四十四話
食後ほどなくして、私のもとに一報が届いた。
頭に直接音声メッセージがきたのだ。
最初は微かな耳鳴りだと思っていると、徐々にクリアな言葉へと変わった。まるですぐ近くでささやかれているような声が体の内側に響いてくる。
一瞬ホラーな現象が起きたのかと身構えてしまったが、そんなことはなかった。
『――……サエ姉、装身具を媒介に周波を合わせて音声を飛ばしています。連絡事項がありますので、空いた時間にメルーのところまでお越しください』
メルーからだった。
なんだ、と力を抜く。メルーの声は何度か同じ言葉を繰り返すと、ぷつり、とスイッチを切るみたいな音をさせて消えた。
実にタイムリーというか、駆け込もうかなと考えていたところなのでタイミングはちょうどいい。ようやくルンによる私の動悸不全は落ち着いてきた頃合いである。
装身具とは、メルーに詫びと称してもらったブローチのことだろう。せっかくなので、いつも服の片隅につけさせてもらっている代物だ。ブローチはカメオに小さな緑色のリボンがついたシンプルさで、大抵の服に似合うのが良い。ただ、デザインが四角と丸の幾何学模様なのは謎だけど。
ブローチを撫でてももう反応はない。
「サエ? 何かありましたか」
片付けがてら席を立ちあがると、ルンが目ざとく聞いてきた。まあ、目の前で大げさに身をすくませたり力を抜いたりしていれば、何かあったとバレバレだったろう。細かいところに気づいて、私をよく見ているらしいルンなら特に。なんだか照れ臭くなってきた。
心配するほどのことではないよと、軽く手を振って否定する。
「ううん。ちょっとメルーから連絡が来ただけ。ダンジョンにおいでって言われたから、行こうかなって」
「では、準備を」
別にルンは待っていていいのに。
そう思っていると、たしなめるように名前を呼ばれた。
「サエ。もしも前みたいに出かけて、何かあったらいけません」
「うっ、その節はお世話になりました」
「いえ、あれはそもそも私が……ともかく、一緒に行きます」
そう言って、ルンも片づけを始めた。手早く汲んだ水にさらして洗って、乾燥待ちの棚に置く。
手際よく終わらせると、「一人で行かないでください」とさらに念押しをしたルンは部屋のほうへと戻っていった。こういうところはまだまだ信用がおかれていない私である。
すごい! サエなら任せて安心だ! なんて具合に、ルンが思ってくれる日はくるのだろうか。この様子じゃ当分無理そうだな、とルンの背中を見送って私も部屋へ準備に戻った。
一人で駆けこむことが何度かあったとはいえ、ダンジョンはダンジョン。
向かう途中の道で何かと出くわしたりすることもあるので、必要最低限のお外の準備は要るのだ。イノシシもどきことススカニだけでなく、三つ首の牛っぽいのや尾にも頭が付いた蛇もたまに見つけたことがある。
蛇足だけど、牛っぽいやつが一番おいしかった。あとで高級食材の貴重な生き物らしいと図鑑で知った。
身支度を整えて、部屋に設置してもらった鏡で確認をする。
ロクタック家でお世話になっているなかであっても、淑女っぽい恰好をしろと強制されないのは有難い。育ちや文化が違うならとやかく言うまいと放任してくれるのだ。そういう寛容さはかつての領民に人気だったのだろうか。
お直ししてもらったパーカーとTシャツ、ハーフパンツとスパッツ。それから腰元のポーチに、ススカニ素材のおニューブーツ。前の世界の恰好は、だんだんとこちらの世界ナイズドされていっている。まあ、これは仕方ない。けっこう、寂しいけれども。
鏡の前で口角を上げて笑ってみる。
ほつれや皺も気にならないし、髪型もぼさぼさじゃない。化粧もしたいところだけれど、道具も不十分なのでオウィノー様たちから借りた紅を薄く塗るだけ。クマもない。ばっちりだ。
ルンと一緒に行くのなら、ちょっとはよくしておかないと。ささやかな乙女心だ。
恋をしていると綺麗になるというが本当だろうか。
その割には、見慣れた私の顔だ。幸いなのは、人間離れじみた再生能力のおかげでニキビやふきでものと無縁のお肌になったことだろうか。頬をマッサージしてみる。
「うん、よし。たぶん、よし」
声に出して、自分に言い聞かせてみるが効果はあるのかないのか。
そしてそのくらいのタイミングで、部屋のドアがノックされた。続けて「サエ」と呼ぶ声がする。
ルンだ。早すぎる。
本当に走って行って走って戻ってきたんだな、というくらいに短い。ダメ押しにもう一度軽く鏡を見てから、ドアを開ける。
慌てて装備を整えたのだろうルンは、軽く息を弾ませていた。部屋の中に居る私を見ると、嬉しそうにほうっと息を吐く。
「お待たせしました」
「そこまで待ってないわよ。別にそんなに急がなくてもよかったのに」
