四十五話
「ん、んあ? どこだここ……なんだ夢か……」
「夢じゃないよ。夢だけど夢じゃないってヒロ兄。妹、ここに妹います!」
慌てて言いながら目の前に移動する。
ぼやっとした顔のヒロ兄は目をすぼめると間の抜けた声を上げた。
「サエ? だよな? 夢か?」
「夢じゃないって言ってるじゃん。久しぶり、ヒロ兄! 私からすると数か月ぶりなんだけども、ヒロ兄のところは何年かな」
「ん? あ、なんだここ? いや、サエ? どうしたんだ」
「メルーが兄妹間交流ってことで会わせてくれたの。あ、この子ね。お父さんとお母さんがこっちで見つけた養子みたいな感じで、実質私たちの妹。メルー」
「どうも、古野守ヒロ。一度ご挨拶はしましたね」
「は、はあ」
眼鏡を探そうとして、ないことに気づいたのかヒロ兄は眉を寄せた目つきの悪い顔で私たちを見ている。
「それから、ルン」
遠慮がちに立っているルンの手を取って引っ張る。
「ヒロ兄、こちら私の相棒で恋人で将来的に一緒になる人です。こないだから付き合いはじめました」
「……お前、マジか」
「マジよ。覚えてる? あの時話したでしょ」
「覚えてる。可愛い連呼してた子だろ。男って聞いてないぞこの馬鹿……いやそんなことより、サエが本当にお世話になっております。愚妹は目を離すとすぐ何かやらかすが、迷惑をかけていないか」
画面から上半身だけのままだけど、ヒロ兄が申し訳なさそうにルンへと深々と頭を下げた。ルンはきょとんとしていたが、すぐに同じように深々と礼をした。
「あ、いえ、むしろこちらがサエには助けていただいています。サエのご家族と会うことができ、光栄です」
丁寧なルンの仕草や口調に、ほうっとヒロ兄は息を吐くと胡乱な目つきで私をねめつけた。
「……サエ、お前、善良な人をだまして? 脅かして?」
「人聞きの悪いこと言わないでよ。ルンが良い人なのは本当だけど、ちゃんと両想いです両想い!」
「あのサエに……?」
ぽぽぽっと頬を染めるルンを見て、ヒロ兄が驚愕している。失礼極まりない兄だ。
「ともかく! こっちの大事な家族です。ヒロ兄のとこにも負けず劣らず仲良くしていくつもりだから、心配しないでね。ずっと紹介したかったんだ」
「安全面においては保証します」
ピースサインでメルーが言う。
「あ、メルー、ロクタックの人たちの絵とか見せてあげようよ」
「記録映像の切り取りでよければ、こちらに」
ヒロ兄の前に複数の映像パネルが現れて、それぞれロクタックの人たちを映している。異形姿でなくちゃんとした人の姿なのは、ヒロ兄の精神面を考慮したのだろうか。ちらっと見れば、またピースで返された。メルー、茶目っ気を覚えたみたいだ。
「これが父さんと母さんの子孫で……サエの保護者と」
「みんなすごくいい人たちだよ。で、子孫と言えばヒロ兄、姪っ子!」
「姪っ子?」
パネルを見ていた目線を私に向けると、ああ、と言った。それから自分のいる画面を体を捩って見て、微妙な声を上げた。
「この状態、本当に何なんだ……いや、まあ、そこの妹? メルー? がしてくれたんだろうが、ええと、姪だったな」
「そうそう!」
「苗のことか。名前は、南美とサエから一字をもらったんだが、そのおかげか南美やお前みたいによく動く」
「あー、映像でもそんな感じだった。可愛いね、苗ちゃん」
「まあな。自慢だ」
「私の分までいっぱい抱っこしてね」
「おんぶもか」
「そう」
肯定すれば、力を抜いてヒロ兄が笑う。
「ねえ、ちょっとの間だけ、お話してよ」
そうしてお願いをしてみる。ヒロ兄は緩く頭を掻いて、近況を話し出した。
当たり障りのない日常や、ちょっとしたニュース。懐かしい思い出話も。話が途切れれば、私が交代で話した。ルンやメルーに話題を振りながらの話は、本当にあっという間だった。
時間だ、と画面のカウントダウンを見てメルーが言った。
誰ともなく黙って、やがてヒロ兄が口を開いた。
「あー……メルー。またサエと会わせてくれてありがとう。君のおかげだ」
「兄妹の交流ですからね。かまいません」
「アドバイスをするが、サエのわがままには話半分で流しておくといいぞ」
「なるほど。学習しました」
それから、笑い半分に今度はルンを呼んだ。
「ルンくん、ちょっと」
「はい」
「サエはこう見えて、寂しがりだ。それに甘ったれで、無鉄砲だ」
「……はい、知っています」
「そうか。なら、俺の分まで気にかけてやってくれ。君が思っている以上に、サエは君を頼りにしていると思う」
「はい。この身にかえても、大切にします」
意義あり、と間に入ろうかと思ったけれど、ヒロ兄が私を呼んだ。
「おい、サエ」
「なに、ヒロ兄」
「元気でな」
「……そっちも」
手を広げて抱き着いてみる。感触はあっても温度は感じない。けれど、胸はぽかぽかと温かい心地がした。
