019:虻蜂取られ
ちっちっ。
ちゅんちゅん。
朝の競争に負けた、腹ぺこ達の騒ぐ声。
鼠禍が収まって、餌が増えてきたとはいえ、みんなに行き渡るのはまだみたい。
手に止まって、稗をついばんだ小鳥が飛び立つと、テーブルで待っていた次の小鳥が飛び乗ってくる。
初めは突っつかれたり引っ張られたりで、全身に集られてたけど、ずっと教えてきた成果が現れてきたぞ。
テーブルの上で順番待ちし、てのひらに止まれる数羽ずつ餌を食べ、終われば街へ飛び出していく。
巾着の稗にくちばしを出す、お行儀の悪い子は居ない。待てば餌にありつけると解っているからだ。
うんうん、いいぞ。
順番を順調に消化して、全て飛び去った後、大きく背伸びする私。
今日も樹の本分を果たしたぞ、っと。
邪魔が入らなかったからスムーズに……邪魔が? 入らない?
ばーん!
ケンの部屋に突入!
「あれ?」
室内は真っ暗。ガラス戸も鎧戸も閉まったまま。扉から伸びる光の中で、ベッドの輪郭がおぼろげに見える。
かすかにうなり声が聞こえるぞ。
「ケン……いるの?」
ベッドの上にはタオルケットの山。もぞもぞ動いてる。
中からぬうっと腕が現れた。苦しげなうめき声が漏れる。
たいへん!
私はあわてて窓にかけより、ばーっと開け放つ。
室内に光が差し込み、朝の雑踏が入ってくる。
ベッドの上のケンは、変な格好で固まってぷるぷるしてる。
「どうしたの! なにが――」
そういって触れた途端、
「ぐわぁーーーーーー!」
くぐもった悲鳴を上げた。よじれ、もだえるケン。
「筋、肉、痛ー。さわら、ない、でえ……」
……あーあ。
----- ◆ -----
「ちゃんと身体を使ってないからだよぅ」
「そうはいっても、そういう生業じゃなかったんだし……」
レアーナの小言付きの揉み解しを受けて、なんとか動けるようになった俺は、背中をぐいぐい押されて、商工業協会へ連行される。
「しっかり歩いてよ、もう。ちゃんとお腹も引っ込めてよね」
「はい……」
協会に持ち込まれる仕事は、大急ぎで人手を集めないとならない突発、その場限りの単発、公共福祉の側面も持つ公務と大別される。
良い仕事は取り合いになるから、絶えず協会に顔を出していないと、取ることが出来ない。
修練も、休めばまた今日のような筋肉痛が待っているだけだ。
休み休みでもやっていかなくてはならないと、レアーナに諭された。
人力に頼ることが多い、この文明レベルでは、手先を使う作業は同業組合が押さえていて、どうしても身体が資本になる。
この世界に来てから、まだ一月も経っていないハッカーには厳しいよな。
協会に入った俺とレアーナは、何のあてもなく掲示板を眺める。
「今のケンじゃあ、重たい物持つやつはダメだよねぇ」
良い物があれば即座に剥がして……。
そんな俺たちに、横合いから声がかかった。
「少々よろしいですか」
声のした方を見ると、衛視が二人立っていた。
「先日、街区で発生した事件についてお伺いしたい。さほどの時間はかかりません」
俺たちは、協会にある会議室と思しき、広い部屋に案内された。
扉を開くと、ざわざわとした大勢の気配。
室内は衝立でたくさんの臨時の小区画に区切られて、お互いが見えないようになっていて、そのうちの一つに通された。
内容までは聞き取れないが、右でも左でも事情聴取が行われているようだ。
「しかしなぜ、私たちに声を?」
「協会に訪れた方、全てにお話しを伺っています」
ああ、そういうことか。
住所から本人にたどり着くことが難しい番外地民に、早期の事情聴取が行われるのも当然だろう。なにしろ時間が経つほど散り散りになってしまうのだから。
最初に名前を聞かれた。
答えると、衛視は手元の綴りを確認する。
どうやら衛視にはあの仕事の従事者名簿が渡っているようだ。
「……あの場所に居合わせたようですね。その時の状況を話していただけますか?」
「はい。その日協会で人を大々的に集めているところに行き会いまして、報酬が破格であった事から参加しました」
「それで地下へは?」
「私が潜りました。彼女は地上の放水班です」
俺は発見時の詳しい状況を、何度も聞かれた。一度話し終わると、また違った側面からもう一度。
発見者の一人でなければ、聴取はあっさりと終わったのだろう。
まるで供述の食い違いを見つけようとしているかのような、執拗さを感じた。
聴取を終えた俺は、そわそわ落ち着かなかったレアーナと一緒に大広間に戻ってきた。
「なんだかんだで時間を取られたな」
「私、途中から居るだけだったよ」
仕事を探しに来たのに、出鼻をくじかれてしまった。
(何処まで見たっけな)
掲示板に向かって歩いて行くと、受付ブースから身を乗り出すようにして手招きするミランダ女史と目が合った。合ってしまった。
反射的に愛想笑い。小さく会釈して目をそらす。
このまま流そうとしていたら、レアーナも気がついてしまった。
「なんか呼んでるよ?」
そう言って、スタスタと受付に向かっていく。
(あっ!)
