17 執事の真似事
「呼び合う耳飾り、オルデンの奇跡、か……」
ぱらりと、新聞をめくる音がする。ソファに身を沈めたグレンヴィル伯爵の眉間には、深いしわが刻まれていた。
「最近の記事はどうも気に食わんな。扇情的な文句で読者の気を引くことしか考えていないようで。単に事実だけ書けばいいものを」
「その事実が扇情的だったらどうするんです」
伯爵の向かいで茶を淹れていた探偵は、ティーポットから顔を上げずに口をはさんだ。
「今回の件は、まさに奇跡と呼ぶにふさわしいのでは?」
「……クリス」
伯爵は新聞越しに腹違いの弟をにらみつけた。
「やっぱりおまえの仕業か」
「何のことです」
「とぼけるな。おまえがあの耳飾りを……おい、なんだそれは」
テーブルにずらりと並ぶカップに、伯爵は目を丸くする。新聞に集中していて気がつかなかったが、濃淡さまざまな茶が注がれたカップが全部で五つ。その横にはポットは三つ。砂漠を横断したラクダにならともかく、ただ一人の客に出す量ではない。
「いえ、最近ちょっと凝ってまして。いろいろ試しているんですが、どうしてもあれと同じようにならないんですよね……」
あれ、とやらが何かは知らないが、どうやら誰かがクリスの負けん気に火をつけたらしい。何事にも頓着しないようでいて、そのじつ妙なところで凝り性なのだ、この厄介な弟は。
「とりあえず、お好きなだけどうぞ、閣下」
「一杯でいい。なんだ、そんなに美味い茶が飲みたいなら執事でも雇ったらどうだ」
「嫌ですよ」
冗談のつもりで放った言葉に、予想外のしかめっ面が返ってくる。
「ああいうのはもうごめんです」
「……おまえ、やっぱり何かあったんだろう。何に首を突っ込んだのか、正直に話してみろ」
「閣下にご心配いただくようなことは何も」
ひらひらと手をふる弟に、伯爵は深いため息をついた。
例の耳飾りのもう片方がオルデンに戻ったという話を聞き、嫌な予感にかられて探偵事務所を訪ねた伯爵である。予感は大当たりのようだったが、この弟は肝心なところで口を割らない。
苛立ちを茶とともに飲みこんで、伯爵は新聞をめくった。
「モートン子爵、訴追が決定、か。ふん、遅すぎたくらいだ。警察は今まで何をやっていたのやら……」
そこであることに思い至り、伯爵は言葉を切った。
「……クリス」
それはもう、兄としての勘としか言いようがなかった。
「おまえ、この件も噛んでるな?」
「さて」
クリスは茶菓子のジンジャーブレッド──伯爵の手土産で、伯爵邸の料理長が手ずからこしらえた逸品──をかじりながら首をかしげた。
「何のことだか、わたしにはさっぱり」
「ごまかすならもっと真剣にごまかせ! 何をやってるんだ、おまえは! よりにもよってあの悪党に近づくとは……」
「けしからん?」
「けしからんが、よくやった!」
自棄のように叫んで、伯爵は新しいカップを取り上げた。さっきは多いと思ったが、酷使した喉にはありがたい。この調子だと飲み尽くしてしまいそうだ。
「おまえ、子爵と会ったんだろう。また何か言われたんじゃないか」
「べつに。いつものことですよ」
微笑をたたえる探偵に、伯爵は複雑な視線を送る。怒りと苛立ち、やるせなさと痛ましさ、そしていくばくかの罪悪感。そんなものが混ざり合った眼差しを。
「クリストファー」
ぴくりと、探偵の肩が震える。
「父上のことはもう気にするな。グレンヴィルの当主はわたしだ。わたしがおまえを……」
「閣下」
そのひと言で、伯爵は察した。口をつぐんだ伯爵に、さらに追い打ちが飛んでくる。
「お心遣い感謝します」
感謝の皮をかぶった拒絶。それがわからぬほど短い付き合いではない。伯爵はため息をつき、もう一つカップを取り上げた。本当に、この弟は厄介だ。
「……これが一番うまい」
素直な感想を伝えると、探偵はぱっと顔を輝かせた。
「ありがとうございます」
掛け値なしの笑みを浮かべて、弟は何やら紙に書きつけている。
とりあえず、と伯爵はカップを片手に新聞をめくった。こうした時間がもてるだけで、今はよしとしよう。おそらくうまく解決した事件のことも、なぜに執事の真似事に目覚めたのかも、いつか話してくれる日が来るだろう。茶飲み話のひとつとして。いつか、たぶん、そのうちに。
私設探偵クリス・エヴァンズ。奇妙な事件を待ち望むこの探偵は、今日もネイサン通りの事務所で過ごしている。新聞をめくり、いささか多めのお茶に囲まれながら。




