四十一話
人目を避けるように路地裏を抜ける。
ちらちらと見られている気はしたけれど、こちらに声をかけてくるような人はいなかった。むしろ恐怖の眼差しかもしれない。
血濡れの男に連れられて歩く女のコンビが居たら、私だって遠目に見て近寄らないでおこうと思う。
ルンの血は早くも乾き始めてはいるが、それでもひどい。私にとって懐かしさを感じる、畳のような色合いの髪も、成長途中のまま止まったような作りかけの体格も、血に汚れていれば印象が陰鬱以外の何物でもない。
本人がけろりとしているのが唯一の救いだ。
横からルンを観察しながら歩いてしばらく。
あらかじめ教わっていたのかどうなのか、路地裏から街の壁際まで移動すると、抜け道らしき穴を抜けて外へと出た。
手を引かれて、メルーと連れ立って歩いたらしき林の道まで進む。
ルンは注意深くあたりを見てから、小道の脇に私を招いた。
「ひとまず、ここで待ちます」
「わかった。で、ルン、その怪我は?」
「私のことよりも、サエ、あなたは自分のことを心配したほうが」
「いいから!」
困ったように眉を下げたルンに、それはそうなのだけどと思いつつも、その思考は脇に置いて詰め寄る。
ルンは伏し目がちにこちらをうかがって、言いづらそうに口を動かした。手を放そうとしたので、逆に握りしめて「私に話せないこと?」と尋問でもする気分で聞いてみる。
途端、さらに困ったように表情を変えたルンは、やがて観念したように呟いた。
「……メルーのところに、少々」
「少々? メルーに用事があったの?」
「サエが、昼になっても姿が見えなったので探したんです」
「えっ、そんな経ってたんだ。ごめん」
「いえ……」
それで口を閉ざしたルンは、ふにゃっと笑った。私にはわかる、これはごまかす笑みだ。
「メルー、遅いですね」
「ルン?」
「はい」
「まだ理由あるでしょう。探しただけじゃ、そうならないわよね」
「……聞くと、あなたの負担になりそうなことですので」
「それは私が判断するから、いいから早く」
握った手を振って催促する。
「その……奥域にあなたが向かったと聞いたはいいのです。ですが、サエのように私はメルーに招かれることがありません」
兄妹特別対応だとかで、あの道を私はすっ飛ばしている。たまにちゃんと行くことはあるが、今日みたいに駄々こねをすればメルーが迎えに来てくれるのだ。ダメなお姉ちゃん対応に慣れ始めているメルーに、兄妹とはそういうものだと間違ったインプットを与えてしまっているのはさておく。
それで、と続けるように見つめると、きまり悪そうにぼそぼそとルンが言う。
「幸い、入り口付近でメルーより、あなたと二人で街に行くと言われたのですが……さすがに不安だったので」
「うん」
「ですので、フィドモン様たちが願いをまだ聞いていないということを前提として、強行をしました」
「強行」
「燃やし溶かして、どうにか道を繋いで、お二人を運んで。メルーを少々急かしてしまったので、迎撃されました」
「……なんて?」
いろいろ聞き捨てならないことを早口で言い切ったルンが、うつむいている。
「ええと、つまり、私たちが心配で無茶して押し通したところ、メルーに怒られて攻撃された?」
返事の代わりとばかりにルンの顔色が赤く染まる。
「も、申し訳……っ! い、居ても立ってもいられなくて、つい。夢中で。治安もまともではないところにサエが居るのも、姿を変えたメルーと居るのも、それで」
「それでって……」
「結果的に、メルーの気をそらしてしまったことでサエを危険に晒してしまいました。急ぎ、サエに危害が加わる前にと説得して飛ばしてもらって……こんなつもりは、なかったんです。私は、ただ」
じ、とルンは私が握っている自分の手を見つめた。
「サエと共に居られるのが、自分だったらいいと、おこがましくも思ってしまった」