まさか、「行ってはいけない」とは口に出せない。
(あっ、あっ!)
俺が手をこまねいている内に、受付に着いてしまった。
耳打ちされたレアーナは、一緒になって俺に手招きする。
(あー……)
俺は仕方なく、歩く方向をミランダ女史のブースに変えた。
「ちょっと、聞いた?」
「はあ、何をでしょう?」
俺たちが席に着くと同時に、世間話が始まってしまったぞ。
「この間の事件のこと。亡くなった人達、あの街灯点火の作業中に死んだ人が多いらしいのよ」
「そのことなら知ってます。私たちも現場にいましたから。いままで事情聴取されてたんですよ」
「ケンも見つけた一人なんだよ」
レアーナが自慢げに口をはさむ。自慢にならないからね。
これはあれだ。小学生ぐらいの時には、骨折してはめたギブスが勲章になるような感覚だな。
「あら、知ってたの。なんだか悔しいわねえ。じゃあ、『どうやって殺されたのか判らない』ってのはどうかしら?」
「は?」
「え? 夜、一人で居るところを襲われたんじゃ無いの?」
レアーナが困惑顔で聞き返す。
「それは『いつ?』でしょ。『どうやって?』よ」
「『何故死んだか』が判らない、ということですか」
ミランダ女史が、満足そうな笑みを浮かべる。
「そうそう。衛視が犯人の目星を付けるために、どんな凶器を使ったのか、葬儀前に遺体検分したのよ。でも、撃たれたり切られたりした傷がどこにも見つからなかったの。そもそも『抵抗した跡が無い』んですって。だから顔見知りの犯行じゃ無いかって考えてるみたいね」
なるほど。番外地民のなかに居る可能性が高いと考えられてるのか。
俺も、発見者であると同時に容疑者なわけで、事情聴取が執拗だったのはその為か。
「なんてこと無い仕事なのに頻繁に逃げ出すから、私もなんだか妙だなと思ってたのよ。中村さん、やらなくて良かったわねえ。運が良かったわ」
「いやいや、勧めてましたよね?」
会話が止まった。気まずい沈黙。
「……まあ、それはそれとして。今日の依頼はどんなのさがしてるの?」
ミランダ女史が表情も変えず、無頓着に話題を流す。すごい精神力だぞ。
「……半日で終わる軽作業を探しています。継続的に半日費やす用事と両立したいので」
「うーん、軽作業ねえ……」
重量物を扱う、土木や建築以外って事だが、これがなかなか難しいらしい。
「あ、私は身体使うの大丈夫だよ。今までは果樹園でお手伝いしてたんだけど、ケンが心配だからなるべく近くに居たいんだよね」
レアーナが、ちょっと手を上げてアピール。
「中村さんは、ちょっと時間がかかりそうねえ……サマンサ。いま手、空いてるわよね。この娘の斡旋見てあげて」
ミランダ女史は隣の窓口に声をかけて、レアーナをそっちに誘導する。
「じゃ、いってくる。おわったら戻ってくるからー」
自分の順番がくるのを、そわそわして待っていたレアーナは、早速隣に移っていった。
ミランダ女史は、洋筆の軸で机をコツコツと叩きながら、手元の綴りを眺める。
「……同業組合のかんでない半日の仕事となると、行ってすぐに仕事にかからないとならないわ。つまり、誰でも取り替えが効いて、習熟が必要無く、でも人に頼む必要があるってことよ? それって身体を使う仕事ぐらいしかないのよ」
熟練を要する、手先を使う作業は、継続性が肝で有り、長期に勤めることが要求される。それは同業組合の領分となる。
