三十話
気づけば、ベッドの上だった。
期待はしていない。できなかった。
だって、洋風のお部屋だ。ウータさんが使っていた、お城の部屋だったから。
どうやって帰ったのか、その記憶はおぼろげながらも覚えている。
ぼんやりと思い返せば、あちらの世界の思い出まで頭の中に現れる。
嫌な気分だ。
シーツを頭までかぶってベッドの上で丸まった。
これまでの気力や元気がぷつんと切れたような、何もやる気が起きない。それなのに、私のお腹は、ぐう、と鳴った。それがまた悔しくて、悲しくて涙があふれる。
布一枚だけど、頑丈な城塞にいるみたいに閉じこもった気さえした。
そんな私を見かねて、無理に引っ張り出そうとする人はいなかった。
ここの人たちは優しい人たちだ。遠巻きにはしないで、遠慮がちに声をかけてくれたり、世話をしようとしてくれたり、だけども強制することはなかった。
最初はルンがコモス様に教わったと、御粥みたいなものを差し入れしてくれた。続けて、おかわりもあるぞと自信満々なコモス様がこれも食えとヌワに持たせてほかにも持ってきた。
オウィノー様は、私のところの衣服ってどんなものと恐る恐る聞いてから、再現してあげるから待っていてねとウータさんと作って持ってきてくれている。
ハリオス様とバティストさんも、私とはほとんど面識もないのにずいぶんと気にかけて声をかけてくれた。
だけど、いつも通りに笑って過ごすには、今の私にはちょっと難しかった。
優しくしてくれるたびに、なぜ彼ら家族は居ることができて私はだめなのかと思ってしまう自分が情けなくなる。
迷惑をかけていることにまた鬱々してしまう。
ルンのように後腐れなくこの世界で羽根を伸ばせるならよかったのにと、見当違いの八つ当たりみたいな言葉を吐きそうになるのが嫌だった。
いっそのこと発破をかけてくれたら、まだよかった。取り繕って、前みたいに笑えるように頑張って、それがしんどくてならない。
朝が来て、食べて、ぼうっと過ごして、寝て。みんなに謝って、閉じこもって、時間を無駄にして過ごす。
それを繰り返して、たぶん、何日も経った。
そうしてある日。
何日目かわからなくなったくらい。いつものように部屋にやってきたルンが言った。
「サエ。ここしばらくの間、私は稽古をつけていただいていたのですが」
「……そうなんだ」
「はい。ヌワ様とコモス様に。もうすぐ、お墨付きをいただけそうです」
その日起きたことを静かに報告してくれるようになったのはいつからだっけ。外の変化を知ってほしいと思っているのだろうか。理由は言わなかったけれど、ルンなりの思いやりだってことはわかっていた。
いつも、うん、へえ、そう、と適当に返してしまう。そのことが心苦しいけれど、楽しい気分になれないのだ。
じいっとルンを見る。
物静かに語るルンの声は、聴きやすい。ぼんやりとしていても、するりと耳に入ってきた。
「ですので、サエ。待っていてくださいませんか」
「待つ?」
おうむ返しに聞けば、ほのかに笑ってルンはうなずいた。
ベッドの上で膝を抱える私に、目線を合わせるために屈んだルンは、柔らかな声で言った。
「長らくお待たせはしません。きっと私は、あなたのためにできることをしますから」
そうして、しばらくじっと私を見つめてから、ルンは立ち上がって離れていった。
「あ……」
思わず伸ばしかけて、手をおろす。
私のためってなんだ。そんなことより、まだ、ルンがそばに居てくれた方がずっといいのに。
そう思う自分にまた嫌な気持ちになって、ベッドに転がる。枕に顔を埋めて、大きく息を吐いた。
長らくと言ったくせに、ルンが帰ってきたという知らせもない。
その日の夜も、次の日も、姿を現さなかった。
そしてさらに翌日。翌々日。
さすがに変だと部屋に籠っていた私でもわかる。ルンは予想しない無茶をすることがあるから、何かあったんじゃないかと古城のあちこちを探し始めることにした。
けれどどこにもいない。
お茶に誘ってくれたオウィノー様たちに聞いても、試作品を食えと押し付けてきたコモス様に聞いても、ホールで一人踊っていたハリオス様に聞いても、誰も城では見ていないと言う。
お掃除をしていたウータさんやバティストさん、その手伝いをしていたヌワも、みんなに聞いてもお城にいないとしかわからなかった。
じゃあ外なのかと思えば、今日はもう遅いから休めと部屋に押し込められる。聞きまわっているうちにすっかり日が回っていたのだ。
ルンまでどこかに行ってしまったら、どうしよう。
すぐにベッドに行く気にもならずに、窓の先を気にしてしまう。
