閑話 相手の話 下
二人の様子を観察していたのは、私だけではなかったようだ。
「珍しい。あのコモスが年頃の異性とこうして話しているなんて」
「おや、母上。コモスは面倒見がいいのですよ。ご存知でしょう」
ユウェタース様にハリオス様が言う。ユウェタース様の頭部、本のページがゆっくりと動いて止まった。表情の代わりに、ページをめくる動きや速さでなんとなくわかる。今は思案の最中を表しているのだろう。
「そう、だったような……いけないわ、細かな部分の記憶が曖昧で。まだ様変わりしているのも慣れないし、どうしたものか」
「無理もないわ。昔と違うもの。城内どころか城外も様変わりしていたんでしょう?」
オウィノー様が壁際に控えていたヌワ一家に聞いた。
「空より周囲を確認しましたところ、やはり一定の距離をもって陸はなくなっております。城下もすべて森と泉に飲み込まれ、民の姿はございません」
バティスト様が答えれば、返事の代わりにユウェタース様は溜息をこぼした。フィドモン様がいたわるようにその細い肩を撫でている。
大地が空に浮かぶということは、この世界ではありえない事象らしい。
私の世界では、最高位の方々や貴い聖者がおわす土地は浮いているものだった。優れた能力者によって、国の中央のひときわ高い位置にある場所で、あらゆる天候や民の管理などを取り決めている。
サエのところには『ガリバー旅行記』なるお話に登場するとか、神様の世界だとか伝承や物語に登場するとのことで、普通ではないという。
浮いているということに関しては、サエの妹と自称する存在になった奥域の怪しい物体、メルーが詳細に教えてくれた。
曰く、「バティスト・オロクヒェン、ヌワ・オロクヒェンの願いに則り、対象地ロクタック領地の一部を隔離浮上。対象人員となる者の確保。対象以外の人型生命は安全を図ったうえですみやかに退去させています」とのこと。
こちらの世界でメルーのような存在が神というのなら、敬うべきなのだろう。事実、願いを叶える力量は、私の世界にいたどんな人物よりも強力で比べられるものでもない。
それぞれ違う願いを叶えられる、人の姿を変える、世界を移動させる。どれもこれも信じがたい。信じがたいが実際にされたことなので、信じざるを得ない。
サエは妹と接すると決めてからは、そんな存在でも気安く扱うのでハラハラする。メルーは、サエといることが多い私は敬称をつけるなと命じてきたので、現状は心地いいのかと推測している。
最近ではさらに慣れてきたサエが、姉妹の交流を名目に「外の様子見れる?」「これってなあに?」などと言いながら気軽に何かとするため、本当に、放っておくには恐ろしい。サエが楽しいのならいいのだが、変に突っ走って妙なことに巻き込まれてはいけない。
「奥域の御方がサエに好意的で良かったと言うべきか……ますます貴重ね。バティスト、続けて報告を。ロクタックより下の地に変化はありましたか」
「は。変わらず、荒廃した様子にございます。現在地より下のあたりに人が住むべき場所はございません。遠くに町家村々は見えますが……かつての地理と比べてみますが、故国はすでにないものと判断してよろしいかと」
「……あなた、フィドモン様。いかがしましょう」
肩に置かれた手の形をした液体へと、手を添えて、ユウェタース様がフィドモン様に問いかけた。
「問うが」
低く響く声が空気を震わせる。
フィドモン様が、私のほうを見てくる。
「ルン。家族や臣下でないお前に問う。正直に答えよ」
「はい」
「我らの体はこのようだが、受け入れられると思うか」
ぱらり、とユウェタース様の頭のページがめくる音だけがする。
私に聞かれても、この世界の者ではないから正解はわからない。黙っていれば、さらに問われた。
「疎外を受けた、お前に問う。人は、自らと異なるものを目にしたとき、どう扱う」
ああ、だから私に聞いたのか。
散々身に受けてきたことだ。
よほど優しく恵まれていなければ、ありえない。きっとそれは、私に聞かなくてもわかっているはずのことだ。ただ皆の前で確認のていで認識を共有したいのだろう。
「お聞きになる前に、すでに理解されているのではございませんか。ご想像の通りになるでしょう」
「おや、お前。大人しい見た目をして、意外と物を言うこと」
フィドモン様の返答はなく、代わりにユウェタース様が答えた。だが、気分を害されたわけではないらしい。
「そうか。では、様子を見る。いいだろうか、ユウェタース」