頭が下がって、懺悔をするようにルンが言う。
だが私はそれどころじゃない。
「申し訳ございません。いたずらに困らせることを、言いたくなかったのです。側に居たいだなんて……私のどうしようもない執着は、きっとサエを気に病ませてしまう。重たいと感じてしまうでしょう」
ルンの感傷じみた言葉は、私の耳を右から左に通り抜ける。
今、告白された、よね。絶対そうよね。
さっきのピンチのときよりも、凄まじい勢いで心臓が鳴っている。ドッドッとエンジンみたいにうるさい。
顔だって、ルンに負けないくらい真っ赤な自信がある。熱い。握っている手先から火がついたみたいに、汗が噴き出る。
今、変な顔してる。どうしよう、まともに顔見れない。
瞬間の乙女スイッチが一気に入った気がした。
息を整えようとして、たまった唾を飲み込んだ。震えて泣きそう。
「だから、今言ったことは忘れて」
いや、それは無理だ。
「忘れない」
ちょっと涙声になりかけながら、こらえて遮る。
ああ、ルンの顔が上がっちゃった。真っ赤な顔が見られてしまう。でも、ルンも負けず劣らずの涙目で白い肌を燃やすみたいに赤が広がっている。
血をぬぐったあとで、格好だって整いきっていないのに、なのにこんなにどきどきするなんて、私の頭は馬鹿になっちゃったに違いない。
「忘れないわよ」
もう一度言って、つなげた指先に力を入れる。
それから、今まで生きてきて一番勇気を出して口を動かす。
「好きだもん。私、ルンのこと好きだから、忘れてなんてあげない」
「は……え? え?」
今度はルンが呆気にとられた。
「だっ、だから、一緒に居て」
まるで私がプロポーズをするみたい。
ルンの両手を包んで握って、胸元に寄せて言う。
返事を待つ緊張の沈黙が続く。そして。
ルンが、泣いた。
見る見るうちに涙の膜から溢れてぼろぼろと大粒の涙が落ちていく。なのに、表情は呆然としていて、思考がまったく追いついていないのがありありとわかる。
それを見ていると、ちょっと落ち着いてくるような感じがするのがおかしい。
ぬぐってあげなきゃと、繋いだ手を放そうとすれば、今度はルンが私の離れる手を掴んでとどめた。骨ばった、私よりすこし大きな男の人の手は震えている。
「……いまは、うまく言葉に、できなくて」
言いながらルンの顔が近寄る。
ぽたりと頬を伝う涙もそのままに、ルンの顔が近づくのに釘付けになる。まさか、と緊張に目をつぶる。
すると、額に、こつ、と軽い感触があった。
唇には何もない。でも、間近にある呼吸音に動揺が止まらない。
熱い。
でもそれは、重なった手や額とかだけじゃなくって、なにかもっと包まれるような不思議な感覚がする。
底が抜けて、途方もない空間に放り込まれて、四方八方から暖かい何かが押し寄せてくるような。
遠くから、目も眩むくらいの光。足元からはずぶずぶと沈み込むような足を取られる感覚。
底なしの底から。光明の先から。それは真っ直ぐに好意を叫んでいる。
声もないのに何故かわかる。
これ、ルンの気持ちとか、そういうのじゃないかなって思う。
好きよりも重くて、どろりとしてて、けれどまぶしいくらい綺麗だ。なんだ、私、めちゃくちゃ好かれてる。心から願われるくらい、すごく。
恥ずかしくて逃げてしまいたくなりそうだけど、もう私だって告白しちゃったのだ。負けず劣らず私だって、好きだと自覚している。
ぼうっと感情の大波を受けきって、目を開ける。
深い藍色の瞳とかち合う。気恥ずかしそうに涙で潤んだままはにかんで、ルンは名残惜しそうに離れた。
「その……伝わったでしょうか。私は、常ならある伝達能力も劣っていたので、正確にできたかわかりませんが」
「う、うん。すごく」
「よかった」
ほっと息をして、会話が途切れる。
私もだけれど、ルンもものすごく緊張しているんだろう。互いにどぎまぎと手を握ったまま黙り込む。