待っていてと言われた。けれど、もう数日経ってしまった。
落ち着かなくなって、部屋の中を歩き回ったりベッドに腰かけたりしてみるが、全然甲斐がない。しまいには久しぶりに駆けずり回ったせいか眠気まで襲ってくる。
異様な眠気に、ごめんルン、と思いながらくらりくらりと体から力が抜けていく。
眠りに落ちる私を客観的に私が見ているような、そんな不思議な感覚で、いつのまにか辺り一面が真っ白へと変わった。
そして、瞬く間に景色が居間になった。
見慣れた、私の家だった。
古い日本家屋の共同場所で、家族団らんする大きな居間。
大きな長机があって、人数分の座布団が周りを囲んである。両横にそれぞれの居住スペースにつながる障子戸、正面には大き目のテレビ。壁際の備え付けられた収納棚には、お茶セットが入っている。どれもこれも、記憶通りのそのまま。
いや、夢なんだからなんでもありかと思う一方で、こんなにリアルで意識がはっきりするような夢があるかとも思う。
もしかしなくても、私の寂しさが臨界点を突破してとうとう夢を見たのだろうか。だとしたら、自分が思ってた以上に弱ってしまっていたのかもしれない。
突っ立っていたまま、ぽかんとあたりを見回す。
十八年暮らした、馴染みのある居間にわけがわからなくて座り込む。
私の定位置はすぐに廊下に出れる障子戸に近いところ。起き抜けに着替えてご飯を食べて、慌てて学校に行くことが多かったからだ。
せっかくだから、お茶でも入れようかな。
どうせ夢なのだからと、収納棚からお茶セットを取り出して急須にお茶を入れる。年季が入った保温ポットにはお湯が入っていた。さすが夢だ。
湯気と一緒に上るお茶の香りは、ここしばらく嗅げなかったいい香りで、なんだか泣けてきた。
いつもの癖で急須に多めに作っておいて、自分の分だけ湯呑に入れる。使った茶っぱは取り出してよけておく。残ったお茶を各自で淹れて、減ったらそこに新しく継ぎ足して作るのが我が家の暗黙の了解だった。
そうして長机の私の定位置へ湯呑片手に戻ったところで、東側の障子戸が乱暴に空いた。
「誰だ! う、うちは広いが金はないぞ!」
そんな情けないことを声を張り上げて言う姿に、息をのむ。
向こうも私を見て、あんぐりと口を開けた。
「サエ!?」
「楓太兄!」
だるだるのスウェットを着た、楓太兄だった。
脱色した髪の毛は根元が戻りかけたプリン頭が特徴的な私の従兄は、三白眼を思いっきり見開いて、そして叫んだ。
「わああああっ! 姉ちゃーん! ヒロ兄ーっ! サエが化けて出てきたあああ!!」
直後、双方の通路から古びた床板を騒がしく鳴らして足音が響いてくる。
先に素早く開いたのは私の後ろ。西側の障子戸が乱暴に開くと、パジャマを着たヒロ兄が現れた。続いて、東側に楓太兄を押しのけて南美姉が。
「あっ」
夢にまできて、そんなリアルな反応されるのかと私の故郷への執念に半ば感心してしまう。
「サエ!?」
まったく同じ反応を南美姉がしたところで、背後のヒロ兄を見上げようとして、ぎゅっと抱きしめられた。
ヒロ兄は声もあげずに泣いていた。鼻をすする音が聞こえて、続けて軽く頭にげんこつを落とされる。
「サエ、この馬鹿野郎。お前、どこ行ってたんだよ……葬儀も四十九日もぜんぶ済んだ今頃……っ」
本当に、そこにヒロ兄がいるみたいだ。
でも、夢だっていうのはすぐわかった。
温かくないのだ。肌の温度が触れ合ったところから一切しない。
だとしても、泣いて私に恨み言を投げてくるヒロ兄に、手で顔を抑えて泣いている南美姉と男泣きしている楓太兄がいることが、嬉しい。もらい泣きをしながら大人しく説教を甘んじて受ける。
「……くそ、夢なんだよな、これ。サエは、もういないもんな。夢のお告げみたいに、出てきてくれたのかな、サエ」
「ヒロ、私にもサエを貸してよ」
「俺の夢だぞ。我慢してくれよ、南美」
「いえ、私の夢よ」
夫婦の言い合いが始まって、あれ、とみんなの泣き顔が怪訝な顔に変わる。
その中で一人、楓太兄はぽかんと泣きながら周りを見回している。
「え? これ俺の夢なん? あれ、あっ、そうか俺寝たもんな?」
そしてなぜか私に確認してきた。
「サエはどう思う?」
「私が夢を見ていると思ってる」
正直に答えると、ヒロ兄は私を解放しておもむろに自分の席についた。そのあとに続いて南美姉も、促されて楓太兄も自分の座布団の上に腰を下ろした。
全員が泣きはらしたとわかるひどい顔のなかで、ヒロ兄が言った。
「えー……この中で自分の夢だと思っている人」
全員、手が上がった。
