閑話 相手の話
私の朝は早い、らしい。
らしいとつけてしまうのは、自覚がないからだ。
ここへ来てずいぶんと日も経ったが、物心ついたときからの癖なのかすぐに目が覚めてしまう。
サエ曰く、私は「しょーとすりーぱー」なのだという。短く眠るだけで活動できる人を指すそうだ。単純に、うかつに眠りすぎると罰せられたり人狩りに遭ったりするので、身の危険を感じて起きてしまうようになっただけなのだが。
ただ、サエが「すごいね」と言ってくれたので口にはしなかった。その言葉自体も私を傷つけるものでないので、サエの物言いこそすごいと私はいつも感心する。
日はまだ登りきっていない時間帯。
おそらくサエはまだ眠っている頃だろう。連日の疲れが抜けきっていないのは想像に難くなかった。
ロクタック領主夫妻が目覚めて以来、相当に教育を詰められて、いつもふらふらと部屋へ帰っている姿を何度も見送ったことか。彼女の居た世界や生活では学ばなかった事柄を一つ一つ覚えることは、大変なはずだ。
幸いにして、サエは根気強く取り組める人だ。だから、教師役のウータ様やバティスト様も、領主夫人のユウェタース様も悪くは思っていないようだった。それはサエ自身の愛嬌のおかげでもあるのだと思う。
サエの良さは、ここに居る皆がわかっていることだ。
それを面白くないなと思う自分と、わかって当然だろうと他人事ながら誇らしく思う自分がいる。
ときどき、私は私のことがよくわからない。二律背反した気持ちを抱いては、思い返して不思議がる。いつからこうなったのだろうと考えて、わからないと繰り返す。
「……はあ」
吸って息を吐く。
柔らかな寝床で安らげる時間があることも、誰かからの好意が無条件で与えられることも、信じられないほど幸福なことだ。
だというのに、こみ上げた吐息が固まって口から出ていく。
駄目だ。きりがなくなる。
また出てきそうなため息を飲み込み、着替えをして部屋から出る。
部屋は、本来の持ち主であるバティスト様のご厚意で使わせてもらっている。代わりに、何かできることをと申し出ていくつか仕事を与えられた。在りし日の従僕業務として時々補佐をさせていただいているが、身分もない私に相応の待遇なのだろうか。下男以下でもいいくらいなのだが。
筋がいい。物覚えが良くて助かる。
そう褒められて、大事に扱われるのは慣れない。かつての邸にいた人たちのように、理不尽な要求もない。ロクタックの主従揃って、人が良い方ばかりなのだろう。
ぼんやりと考えながら歩いて、いつも通り食堂へ向かう。
「相変わらず、お前が一番早く起きるな。俺の助手としての心得をわかっている。褒めてやろう」
そして、尊大な口調のコモス様に迎えられた。
人が良いロクタック主従のなかに、コモス様を入れていいかは躊躇われる。
もともと、サエとの習慣で食堂に行くようになっていたために、自然とサエが現れるまでコモス様の手伝いをすることが多くなった。かれこれ、コモス様が目覚めて以来なので思ったよりも長い付き合いになっている。
サエはそんな私を働き者だと言うが、単なる成り行きだ。だというのに私よりも嬉しそうにするので、胸中は複雑になる。
私は、この御方が苦手だ。
おそらく、この世界で出会った中でも一番苦手だ。
なぜかを考えれば、それはコモス様の傲岸不遜ぶりがかつての私に加害をした者たちと似ているから……だったが、今はもう思っていない。
コモス様は不当に人を貶めることに時間を費やすくらいなら、食を追い求めることに費やす御方だろう。
「そして俺を褒め讃えろ。サエの持つ菓子の再現とやらができた。さすがこの俺。ついでにいくつか作るから、味の種類を増やすぞ。手伝え」
「……はい」
未知を探求して実現できる力があることは、賞賛に値する。
才能はあれど、努力も相当にされている。
では何が苦手なのかといえば、ただ、それを羨ましく思う自分が嫌だからだ。
「あれは食い意地が張っているからなァ。そういう国だと言っていたが、味にうるさいのは悪くない」
「そうでしょうか」
「平凡な舌でも、俺の知らぬ料理を知っているのは評価してもいい」
あとは単純に、私が面白くないだけだ。
サエは、コモス様に懐いている。
ロクタックの方々にも親しく接しているが、なかでもヌワ様とコモス様が抜きんでて仲がいい。
気の置けない親しみやすさがあるヌワ様と比べて、はるかに自分本位で勝手な御方なのに……サエはそれが遠慮しなくていいから気が楽だと言う。
解せない。どこがいいのだろう。
コモス様に元気に言い返す姿は、私とでは見ることのないサエの姿だ。サエはいつも私に優しい。遠慮もされていないはずだが、未だに庇護対象のように接していることがある。
やはり、最初の印象がいけなかったのだろうか。
私では、頼りにならないのだろうか。
……私は、どう思われたいのだろう。
そこまで考えて、調理場へ向かう足が止まる。
「菓子は甘いものだが、あえてほかの味もあってもいいか。おい、突っ立ってないで鍋の火を代われ」