またね、は喉の奥に押し込んで、離れる。
メルーが送り届けるのを見ながら、一歩下がってみる。明るく見えるように手を振って、笑顔を作る。
ふと、手が当たった。
横に立っていたルンが手の甲をあてて、それから手をゆるくつないでくれた。それが嬉しくて腕のほうに体を寄せてみる。私の様子を目にしたヒロ兄が、にやっと笑う。私も負けじと笑い返した。
ゆっくりと画面の中へとヒロ兄は帰っていった。
それからまた川の字になった三人が起きだすのを確認して、メルーは画面を消した。
細かに粒子が舞って、空中に溶けて消えていく。あとはもう、そこには何もない。
──きっと、もう会えないだろうな。
芽生えた感傷に、寄りかかったまま手先に力を入れてみる。包むように握り返されることが、私を安心させてくれた。
「メルーの用件は以上です。交流になりましたか」
「うん、ばっちり。メルーもヒロ兄と話せてどうだった?」
「人となりは完璧ではないですが、記憶をしました。シンとユウの面影を感じます……さて、メルーはこれよりさらなる修復作業に入ります。何かあればそちらの装身具に強く訴えてください」
「あ、やっぱりそういう道具だったんだ……ありがとう、メルー」
「どういたしまして。ルンもサエ姉と共にならば、また来てもかまいません。もちろん、警戒はしますが。では」
メルーがスカートの裾をもって、ちょんっと膝を曲げた礼をしてみせる。
正統派美少女のぴかぴかな笑顔を浮かべて、そのまま姿は薄まって消えた。
「ルン、それじゃあ行きましょっか。頼まれごともしなくちゃ」
完全にメルーがいなくなったのを確認して、つながった手を揺らす。同じように見送っていたルンの顔がこちらを向く。
深い藍色の瞳が私をとらえると穏やかに表情が緩む。黙っていれば幸薄い顔は、今はそんな影も形もない。
恋する欲目もあるかもしれないけれど、はにかんで頷いたルンは、とても幸せそうに見えた。
恋するときれいになるっていうのは、ルンの場合は正解かもしれない。
じりじり寄って、肩口に額を擦りつける。途端、うろたえた声が上がる。それでも手を離さないで、おずおずと抱きしめてくれるルンが好きだ。
「いつもありがとう。早く終わらせて一緒に帰ろう」
「はい、一緒に」
まだまだこういうことを照れる可愛い恋人の手を握って、私は意気揚々と足を進めた。
*
ざあざあと雨が降っている。
恵みの雨どころか、密林のスコール並みの土砂降りは、見ていて逆に爽快感があるほどだ。この土地の思い切りのいい雨は、止めばからっと晴れるのもいい。
部屋の自室から外を眺めて、ほっと一息つく。この分だと明日も大雨だろう。
これは外出もそれに伴うお仕事やお手伝いは免除だ。その分、城内のことであれこれ言われるかもしれない。
机に広げていた作業途中の道具たちを片付けながら伸びをする。ずいぶんと時間が経ってしまった。
転がるペンが置いてあったメモ帳にぶつかって止まる。
使い切ってよれたメモ帳は、もう書き込む場所がない。つい、さっき使い終わってしまった。一緒に持っていたボールペンもインクはとうになくなって、こちらのペンを使うようになった。
残り僅かになったと気づいた時から、ちょっとずつ隙間を埋めて大事に書くようにしていた。
けれど、それでも終わるときは来てしまう。わかっていたけれど、寂しいものだ。
ただ、私がそうしていたのを見つけたウータさんが、ユウェタース様に相談して用紙を用意してくれた。せっかくだから、また日本語であのときの冊子の中身を再度書き直せと注文付きで。
今はそれの清書をしているところだ。
そしてそれは私だけの作業ではない。
「ルン、休憩しない?」
「そうですね。飲み物をもってきます」
「じゃあ私はおやつを用意する」
同じように清書作業をしていたルンが手を止めて、片付けを始める。
部屋の中の作業机は、この作業のためだけに作られたものではと思わずにはいられない。
そう。
私とルンの部屋だ。
まだ早いと言ってロクタック家の猛攻を押しのけてきたけれども、多勢に無勢。そして互いにまんざらでもないか、と流された結果、大き目の部屋が与えられたのだ。
あれはもう今からどれほど前だったろうか。半年以上は前なのは確かだ。
意外にもフィドモン様は建造に関してうるさいらしく、新たに壊れた部屋を改修するとなったときに一番腕を振るった。なんだか戦国大名みたいな趣味を持つ御方である。
共用スペースと自分のスペースをとれるくらいには大きなお部屋なので、プライベートには配慮されているのだと思う。多分。気を遣ってくれたルンが仕切り布で帳を作ってくれているので、大きな不満はない。
