017:終着点
結果的に下水管掃除は成功した。
『詰まっていた異物』が見つかり排除されたからだ。
しかしその作業は陰惨極まる物になった。
比較的新しく、綺麗な死体はまだいい。
下水の中で長期間水につかった物。ネズミに囓られ放題の物。以前から有ったのか、液火で焼かれ、消し炭同然になった物。
路上はまるで死体保管所だ。
衛視の指示の元、黙々と運び出す役務者達。その殆どが番外地民だ。
それ故に『判明』した。
「おい……こいつ『未明庵』に下宿してた奴じゃねえか?」
「最近見なかったよな。もうこの街を出たと思ってたのに」
「この手甲みろよ! こいつボンドだ! 自慢してたの覚えてるぞ!」
「ウゲエェエ……」
「顔が食いちぎられてるけど、イーリナスの服だぞ……ラテルス呼んでこい! あいつずっと探してたんだ!」
「……なんでこんなとこに居るんだよ……ぁぁ……うぁあああ……」
総計78体。
俺とレアーナも死体に麻布を巻くのを手伝っている。今は一つでも人手が欲しいのだ。
死臭と黴の臭いが混じり合った生臭い空気。鼻が馬鹿になって匂いを感じなくなってきたのは助かる。
この年になれば、祖父母はもちろん、親の世代の死に目に会うこともある。旧友の葬儀に出ることも。死はすこしづつ身近になる。惨状というものに対する耐性は、年の功で獲得している。
しかし、感受性の強い若者にはつらいだろうな。
俺の感情と肉体は、既にグロッキーだが、理性は冷徹に分析する。
点検孔に死体を隠蔽する手口。
遺体の数だけ繰り返されてきた常習性。
そもそも殺人が行われたこと自体を気づかれていなかった巧緻。
この事件には悪意ある知性を感じる。
古いロンドンのような街の風景は、俺に切り裂きジャックを連想させた。
「おい、こいつらもしかして……街灯点火やってた奴らじゃないか?」
「そうだ! これ、やばいぞ! ほかに街灯点火やってる奴は?! すぐに報せを回せ!」
「エンゲルス協会長に連絡走らせろ! いなけりゃハーキム監査官だ! 今夜からでも対策させろ!」
なんだって?!
葬送の鐘が鳴り響く。
途切れぬ参列者の列。
今回の犠牲者のおよそ2割、14人が街区の住人だった。
現代の日本と違って、このポロスボロスは隣人との距離が近い。街区は定住者ばかりなのだ。
それぞれに参列者がいる訳で、棺を先頭に墓地へ向かう列が終わると、また次が続くわけだ。
これに悲鳴を上げたのが墓堀人夫だ。
棺や副葬品の関連もあって、埋葬業務も仕切っている同業組合があるのだが、もともと人数が少ない。
埋葬には一人当たり数メートルの大穴を掘らねばならない。
一人二人ならいいが、一日にこれほどの人数はかつてないことだった。
パワーショベルのある現代ならどうって事のない作業だが、シャベルで掘るのはとんでもない重労働だ。
もちろん喪主も参列者も、手抜きの葬儀など承服しない。
墓堀人夫は大幅な超過作業を強いられたわけだが、それでも追いつかない分のしわ寄せを食らったのは番外地民だった。
郊外に掘られた大きく浅い穴。皆で協力して掘った穴だ。だがシャベルと人力ではこれが精一杯だった。
その中にすし詰めで並べられた、麻布で巻いただけの遺体たち。
8割を越える遺体の数64は、実際の所、定かではない。
下水の中に長時間浸かった上、ネズミの食害で損壊が酷く、とりあえずこれで一人だろうと、組み合わせて数えた者もあるからだ。
午後も半ば過ぎ、緩やかになってきた日差しの中、人々は静かに待っている。
墓地で街区民の葬儀が取り急ぎ行われた後、最後に郊外の、この場所までやってきたのは、二人の黒髪の巫女だった。
エジプトの貴人のような、身体にフィットした白い衣装。
細く、髪に映える金の頭環。
翡翠と思われる貴石で作られた、首元から胸元までを覆う大きな首飾り。
背中から両腕に絡みつくように垂らされた、羽衣状の薄絹。
手首を彩る幾本もの細い腕輪。
手には、長い錫杖。その突端には、不揃いな放射状に広がる棒と、一見して無作為と思われる配置の同心の扇形がいくつも固定されていた。
二人の巫女は、まるで左右対称の鏡を見ているような姿だった。
二人の後には、光芒を放つ光球をあしらった紋章旗を掲げた男と、振り香炉を下げた男が、巫女それぞれに1人づつ付き従っている。
静かに待っていた番外地民の中から、ハーキムが歩み出る。
「この弔いの喪主を勤めます」
彼はこの番外地で、顔の見えない上層部の代わりに現場の庶務を取り仕切る存在らしい。
誰も、彼が進み出ることに異議を唱えない。
ハーキムは民衆を振り返って声をあげた。
「光炎王の巫女が来臨なされました。火を」
穴の中に『液火』が撒かれ、燃え上がる遺体。
『あーーーーー』『らーーーーー』
巫女の、尾を引く奇妙な和声。
錫杖の突端の構造物が、カシャンと重ね合わされる。
どんな仕掛があるのか、重ね合わされた錫杖の先端の細工が唸り始め、二人の巫女が空いた手を翼のように広げてゆくと、その周りの空中に、幾何学模様が広がり始めた。
初めて見る異境の異教。
俺の好奇心は、強烈に引きつけられた。
俺もレアーナも参列はしているものの、言ってしまえば部外者だ。静かに見ているしか無い。
『蒼天の光の子ら』『炎の褥に横たわれり』
二人が交互に文言を唱える。なのに和声が重なって聞こえる!
