6 手がかり
結局、耳飾りの代金は伯爵が支払った。
「ひとつ貸しだぞ」
耳飾りがおさめられた小箱を、伯爵は無造作に弟に手渡した。なんとも言えない顔でそれを受け取った探偵は、「貸しと言われましても」と首をひねる。
「一生かかっても稼げる気がしませんね。お金以外で返してもいいですか?」
「たとえばどうやって」
「閣下、いまお困りのこととかあります?」
「さしあたって愚弟の扱いに困っているな」
あの、とセシリアはたまらず口をひらいた。途方もない出費を強いてしまった原因は自分にある。せめてもの償いをしたかった。
「わたくしの耳飾りを伯爵に……」
「いけませんよ、レディ」
探偵はにっこり笑ってセシリアの言葉をさえぎった。
「あなたのそれは成功報酬というお話でしたでしょう? わたしの仕事はまだ終わっておりませんからね」
「でも……」
「クリス」
すこぶる不機嫌そうな伯爵が割って入る。
「おまえ、これからどうするつもりだ。結局何もわからなかったじゃないか」
伯爵の言うとおりだった。耳飾りの引き渡しの際に、支配人に出品物の出処をそれとなく訊いてみた探偵だったが、結果は惨敗。支配人の柔和かつ鉄壁の笑みからは、何も引き出すことはできなかった。
「なに、これはこれで悪くありませんよ。これだけ派手に競り落としたのです。この耳飾りのことは、明日には街中の噂になるでしょう。そうなれば、手がかりが向こうからやってくるかもしれません。たとえば……」
「失礼」
背中にかけられた声に振り向いたセシリアは、あっと目を見ひらいた。そこに立っていたのは、先ほど耳飾りに五千の値をつけた黒髪の紳士だった。
「その耳飾りのことで、ご相談があるのですが」
こんなふうに、とセシリアの耳元で探偵はささやいた。
******
雇い主に会ってほしい。それが黒髪の紳士の申し出だった。
今宵のオークションは雇い主の代理で参加したというその紳士は、セシリアたちにこう懇願した。
どうかこれから一緒に主人の屋敷まで来てほしい。自分は今夜必ずその耳飾りを落札するよう言いつけられてきた。その命令を果たせなかったのは仕方ないが、せめて主人と会って話を聞いてもらえないか、と。
「それで、クリス」
馬車に揺られながら、伯爵は探偵に尋ねた。
「話を聞いて、どうするつもりだ」
黒髪の紳士の求めに応じ、セシリアたちは伯爵の馬車で問題の屋敷に向かっていた。黒髪の紳士は別の馬車に乗り込み、一同を先導している。
「事情によっては、その耳飾りを譲ってやるとでも?」
「さあ、どうでしょう」
それまでぼんやりと窓の外を眺めていた探偵は、伯爵に視線を戻して肩をすくめた。
「話を聞くまでわかりませんね。とにかく、せっかく向こうからやってきた手がかりです。食いつかないわけにはいきませんよ」
「毒入りだったらどうする」
「皿まで食べますよ。それより閣下、こんなところまでお付き合いいただいてよろしいので? お忙しい身なのでしょう」
「おまえを野放しにしておくほうが後々面倒そうだからな」
憎まれ口をたたきながらも、そのじつ弟のことが心配なのだろう。当然のように一緒の馬車に乗りこんだ伯爵に、たしかに根は親切な方かもしれないとセシリアは評価をあらためた。あいかわらずセシリアとはひと言も口をきかないのはいかがなものかと思うが。
馬車は街を抜け、やがて王都の古びた屋敷の前にたどり着いた。馬車から降りた伯爵は、屋敷を見上げて「バーチ商会か」とつぶやいた。
「お知り合いですか」
「いや、面識はない。長らく空き家だったこの屋敷を、バーチ商会の代表が買い取ったという噂を聞いていただけだ」
「なるほど。バーチ商会という名は初めて聞きましたが、なかなか羽振りの良い商会のようですね」
「この国ではまだ新参だが、新大陸ではけっこうな成功をおさめたらしいな」
ささやき合う兄弟とセシリアを、先に到着していた黒髪の紳士が屋敷に招き入れた。
「どうぞ。主人がお待ちです」
ランプを手に三人を案内してくれるこの紳士は、もしかしたら屋敷の執事なのかもしれない。年は若いが、どこか世慣れた空気をただよわせている。
他に使用人がいないのか、ひっそりと静まり返った屋敷に響くのは複数の紳士の靴音だけだ。
やがて紳士──もしくは執事はひとつの扉の前で足を止めた。控えめなノックの後で扉を開け、セシリアたちを招き入れると、自身は外に出て扉を閉めた。
室内は薄暗く、暖炉の炎だけが光源だった。揺れる橙の明かりを背に、一人の男が立ち上がった。ゆっくりと、杖をつきながらセシリアたちのもとへ歩み寄ってくる。
予感はあった。オークションで黒髪の紳士に声をかけられたときから。この屋敷の主人こそが、セシリアが追い求めていたひとではないかという。何らかの事情で耳飾りを手放した婚約者が、どうにかしてそれを取り戻そうとしているのではないか、という。
「ご足労をおかけしました」
低い声がセシリアたちを迎えた。しわがれた、老いた声。セシリアの記憶にある恋人の声とは違う。それでも、
「……フレッド」
灰色の髪は、もとは艶やかな黒だったのだろう。まぶたに半分隠れている瞳は、かつては理想と熱意に輝いていたはずだ。そこにはいつもセシリアが映っていた。恋の喜びにあふれた乙女が。
セシリアはゆっくりと首をめぐらせた。
暖炉の炎が、床に影をつくっている。全部で三つ。屋敷の主人と、伯爵と。そして探偵の。
「レディ」
隣に立つ青年が、気遣わしげに呼びかける。その申し訳なさそうな顔を見て、そうか、と思った。
なぜ今まで気づかなかったのだろう。手がかりはあんなにもあったのに。
寝間着で淑女を出迎えた探偵。怪訝そうな顔をしていた御者に支配人。そして、けっしてセシリアに話しかけようとしない伯爵。それは礼儀知らずだからなどではなかった。
最初から見えていなかった。届いていなかったのだ。セシリアの姿が、声が。この探偵のほかには誰一人。
「わたくしはもう、死んでいるのね」




