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13 充分な対価

「オブライエンの小倅(こせがれ)か」


 モートン子爵の第一声に、クリスは思わず笑みをもらし


 軽んじられるのは慣れている。だが、ここまであからさまな侮蔑をぶつけられたことはなかった。何よりも体面を重んじる貴族にあるまじき態度には、失笑を禁じえない。


「突然の訪問にも関わらず、お会いいただき感謝申し上げます、モートン子爵閣下。ですが、ひとつ訂正を。わたしはもうオブライエンではありません」

「ほう」


 モートン子爵はクリスを嬲るようにあごを上げた。貴族らしく、白皙の整った外見の男だ。クリスの腹違いの兄と、年もそう変わらないだろう。


 だが、こと品格という点では、満場一致でグレンヴィル伯爵に軍配が上がるはずだ。あのひとも意外と良いところがあるのだなと、クリスは異母兄に対する評価を上げた。この場に伯爵本人がいたら「比較対象がひどすぎる」と苦言を呈しただろうが。


「あの噂は本当だったのだな。グレンヴィル伯爵もようやく……いや、おぬしを勘当したのは先代だったか。どちらにせよ、正しいご判断だ。妾の子に家名は名乗らせるべきではない」


 オブライエン。それはグレンヴィル伯爵一族の姓である。クリスがかつて名乗り、いまは捨て去った名だ。


「しかし、当代伯爵はいまだご自覚に欠けるところがおありのようだな。先日も、おぬしを伴ってエイヴリーに顔を出したとか。他家のことに口を出すのは忍びないが、おぬしも少しは身の程をわきまえたらどうだ」

「肝に銘じます、閣下」


 クリスはやんわりと微笑み、隣に立つバトラーに目配せをした。先ほどから、元執事の表情が豊かすぎる。「こいつ大丈夫か?」と言わんばかりの呆れ顔を、頼むから少ししまっておいてほしい。


「それで今日は何の用だ。風の噂で、くだらん商売を始めたと聞いているが」

「はい、お忙しい子爵にお時間をとらせるわけにはまいりませんので、手短かに申し上げます。本日はこちらの」


 クリスは隣のバトラーを手で示した。


 クリスの無言の要求が通じたのか、執事然とした表情を張りつけているバトラーの背後には、シュルツがひっそりとたたずんでいる。切り裂かれた喉をさらし、虚ろな目を子爵に向けながら。


「バトラー氏の依頼でまいりました。じつはバトラー氏の知人がしばらく前から行方不明でして。その方の捜索をわたしが請け負った次第です」


 そこでクリスはいったん言葉を切る。


「その方ですが、姓はシュルツとおっしゃいます。お聞き覚えは? 閣下」

「ないな」


 悪手だな、とクリスは思う。否定するのが早すぎる。少しは記憶をたどるふりでもすればいいものを。


「聞いたこともない。そもそもなぜ、そのシュルツとかいう者を探すのに、わたしを訪ねてきたのだ」

「その方が残した言葉の中に、閣下のお名前があったものですから。本当に、お知り合いではありませんか」

「知らんな」

「よくお考えください。閣下の事業の関係ではいかがです」

「……何が言いたい」


 子爵の余裕に、早くも一筋のほころびが生じた。


「いえ、こちらも風の噂で聞き及んでいるのですが、最近の閣下はたいそう手広く事業を手がけていらっしゃるとか。もしかしたら、そのご商売の関係での繋がりかと思いまして」

