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潮崎の警察署から車を走らせること数十分。
伊住馬の住む古びたアパートとはまるで空気の違う、区画整理された閑静な住宅街の一角に、
抹茶色のMINIは停まった。
アイドリングの微振が伝わる車内から、京太郎はフロントガラス越しにその建物を見上げている。
堅牢な三階建ての邸宅。立派な門柱に嵌め込まれた御影石の表札には、『大槻』の文字が彫り込まれていた。
「……そっか」
助手席から、ため息のような呟きが漏れた。
京太郎が視線を向けると、男の体躯に宿った少女の霊は、窓の外の『自分の家』を静かに見つめていた。
「ほんとに私、死んじゃってたんだ。家、見てたらなんか……全部思い出した」
自らの死という決定的な事実を、彼女はひどくあっさりと受け入れていた。憑き物が落ちたように穏やかな横顔が、そこにあった。
「ごめんなさい。急にわけもわからなくて、あんな暴れちゃって……」
膝の上で組まれた指先が、申し訳なさそうに小さく震えている。
京太郎は小さく息を吐き、声から険を抜いた。
「構わない。突然知らない人間に憑りついてしまったんだ、無理もないさ」
そう応じてから、居住まいを正して真っ直ぐに彼女を見た。
「それより、やり残したことがあるなら今済ませてこい。俺が間を取り持ってやる。
生者と死者がこうやって言葉を交わせる機会なんて、偶然以外じゃ、ほんと、あるもんじゃないからな」
*
大槻邸のリビング。
両親へ向けて、伝えたい言葉のすべてを伝え終えた瞬間だった。少女の霊気は、
伊住馬の肉体から未練なくふっと抜け去った。主を失った青年は、糸の切れた操り人形のように、
ソファの上で力なく崩れ落ちる。
京太郎は無言のまま、ぐったりとしたその身体を抱え上げた。責務は果たした。ならばあとは、
一礼をして去るのみ。
玄関へ向かう彼の背中を、両親がじっと見送っていた。亡き娘の最後の言葉を届けに来た見ず知らずの男と、娘をその身に宿していた見ず知らずの青年。二人に向けられるその眼差しは、底知れぬ悲哀と、
それ以上の深い感謝に濡れていた。
意識を失った青年を再び助手席に押し込み、京太郎は運転席へ戻った。
ドアを閉め、キーを捻る。古いエンジンが身震いして目を覚ました、その時だった。
「……よう」
隣から、ひどく掠れた低い声が響いた。
「……ッ!」
京太郎は反射的に身を強張らせ、視線を助手席へ突き刺した。また別の霊が入り込んだのか。
「次はどの霊だ?名乗れ」
身構える京太郎に対し、シートに深く沈み込んだままの青年は、けだるげに首を回して口の端を歪めた。
「――お前、結構いい奴だな」
返ってきたのは、飄々とした、不敵な響きだった。
太田のように無理にドスを効かせた声でもなく、大槻という少女の裏声でもない。自然体で、図太く、
どこか底の知れない響き。そこでようやく京太郎は理解した。自分が今、初めて、轟伊住馬という青年本人の声を聞いたのだということを。