「またいなくなってしまったらと思うと、つい」
「もうしないってば、心配性め」
部屋から出てルンの傍に寄って、指先で脇をつつく。やんわりと止められて外された。
大分反応が手慣れてきたみたい。けれど怒られることはなく、表情は柔らかく優しい。こういうところが好きだなあと、自然とこっちの顔も緩んでしまう。
「じゃ、行きましょっか」
そうして、どちらともなく部屋を出るために足を動かす。
こぶし一つ分くらいの距離は居心地がいい。手を繋いで歩くのもいいけれど、特に何をするわけでもないこの距離感もいいものだ。
「コモス様に会いましたので、出かけることを伝えたのですが、一つ頼まれごとをされまして」
「わかった。ついでに食材を取ってこいって言われたんでしょ」
「はい。鞄ごと預かりました。帰りにいいでしょうか」
「ぜんぜん。果物も少なくなってたっけ。余裕があったら森も寄っちゃおう」
気兼ねない会話を挟んで、さくさくと歩き進む。
ここの季節は一定だ。
つねに青く茂った草木と温暖な気候。厳寒も猛暑もなく、過ごしやすい時期をぐるぐる回っているだけのような。多分、メルーがそう管理しているのかなと私は予想している。
四季を楽しみたいなら、下の世界を覗けばいい。浮いたロクタック領地の端っこに行けば、下界を見下ろすことができる。狩りのお手伝いや散策で何度か見たけれど、かなりの迫力で眺めているだけでとても楽しい。
もし、実際に体感したいのならホールの便利な扉を使って出かければいい。ただし私が使用する場合は誰かの付き添いのもとでと厳命されている。悲しい。
「あ、メルーがいる」
森の入り口。
やや開けた空間に、草木と朽ちた石畳がまばらに見える場所。そこのいい感じに鎮座している大きな石にちょこんと女の子が座っている。
実態はないから影はない。けれども、美少女が足をぶらぶらとさせて暇をつぶしている様子は実にリアルだ。
おおい、と声をかけると同時に、メルーはぱっと顔を上げた。かと思えば姿を消して、私の目の前に瞬間移動して現れた。
ふわふわと私の目線辺りくらいに浮いたメルーは可愛らしいエプロンドレスの裾をとっておしゃまな礼っぽい仕草をした。
「こんにちは、メルー。呼ばれてきたわよ」
「はい、お待ちしてました。ところでメルーはルンを呼んではいないのですが、付き添いで?」
ちらっとルンを見たメルーは、わかりやすく頬を膨らませた。
ルンが強行をしたと言ってから、メルーはどうもルンに苦手意識というか警戒心を持っているらしい。本当にどんなことをしたのやら。聞いてもルンは「恥ずかしいので」とはぐらかすので詳しく聞き出せていない。
「ルンがいるのならば、再構成した奥域に案内はいたしませんよ。位置を把握させるのはもっての外です」
「サエがいるのならば、何もしません」
メルーの言葉をそのまま返すようにルンが静かに答えると、ますます頬を膨らませた。
「安全保障ができかねる以上、警戒せざるを得ません。サエ姉、メルーはあなたの妹として申しますが、パートナーとして危険ですよ、ルン」
「ええ、そうかなあ」
ルンを見るが、困ったようにへにゃりと眉が下りている。とてもじゃないけれど、危ないとは思えない。
「危機察知能力の乏しいサエ姉なので、わからないかもしれませんが。位置さえ把握していれば、射程内へ任意に火が発生したという概念を埋め込めるのです」
「どこでも火が出せるってことでしょ?」
「はい。実態非実態を問わずに燃焼という結果を強制的に対象へ与えるものが、どうして安全といえましょうか。メルーが優秀すぎるばかりに、施した改造に加えてこの世界での経験を経て、この度見事に化けてしまったので要警戒対象なのです」
いいですか、と人差し指を振りながら説明してくれる。
つまるところ、ルンの火をつける能力は思った以上に危ない。さらには進化したらしい。それでメルーは身の危険を感じてしまった。
実際に、ダンジョンを燃やして溶かして通路を作ってしまったのが決定打なのだろう。この場所からはよく見えないけれど、そんなにひどい有様になったのか。
「でも、私、ルンを信頼しているんだ。もし、そんな素振りがあったら、私も責任を取るから」
「今後、必要に迫られない限りは何もしません。誓って、しません」
軽く請け負うと、ルンが即座に重たく同意した。私よりも並々ならない決意で応えている。
メルーはまだ渋っている。
できれば、メルーにはルンを受け入れてもらいたい。一緒に行動することが多い上に、血は繋がらなくても家族みたいな位置に立つ二人なのだ。
「ねえ。これからメルーもよくルンを見て、判断したらどうかな。経過観察って大事でしょう? それに、メルーは私の妹だし、ルンは私の恋人だし、ゆくゆくは……まあ、どっちも家族なんだからさ。古野守家は一家仲良しでいたいもの」
