14 夜道にはご用心
「あんたさ」
細い月が夜道を照らす。頼りないその光をたよりに歩いていたクリスに、隣からバトラーが声をかけた。
「けっこう苦労してんだな」
「何の話ですか」
思ったより呆れた声が出た。本当に、何を言い出すのか、この元執事は。
「同情なら結構です」
「べつに、そんなんじゃねえよ」
暗い道を、二人はぶらぶらと歩いていた。正確には、二人と一人だ。バトラーの背中には、相も変わらずシュルツが張りついている。
「それにしても、ひやひやしたぜ。とんでもないカード切りやがって」
暗闇の向こうから、責めるような視線をよこされる。
「あんた、本当にあれをくれてやる気だったのかよ」
「さあ、どうでしょう。それより、そちらのシュルツ氏の方が気になりますね。彼もまた、この耳飾りに並々ならぬ興味がおありのようで」
クリスが振り向いた先、バトラーのそばに、シュルツは寄り添っている。その目は奇妙な光をたたえ、クリスを見すえている。正確には、小箱がしまわれたクリスの胸元を。
「あんたってさあ」
バトラーは首をそらして夜空を見上げた。
「ちゃんと探偵なんだな」
「だから何なんですか、さっきからあなたは」
「褒めてるんだよ、これでも。あんたのその、よおく見える目をさ」
なあ、とバトラーはクリスを見る。己と同じ、この世ならざるものが見える瞳で。
「あんた、どこまで見えてんだよ」
「……さてね」
はぐらかすようにクリスは笑った。
「こう暗くては、自分の足元を見るだけで精一杯ですよ。そんなことより」
クリスは言葉を切って立ち止まった。それより一瞬早く、バトラーも足を止めて懐に手を入れる。
「おい先生、こいつらも知り合いか?」
「いいえ? 初めてお会いしますね」
二人の前に、黒い人影が三つ現れた。いずれも体格のいい、帽子を目深にかぶった男たちだ。うち一人が手にしたものが、かすかな月光をはじいてぎらりと光る。
「わたしたちに何かご用ですか」
いっそ朗らかにクリスが声をかける。返ってきたのは無言の敵意だった。じりじりと、しかし確実に、男たちは距離をつめてくる。
「やれやれ、どうも話が通じる方々ではないようですね」
「のんきなこと言ってる場合かよ、先生。どうすんだよ、これ。あんたが撒いた種だろうが」
モートン子爵が差し向けた暴漢だろうとバトラーが暗に告げれば、クリスはあっけらかんとうなずく。
「まあ、そんなところでしょうね。モートン子爵にはよほど後ろ暗いことがおありのようで」
「だからどうすんだって訊いてんだよ」
「どうにかするのはあなたです」
「あのなあ、先生……」
げんなりした声に、この日はじめてクリスは溜飲が下がった。
「てめえの不始末をおれに押し付けんなよ」
「人聞きの悪い。適材適所ということですよ」
はあ、とこれみよがしな嘆息が届く。
「あとで覚えてろよ」
「あとがあれば、もちろん」
クリスの声に、パン、と乾いた音が重なった。バトラーの手に握られた拳銃の発砲音だ。同時に、敵の一人がぎゃっと声をあげて倒れた。
「伏せてろ、先生!」
鋭い指示を飛ばし、バトラーは残る二人に飛びかかった。
怒号と悲鳴。立て続けの銃声。暴漢の一人がろくに狙いも定めず発砲している。その弾道を、バトラーは正確に見定めてかいくぐり、銃を持つ男の鳩尾に拳を叩きこんだ。
くぐもったうめき声とともに襲撃者の一人が倒れる。あと一人。そう思った刹那、クリスの襟首がぐいと引かれた。
「動くな!」
クリスの喉元に、冷たく硬い鋼が押し当てられる。
「何やってんだよ、先生」
バトラーの呆れ声に、クリスはまなじりを下げた。まったくもって、申し開きのしようもない。
「すみません。ですが、一人逃したあなたにも責任があるのでは?」
「あのな、さすがに三人相手は無理があるだろ」
「てめえ!」
がしがしと頭をかくバトラーに、クリスを羽交締めにした暴漢が噛みつく。
「武器を捨てろ! こいつがどうなってもいいのか!」
「ああ?」
バトラーは面倒くさそうに片眉を上げた。
「べつに構わねえよ」
「なっ……」
「薄情ですねえ」
絶句する襲撃者に捕えられながら、クリスは涼しい顔で応じる。
「あなたに良心というものはないのですか?」
「あるにはあるが、あいにく量が限られててな。あんたに振り分ける余裕はねえんだわ」
「え、あったんですか」
「なんで驚いてんだよ!」
「ふざけるな、貴様ら!」
クリスの喉にナイフが食い込む。
「遊びじゃねえんだ! さっさと武器を捨てろ! さもないとこいつの喉かっさばくぞ!」
「ああ」
クリスは口元に冷笑をたたえた。
「シュルツ氏のことも、そうやって害されたので?」
その言葉を合図としたように、バトラーの背後で闇がゆらいだ。
「ひっ……」
男の喉からひきつった悲鳴がもれた。
暗闇の中、バトラーの肩越しに、ぼうと浮かび上がるものがあった。こけた頬。真っ黒な眼窩。そして、裂かれた喉。
闇がゆれる。血にまみれた手が伸びる。己を殺した男へ向けて。
「来るな! 来るなあっ!」
男はクリスを突き飛ばし、シュルツにナイフを向けた。
刹那、パン、と乾いた音が響いた。一拍遅れて、聞き苦しい絶叫も。
足を撃ち抜かれた男は、もつれるように地に倒れた。その手のナイフを、バトラーはすかさず蹴り飛ばす。
「お見事」
クリスが乱れた襟を直しながら賛辞を送ると、バトラーは「どうも」と肩をすくめた。
「お手柄はこいつだけどな」
倒れた男の側に、シュルツは立っていた。失血か、はたまた恐怖のためか、気絶した男を見下ろすシュルツは、途方に暮れているようにも、泣いているようにも見えた。