これ以外となると事務作業があるが、これらはみな一日拘束かつ長期になる。同じ人が長期的にやらないと、毎回引き継ぎをしなければならないからだ。
残るのは軽作業では無く、単純作業ということになる。
「何か手に付いた技能が有ればいいんだけど。中村さん、読み書きはできるのかしら?」
「読み書きですか。もちろんできますが」
「どのへんまでできるのかしたら。音字だけ? 意字までいけちゃう?」
「音字はどちらも出来ます。意字はあらかた読めますが、普段使わない複雑な意字の書きは記憶があやふやです。見れば書けますが。専門用語は勉強の必要がありますね」
「うーん……それならなんとかいけるかしら。じゃあこの依頼書なんだけど――」
仕事の申込を済ませた俺たちは、食堂街で昼食を済ませた後、午後から修技館で鍛錬中。
「ひぎぃ! いたたたた! ひぎぃ! ――」
これは分銅上げをしている俺の口から、勝手に漏れる声だぞ。
昨日の今日では致し方ないとはいえ、大変みっともないな。
レアーナはずっと我流でやってきたので、弦の離れが上手く行かないようだ。
明後日の方に飛んだり、矢を取り落としたり、ぽてんと手前に落ちたり散々だ。
「ひい……ひい……」
俺はドタドタと修練場を周回しながら考える。
(死因不明か……)
暗殺にしたって、死因が判らないように殺すには、熟練の技術が必要だ。俺なんかでは眠っている相手にも出来ないだろう。
起きて活動している相手を、抵抗させず傷跡も残さず殺すなんて、とんでもない手練れだが、そんな腕前を持った奴が殺すには番外地民は見合わない相手だ。財産も地位も無く、放っておいても、いずれ別の街に出て行くのだ。
(一人の時とはいえ、リスクを冒してただ殺す。快楽殺人? それとも……)
意識は身体から切り離され、思考の迷宮で遊ぶ。
ああ……お手軽にレベルアップで体力が上がったらどんなに楽か。異世界ってこんなだっけ?
----- ◆ -----
「1週間ほど前、流れてきたってことかしら?」
「それぐらいだったと思うぜ。番外地に来るにはずいぶんな大荷物でさ。カワイイ妖精のお嬢ちゃん連れてたけど、親子って感じじゃねえんだよな。いい仲にしちゃ、ちっと歳が離れすぎてるかな」
「連れの女の話はどうでもいいわ。で、その男、どこから来たのか知らない?」
「それが判らねえんだ。妙な事に顔見知りの奴が誰も居ないんだよ。変わった風体だし、あの取り合わせだ。だれも覚えてないってのは、ちょっと考えられねえ……」
机に積んだ硬貨に1デナリ積み増す。
「……ありがたいが、ほんとに判らねえんだ。別の街の番外地に居たにしたって、顔見知りぐらいいるもんだ。街区に住んでたにしては定職にも就いていない。同業組合に居たわけでも無い。農民が土地を捨てるなんてあり得ない。じゃあ、あの歳までなにして生きてたんだ、ってな」
「否定的な情報でも、確定すれば役に立つわ。じゃあ、この街にどうやって入ってきたのかは?」
「そっちはもう完全にお手上げだ。どの足を使ったかを当たった方が早いな」
「ふうん。参考になったわ、ありがと」
積んだ硬貨を相手の方に押しやり、椅子から立ち上がってスカートの埃を払う。
喫茶店を出て、少し思案。
(妖精の同行者か。領外の線が濃いかな。発着場で槽車……駄目なら駅馬車にあたってみましょう)
「ふふっ」
思わず笑いがこぼれる。
なんだろう。わくわくする。贈り物の箱を開ける、あの感じ。
「さあて、あなたは何者なのかしら?」
----- ◆ -----
ばーん!