「くどい」


 たたきつけるように子爵は否定した。


「そんな男は知らんと言っているだろう」

「おや」


 クリスは薄く笑った。


「よくおわかりで。わたしは尋ね人が男性だとは、ひと言も申し上げておりませんが」

「……この」


 しばらくの間、クリスは子爵の顔色の変化を楽しんだ。血の気が引いて白く、さらに青くなった子爵の顔に、最後は怒りの朱がのぼる。


「これだから、売女の子は……!」


 クリスはかるく右腕を上げた。一歩踏み出しかけたバトラーを制するために。さすがにこれはなかろうと目で訴えるバトラーに、気にするなという意味をこめて首をふる。


 それにしても、とクリスは他人事のように感心した。今日はよくよく想定外のことが起こる日だ。兄への評価が上方修正されたり、口の悪い元執事の熱血漢ぶりに驚かされたり。


「……とにかく、知らんものは知らん。用件がそれだけなら、今すぐ出て行くのだな」

「まあ、そうおっしゃらず」


 多少の冷静さを取りもどしたらしい子爵に、クリスはわざとらしく首をかしげてみせた。


「いま少しお付き合い願えますか」


 クリスは懐に手を入れ、小箱をひとつ取り出した。テーブルに置き、箱を開く。


 そこから現れ出たものに、息を呑む声が複数響いた。ひとつは子爵の。もうひとつは、元執事の。


 蝋燭の灯のもとで赤紫に輝く宝石。涙型のその耳飾りは、かつてのオルデン公国の至宝「道化師の涙」の片割れだった。


「こちらに見覚えは? 閣下」

「……新聞で見たな。グレンヴィル伯爵が落札された耳飾りだ。なぜこれを……」

「ああ、誤解なきよう。これはエイヴリーに出品されたものではありません」

「なんだと……」


 子爵ははっとしたように目を見開く。


「……つまり、もう片方の? 馬鹿な。どうやって手に入れた」

「入手経路はご勘弁を。さて、閣下」


 クリスは指先で輝石の表面をなでた。


「いま一度お尋ねします。シュルツ氏について、いえ、この耳飾りについてでも結構です。何か思い出されましたか? 情報をご提供くださいましたら、お礼としてこの耳飾りを差し上げてもよろしいのですが」

「おい……」


 隣でバトラーが声をあげる。それをクリスは冷然と無視した。


「いかがでしょう。対価としては充分かと」

「これを……わたしに」


 赤い輝きに魅入られたように、子爵の手が耳飾りにのびる。その指先が石の表面に触れかけた刹那、クリスはぱちんと箱を閉めた。


「失礼」


 クリスはにっこり笑って小箱を懐に戻した。その横では、バトラーが渋面をこしらえている。この場に子爵がいなければ、おそらく元執事はこう言っていたことだろう。危なかったな先生、と。


 小箱をしまったクリスの胸元に、赤黒い手が伸びていた。子爵の目には見えない、血に染まった男の手が。


 クリスが耳飾りを出した瞬間、それまでバトラーの背後に立っていたシュルツが動いた。クリスのもとへ。耳飾りのもとへ。そのままシュルツの手が耳飾りをつかもうとした寸前に、クリスが箱を閉じたのだ。


「最後にお聞きします、閣下。シュルツ氏の行方に心当たりは?」


 にこやかに語るクリスの首に、シュルツの腕が巻きつく。虚ろだった両眼はかっと見開かれ、裂かれた喉から声なき叫びが発せられる。それを寄越せ、それを返せと訴えるように。


「くどい」


 子爵は苦々し気に吐き捨てた。


「そんなものでわたしを買えると思ったか。片方だけの耳飾りなど興味はない」

「おや、グレンヴィル伯爵と同じことをおっしゃいますね。だから閣下も、あれを手放されたので?」


 子爵はぎくりとしたように肩を震わせ、ゆがめた口からクリスへの罵倒をしぼりだした。


「下賤の者が……グレンヴィル伯爵の身内だと思えばこそ付き合ってやったが、もう我慢ならん。さっさと出て行け。これ以上わたしにその不愉快な顔を見せるな。このオブライエンの面汚しが」

「これは失礼いたしました」


 クリスは立ち上がり、優雅に一礼した。


「それでは本日はこれで。ああ最後にひとつ、くどいようですが訂正を」


 クリスの灰緑の瞳に、冷たい光がゆらめいた。


「わたしはもうオブライエンではありません」


 そう言い放ち、クリスは身を翻した。すぐあとにバトラーもつづく。部屋を出ていく二人の背中を、子爵は憎しみをこめた目で見送った。



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