「じゃ、じゃあ、全員とも同じ夢を」
すげえと言いながら楓太兄が言えば、南美姉が制した。
「待って。本当かどうかはまだわからないわよ。そうね、後で事実だってわかる証明をしとこうじゃない」
そして手を上げたまま南美姉はヒロ兄を見た。
「ヒロ、私多分妊娠したわ。明日婦人科行って確認してくるから」
ヒロ兄が思いっきりむせて慌てて立とうとしてすっ転んだ。
あ、ヒロ兄の眼鏡が吹っ飛んだ。咄嗟に拾って差し出す。
「え? はっ? え、本当に!?」
「あと楓太」
「な、なに」
眼鏡を受け取って、慌てて掛け直しながらヒロ兄が詰め寄る。南美姉はそれにVサインを返しつつ、真面目な口調で続けた。
「あんたが大事に取ってた、お高いアイス限定版。研究発表の質疑応答で腹立ったから、むしゃくしゃして食べちゃったわ」
「あ゛ー!? まさかなって思ってたけど、やっぱ姉ちゃんだったんじゃん!? なんで「さあ?」なんて言ったんだよ!」
「だからあんたの部屋にお詫び置いたのよ」
「えっ、なんか置いてた? 俺知らねえんだけど」
「夜に輝く子」
「待って、虫じゃないよな。頼むからそうじゃないって言って姉ちゃん」
「目が覚めたら天井見てみなさい。以上」
「なになになに。一気に怖くなること言うなよ」
南美姉は言い切ると、ヒロ兄とお揃いの黒縁眼鏡の位置を直しながら手をおろした。
相変わらずのパワフルさだ。
唖然と見ていると、にこっと笑顔をくれた。ふわもこのパジャマにショートヘアに、そういえば初めて見るパジャマと髪型だなと思った。私の夢だとしても不思議だ。
「サエ、ちょっと大人っぽくなった?」
「そ、そうかなあ? そうだと嬉しい」
四か月くらいだろうか。一年の四分の一もあっちで過ごしているのだ。変化も出ててもおかしくはない。
「なあ、俺も姉ちゃんみたいに証明すべき?」
「楓太は……いいわ。ヒロやサエはどうする?」
そう言われて、私はヒロ兄と顔を見合わせた。
そこでようやく、ヒロ兄の顔つきがちょっと変わったことがわかった。全体的にシャープになっている。もともと太ってはいなかったけれど、瘦せている。無精ひげもある。
「なんか、ヒロ兄、痩せた?」
「お前が行方不明になって生存も望めない状態だって言われてから、あちこち駆けずり回ってりゃそりゃ痩せるわ」
デコピンされた。
「状況的にとにかく絶望的だったし、一年以上経って諦めて、受け入れて、失踪宣告も終えて……なんで今になって……いや、悪い。ちがう、嬉しいんだが、複雑で」
「ヒロ兄、ごめんね」
「謝るなよ。お前がうかつだったのはともかく、運が悪かったのは仕方がない……仕方ないんだ」
それはひょっとすると、私が土砂に巻き込まれた後に出てきたスマホのデータを確認したんだろうか。キノコの写真を直前に撮っていて、根元に近づいて、それで、というのがわかったのかも。
「……ごめん」
「だから、謝るなって。ああもう、お前がおとなしいと調子が狂う。お茶」
頭を掻いて大きく脱力したヒロ兄は、のそのそと食器棚に膝で歩く。それから急須から湯呑にお茶を淹れて一飲みにあおった。
「ここが夢なら、叔父さん叔母さんもこれたらよかったな」
そう言って苦笑いした。
「二人は仕事?」
「父さんは日が変わってから帰ってくるみたいだけど、母さんは夜勤」
楓太兄が答える。
「みんなが見てる夢ならさ、案外すぐ来るかもな。ところでサエ、お前はどうなの」
そして私に聞いてきた。
こういう気軽に話題を振ってくるところはコミュ力が高くていいのだが、いかんせんときどき空気を読めないのが楓太兄たる所以だ。南美姉が若干呆れ混じりの眼差しを向けているが、楓太兄は気づいていない。
「どうって?」
「なんか元気そうだしさ。その、な? はは」
言葉を濁して曖昧に笑う。きっと本当に死んだのかとか聞きたいのだろう。
ヒロ兄が縁起でもないと口を切って怒る前に、私は慌てて答えた。
「すごい元気! 私、異世界にいるから!」
ヒロ兄は、まさか、と何か思い至る顔をして、南美姉は大丈夫かと心配する顔を、楓太兄は目を輝かせた。
「あれか、昨今流行りの奴? え、やっぱ俺の夢じゃ」
「楓太」
「はい」
南美姉のお言葉で静かになった楓太兄を置いて、ヒロ兄が聞いてきた。
「サエ、まさか神隠しにあったとか、そういうことを言いたいのか?」
「えっと、どうだろ……超常的な力だとは、思う、かな? わかんない。お父さんとお母さんがなんかしたっぽくて」
「はあ?」
目を丸くしたヒロ兄たちに、私は「あのね」と説明するために姿勢を正した。