どうしよう。これ、告白通じて、そういう仲になった解釈でいいのか。いいのよね。というか、ルンの世界でのカップルってなにするんだろう。私のところ形式でいいのか。
ちらっと見ると、目が合って互いにはにかんでまた黙り込む。やばい、なんだこれ、ふわふわする。めちゃくちゃ嬉しい。
「あの、ルン」
「はい」
「これからも、よろしくお願いします」
ふやけた笑顔になってしまった。
だけどそれでも、ルンはひどく嬉しそうに表情をほころばせた。
「こちらこそ、サエ」
乾いた血つきの、雰囲気も何もない恰好のルン。
だけど、私が好きになった男の人は、今、何より素敵に見えた。それこそ、メルーのあの美青年姿よりもずっと。
比較実験するまでもなく、私はルンを選ぶだろう。
好きだなあ、と思う気持ちを隠すことなく私は何度もうなずいた。
迎えが来たのは、それからしばらくもなかった。
まるでタイミングを見計らったみたいに、なんなく移動は行われた。
私はメルーが計らってくれたのかしらとも思ったけれど、メルーはどちらかというとご機嫌斜めで、ルンと私を奥域からぽいっと入り口近くまで追い出した。
けれども私やルンの恰好を整えて元通りに戻してくれたのに、配慮を感じる。そして詫びと称してブローチをもらった。
聞こえはしないだろうけれど、入り口からお礼を言っておいた。
そして二人で古城へと戻った。
きっと皆びっくりするんじゃないかな、そう思いながら城内に戻ると、逆に驚かされた。
明らかに異形だったロクタック家の人たちが、普通の人になっていた。
いや、戻っていた、が正しいのだろうか。
まず最初に私たちが目撃したのは、瓦礫をどけて掃除をした吹き抜けの通路に居た、石じゃない状態のヌワ。
ヌワは私たちが仲良く戻ってきたのを見て、ぱあっと明るく出迎えると「心配してたんだぞ」と私たちの頭をわしわし撫でた。
石像じゃなくてもヌワの大きさは相変わらずで、元からこのくらい大きい人だったのだろう。
それからオウィノー様たちが待っているぞ、と衣裳部屋のほうに案内してくれた。
そして、そこで待ち構えていたオウィノー様にウータさん、ユウェタース様に面食らった。
だれもかれも、普通の貴婦人だった。
ユウェタース様は見覚えがなかったものの、オウィノー様と似ていたからすぐにわかった。きつめの美人顔はユウェタース様譲りらしい。
唖然とする私ほど、ルンは驚いていなかった。どういうことだと聞けば、フィドモン様たちの願いの結果らしい。
なんでも、「人の姿に化けられるようになる」ことと「外部との交流が可能になること」ことだという。
本性はあの異形の姿のため、あくまで一時的な変化だそうだ。
オウィノー様曰く「気合入れてないとすぐ戻るのよ。あとすごく疲れるの」だそうだ。実際に、ユウェタース様がオウィノー様のことを叱っていたら二人して姿が揺らいで戻っていた。
でも、みんな嬉しそうだった。特にオウィノー様が一番喜んでいた。
色んなバリエーションの服が試せるのがいいらしい。
そして喜んでいるのはそれだけではなかった。
「やあっと、まとまったのね! ああ、これでやきもきしないで済むわね! で、いつ式をするの? 服はアタシがもちろん作るわよ」
「ええ、ええ、ようやく! めでたきことですわ! さあさ、わたくしめに、教えていただきますわよね!?」
「おやめなさい、二人してみっともない」
唯一、眉をしかめてぴしゃりと言って止めてくれたユウェタース様だったが、興奮する二人を追い返した後でこっそりと私たちに言ってきた。
「サエ、ルン。ここでの保護者はわたくしだとわかっていると思います……あとでわたくしにも話すように」
表情はツンとしていて変わらなかったけれど、声はちょっとどころじゃなくわくわくしていた。
厳しく見えているけれど、この人やっぱりオウィノー様たちの母だなと実感した。




