8 恋は狂気
真昼の公園は、明るい日差しにあふれていた。
目にも鮮やかな緑の芝の間を、色とりどりの日傘をさした令嬢たちがそぞろ歩く。乳母に付き添われて凧をあげる子どもたち。犬を連れた紳士に、杖をついて散策する老人たち。
どこを切りとっても平和で穏やかな光景が広がる公園の一角、木陰のベンチで一人の青年が新聞を広げていた。
くすんだ金髪の、身なりのよい若者だ。口元に自然な微笑をたたえ、紙面を目で追っていた青年は、ふと誰かに呼ばれたように顔を上げた。
「ごきげんよう、レディ」
薄灰の瞳に木々の緑が映える。
「よいお日柄ですね」
そうね、とセシリアは同意した。たしかに天気は申し分ない。誰の機嫌もお構いなしに、太陽は輝き、雲は流れる。
「何を読んでいらっしゃるの」
「ああ、たいした記事ではありません。郊外の屋敷で火事があったとか。屋敷の持ち主はバーチ商会の代表で、焼け跡からは彼の遺体が発見されたそうですよ」
「そう」
セシリアは無感動に相槌を打った。
「お気の毒ね」
心のこもっていない台詞に、探偵は薄い笑みを返した。
「原因は暖炉の火の不始末だろうというのが警察の見立てですが、この記事を書いた記者はだいぶ想像力が豊かなようですね。バーチ商会の代表は、その昔オルデン公国の軍人で革命党の一員だったそうですが、なんでも党の資金を持ち逃げしたとかで、長らく党員に追われていたとか。今回の件も、失火に見せかけた報復ではないか、と……」
探偵は新聞を閉じ、ベンチの脇に置いた。
「さすがにこの説は無理があるように思えますがね。なにがあったにせよ、五十年も前のことです」
「そうね」
セシリアはうなずいた。
「昔のことだわ」
そう、ずっと昔のことだ。
あの日、セシリアは恋人を待っていた。亡命のための逃走経路を、セシリアは恋人にだけ明かしていた。国境手前のその村で恋人と落ち合い、共に逃げる計画を立てていたのだ。
だが、恋人は現れなかった。代わりに襲ってきたのは革命党の一隊。なぜここがわかったのだと、父が蒼白な面持ちで漏らしたつぶやきは、セシリアの胸を弾丸のように貫いた。
恋人の名を呼びながら隠れ家を飛び出したセシリアは、敵の兵士に追われながら森に駆け込み、逃げて、走って、足をすべらせた。
それから五十年。セシリアはずっと一人だった。暗闇で、ずっと考えていた。何があったのか。どこから間違っていたのか。誰が、自分たちを売ったのか。
「お父様が正しかったわ」
ぽつりとセシリアはつぶやいた。
「あのひとはだめだと、ずっと反対されていたわ。わたくし、それはあのひとの身分のせいだと思っていたわ。だから、そんなものなくなってしまえばいいと……わたくしが、公女でなくなればいいのに、と……」
父への反発は階級制度への不満に結びつき、セシリアは次第に革命党の思想へ傾倒していった。そんなセシリアの変化を恋人は歓迎し、しばしば協力を求めた。
「馬鹿だったわ。本当に」
父の書斎で盗み読みした手紙の内容を、廊下で立ち聞きした客の話を、恋人に伝えたことは一度や二度ではなかった。そのたびに、恋人はセシリアを抱きしめ、甘い声で愛と感謝をささやいた。その対価ほしさに幾度も家族を売ったセシリアは、最後に己ごと売られたのだ。
「恋は狂気と申しますから」
古い詩句を、探偵はさらりと口にした。
「ゆえに至上の喜びをもたらすとも」
「恋に詳しくていらっしゃるのね。ご経験はおあり?」
セシリアの問いかけに、探偵はただ微笑で応えた。