もぞもぞ、ごろごろ。
やっぱり! イモムシが転がってるぞ。
「ケン! 痛いのは判るけど、もう起きないとダメ! 私もう仕事に行くから、起こしてあげられないよ!」
「うう……起きてる」
「目を覚ましてるだけじゃない!」
窓を開け放って、早朝の爽やかな風を入れてから、ベッドに上がってタオルケットを剥ぎ取りにかかる。
「ひ、ひぃーっ」
ケンの情けない悲鳴。抵抗しているぞ。
よーし……。
「こらーっ、あ、き、ら、め、ろっ!」
ケンに馬乗りになって裾を掴んで、巻き取るようにぐいぐい!
「いだだだ」
すぽーん。
タオルケットを奪い取ったぞ!
私の勝ち!
「おまたせしましたー」
朝から大勝利を収めた私は、気持ちよくお仕事中。
ここは食堂街の喫茶『シンドール』。
普段は家族3人だけで切り盛りしてる純喫茶なんだけど、仕事に出る人達のために朝だけ、店前の道にテーブルを広げて軽食を出してる。
夫婦がひたすら調理、給仕はここのちっちゃな娘がやってるんだけど、回転が速くて給仕の手が回らなかったんだよ。
その求人に私が引っかかったって訳なんだ。
朝食の繁盛時のお手伝いで、お給金は普通なんだけど、お客が途切れた頃に賄いで朝食が出る。お得だよね。うへへ。
どんどん入れ替わるお客さん。お客さんだけの所にどんどん朝食を運び、空いた食器をどんどん片付け。娘は精算に専念出来る。
早く出すために献立は一種類。トースト2枚、ゆで卵にホットミルク。一緒に買える昼食包みには、焼いた鶏肉とレタスを切り込みにはさんだコッペパン。油がパンに染みておいしいんだ。
「お待たせしましんが」
髪が引っ張られて、頭が仰け反った。ぐいぐい引っ張られてるぞ。
「いだだ!」
上しか見えないから、手探りでテーブルに食器を置いて、身体をひねって後ろを向く。
「?」
犯人と目が合った。
無垢な瞳。ぽってりした顔。
後ろの席のお客さんに背負われた乳児だ。
私の髪をしっかり掴んで、こっちを不思議そうに見返してる。
「放して欲しいな。痛いよ」
できる限り優しい声で話しかける。
「……きゃっ!きゃっ!」
乳児は大喜び。笑いながら手をバタバタ。
再度ぐいぐい。逆効果だった!
騒ぎに気がついてお母さんが振り返る。
「きゃーっ!」
すごい握力で握られてる髪が、引っ張られてつんのめる。
さらに酷いことになっちゃった。
周りのお客さんを巻き込んで大騒ぎ。
なだめてすかして、乳児の手を振りほどくまで、散々に振り回されたよ。
----- ◆ -----
ギリギリギリ、バタン!
シューッ。
ギリギリギリ、バタン!
シューッ。
ひっきりなしに響く騒音の中、俺を含め何人もが、手に手に木枠を持ち、独楽鼠のように歩き回る。
「次の版、持ってこーい!」
(うわっ、急げ急げ!)
俺は今、活字拾いをしている。
DTP全盛、オフセット印刷が普及した現代では、滅多に聞かない仕事だ。
指定の場所に行った俺は、字を読めるかと問われ、うなずくと腕を掴まれてここに放り込まれた。
ツンと鼻を突くインキの香り。
周りの棚には、黒ずんだ鉛活字が大量に詰め込まれており、インキ染みだらけの作業着で男達が働いていた。
まだまだ安価ではない印刷は、役所で使う用箋や官報が主だが、高級層向けの論壇紙が多数発行されている。部数は僅かなんだが、版を用意する手間は変わらないのがやっかいだ。
契約には名前が自署出来るだけで良く、音字が読み書きできれば問題がないが、さすがに論壇紙の活字拾いは意字がわからないとだめだ。
そんなわけで俺は、貴重な即戦力として現場に放り込まれたのだ。
この世界の印刷機は、上から押版するグーテンベルグ式だ。輪転機はまだない。
印刷は枠版と字版の2版式。
枠のみを先に刷り、木枠に拾った活字を段組した字版を刷る。
インキは青黒の一色だ。カラーインキはない。
「これ活字の大きさが違ってる。本文6号、見出し5号だよ」
「はい、すみません」
怒られた。
鏡文字の字面はともかく、大きさなんてぱっと見、わかんねえよ!