簡易調理台とかは間違いなくコモス様の意向だろうな、とか、姿鏡や靴などのケースはオウィノー様やハリオス様だろうなとか、個人の趣味が見え隠れするものもあるが。
ここで過ごすにつれて、私とルンが選んだ家具や雑貨もちょっとずつ増えているので、快適さはそれなりに向上していっている。
「途中までできた物、一緒にまとめていい?」
「ありがとうございます、サエ。お願いします」
一足早く席を立って、お湯を沸かしに行ったルンを見送ったあとに、ルンが書いたものを上にして集める。
あれこれメモ帳に書き散らしてまとめるのを四苦八苦している私に比べて、一度書いたのだからと早々にルンは書き終わろうとしていた。おそらく締めの言葉だろう言葉が真ん中あたりに踊っている。
なんて読むんだっけ。あなた、ねがう。これだけは読める。
道具を片付けた後で、前後の文字を見比べながら唸る。だめだ、虫食い状態でしか読めない。
簡単な単語とかは読めるようになったけれど、まだまだだ。活字中毒なユウェタース様はほぼマスターしかけているのに、私が読めないのはなんだか悔しい。
まとめて置いて、おやつを取るついでに聞こうとルンのほうへと歩く。
「ルン、最後なんて書いてたの?」
「え」
ぱちりと目を瞬かせて、ルンは私を見る。
「目に入って気になったから」
「ああ……取るに足らない言葉ですよ」
言いながら机のほうにポットと食器を運んでいく。そういわれると余計に気になる。
壁につけられた収納戸棚から瓶へストックしていたお菓子を取り出して小走りで戻る。
「私にとっては、当たり前のことを書いているだけなのですが」
一枚を取って、しなやかな長い指先が文字をなぞる。小さめの口が呪文を呟くみたいにひそやかに動く。
「異方から来たあなたへ、愛をこいねがう」
「……さては、惚気たわね、ルン」
「惚気……なのでしょうか。締めの言葉は愛の言葉がよいとハリオス様やウータ様から聞いたので」
「まーた、吹き込まれちゃったのね、ルン。まあ、全然いいけど。すごくいいけど」
「サエがいいのなら、そのままにします」
小さく笑って、紙は戻された。
「じゃあ同じようなの私も書いておこう。だって一緒に書き直してまた同じようにまとめるし」
「それは構いませんが、サエはいいのですか」
「いいの。ルンが惚気るなら私も惚気てやるわ。後世に残る黒歴史だろうと砂糖吐き散らかせちゃうくらい甘いの書いてやるわよ。新しい紙どこだっけ、新しい紙」
食器の位置をずらしてルンが渡してきてくれた紙に書き殴る。
「そうだ。ルンが私と一緒に住みたいなって告白してくれたときの言葉書いていい?」
「さ、サエ! ちょっとそれは、さすがに」
「だって、ルン、私がわからないのを良いことに、私の思い出話めちゃくちゃ書いてるの知ってるんだからね。私の名前が何個もあるのを見ればわかるわよ」
「それは……ですが」
「ええと、メモにも記念で書いてるのよね。サエは私を」
「読み上げないでくださいっ」
顔を真っ赤にして立ち上がろうとするルンが慌てて私の手元のメモ帳へ手を伸ばす。そこで火をつけるとかしないあたり、まだ優しい。
「ルンが言ってくれてもいいけどなあ。また言ってくれたら嬉しいなあ」
「……あなたという人は」
はあ、と息を吐いたルンが肩を落とした。
これくらいで怒る狭量な人ではないと信用しているけれど、まずかっただろうか。
腰を浮かせて下からうかがうように見れば、ルンは机越しに屈んで額を寄せてきた。こつんと当たって、目と目が近づく。
「私を特別に見てくれる、普通の人にもしてくれる。そんなサエを、どうして好ましいと思わずにいられるでしょう」
「そう、それ。すごく素敵な言い回しで、好き」
「……言い回しだけですか」
「もちろん、ルンも大好き」
「はい」
視線が落ち着かなくさ迷ってから、瞼が下りてそれからゆっくり開く。
「私もです。どうか、これからも共に」
愛おしいと見てくれる相手の目を見返して、首元に腕を伸ばす。
そのままの勢いで、唇を重ねる。
柔らかな心地を抱いて、雨音のなかで一つになったような。
今日もまた、幸せに時間が過ぎていく。
唇を離して、額をまた寄せて、どちらともなく笑い声をこぼして表情を緩める。
きっと明日も悪くない日になる。
根拠はないけど、ふとそんな勘が働いた。
<了>
この二人のお話は、これにて終わらせていただきます。
自分が読みたいなというところから始めて続けたお話を、きちんと区切りをつけられたことに一安心しております。
なにはともあれ、完結まで書き通せたのでひとまずよしです。
あいも変わらず、私向けなのだと突っ走った話でありましたが、すこしでも楽しんでいただけたなら幸いです。
また、誤脱報告ありがとうございます。とても助かっております。
ここまで読んでくださり、大変ありがとうございました。




