2 公国の至宝
そのひとと出会ったのは、セシリアが十八の夏だった。園遊会で暑さと人に酔い、四阿でひとり休んでいたセシリアの前に、彼は現れたのだ。
あの日の彼の姿は、今でもありありと思い浮かべることができる。艶やかな黒髪、夜空のような深い色合いの瞳。均整のとれた長身を軍服につつんだ青年将校に、セシリアの心は一瞬で囚われたのだ。
「彼の名は?」
無遠慮にならないぎりぎりの軽やかさで、探偵が口をはさむ。
「さすがに名もわからない人間を探すことはできませんからね、レディ?」
意味ありげな視線をよこされて、セシリアはためらいつつもその名を口にした。
「アルフレッド・ヘルマン。皆にはフレッドと呼ばれていたわ」
セシリアもそう呼んでいた。彼からそう乞われたからだ。どうかフレッドと呼んでほしい。愛しのセシィ、と……
「なるほど。では、ヘルマン氏となぜ別れ別れになってしまったのか、そこからお聞かせ願えますか」
「……お話ししないとだめかしら」
レディ、と探偵は吐息のようなつぶやきをもらす。
「いまや世界の中心たるこの街で、名だけを頼りにひと一人を探せと? 砂漠で一粒の砂金を見つけ出せと、わたしにおっしゃるのですか」
やれやれと金の髪が揺れる。芝居じみたその仕草に怒りよりもおかしさを誘われ、セシリアは口を開いた。
「……来なかったの」
探偵の眉間がうっすら曇る。
「待ち合わせの場所に来なかったの。それきり、彼は消えたわ」
「下世話な言い方をお許しください。つまりレディはヘルマン氏と駆け落ちをなさるおつもりだったと?」
「世間ではそう呼ぶのでしょうね」
セシリアとアルフレッドの交際を、父は認めなかった。どんなにセシリアが訴えても、アルフレッドが言葉を尽くしても、けっして首を縦にふらなかった。だから若い二人は、すべてを捨てることにした。お互い以外のすべてを。
「約束の場所で、ずいぶん待ったわ。一人きりだったけど、怖くはなかった。必ず迎えに来ると彼は言ってくれたから」
これを、とセシリアは右耳を隠していた髪を指先でつまんだ。あらわになった耳朶で輝くそれを見て、探偵が息を呑む。
「見事なエメラルド……いや、ルビー? まさか、それは……」
「珍しいでしょう?」
昼は緑に、夜は赤に。光の加減によって色を変える、世にも珍しい金緑石が嵌め込まれた金細工の耳飾り。
代々セシリアの家に伝わるこの耳飾りの片割れを、約束のしるしとして婚約者に贈った。この耳飾りがそろうとき、二人は晴れて夫婦になる。そんな願いをこめて。
「報酬のお話がまだでしたわね」
セシリアは背筋をのばし、毅然として告げた。
「フレッドを探してちょうだい。彼が見つかったあかつきには、あなたにこの耳飾りを差し上げますわ」
探偵はしばし無言で耳飾りを見つめていたが、ややあって立ち上がった。壁際の机に山と積まれた新聞の束から、ひとつ抜き出してソファにもどる。
「先ほどは気弱なことを申しましたがね」
ぱさりと、テーブルに新聞が置かれた。
「一筋の光が見えてまいりました。少なくとも砂漠で砂金をさらわずともよさそうです。レディ、これはあなたがお探しのものの一部でお間違いないですか」
紙面に目を走らせたセシリアは、思わずあっと声をあげた。
──公国の至宝、出品。
そんな文句が添えられた白黒の挿絵。大ぶりの宝石があしらわれたその耳飾りは、セシリアの右耳で揺れる耳飾りと瓜二つだった。
とっさにセシリアはテーブルに手をのばしたが、それより早く探偵の青白い手が新聞をさらう。
「オルデン公国に伝わる至宝。昼と夜とで色を変える、幻の輝石の耳飾り。通称『道化師の涙』。その片割れが、エイヴリーのオークションに登場する……レディ」
くすんだ金髪の間から、灰緑の瞳が笑んだ。
「わたしの推理が間違っていなければ、あなたをこうお呼びしてもよろしいですか。オルデン公国第一公女、セシリア殿下」