せめて、号じゃなくてポイントで教えてくれよ。
「次の版、持ってこーい!」
(ひぇーっ!)
----- ◆ -----
「人間と樹精の二人組? ああ、覚えてるよ」
どうやら早速当たりを引いたようだ。
日を改めて、槽車発着場で噂を集めたのだが、役人はどうにも口が堅い。そこで荷役に就いている番外地民に水を向けてみたのだ。
「妖精領との公営客槽が盗賊団に襲われてな。そこから歩いてきたらしいぞ。極寒地を抜けて黄道にさしかかった、気の緩むところを狙うってのは常套手段だからな。まあ、あり得ない話じゃあ無いよ」
「ふうん、ほんとに足で来たなんてねえ」
「あん?」
「独り言よ。で、それが2週間ほど前って事?」
「だったと思うよ。ひょっこり歩廊の上に現れて、驚いたもんだ。珍しいから、みんな覚えてると思うぜ」
「……そう。ありがとう。これはお礼。内服薬だから、疲れたら水かお茶で飲んでね」
分包を手に握らせる。
「ああ。こんな話で良かったのかい?」
「ええ。私、興味のあることには貧欲なのよ」
労働者と別れて、情報を整理する。
「領外から来たのは確実ね。でもさすがに妖精領までは足を伸ばせないか……。こっちの線から追うのはこのあたりが限界かな」
閑散時を選んで店を抜け出しているが、聞き込みで足取りを辿るのはできても、長期の外出は無理だ。
公営客槽が襲われたなら、逃げ出せたのは彼らだけなのだろう。乗組員に話を聞くことも出来ない。
「さあて、どうしようかしら」
----- ◆ -----
2週間後。
ポロスボロスに住み始めた日から数えて23日目。
犯人は見つかっていないが、犯行もまた鳴りを潜めている。
人々は警戒にも疲れ始め、ポロスボロスは少しづつ平常に戻っていく。
番外地は相変わらず、人々の流入と流出を繰り返している。
俺は、曲がりなりにも技能を生かせる活字拾いの仕事を軸に、突発の仕事で上手く間を埋めて稼いでいる。
活字拾いの手際も良くなり、叱られることもぐんと減った。
レアーナは斡旋された喫茶店の給仕で、ただ飯にありつけて満足そうだ。
喫茶店が休みの日には果樹園まで足を伸ばし、手入れを手伝っている。
我が家の収入は安定し、固定費を払っても貯蓄が増えている。
朝の小鳥たちも滅多に訪れなくなって、俺は楽に過ごせるようになった。
レアーナと連れだって昼食を一緒に取った後、午後は修技館を訪れる。
レアーナはつがえ方の癖を矯正され、今度は狩り向きの膝射から、戦闘向きの立射に切り替えている。
『やりにくい』と、こぼしながらだが。
俺は、と言えば……。
ジョージに、あの応接室に呼び出されていた。
「体力作りを初めて2週間。そろそろ身体も出来てきたのでは無いか?」
「正直忘れられているんじゃ無いかと思っていました」
ははは、と笑い飛ばされた。
「それでは、ケガをさせてしまうだろう。目は配っている。若い頃のように急速に、とはいかないだろうが、身体の痛みも消えてきただろう」
「ええ、それは感じます。朝、ベッドの中で悶えることも無くなってきました」
「身体が変わってきたのだ。誠に結構! 今日から少しづつ、実際に武器を握っていく」
机の上に提示された紙。武器の絵図が書かれている。
「これは当修技館で教えることの出来る武具一覧だ。健一郎殿の目的は逃げ延びる術、だったと記憶している。そこでその目的に合わない武器をまず排除する」
ジョージはその一つ一つを指しながら説明していく。
「大分類として剣、刀、槍、弓の4つがあるが、受け払いできない弓は排除する」
弓のグループにバツ。
「次に対鎧の重量武器を排除」
両手剣、斧、斧槍、戦斧、鎚が消された
「さらに逃走の妨げになる、集団戦用の大型武器を排除」
槍、薙刀、も。
「最後に敵に肉薄する必要のある武器を排除する」
短剣、短刀が消された。
一覧に残ったのは、
・剣技
突剣
片手剣
・刀技
長刀
細刀
曲刀
・槍技
錫杖
「この辺りが健一郎殿の目的にかなうと考える。この中から一つを選び取ろう。いくつも覚える余裕はない」
