三十二話
翌日。
元気が出たなら俺の手伝いをしろと言いだしたコモス様に従って、お手伝いに駆り出された。ルンも誘って、いつぶりかの食堂での助手業務となった。
コモス様の四つの腕がそれぞれ手際よく調理を進める中、私のもっぱらの仕事は味見である。
いや、戦力外というわけではないはず。
日本の味で肥えた、繊細な味覚を有する舌で協力をしているのだ。きっとそう。
それに、ちゃんとほかにも皮を剥いたり煮込むのにぐるぐる鍋を回したりとしているし。下ごしらえはルンのほうが上手だと言われたのはさておく。
ちなみに現在、まだルンが痩せているのが気に食わないらしいコモス様によって、一生懸命食べさせられている。食べ終わる傍から、わんこそばのように盛り付けられては追加されているのだが大丈夫なのか。断ってもいいのよ、と暖かな眼差しを向けてしまった。
「やあ、いい朝だね!」
そうして、せっせと支度と同時に早い朝食をとっているところへ、溌剌とした声がかかった。やたらと通る良い声で鼻歌混じりにやってきたのはハリオス様だ。声色から、いかにもご機嫌だとわかる。
金属でできたブーツと一体化した足で床をリズミカルに鳴らして、ミュージカルみたいにくるくると回る。
思わずぽかんとして見守れば、きれいにポーズをつけて止まった。貴族らしい服装もあって、洋画のポスターを飾る役者じみたポーズが妙に似合っている。
「僕の可愛い弟妹達、今日も元気かな。僕はもちろん、君たちに会えて元気だとも」
「あ、はい、どうも。ええと、ご機嫌よろしいですね、ハリオス様」
「おや、サエ。もっと気兼ねなく接してくれて構わないよ。もはや身内も同然、僕はいつでも歓迎しよう」
「は、はあ」
「ルンもだよ。ああ、コモス、もちろん君もだとも! 僕の家族への愛は惜しまないと決めているからね。心配はいらないよ」
テンションが朝から高すぎる。
コモス様は慣れた様子で、ただ料理の手は止めずにハリオス様へと聞いた。
「それで何の用だ。珍しく早起きまでして、月日が経って生活改善でもしたか」
「確かに僕は朝が苦手だけれど、覚えてくれていたのだね、嬉しいよ。もちろん、今日は用があってきたのさ。サエ、君にね」
表情が見えていたならウインクでもされていそうなくらい気さくな調子だ。ハリオス様の白手袋をした指先が私を指した。
「サエに、なにか」
「ふふ、そうとも。あるのだよ」
ルンが言えば、大仰にうなずいて、斜め上あたりへと手を上げた。
「この上の階。父上の執務室があるのは知っているだろう? そして、その向かい。通路の先に慎ましやかな部屋があるのもわかるかい」
ルンと二人で探検したときに見つけた開かない部屋のことだ。
ぱっと思い浮かんだので、こくりとうなずいて返す。ハリオス様は「実はね」と続ける。
「あそこは、母上の宝部屋なのさ。僕らの母上のご趣味は書物を収集することで、歴代の書物がそれはそれは多く取り揃えられているんだよ。今は昔の先史テース王から始まりのマルグィヌ王、今代ノスティーオ王のころまでね」
つまるところ書庫ということだろうか。聞いた限りだと、ロクタック領がある国は長い歴史があるみたいだ。
「戦火で焼失したものかと思ったけれど、無事復元されていて綺麗なものだった。ウータのおかげだろうね」
掃除でもしてきれいにしたってこと、ではないだろう。ハリオス様は指先で指揮をするみたいに動かしている。
「コモスもウータに感謝しておくといい。サエやルンも。この城で無事な部屋や場所があるのは、ウータが奥域の神へ願ってくれたからだよ。おかげで、あのホールも美しいままで……ああっと、話が逸れてしまった。それで、その母上の大事なお部屋についてなのだが」
そして指先を私の前に持ってきて、エスコートするように差し出した。
「サエ、よければついてきてくれないかな。あそこには、君が懐かしく思う書物があるかもしれないよ」
「懐かしく……? あ、転移者の」
「そうとも。初代ロクタック領主の書物も、勿論保管してある。異なる世界の者だというのが本当であれば、きっと君にとっていいものではと、昨夜思い至ってね。こうして誘いに来たのさ!」
初代ロクタックは、私のお父さんとお母さんのはず。
私がメモをしているように、思ったことやこの世界で知ったことを書いていっているのかもしれない。思えば私のメモ帳もずいぶんと残り少なくなっちゃったなあ。ぼんやりと部屋に置いてある荷物に思いをはせて、そういうことならとうなずく。
「ぜひ。奥域で私も聞いたんです。ロクタック領に私の両親が関わっていると」
さすがに、私の両親がロクタック領を作ったんですよとまでは言えない。ぼかして伝えると、ハリオス様はすかさず手を打った。
「やはり! では、サエ、君はまごうことなく僕らの縁者だね。そうとなれば、さあさあ、新たな僕の妹よ、共に行こうじゃないか」
「今からですか?」