喉歌? いや、二人の口ははっきりと発音している。
それどころか口を閉じているときですら、和声が途切れない。どうなっているんだ?
『熱い命の息吹うけて』『燃え続けたその身体も』
『今は冷えて凍え』『倒れて地に伏したる』
『なれど光炎はその身を』『天に運び改めたもう』
奇妙に間延びした抑揚の、うねりのある発声法。古来の詩吟を思わせる。
周りの群衆からは、咳一つ聞こえない。
朗々と響く和声。
『重ねし焦点は命の炎を』『新たに燃やしたまえり』
どっ!
音のない衝撃と共に、天空から光の柱が突き立つ。
単なる念仏と考えていた俺は、度肝を抜かれた。
眩い閃光ではないが、その光景は薄明光線のように見えた。振り仰ぐと、光は太陽から伸びていた。
穴の炎は光を浴びた途端に傲然と吹き上がり、うねるように空中に伸び上がる。
投入された液火の火力を明らかに上回る、異常な燃えさかり方だ。
『あーーーーー』『らーーーーー』
薄明光線は急速に引き絞られ、強烈な光束になると、周囲の炎が吸い寄せられるように光に乗り、長く長く伸びていった。
それはまるで、太陽に死者達が向かっていったかのような幻想を抱かせた。
しゃーん……
重ね合わされた錫杖が、大地に打ち下ろされた音だ。
二人の巫女とお付きの男達は、一言も発することなく、振り向いて去って行く。
群衆達は、片手を空中に差し伸べ、何かを掴んで引き戻すように胸元に当て、静かに瞑目した。
俺とレアーナはその中で、言葉もなく固まっていた。
葬儀は終わったのだろうか。
周囲の人々がシャベルを手にして、燃えつづける穴を土で埋め戻し始めた。
(え? まとめて埋めてしまうのか?)
俺は喪主を務めたハーキムに歩み寄り、小声で問いかけた。
「このまま埋めてしまうのですか? それぞれの墓標は?」
「……中村さん。参列の儀、嬉しく思います。墓碑はあそこに」
少し大きめの石版が荷車で運ばれてきた。しかしなにも記名がない。
俺はハーキムを振り返った。
「これが流れ者の最大の不利益です。貴方の生まれたところにも名のない墓はありませんでしたか?」
さみしげな、しかし落ち着いた目で、そう言われた。
無名の墓石にまとめて葬られる合同の葬儀。
「これが自由に生きた者の終着点なのです。我々は明日も生きていかねばなりません。死んだ者達に捧げる時間は終わりました」
俺は、埋められて小さくなっていく炎を、じっと見つめ続けた。
レアーナが俺の二の腕を抱え込み、身を寄せてくる。
一人一人の死が重んじられ、重厚な儀式で送られる。そんな時代に慣れていた俺には、とてもドライに写った。
ずっと平和な日本で、命の価値が安い時代のことを忘れていたのだな。
公衆浴場で汚れを流し、ボロ布のように疲れた身体で山猫館に帰ってきた。
昼食を取っていなかったのに、食欲がわかなかった。
「ねえケン。あの人達、夜の仕事の時に襲われたんだって?」
「……ああ、そう言ってたな」
「ケンはさ、自分の身を守る技は有るの?」
「え? 生徒の頃に剣道を授業で少しやったぐらいだな」
「それじゃあ抵抗もできないんじゃないの? 何か始めた方が良いよ!」
考えたこともなかった。
そうだ。ここは18世紀程度の文明とはいえ、こんな人死にが普通に有る世界なのだ。
「私も狩りで弓を使うぐらいだから、武器は有っても戦ったことは無いんだよ。人間領は思ったより危ないみたいだし、二人で教えてもらおうよ」
「ええ?! でもこんなおじさんなのに」
「殺人犯は捕まってないんだよ? 何の力も無いおじさんなんて、良い獲物じゃない。そんなの私も困るよぅ」
俺は説き伏せられ、護身術を学ぶことを承諾させられた。
「じゃあ明日、教えてくれるところへ行こう!」
彼女の気持ちを考えるとこれは……断れないな……。