武具置き場に行き、久しぶりに木剣を手に取る。もう、重さでつんのめることは無い。
握り方の指導を受け、そのまま止まった的を攻撃するように指示された。
「ゆっくり扱うんだ。正しい握りかた、正しい構え方、正しい振り方の形を作っていこう」
ジョージが顎を撫でながら忠告。
かん。かん。
「当てた瞬間の向きに注意だ。刃を斜めに当てては棍棒と変わらん。すっぽ抜けるのを恐れる余り、柄を巻き込んで握ろうとしているようだな」
どうやら俺には、手首を捻る癖があるらしい。
「手首の向きを変えないように、打ち込みだ」
----- ◆ -----
あの男の行動は安定していて、特別な行動は見受けられない。
「イライラするわね」
修技館の適性審査は心魂摂理の中から武術の形を見いだす。
その武器を使う人には、同じような形が出来るので、相似形を見つけるのだ。これは絵合わせに近い。
逆に言えば、それ以外は見ていない。
しかしあの男は、莫大な心魂の中に大きな『何か』を抱え込んでいる。
なんとか似ている形を挙げるなら、彫金や細工だろうか。右筆にも似ている。でもそんな物じゃない。
単なる集積では無く、体系化されたいくつもの分野を網羅した、何らかの技術大系といえる形なのだ。
「間違いなく、何かの専門家のはずなのよ」
自分が見た事のない形。
一般には流布していない、知識か技術。
そんな物で思い当たるのはただ一つ。煉丹術の奥義。
「貴方はいつまで、そんなところで棒切れ振り回してるつもりなの? 呆け頭のふり?」
無意識に爪を噛んでいた。
もっと詳しく知りたいのに、どうにも手を出す口実が無い。
あの年寄りどもが秘匿する知識が、目の前でダンスを踊っているかも知れないのに。
それどころか、まだ見ぬ未知の……。
「なんとかして『分光器』にかけて……本式の精密な審査を……」
----- ◆ -----
武器を握るようになって2週間がたった。
あの事件からもう一月が経ったが犯人はいまだ見つからず、人々の噂話にも登らなくなってきた。
新たな犠牲者も見つかっていない。
俺は勧められた武器をまんべんなく使ってみて、技術水準も上げることが出来た。
10級だけど。
10級の認定試験は1デナリ。
手数料を見て、なんとなく受けてみたらあっさり全部通った。そろばんの10級みたいなもので、肩すかしを食らったような簡単さだった。
しかし、試験要領を見て納得。
『あんぜんなあつかいかたがわかり、ただしくかまえることができる』
すべて音字で書かれていることから、対象年齢も判ろうというもの。
しかし、そこから行き詰まってしまった。
「剣筋と刃筋が揃っていないぞ」
ジョージの指導。
刃を斜めに当ててしまう、刃筋が通らないのはなんとか直すことが出来た。
しかし、剣の軌道と一致しないのだ。
剣道の竹刀なら、刃筋が通っていれば物打で打突できる。結局の所、棒なわけで、ルールを考えなければ、剣筋は少々ずれていても問題ない。
しかし真剣の場合、インパクトの瞬間に刃が立っていても、軌道がずれていると刃筋が通っていないことと変わらない。
見ながらゆっくり振ると出来るのだが、素早く振ると刃の向きと軌道が並行にならないのだ。
『とまったまとに、しっかりあてることができる』
9級の試験要領がこれだ。
このしっかり、ができないということで、9級に上がれないのである。
刃筋・剣筋が無い錫杖だけは、有効部位で打突が当たれば良いので、現在9級である。
そしていま、喫茶コーナーで頭を抱えているというわけだ。
隣のレアーナは順調とは言いがたいまでも、この一ヶ月でなんとか新しい射法に適応し、的中を出せるようになってきていた。
俺はジョージから、刃物に適性が無いのではないか、と言われる始末。
『こればかりは才能が無いと言うしか無い。いっそ錫杖に絞ってみてはどうか』
とりあえず9級に上がれた錫杖を勧められ、さきほど槍術の教士を紹介されたところだ。
「まったく、なんにも、どうにもならないわけじゃ無いんでしょ? じゃあ錫杖でいいんじゃないの?」
