16 事実は小説より
「まいったな」
バトラーは髪をかき上げながら笑った。まいったよ、先生、と。
「あんたは本当にいい目をしている」
「お褒めにあずかり光栄です。ですが、そこまで難しい推理でもありませんでしたよ。オルデン語を解される執事が、オルデンの元将校に雇われ、さらにはオルデンの役人の死の真相を追っている。ここまでカードがそろえば、いくつか仮説を立てるのもそう難しくありません」
複数の要素をつなげる鍵は、亡き公女の耳飾り。だから最初は、クリスはこう考えたのだ。バトラーという男は、耳飾りを取り戻すためにオルデンから派遣されたのではと。
「ですが、それほどの価値が耳飾りにあるとも思えませんでしたし」
貴重な宝石ではあるが、国をあげて見つけ出すほどの価値はないはずだ。それに、バトラーはクリスの持つ耳飾りにさほど執着を見せる様子はなかった。
「物でないなら、やはり人かと」
しかし、シュルツには悪いが、宝を持ち逃げした役人を探すために、ひと一人を派遣するのも大げさすぎる。であれば、とクリスは考えたのだ。シュルツの一件は、言うなれば「ついで」のようなものではないかと。
そう、バトラーの目的はシュルツではなく、もう一人。バトラーが執事として潜り込んでいた屋敷の主人。かつてヘルマンと名乗っていた、オルデンの元将校と考えるのが妥当だろう。
「そういえば、どこかの記者が興味深い記事を書いていましたね。バーチ氏は過去にオルデンで罪を犯し、その報復のために殺されたのだと。あのときは荒唐無稽な記事だと思っておりましたが」
やれやれとクリスは肩をすくめた。
「事実は小説より奇なりということですか」
長年新大陸で過ごしていたバーチが、何を思ってこの国にやってきたのかはわからない。だがその行動を不審に思う勢力が、オルデンの現政権の中にいたのかもしれない。五十年前、バーチは革命党に属していた。その党員の幾人かは、現政権の首班としての地位を築いている。
もしも、そう、もしもの話だが、たとえば彼らの革命党時代の秘密を、狂乱の時代の後ろ暗い過去を、バーチが握っていたとしたら? 長らく新大陸で過ごしていたバーチが、こちら側に舞い戻ってきた。その事実が、現在の権力者たちの猜疑心に火をつけたとしたら? バーチの真意を探ろうと、いや、いっそ脅威は早めに除いてしまえと、ひそかに……
「ま、そのへんにしとけよ、先生」
クリスが頭の中でめぐらせていた仮説を、バトラーの声が断ち切った。
「おれも、あんまり無駄な仕事はしたくないんでね」
黒い瞳に、危険な光がきらめく。昨夜喉元に突きつけられたナイフより、ずっと冷たく鋭い光が。
「そうですね」
クリスはあっさりと引き下がった。一国の思惑など、一介の探偵の手にはあまる。いずれにせよ、すでにバーチという男はいない。あとに残されたのは、主人を亡くし失業した執事だ。それが予定どおりのことであったのかどうかは、クリスはおそらく知らない方がいい。
それから、そもそもなぜバトラーがこの墓地を訪ねたのかも、おそらく尋ねない方がいいのだろう。訊かれたくないことは誰にでもある。他でもないクリス自身にも。
「ところであなた、シュルツ氏とはどのような話を?」
このくらいは訊いてもいいだろうと思ったクリスだったが、返ってきたのは舌打ちだった。
「しつけえな、あんたも。何も話しちゃいねえよ。そもそも話せる相手じゃなかったろ」
「でも方法はありましたよね」
筆談という方法が。オルデン語を解するバトラーにとって、シュルツとの意思の疎通は容易だったはず。それこそクリスよりずっと。
そう指摘してやると、バトラーは渋々といった様子で口を開いた。
「……病気の娘がいるんだと。そいつの治療代が法外だとか」
下級役人の給金では到底工面できない治療費に苦しむシュルツの前に、あの宝石が現れた。それときの彼の選択を、安易に非難できる者は少なかろう。
「モートン子爵のことも、わたしのもとへ来る前からわかっていたのですね」
「そうだよ。悪かったな。さすがにこの国の貴族に手を出すのは難しかったから、あんたを利用させてもらった」
期待以上だったぜ、とバトラーはにやりと笑う。負けじとクリスも口角を上げた。
「つまり、あなたはシュルツ氏の境遇に同情し、彼の復讐の手助けになればとわたしを訪ねてきたと。ははあ、あなた意外と……」
「その顔やめろ!」
バトラーの大声に、鳥がばたばたと飛び立つ。空はもうだいぶ明るく澄んでいる。今日はいい天気になりそうだ。
「それがお聞きできてよかったです。では、報酬の話に戻りますが」
まだ終わってなかったのかと顔をしかめるバトラーに、クリスはにこやかに告げた。
「耳飾りはオルデンにお返しします。ですが、条件が一つ。シュルツ氏の娘さんに、どうか充分な治療を。この点、よくよくお伝えください」
誰に、とは言わなくても通じるはずだ。国に帰って、真の雇用主に伝えてくれればいい。耳飾りの片割れと、この一件に関する探偵の沈黙。その対価は、父親を喪ったある娘の未来だと。
「あんた……」
バトラーは呆れたように頬をなでた。
「物好きというか……お人好しだな。そんなことして、あんたに何の得があるんだよ。そもそもこいつを手放していいのか? 結局あんたの丸損じゃねえか」
「かまいませんよ」
朝の光のなかで、クリスは笑った。
「耳飾りは、やはり対になっていなければなりませんからね」