肩に手を置いて促されるが、一歩踏み出したところで腕を逆に引っ張られた。目線で腕の先を追えば、じっとハリオス様を見ているルンがいる。私を引き留めるように腕を取っていた。
「もちろん! と言いたいところだが……」
そこまで言って、ハリオス様はくるりとターンをして両手を開いておどけてみせる。そして、笑い混じりに続けた。
「僕の可愛い弟がご機嫌がよろしくないからね。まずは食事をきちんととってからにしよう」
ルンのことかしらと思ったが、食事、のところでコモス様かと納得する。途中から会話に参加していなかったコモス様は黙々と完成品を量産していた。
そして会話が終わったと勘付くが早いか、鋭い左目の眼光とともに具沢山のスープが入った器が押し付けられる。無言の食えの催促がつらい。
「ルン……まだ食べれそう?」
「……がんばります」
散々味見をしたこともあって、この量、私には明らかに大丈夫じゃない。ルンは私よりもっと余裕なんてないはずだ。
もったいないからと言うどころじゃない。食べ過ぎて倒れるなんてことが起きそうだわと不安になる。ハリオス様だけじゃ消費できるかもわからない。いくら背が高くてもスマートな体型だし、いかにもな御貴族様だし大食漢には見えないもの。
ここは、協力者を呼ぼう。
すっと手を上げて、コモス様に進言をした。
「オウィノー様たちを、コモス様のとても美味しいご飯ができたと呼んできまーす!」
「よし、速やかに行ってこい」
尊大な許可がおりたところで、少しでも消化するべく、私はルンを引っ張って廊下へと駆けだすことにした。
私、コモス様の扱い、わかってきたかもしれない。
それから書庫へ行けたのは、しばらくした後のこと。
きっちり片付けをして、コモス様から「もう行って、良し」と許可をもらってからであった。
そんなコモス様はバティストさんを誘って森のほうに向かうらしい。なんでもバティストさんは狩り上手で、今の空を飛べる姿ならば新たな発見もあるだろうからとのことだ。
私が予想するに、偵察とか哨戒とかそういうのではなくて、単純に未知の食材新発見でもしようともくろんでいるのだろうなと思われる。コモス様だけだと夢中で帰ってこない恐れがあっても、バティストさんが一緒なら多分大丈夫だろう。
ロクタック兄妹はどうやらバティストさんとウータさんに頭が上がらないらしい。ここの生活で学んだ有意義な情報だ。
オウィノー様もウータさんによって、体のためにも動きなさいませと言われて、しぶしぶヌワと散歩に出かけたくらいなのだ。なんでもオウィノー様は、昔から衣装づくりに夢中になると衣裳部屋に籠りきってよく出てこなくなるらしい。ウータさんがぷりぷり怒って言っていた。
「──さて、ここだ。開けるのにはコツがいってね」
二階の石の煉瓦壁にしっかりと嵌めこまれるように隠れている黒い扉。
かつて開かなかった扉の前にハリオス様は私たちを案内すると、喉の調子を確かめるみたいに咳ばらいを二度すると朗々と歌いだした。
「からす、なぜ鳴くの、からすは山に」
どう聞いても、『七つの子』だ。聞き馴染みのあるメロディに懐かしさ、ハリオス様の美声についつい口が動く。
「可愛い七つの」
「子があるからよ」
思わず合わせるみたいに小さく歌ってみれば、ぴたっと止まったハリオス様が振り返った。
「ああ、知っていると思った。聞きたいこともあるだろうが、少し待ってくれたまえ」
よく出来ましたと幼児をほめるみたいに軽く肩をぽんぽんと触れてから、また扉に向き合った。
横にいるルンは不思議そうに私を見てきた。
「サエ、これも関係者がいたから知っていたと?」
「ええと、私の故郷の有名な歌で、特に我が家では山関係だからってのもあってよく馴染みのある歌で……そんな感じ」
「歌……そういう娯楽も広く許容されていたのですね」
「ってことは、ルンのとこダメだったんだ……え、じゃあ、何して遊んでたの?」
「ええと……遊びはとくに……あ、いえ。そうですね、影遊びや手遊びを。こうして、壁近くに火を灯して映った影で」
実演してくれるところ悪いが、不憫すぎる。
ちゃんと遊んでました、とにこやかに教えてくれる態度でさらに不憫さが増すばかりだが。
私の頭の中で独りぼっちのルンが孤独を紛らわす遊びのイメージしか出てこない。ルンの家族だったというばあやさんとは遊んだかもしれないけれども、友だちが居たのかなんて聞いたら悲惨な答えが返ってきそうなので、返事のかわりに両手を握る。
「二人でも三人でも出来る遊びもしましょうね。教えるから」
「あの、サエ。もう遊ぶ年齢でもないですし」
「いいから! 私も遊ぶから、よろしく」
久しぶりの異文化交流気分を味わいながらルンと話していれば、カチッと金属が嵌まったみたいな音がした。
目の前の扉の形が変わっていた。