レアーナはあっけらかんとして言い、珈琲を飲む。
「う゛ぇ、にがい」
門下生が休憩中に飲むために用意されているらしいセルフサービスの珈琲は、普及品であるのか大変苦い。
しかし、飲めずにのこった珈琲を、俺のカップにこっそり足すのはやめて欲しいぞ。
「なんというか、適性審査の結果に引き摺られているような、不快感があるんだ」
「へえ?」
「審査の結果がこうだから、おまえはこうにしかなれないぞ、あれは無理だぞ、みたいに先回りされて道が狭められてるような窮屈な感じなんだよ」
窓の明かりを反射してゆらゆらと揺れる珈琲をじっと見つめる。
「そもそも適性審査自体に納得いってない。血の数滴で判るのなんて健康状態ぐらいだと思うんだが」
「でも私は結構当たってるなあと思ったよ?」
「俺の方も、別に見当外れのことを言われてるわけじゃ無い。ただ、何をどうやって審査してるかが不透明だから、納得しかねるんだよ」
ライトノベルでありがちな、『血』による実力の審査。正確だとみなされ、妙に断定的なアレを、実際にやられてみると、にわかには納得しがたい。
なんというか、『うそくさい』のだ。まるで『神か何か』の都合で、こうであってほしい結果を押しつけるための、形式だけの行為に感じる。
「随分悩んでいますね」
突然声をかけられた。
顔を上げると、純朴そうな若者が居た。
「……ええと、たしか……ピッ」
「ピップです」
言い切る前に訂正された。
「おおっと、失礼。癖になっていて」
そういって頭を掻くピップ。
「なんか、適性審査がなっとくいかないんだって」
レアーナが答える。
俺は、向かいに座って腕組みしているピップに、疑問をぶつけた。
「ああ、そういうことでしたか。私も受けたことがありますが、審査の現場は見た事がありませんねえ。でも、誰がやっているのかは知っていますよ」
「えっ?! それは?」
「煉丹同業組合のニーナさんですよ。あのひと、アショカトリポカ学究院の錬金修士ですから」
アショカトリポカ学究院の錬金修士?
また知らない単語が出てきたぞ……。
「それは……すごいのか?」
「僕のような農民のせがれには思いも付かないぐらいですよ。ムーの3つの最高学府の一つです。でもなにがあったのか錬丹術に鞍替えして、また下積みからやり直してるって笑ってました。博士になれれば恩給も付くのに蹴るなんてもったいない」
なるほど。ここにも学士、修士、博士の称号があるらしいな。院卒相当って事か。
「ここでの審査って言うのは、武器を扱っている形があるかどうかを見てるだけなんだって言ってました。『結ぶ像が荒い』から細かいところは見えないし、武器の扱いに関係ない才能はわざわざ書いてないって」
結像が荒い? 光学的な分析をしてるって事か?
「それで、なぜ検体が『血』なんだ?」
俺が勢い込んで聞くと、ピップは途端に言葉に詰まる。
「ちょ、ちょっとまってください。僕も又聞きなんですから。これ以上はニーナさんに聞いてくださいよ」
ピップは、話はこれで終わりとばかりに、立ち上がって尻を払う。もわっと土埃が舞う。
「もしかしたら、思いも寄らない発見があるかも知れませんよ」
そんなことを聞いては、居ても立ってもいられない。
俺は早々に修技館を後にし、煉丹同業組合の作業場併設小売店に向かう。
「ちょっと、ケン! 1人は危ないってば!」
追いかけてきたレアーナが怒る。俺は歩みを緩め、レアーナと肩を並べる。
「もともと、ケンが危ないから修技館に来てるんだからね! 油断しないでよね!」
俺たちは、街区の倉庫街にやってきた。
時刻は夕方。太陽は眼差しも緩み、日差しも弱くなってきた。
辺りは人通りも無く、閑散としている。
「さみしいところ。こんな所にあるの?」
肩を寄せてくるレアーナ。
「倉庫街だからな。広い空間が安価に使えるから、ここに作業場があるんだと思うぞ。隠れてやるのは無理な規模だしな」
「へー」
店内に入ると、静寂と特有の臭いに迎えられた。ニーナは受付で茶色の小瓶に『硼酸』と書かれたラベルを貼り付けていた。
