9 いつかまた
「ひとつ、わからないことがあるの」
耳飾りのことだとセシリアはつづけた。
「彼は、どうしてわたくしの耳飾りを手に入れようとしたのかしら」
そもそもなぜ、片方の耳飾りも持ちつづけていたのか。セシリアを利用し尽くしたように、あの宝石も早々に売ってしまったらよかったものを。
「耳飾りは二つで一つですから」
片方だけなら意味はない。グレンヴィル伯爵も、たしかそう言っていた。
「一対そろうまで待っていたのではありませんか。そのほうが価値は何倍にもなりますから。そうして待っていたところに、片割れが世に現れた。となれば、当然手に入れたくなるでしょう」
「そういうものかしら」
「あとは」
探偵はやわらかく目を細めた。
「ただ恋しかっただけなのかもしれませんね」
ままごとのような恋が。偽りだらけの愛が。そこにあったかもしれない、ひとかけらの温もりが。
「……それは推理かしら、探偵さん」
「ただの思いつきですよ、レディ」
緑の瞳が笑む。故郷の色だ。そろそろ帰るときなのかもしれない。あの森に囲まれた小さな国に。
「もうひとつ教えていただけて?」
「なんなりと、レディ」
「あなたはなぜ依頼を受けてくださったのかしら。わたくしのような者の仕事を受けても、あなたに利などないでしょうに」
依頼を引き受けたところで、報酬は期待できまい。なにしろ依頼人に実体がないのだから。
「お気遣い感謝いたします、レディ」
しかし探偵はふわりと微笑んだ。
「ですが、ご心配は無用です。これはわたしの選んだことですので。わたしのような者が役に立てることがあるなら、望外の喜びというもの」
「さしずめ、地位ある者の務め、ということかしら。この国にそういった精神があると聞いたことがあるわ」
いえ、と探偵は目を伏せる。
「そのようなものではありません。これはただの──」
風が吹いた。風は木々の葉を揺らし、探偵の言葉をさらっていった。セシリアが訊き返そうとした矢先、探偵は目を上げて意味ありげに笑った。
「ご安心ください、レディ。今回の報酬はしっかりいただいておりますので」
探偵は左耳にかかる金髪をかきあげた。そこに輝く緑の石を見て、セシリアは「まあ」と口に手を当てる。
「あのひとが持っていたものね。いつの間に持ち出したの」
「あの屋敷から失礼するときに、一緒に持ち帰っただけですよ。勝手をいたしまして申し訳ありません。ですが、あのまま燃えてしまうのも惜しかったので」
「かまわないわ。それはもともとわたくしのもの。そしてこれからはあなたのものよ。わたくしからあなたへの、正当な報酬ですからね」
「ありがたく頂戴します、レディ」
探偵は立ち上がって優雅に腰をかがめた。
「伯爵にもお礼が必要でしょうね。わたくしのせいでずいぶん散財させてしまって」
「そちらについてもご心配なく」
探偵は新聞を取り上げ、ひとつの記事を指さした。「公女の遺品、故国へ」という見出しの下に、グレンヴィル伯爵を描いたと思しき挿絵が添えられている。
「グレンヴィル伯爵が一万ポンドもの大金で落札した耳飾り、通称『道化師の涙』が、このたびオルデン共和国へ返還される。この耳飾りは、かつてのオルデン公国第一公女セシリア殿下の所有であったと伝えられており、それを知った伯爵がオルデン共和国に無償で返還する意向を示したもの。オルデン共和国政府はこの申し出に多大なる感謝の意を表明し、われらが女王陛下も伯爵の寛大かつ高潔な行いに深く感銘を……」
つらつらと記事を読み上げて、探偵は悪戯っぽい笑みをよこす。
「伯爵は名誉と評判を買ったのです。いい買い物ができたと、あのひとも満足しているはずですよ。おかげでわたしの借りも帳消しです」
「それはよかったこと。万事うまく解決してくださったのね。あなたをお訪ねして本当によかったわ」
「お役に立てて光栄です。ですがレディ、次にいらっしゃるときは、ぜひ呼び鈴を鳴らしていただけるとありがたいですね。わたしがお見苦しい姿をさらさないように」
冗談めかした台詞に、セシリアはつい笑みをこぼした。
「そうするわ。でも、あなたももう少し早起きしてもよろしいんじゃなくて? お寝坊な探偵さん」
「心がけます、レディ」
二人の視線がからむ。ふたたび風が吹き、探偵の金の髪を揺らす。木漏れ日が左耳の輝石をはじく。その光が消えたとき、探偵は一人だった。
ありがとう、と聞こえたのはクリスの願望だったかもしれない。傷つき、惑い、裏切られた公女が、最後に抱いた気持ちが穏やかなものであればよい、という。
「いつか、またお会いしましょう。レディ」
左耳の涙に触れ、クリスはひっそりつぶやいた。誰の耳にも届かない約束の言葉を。




