第三段 静かな日々 迫る別れ
ナミカは六歳になり、ナギトは四歳になっていた……。
かつて活発だったナミカの性格は次第に落ち着き、
今ではナギトの面倒をよく見る、優しいお姉さんといった雰囲気へと育っていた。
屋敷の庭では、ナミカとナギトが追いかけっこをして遊んでいた。
また、いつの間にか小さな白い犬が一匹増えており、
ナミカとナギトと一緒に、元気よく走り回っている。
この犬は「シロ」と名付けられていた。
その光景を、アヤネとカガセオは少し離れた場所から、静かに眺めていた。
「ナミちゃんは、本当に大きくなりましたね。
昔の奥様に大変似ていらっしゃいますね」
と、カガセオがしみじみと言った。
「ふ〜ん、そうかしらね〜。
私には、どちらかと言えば夫に似ているように思えますけど」
と、そっけなく返す。
「いえ、顔立ちも雰囲気も、奥様にそっくりですよ」
と、カガセオは少し力を込めて答えた。
「そうなのかしらね……。
でも、性格はあまり似てほしくないかも……」
と、アヤネはぽつりと呟いた。
その言葉に、カガセオもどう返すべきか分からず、しばし言葉に詰まった。
少し話題を変えたかったのか、
カガセオは咳払いをしてから、口を開いた。
「そういえば……ナミちゃんが先日お受けになった学力試験の結果ですが、
とてつもない数値を記録されていましたね」
「遺伝子操作を受けていない子が、
これほど優秀な成績を残されるのは、正直驚きです」
「まるで……昔の奥様のようで」
そう、懐かしむように言った。
「まだ小さい子どもですし、将来のことは分かりませんよ」
アヤネは、期待しすぎるのは早いと言いたげな口調で答える。
「幼少期に学力が高いこと自体は、悪いことではないと思いますけれど」
と、どこか距離を取るように付け加えた。
「それに、あの子の才能は私だけのものではないはずです。
亡くなった夫も……かなり優秀な人でしたから」
そう言って、アヤネは微笑みながらカガセオの顔を見た。
少し困惑した表情を浮かべるカガセオを見て、
アヤネはさらに口元を緩める。
「それにですね、私は遺伝子操作というものに、以前から疑問を抱いているのです」
アヤネは、どこか学者のような口調で語り始めた。
「一つは、皆が似たような思考を持つようになってしまう危険性です」
「今の社会に適合する優秀な人間が多く存在すること自体は、
決して悪いことだとは思いません」
「ですが、社会の仕組みそのものも、結局は人間が作り出したものにすぎないのです」
「人というものは、一度それを心地よいと感じてしまうと、
なかなかそこから抜け出せなくなるものです」
「そして、それは大きな危険を孕んでいます」
「外的要因に対して、極端に弱くなってしまうということです」
「だからこそ、さまざまな考え方を持った人間が必要なのです」
「ときには、間違っているように見える考えを耳にすることで、
より良い方向へ進むこともありますし」
「それに、社会の仕組みそのものを作り変えていくことも、時には必要です」
「もちろん、その過程では大きな抵抗に遭うでしょうが」
「それでも……そうやって人類は発展してきたのです」
「たとえ非効率であっても、人間にとって心地よい社会を目指すことも必要だと考えています」
「私は家族を持って、確信しました。
これこそが、人間に与えられた幸せの一つの形なのではないかと」
「それを忘れてしまったら、人間は人間でなくなってしまうのではないかと」
「もしそれを失えば、人間はもはやそこに存在せず、
社会構造の一部として消費され、滅びているのと同じではないかと……」
「奥様は、昔から変わっていませんね」
「そのようなお話は、奥様の口から何度も聞かせていただいておりますので」
カガセオは、どこか懐かしそうにそう語った。
アヤネは少し頬を赤らめて、
「そうでしたかしら?
……やだ、つい色々と話してしまって」
と、照れたように笑った。
「ママー、ナギトとシロを連れて、近くの公園まで行っていー?」
遠くから、ナミカが大きな声で叫んだ。
「いいわよー。気をつけて行ってらっしゃいな!」
それに応えるように、アヤネも大きな声で返事をした。
その声を聞くと、ナミカはシロの手綱を引きながら、
「いくよ!」
とナギトに声をかけた。
「うん!」
ナギトも元気よく答え、二人と一匹は公園へ向かって走り出した。
「カガセオさん、すみませんが、
ナミカたちが少し心配なので、ついて行っていただいてもよろしいでしょうか?」
「承知しました、奥様」
そう答えると、カガセオは三人の後を追って歩き出した。
(ナミカは、もう六歳……来年から学校へ通い始める。
ナギトは四歳。残された時間は、あとわずか……)
そう思うと、胸が締めつけられるように寂しさが込み上げてきた。
別れの日は、確実に近づいてきている。
(その日が来たとき、私はどうなってしまうのだろう……
そう考えるのが、怖い……)
アヤネはそんな思いを胸に抱えたまま、
静かに屋敷の中へと戻っていった。