「ええ、フィドモン様が仰るのなら、わたくしは一向にかまいません。それよりも先に我が一族の復興と後継について考えねばなりませんからね」
「ならば我からは以上だ。我が子らよ、そのつもりで」
そう言うと二人は連れ添って、バティスト様の先導で食堂から出て行った。
途端、空気が弛緩したのがわかる。
一番に姿勢を崩したのはオウィノー様だった。
「復興って言われてもねえ? どうするのハリオス兄様。相手がいないのに」
「いやあ、そもそも僕は当てにされてないだろうね。僕の体では後継が望めないから」
「あらやだ兄様、いつの間に」
「面倒だなあと思ってたら、メルー様にそうなるように変えてもらってたみたいだね。いやあ、楽だよ。楽」
「ハリオス様……それでは……」
呑気に言うハリオス様に、オウィノー様が呆れている。ヌワ様は対照的に悲壮感をもって見ている。
「じゃあ何、コモス兄様に頼むの? よりにもよって? アタシもロクタック家の娘ですもの、復興をとお父様が仰るのなら……多少は頑張るけれど任せっきりにされても困るわよ」
「いくら俺が素晴らしくても、無理を言うな。一人で後継はできないだろうが」
ひょっこりと帰ってきたコモス様が顔をしかめる。サエはその後ろで口いっぱいに何か頬張っている。きまり悪そうにしながらもしっかり味わっているのは、サエらしいと言えばいいのか。
「まあ、相手も選ばなければここに居るが、食指が動かん。そしてこれは、俺の好みじゃない」
「……っはー!? なんですかそれ、なんで私がふられたみたいに言われるんですか!」
ごくんと飲み込んだサエが怒っている。怒るところはそこなのか、サエ。憤る彼女を抑えるべく席を立って、落ち着いてもらうようにその腕をとって引く。
相変わらず今日も力強く元気なサエだ。取った手ごと大きく動いて「だって、ルン」とねだるように言う。すこし落ち着いたらしい。
「というか、サエもロクタックだと母上から聞いたが。なら、俺たちよりも若いし、適当に励めばいい」
だが、さらにコモス様が余計なことを言う。すぐさまサエが言葉を打って返した。
「セクハラですが!?」
「なんだ? 何が悪い。俺が任せると言ったんだ。期待を受けたことに感謝するべきだろうが」
「デリカシーってものを知りません!?」
「任せる?」
怒るサエをなだめながらどういうことだと、つい口から疑問が出てしまった。
サエに任せる、ということは、ロクタックの後継をサエが作るということになる。
作る? サエが?
ぽかんとしていれば、耳まで赤くしたサエが私の手を振りほどいて、また「セクハラだ!」と憤慨している。
見かねたオウィノー様がコモス様へと糸玉を投げつけて、ウータ様とサエを連れて出て行った。
それをぼうっと見送って、目を瞬かせる。
サエには、幸せであってほしい。
明るく笑っていてほしい。
彼女が失われないのなら、それだけでいい。
そう思っているのに、またむかむかと胸が苦しい。
「……そも、相手は俺以外にいるだろう。人がいないわけでもあるまい」
「相手? 他にいるのですか?」
コモス様の目が細まる。ハリオス様が見えない顎に指先をもっていったまま固まった。硬い音はヌワ様が身じろいだ音だろう。
だがそんなことよりも、サエの相手がコモス様以外の人だとするなら。見も知らぬこの世界の住人になるのだろうか。
それは、もっと、もやもやする。
「あの、相手とは? どうやって見つけるつもりで」
「おっと。お兄さん、気づいてしまったかもしれないな。コモス、お前の優しいお節介は、兄たる僕には十分すぎるほど伝わったが相手が悪い」
コモス様とハリオス様、ヌワ様が私を見た。ハリオス様の顔は見えないのに、どうしてか困ったように変化しているとわかる。それくらい優しく労わる口調だったのだ。
「ルン。もしもの話をしよう。サエが誰かと添い遂げる……結ばれる、で伝わるかな? そうなったとする。君は祝福できるかい」
「はい、もちろん。サエがいいのなら、きっとそれが一番いいかと、思います」
言いながら、そのはず、とわかっているのにどうしてか気が沈む。
「……サエが、望むのなら。私は何も言いません。そこに、私が介入するべきでは、ないのです」
言いたいことはちゃんと言わないと伝わらないわよ。そう言ってくれたサエだが、そうなると私のなんとも言い難いこの気持ちは邪魔になる。彼女をいたずらに悩ませるのは嫌だ。
でも、サエが。
誰かと一緒になって笑って、過ごして……?