「経過観察については、一考しておきます。ですがそれは後々。今はまだ警戒を取り下げることはできませんので、代行措置を取らせていただきます」
メルーは腰に手を置いて、胸を張る。丸い新緑の目がじろりとルンを見て、それからツンと顎をそらした。
「サエ姉の意見を考慮します。今後、メルーに害を加えるなど考えないように」
「感謝します。メルー」
ルンが軽く頭を下げると、フン、とメルーは可愛らしく鼻を鳴らした。私の妹として扱ううちに、どんどんと人間らしく学習をしていっているようである。
謝罪と今後の方向性が決まったことで、溜飲をひとまず下げてくれたのだろう。空中から地面に降りてきて、メルーが右手を軽く上げて空を撫でる動作をした。
ぴかぴかと光る粒子が集まって、薄型の半透明なモニターを形作っていく。家にほしいなと思っていた大型テレビみたいだ。
「サエ姉の言葉を借りるとするなら、ルンも身内にあたりますので、視聴権限を与えます」
そう言うなり、指先を鳴らす。
パッと、画面に映像が現れた。見覚えのある居間が映っている。私の家の居間だ。けれど誰もいない。
「メルーは、妹として願われた日より、古野守ヒロの安否確認を兼ねてご挨拶をしました。サエ姉が姉ならば、彼は兄にあたります」
「それは、そうね」
うんうんとうなずくと、メルーは画面上に手のひらを動かしていく。西側の障子戸を抜けて一階の洗面所。それから階段を上って二階。
私の部屋と反対側にあるドアの先がヒロ兄の部屋だ。
各地を飛び交って手に入れた奇妙な本だったり道具だったりが雑然と並んでいる。相変わらずで安心するような心配なような。
そんな本と道具のなか、スーツ姿で何か電話をかけているヒロ兄の姿があった。そわそわとしていて落ち着きがない。
「以降も、確認をしていたところで……はい、ここからですね」
呟いたメルーが画面に触れると、一時停止状態をしたのか映像が止まった。
「今ご覧になっている場面ですが、つい先ほどメルーたちの姪が生まれたようで……いえ、今も時間が進んでいるのですが」
姪。
姪っ子。
ヒロ兄の子ども。南美姉との赤ちゃん。女の子なんだ。
口の中で何度も「姪」と言葉を転がす。驚きすぎてうまく出てこない。咄嗟に横に居るルンの腕を掴んだ。
「ただいまの時間軸まで進めます」
私の様子を確認した後で、メルーはもう一度画面に触れた。
倍速で時間が流れていく。
玄関に赤ちゃんを抱っこした南美姉がいて、みんなに迎えられている。写真立てに飾れていた私に向かって挨拶していた。
寝返りを打っていた赤ちゃんは、つかまり立ちができるようになった。かと思えば歩けるようになって、言葉をたどたどしく話せるようになった。
南美姉と虫図鑑を読んでいたり、ヒロ兄に昔話を読み聞かせてもらっていたり、叔父さん叔母さんにだっこされている。楓太兄はともちゃんと連れ立って来て、あやしかたが下手だったのか泣かれていた。
そしてまた、メルーが止めたときには、三人で川の字になって眠っているところだ。赤ちゃんだった子はすっかり育って、もうすぐ小学校に入るくらいの年になったみたい。こうしていると寝顔がどちらにも似ている。
「……時間がずれているのですか?」
「ええ、ルン。その通りです。シンとユウからサエ姉の間にこちらで長い時が経ったように、その逆もこのように起こります。サエ姉、あなたはかつて兄の子を抱きたいと強く思っていましたね。それを叶えることはできませんが、今なら短時間の会話が可能です」
「また、会えるの? それはいいの?」
「家族兄妹は交流があるもの。そして、兄妹は助け合って仲良く。サエ姉の願いに基づきます。それに、ルンがかつて願った「サエと家族の面会がもてるように」という際に用いた技術があれば……古野守ヒロだけならば、一時的にこちらへ意識を呼び出すことが可能です。兄妹の交流の一環ですからね。サエ姉、呼び出しますか」
「す、する! ルンもメルーも改めて紹介したいし、姪のこと聞きたい!」
身を乗り出して勢いづいて答える。
メルーは鷹揚にうなずくと、画面に腕を伸ばすとヒロ兄の頭のあたりを掴んだ。
そして、ぐっと画面から引く仕草をすると、ふわん、とどうみても霊体なヒロ兄が画面半分から上半身を出した。ヒロ兄は寝間着姿でだらんと腕を下げてうつむいている。
「呼び出しました。交流しましょう」
「……思った以上に物理的ね、メルー」
「時間は十分ほどで」
「思った以上に短い! 起きて、ヒロ兄!」
画面に制限時間がワイプ表示された。カウントダウンが始まっている。
ルンの腕を離して、慌てて上半身だけのヒロ兄を揺さぶった。勢いよく肩を揺らすと、ぱっと頭が上がった。