板チョコのブロック状みたいに隆起して、細い溝ができている。その中央をハリオス様が横へスライドすると、鍵穴が現れた。音声認識の仕掛け扉だとしたら、ずいぶんとハイテクだ。ダンジョンの入り口みたいに、そういう技術を応用でもしているのかもしれない。
鍵はハリオス様が持っていたものを差し込むと、なんなく回って解錠音を響かせた。執務室の鍵と同じように、ハリオス様が所持していたのだろうか。
「さあ、待たせたね。ついてきなさい」
鍵を服にしまい込んで、ハリオス様は扉を押す。小さな軋みをあげながら、扉がゆっくりと開いていった。
気負う感じもなく、いたって普通な様子で進む背中に、慌ててルンの手を放して小走りについていく。
中は意外と広くはない。お城の、それも領主の奥様の宝部屋というからもっと広々とした空間を意識していたけれども、教室一つ分くらいしかない。
いや、本当はもっと広いのだろう。
そう思わせないのは、部屋いっぱいにみっしりと詰まった本棚たちのせいだ。
壁にはめ込んだ本棚に、ところ狭しとスペースに生えている高い背丈の本棚。ここが崩れたら本に埋もれて窒息しそうなくらいある。天井には小さめの照明がついてある。どうやって明かりがついているのか不思議な空間だ。ダンジョンの光っていた植物とかだろうか。
感心しながら見上げたり見回したりしていると、先頭のハリオス様は微笑ましそうに言った。
「すごいだろう? 我が領で一番価値のある部屋だろうね。領地のどんな宝よりも金銭は間違いなく掛かっているのさ。僕らの父上も母上には大層甘いからねえ」
「これ、全部集めたんですか?」
「代々受け継いだものがほとんどだが、母上が新たに集めた物もあるよ。おっと、ルン、間違っても火はつけないでくれたまえ」
「間違っても、いたしません」
ふるふるとルンが首を振って即答する。それはそうだ。
本は高い。
貴重書となれば、ものすごく値が張ることを私はヒロ兄や南美姉の研究資料集めで知った。稀覯本とか、それこそ新しい家が買えるくらいするのもあるのだ。
ハリオス様の口ぶりからすると、そんなとんでも価値な本がたくさんありそうだし、もし燃えてしまったらと思うと恐ろしい。
それに、ルンがそんなことをするわけがない。遺憾の意をこめて隣でうんうんと頷いていれば、見えているのか見えていないのか、振り向きもしないまま楽しそうにハリオス様は笑いをこぼした。
「そうだね。君はとても慎重だ。実に頼もしく好ましいと思うよ。ああ、あったあった。これだ」
古びていたり真新しかったり、大小さまざまな本が並ぶ棚の中から一冊が取り出される。白い手袋に掴まれた本は、糸で綴じられた冊子だった。
紙はかなり古びていて今にも崩れて落ちそうだ。
「うん……母上がいたなら修繕されていただろうが、どうにも状態が悪いね。劣化は避けようがないから、しょうがないといえばしょうがないのだけれども」
じゃあこれ、はい。
そんな感じで手渡された冊子を受け取る。
こわごわとめくると、懐かしい日本語が書かれていた。
『これまでの生を振り返り、筆をとる』
そう題されて始まった文章は、ところどころ文字が怪しく崩れている。
「あいにく、直筆をそのまま残すことはできなかったんだ。代々のロクタック家の者が、そのまま書き写していたんだが、読めるかな」
「……あっ、はい。読めます。すごく上手です」
「ありがとう。確かその字は僕の曽祖父だったかな。次は母上か僕が繋ぐつもりだったけれど……サエ、君が書いてみる?」
「私ですか?」
「ルンでもいいよ。君、こういう作業得意だろう?」
「サエがいいのなら、別に、構いませんが」
確かにルンは細かな作業や集中して行う作業が上手だ。
けれど、この文章をさっと読んだだけでもわかる。
これは、私の両親がここでの思い出を書いたものだ。主にどこどこの山に登ったとか、難所とかそういう感じのことが多いけれど、たまに現れる私の名前やヒロ兄の名前にハッと涙腺を刺激してくる。
首を横に振って、壊れないように大事に抱えて答えた。
「いえ、私にさせてください」
「そうかい。なら、よかった……といっていいかな」
ハリオス様は、もしかして、わかっているのだろうか。日本語がきっと読めるなら、ここに古野守サエと書かれてあったことも、私のほかの家族の事情も知っているとしたら。
透明人間なので、一切顔色や表情が見えないのがもどかしい。
「君が気に病むことなくできるのなら、喜ばしいことさ」
「あの、ハリオス様は」
「僕にはサエが聞きたいことがわかるとも。お兄さんだからね。もちろん、この文字も読めるし書ける。代々書けるようにと領主と嫡子は学び、鍵を与えられるから……いや、例外で父上が居たな。母上のために学んだんだった。ともかく」
優雅な仕草で人差し指を立てた。
「奥域の存在が実在した以上、君の存在も一概に信じられないと否定できない。ロクタック家開祖の娘、つまりご先祖様が可愛らしい僕の新しい妹だとね」




