4 オークションハウス
四輪馬車にゆられ、エイヴリーのオークションハウスにたどりついた頃には、街はすっかり夜に包まれていた。
ガス灯が照らす街路に降り立った探偵は、後につづくセシリアに片手を差し出した。
「どうぞ、レディ。お足元に気をつけて」
染みひとつない手袋に己の手を重ね、馬車から降りたセシリアは、内心気が気ではなかった。
足元のあやうさに、ではない。自分の頬が赤らんでいないか心配だったのだ。それほどに、目の前の青年が優雅で洗練された佇まいだったので。
その晩の探偵は、まさに非の打ちどころのない紳士だった。
すらりとした身を包む漆黒のイブニングコート。夜目にも鮮やかな純白のシャツに、上品なクリーム色のタイ。シルクハットからこぼれる金髪はガス灯の明かりを受けて控えめに輝き、白く端整な顔を彩っていた。
これがあの、寝間着姿でソファに埋もれていた青年と本当に同一人物なのかと、セシリアは己の頬をつねりたくなってしまった。街馬車の御者も、どことなく呆けた顔で探偵を見つめている。
無理もないわ、とセシリアは思った。華やかではないが、どこか人の目を惹きつける。静かに輝く月のような魅力が、この青年にはあった。
「ところで探偵さん」
「なんでしょう、レディ」
隙のない笑顔から強いて目をそらしながら、セシリアは尋ねた。
「この国のオークションは誰でも自由に参加できるのかしら」
「いいえ。ハウスは基本会員制です。もちろんエイヴリーも。会員もしくは招待状持ちの客以外を通すことはありません」
「では、あなたが会員でいらっしゃるのね」
「いいえ?」
愉快そうに否定され、セシリアは目を丸くした。
「じゃあわたくしたち、どうすればいいの」
「ご安心を、レディ。きっとまもなく……」
「──クリス」
青年の声に、低い呼びかけが重なった。
「噂をすれば」
探偵はにっこりと──どちらかと言えば「にんまり」と笑い、ふりむいて腰をかがめた。
「ごきげんよう、グレンヴィル伯爵。よい夜ですね」
「なにがごきげんよう、だ。この愚弟が」
いまいましげに歩み寄ってきたのは、長身の紳士だった。探偵よりいくぶん年かさの美丈夫だ。いかにも不満げに腕を組み、弟と呼んだ青年をにらみつける。
「急ぎの使いを寄越してきたかと思えば、エイヴリーに来いだと? おまえ、今度は何に首を突っ込んでいるんだ」
「何って、仕事ですよ。閣下」
探偵はすまして答える。
「まっとうに働いているだけです。そこで閣下のお力がぜひ必要になりまして、失礼ながらお呼びたてした次第です」
「本当に失礼なやつだな。わたしの予定を空けるのがどれほど難しいか、わかっているのか?」
「それはもう。たいそう多忙な身でありながら、言伝ひとつで融通をきかせていただける閣下には、感謝の念に堪えません」
探偵のすまし顔に、紳士の機嫌はさらに低下したようだ。石畳を蹴りつけ、会場に向けてあごをしゃくる。さっさと行くぞと言うように。その背中を追って歩き出した探偵を、セシリアは「あの」と呼び止めた。
「あの方、あなたのお兄様でいらっしゃるの?」
「まあ一応。腹違いですし、わたしは実家と縁を切っておりますので、ほぼ他人のようなものですが」
涼しい顔でなかなかの情報を開示してくる探偵に目を白黒させながら、セシリアはかろうじて言葉をつづける。
「それは、その……とにかく、大丈夫なのかしら。かなりお怒りのようですけど」
くわえて、かなり失礼でもある。いくら初対面とはいえ、いや初対面だからこそ、弟の連れであるセシリアに挨拶のひとつもあってしかるべきではないか。それを、まるでセシリアなど視界に入っていないかのように振る舞うとは。あれが爵位持ちの礼儀なのかと、セシリアは内心穏やかではなかった。
「大丈夫ですよ」
そんなセシリアの思いを知ってか知らずか、探偵は優雅に笑う。
「あのひとはたいていいつも不機嫌なので。ご安心ください。口と目つきは悪いですが、根はそこまで悪くありません」
聞こえているぞ、とすかさず声が飛んできた。青年は悪戯っぽく肩をすくめ、セシリアを促して歩き出した。
「これはグレンヴィル伯爵、ようこそおいでくださいました」
会場の入り口で、恰幅のよい紳士が一行を出迎える。「支配人です」と探偵はセシリアに耳打ちした。
「突然ですまないが、いまから席を用意してもらえるか」
「もちろんでございます。すぐにご案内いたしましょう。そちらの方はお連れ様で……?」
支配人にちらと目を向けられて、探偵はにこやかに微笑んだ。
「席は三つお願いします。会場内がよく見渡せて、それでいてあまり人目につかないところが良いですね」
ずうずうしい要求に支配人は一瞬眉をひそめたが、すぐにうやうやしく頭を下げた。
「お望みのままに。いやそれにしても、今宵はお越しいただけて本当にようございました。伯爵のお目当ても、例の品でございましょう?」
「もちろん」
答えたのは伯爵ではなく探偵だった。
「ご想像のとおりですよ」
セシリアは無意識に片耳に手をそえた。髪に隠れて見えないはずの耳飾りを、さらに奥へと隠すように。そんなセシリアをちらと見やり、探偵は薄く微笑んだ。
「道化師を、探しにまいりました」