サエの良いところも悪いところも、何も知らない相手に。いや、サエのことだからきっとすぐに打ち解けるのだろうか。
私が知ったように、彼女のことを理解していって、幸せに……幸せに笑うのだろう。
勝手に想像して、沈んで、ついには視界が潤む。どうしたのだろう、私は。
「ああ、うん、うん大丈夫だとも。一切問題ないからね」
「なんだお前、あれでこのざまなのか。本気で言っているのか?」
「コモス様、お口が過ぎます」
なぜか呆れられている。
そこまでおかしいことなのだろうか。矛盾をしていると言いたいのか。
「君の育ちが、そういう感情や情動を受け入れることに邪魔しているのだろう。だからあえて、僕は口を挟もう」
「あの、何が」
「ルン、君のそれは恋だよ」
それは、大事にすることと違うのだろうか。
ばあやは、私を大事だと言ってくれたが、それきりだった。ほかに深い感情を向けられたことなど……体よく追い出される前、歪な欲をにじませた者から、体を触れ可愛いと言われたこととは多分違うのだろう。
「恋……」
言葉はわかる。意味も。
だが、私のこれが本当にそれに当てはまるのか。それはもっと、清らかで尊いものなのではないのか。
「私は、ただ。ただ、サエが笑っていてくれるなら」
「でも独り占めをしたい。暴力的なまでに荒れ狂う衝動も抱いてしまう」
「どうしてそれを?」
好ましいと思う。大事だと思う。けれどそればかりではない。もっと醜く浅ましく、口にも出せないものがある。
ハリオス様は、ただ穏やかに指摘した。
「ルン。君はサエを深く愛してしまったのだね」
際限なく湧き出て、望めば望むほど欲深くなる願望もそうだというのか。それを、認めていいのか。
「認めては引き返せなくなると思うのかい? すでに誤魔化しがきかなくなっているのに」
「それは」
ひどく弱々しい声がでた。否定しきれなかったからだ。
いや、ハリオス様に言葉としてはっきり思い知らされたからだろうか。
「恥じることでも、己を卑下すべきことでもない。愛が芽生えること自体は等しく美しいものさ。君のような純粋な恋から愛の感情はとくに」
「そう、でしょうか」
どこが純粋なのだろう。
私は、決してそんなことはないのに。
ハリオス様たちを見れば、めいめいが同意を示すように言われた。
「心配はしなくともよいのだ、ルン。お前の好意を無碍にするサエではなかろうよ。吾輩は似合いだと思うぞ」
「どっちもどっちで釣り合いが取れてるからな」
それはどういう意味だ。
というよりも、この方々は私がサエの相手になればいいと思っているのか。
嫌ではない。
ないし、降って湧いた幸運どころではなくて理解ができなかった。
私がサエと。
サエと……?
そもそも身分だって、私とサエでは……いや、ここではもうすでに関係がないこと、なのか?
腕の最下民の証も、私がかつて燃えたと同時に薄れていた。
だが、低い立場に居たことは、彼女の重石にならないだろうか。未だにくすぶることがある過去に悩んでしまうというのに。
きっとサエを困らせてしまう。彼女はとても元気で明るいが、繊細なところがある人なのだから。
わけがわからない私に向かって、ひときわ優しく肩に触れたハリオス様は「大丈夫」と言った。
「まあ、この僕に任せなさい。悪いようにはしないさ。口説く手技くらいなら教えてあげよう」
「ハリオス、お前……いつだったか口がうますぎて不安になる、別れようと言われたのにか」
「それほど僕の口は優秀ということだね! ヌワも気遣ってあげなさい。とても……とても可愛い弟分だからね、兄は応援しようじゃないか! いやあ、楽しい!」
そしてとてつもなくご機嫌なハリオス様に肩を抱かれた。コモス様には哀れな物を見る目をされた。ヌワ様は泣いている。
ますますわけがわからない。
「それは、サエのためになりますか?」
「もちろん、なるとも!」
「知らんが、今よりはましでは?」
「きっと大丈夫だ、ルン。安心するがいい」
三者三様の言葉を返されて、なるほどと思う。
ここで嘘をつくような方たちではないし、サエのためになるのなら知っておいたほうがいいかもしれない。
ためらいがちに頷けば、まるで幼子にするみたいに方々から頭を撫でられた。
後日、教わった通りに接するように努めたところ、サエに避けられはじめた。
効果は出ていると言われるが、どういうことだ。避けられるなら、したくないのだが。
恨めしそうに元凶を睨んでみても、サエ以外の方々からは微笑まれるばかり。助言を受け入れなければよかったのだろうか。けれど、始めてしまったことはなくならない。
走り去る背を見送って、むなしい気持ちだけが募るばかりだった。
恋とは、愛とは。思い通りにならず、苦しいものらしい。
余談。
コモス「ぬるい誘導尋問かと思った」
ヌワ「さすがハリオス様! 言い含めもお上手だ」
ハリオス「心が浄化されそう。しかしとても楽しい。すごく楽しい」




