラッセ)と洋梨のタルト

・お飲み物


(ひえぇ……)


 正餐(フルコース)じゃねーか!


「じゃあわたしはぁ――」


 はっと、レアーナを見ると、品書きを見て給仕(ボーイ)に注文しようとしてる! ばっか、品書きから選ぶんじゃねえよ! 正餐で注文するんじゃねえ!

 案の定、料理は順に出て参ります、と教えられて、真っ赤になって固まってしまった。


 大皿の上に料理が載った皿が置かれ、その度に食器(カトラリー)が取り替えられる。


「空豆の冷製クリームスープでございます」


 俺とレアーナの料理は同じだが、シメオンは噛まなくてもいいように調理されているスープ系が主のようだ。歯がないからなんだろうな。

 しかし――


(味がわかんねえ)


 緊張で味わう所じゃねえよ。俺は大衆食堂向きの舌だわ。



 食事を終えて部屋に戻った俺とレアーナ。お互いに顔を見合わせると溜息。


「「つかれた~」」


「わ」「は」「は」


 静かな笑い。


「こ」「れ」「が」「り」「ゆ」「う」


「泊まれる宿に制約があるって事か」


「だ」「か」「ら」「し」「ん」「ぱ」「い」「な」「い」


 うなずくシメオン。身振り手振り(ジェスチャー)は、濘水人にとって外来語なのか、同じ動作だな。

 ただ、こちらが目を離していると会話が出来ないのが、濘水人の困り所だな。


「よ」「い」「ね」「む」「り」「を」


 そういって、寝台の蓋をずらすと、その中ににゅるんと滑り込んだ。

 とぷんと、水の揺れる音。後には、抜け殻の歩行杖が残った。


 ほんとに乗り物なんだな。乗りっぱなしの外泊は、俺たちの車中泊と同じで、負担になるんだろうな。




 水音で目が覚めた。

 むっくり起き上がると、沐浴槽からシメオンが起きるところだった。

 ゆっくり、水滴を散らさないように、ゆるゆると歩行杖に這い上っていく。たっぷり十数分かけて乗り込み終わると、シメオンの身体が心なしか鮮やかな赤になっていた。


「す」「つ」「き」「り」


 すっきり?

 それを見てピンときた。身体の色が鮮やかになっている所から見て、彼の睡眠は体液の代謝を含むのだ。明確な消化器官を持たない濘水人にとって、この水の中での睡眠は必要不可欠なのだ。


 商人達でごった返す、朝の食堂。

 ビュッフェ方式の朝食を自分で盛り付け、台車で卵を焼くコックにプレーンオムレツを注文する。

 出立前の商人達の慌ただしさに急かされるように、朝食を片付けていく。


「ふぁ~~~あ」


 レアーナの大あくび。寝惚け眼で、むぐむぐとオムレツを頬張る。


「なんで、こんなに早起きするのぉ?」


 レアーナの問いに、青汁(ケールスープ)(!)を飲んでいたシメオンは人差し指を振って答える。


「ら」「く」「を」「す」「る」「た」「め」


 意味が判らないレアーナは不服そう。


 朝食を終え、荷物をまとめて出立手続き(チェックアウト)の最中に、その意味が判った。


「コパラ・カルパ行きのお客様! 荷物の積み込みが始まりました! お急ぎくださ~い! コパラ・カルパ行きの――」


「あ」「れ」「に」「の」「る」


 そういって、シメオンは身体の中から取りだした硬貨で支払をする。

 鮮やかな真紅の紅玉(ルビー)。タラント貨!

 目を剥く俺とレアーナ。600万円相当だぞ!?

 しかし、フロントも慣れた物。粛々と伝票を付け、ミナ貨を初めとして、じゃらじゃらとおつりが帰ってきた。どうやらシメオンは常連の上客らしい。

 おつりを体内に飲み込んで、正面玄関に向かうシメオンに、俺とレアーナは荷物を引いて付き人のように従った。


 車止めで待っていたのは、四頭立ての箱馬車。後には商材と思われる荷物を積んだ荷車を引いている。行商人の馬車に同乗するのだ。


 荷運び人(ポーター)が協力して、馬車の屋根に荷物を積み終え、全員が乗り組むと、玄関脇につるされた鐘が鳴らされた。


カーン、カーン、カーン。


「コパラ・カルパ行き、出立~っ!」


 馬車が走り始める。後ろを見ると、次の馬車が車止めに入り、荷物の積み込みが始まった。

 座席に身を沈め、横目でシメオンを見る。


こいつ(シメオン)、いったい何をしてるやつなんだろう?)




 馭者をしている商人に話を聞くと、次の村には昼過ぎに、そこで昼食をとったあと、日滅前にはコパラ・カルパに入れるらしい。

 徒歩だと各宿場で、馬車だと一つ置きに宿場を使うのが普通だそうだ。鉄道の普通列車と快速列車の関係に似てるな。


「馬車でも歩きの2倍程度なのか?」


「お客さん、馬だって喉も渇けば、腹も減るんですぜ? ずっと揺られてばかりじゃあ、お客の尻も割れちまいますよ」


 俺が疑問を口にすると、そう返された。オヤジギャグが下品なのは、何処もおんなじかぁ。

 飼葉を積んで走っていない訳だから、行く先々で草を()ませる必要があるわけだが、発酵させていない生の草なわけで、一気に喰わせると腹を壊すのだそうだ。

 そのために、途中何度か小休止を挟み、乗客も身体を伸ばして休憩するのだ。



 一日の遅れをちょうど取り戻せる上に、身体も休まって一石二鳥。レアーナもそれを全身で享受し、すやすや眠っている。

 しかし、現代人の俺は、この時代の馬車の、懸架装置の劣悪さによる揺れで、酔わないように必死で窓の外を見つめ、小休止の度に地面に大の字になって転がることになった。



 俺の苦しみをよそに、馬車は軽快に走る。一路、コパラ・カルパへ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