「あら、いらっしゃい。今日は何がご入り用?」
こちらを見透かすような、あの半眼が俺を見つめる。
「知識と経験を」
俺はその目を見返す。
「そんなもの、ここには並べてないわよ?」
「修技館で行われている適性審査は、貴方が行っていると聞き込みました」
「……ええ、そうね。修技館の依頼を受けて、私が実務を行っているわ」
「適性審査とは一体何を審査しているのか知りたいのです。血の数滴で判るのは、せいぜい今の健康状態ぐらいでは無いでしょうか」
「何を言いたいのか、良く分からないわ」
「私はその審査に疑問を覚えています。何故検体が『血』であるのか。こぼれている情報は無いのか。そういった所をお聞きしたい」
しばしの沈黙。ニーナが口を開く。
「私のやっているのは『分光器』を利用した心魂摂理の形状判定よ。小型のが修技館にあって、それの操作と判定をしているの」
「分光器?」
「アトランティス生まれの解析装置よ。それを使って結んだ像の中から、特有の形を見つけるの。答えがそのまま出てくるわけでは無いわ。いろいろな技能の形を知っていないと判定できない。素人が見ても判らないわ」
「武器の技能のみ判定しているとも聞いています。それ以外の、例えば心魂摂理の全てを見てもらうことは出来ないのでしょうか」
ニーナは受付に頬杖を突いて、面白そうな表情をする。
「小型の物じゃあ無理ね。本物の『分光器』でないと。『分光器』は本来、とても大きな装置なの。小さくすることで安価にはなるけれど、精度が犠牲になるのよ。でもそれがあるのはムーの中でも限られた場所だけ」
「……教えていただけますか?」
「『アショカトリポカ』、『リクイキヤ』、『ワイナインティ』の、各学究院よ」
アショカトリポカ……だからニーナはその技術を持っているのか。
「そこへ行けば知ることが出来るのか?」
俺の問に、ふふ、と笑うニーナ。
「無関係な素人が行ったって、つまみ出されるのが関の山ね。潜り込んでも装置を前に途方に暮れるだけよ」
ここでカードを全部使うしか無い。
「ニーナさん。貴女はアショカトリポカの錬金修士だったとも聞いています。なんとか口利きをしてもらえませんか?」
ニーナは薄く微笑み、小首を傾げる。
「あら、そんな事まで知ってるの? 一体誰から聞いたのかしら。教えてもらえる?」
俺が口ごもると、ニーナは言葉を継ぐ。
「別になにもしないわ。知りたいだけ。……そうねえ、じゃあ、それを教えてくれたら、あなたを手伝っても良いわ」
うぐぐ。
「ピップという若者に修技館で」
「ありがと。じゃあアショカトリポカ学究院に行きなさい。ここから一番近いわ。案内図を書いてあげる」
ニーナは受付の上の、紐で綴った箋紙の束を引き寄せると、洋筆で軽やかな音を立てて案内図を書いた。
「ポロスボロスから街をこの順で進みなさい。コパラ・カルパに学究院があるわ。印が付いている街で宿をとるとちょうど良い。歩きで片道4日よ」
「歩き?」
「あなた、4日の道のりで槽車にでも乗るの? せいぜい駅馬車だけど、今は馬車も高いわよ? 着いたらこの宿を取りなさい。私の名前を出せば、悪い扱いはされないから。あとは私が取り計らってあげる」
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あの男が店を出て行く。
お供の妖精がぺこりとお辞儀をしてから、あわてて追いかけていく。
「うふふ」
口元がほころぶのを押さえられない。
「ばらまいた噂にうまく釣られてくれたわ」
修技館で伸び悩んでいるのを見て思いついた案だったけど、うまくいった。
ピップとか言う若者には、少し多めにお礼をしなきゃ。
あの男は、自分の中の莫大な何かに疑問を持った。後は火に吸い寄せられる羽虫のように……。
でもまだ終わりじゃない。最後の仕上げがある。
戸棚から届書用箋をだすと素早く書き上げる。
「早く……知りたい」
届書を胸に抱き、夢見るように呟いた。
虻と蜂はまんまと取られてしまいました。