相槌をうっても、コモス様との会話は基本的に突拍子もなく始まって終わる。一応は返事も聞いてくれるが、すぐに話の内容が変わる。今、サエの話をしていたはずが、味に話題が飛んだように。
悪気はないのだ。というよりも、考えていない。
だから、いつものことだ。勝手に一人私が思い悩んでいるだけ。自分に言い聞かせて鍋の前に立つ。
菓子は別に用意しているのか、鍋にあるものはスープのようだ。私の世界では見るのも珍しかった生の野菜をふんだんに使ったもの。
美味しそうな匂い、というのをこの世界に来て初めて知った。きっとこれも、美味しいものなのだろう。
鍋の下に小さな火をいくつか置いて、じわじわと温めれば食欲をくすぐる香りが舞った。
しばらくして、食事が完成した。
完成してもよく食べるのは主に私とサエ、オウィノー様くらいなものだ。
コモス様は自分が作ることにこだわるというのに、多く食べることはできない。自身の体が植物と共生状態だからだという。確かに、コモス様の右目から頭部にかけては植物が毛髪の代わりのように生えている。
植物の世話は、ここの世界で初めて行ったが、水や肥料しか受け付けないのだ。人の体がほとんどであるコモス様でも植物寄りの習慣が増えているとのことらしい。
人体から異形へと変じたロクタックの人々は、大なり小なりそういった性質を持っている。
特に、最後に目覚めた領主夫妻、フィドモン様とユウェタース様は食事らしい食事を摂らない。フィドモン様は液体をすする程度、ユウェタース様に至っては必要がなく、書物から味を楽しんでいる。
私やサエも、ここの世界の人間であったなら、大きく変じていたのだとサエから聞いた。そうならずに済んでよかった。
サエはコモス様が言ったとおり食に関してこだわりが強いから。もし食事の機会が減るようなら、きっと楽しみが減って悲しむことだろう。
食事には、私とサエのマナーの実施訓練も兼ねて、一族勢ぞろいのもとで摂る機会が増えた。
ぞろぞろと集まって、座席について食事を囲む。
このようなことがあるなんて、かつての私は思いもしなかっただろう。
混ざれなかった風景に、自分が入り込む不思議な感覚。
かつて教わったことをなぞりながら、新たに教わったことを実践する。行儀作法に関しては、私がサエに教えることができることなので、いかにサエが苦手そうでも好きな時間だ。
本当は、もっと自由に楽しく食べている彼女を見る方が、よほどいいのだが。
そうこうしているうちに、今日のささやかな楽しい時間は終わってしまった。作法の指導を担っているユウェタース様が口を開く。
「本日は、もうよいでしょう。きちんと学べていますね。時間はあるのですから、今後も励むように」
はじめは四苦八苦していたサエも、ずいぶんと上達した。端々の所作に気をつけるなんて無理、と泣き言をこぼしていたけれど、サエはやればできる人だ。
ユウェタース様から言葉をもらい、サエは他所行きの顔から、あっという間に満面の笑みを浮かべた。素直に「やった!」と言う姿が微笑ましい。
本当ならすぐに気を緩めるのはよくはないが、誰もそれを咎めない。やはり皆、サエに甘い。
「ルン! どう? 私だってやれば出来るのよ」
「はい、おめでとうございます」
かくいう私も人のことを言えない。
滑るように口から言葉が出てくる。
「あなたの努力が、報われてよかった。サエが遅くまで頑張っていたのを知っていますから」
「……うん、へへ、ありがとう」
すこしの間があいて、サエがはにかむ。健康的な明るい色の肌が、赤く色づいた。
なんだか無性にたまらない気持ちになる。変だ。
だというのに目が離せなくて、サエの変化が嬉しいように思えて口元が緩む。
私たちのことを一家に見られているとは分かっているが、勝手に緩むのだ。
視線を向ければ、何故かオウィノー様に殴るようなポーズを取られた。何か仰りたいみたいだがよく分からない。
ハリオス様は手を組んで、あからさまに違う方を向いている。逆にウータ様にはかぶりつくように凝視されていた。他の方々も似たり寄ったりと興味深く観察されている。
見るなとは言えない。
居心地は悪いので、ならばサエに場所を移そうかと提案しようか。席を外す許可がもらえればだが。
「ああっ、そうだ。今日、寝坊しちゃって……ルン一人で手伝わせちゃったでしょ。ごめんね」
不思議な態度のロクタック家の方々を見ているうちにサエに声をかけられた。
慌ててサエのほうを向けば、残念ながら照れが治まったいつもの彼女に戻っていた。
「あ、いいえ。サエは疲れていたでしょうから。休めましたか?」
「うん、ばっちり。次は私が早起きするからルンは休んでていいからね」
いや、それは困る。
そうなるとコモス様とサエが二人になる。
「俺はかまわんが。サエ、お前が言っていた菓子を再現してやったぞ。食え。そして感嘆し、コモス様を崇め奉れ」
「えっ、なに、なんです。お菓子?」
割って入って言うコモス様に、サエが席を立った。
……やはり、苦手だ。
私の気持ちを代弁するみたいに、オウィノー様が大仰に天を仰いだ。
そんなことよりも。
二人が席を立ってにぎやかに話す様子は、楽しそうだった。




