二十九話
『ヒロ、サエ、元気だろうか。父さんたちは、なんとか元気だ』
お父さんもお母さんも、家に残っている写真のまま若々しい。恰好は登山服じゃなくて、登山服風に改造したようなものだ。映画のセットみたいに古びたデザインは、似合っているというよりちょっぴり浮いている。
『驚くかもしれないが、父さんたちは異世界に居ます。いや、本当だぞ』
『異世界の山をいっぱい制覇しているわよ』
相変わらずの山狂いに乾いた笑いが出てきた。
白昼夢ってやつではない、よね。
半信半疑で手の甲をつねったら痛かった。私の行動を見ていたメルーが、すかさず「現実ですよ」と言ってくる。
じゃあ、本当に?
まさかの両親がここにいた? そんなことある?
それなら、この世界のどこかに住んでいるとでも言うのだろうか。
『帰ることをあきらめたわけじゃないぞ。今もずっと、これからも探すつもりだ』
『これを見ているあなたたちが笑い話にできるくらい、頑張るつもり。そうだわ、私たちが山へアタックするときに色々見つけたものもあるのよ』
『……なあ、悠。やっぱり恥ずかしいんだが。メルー、本当にこれ保存するのか? え、もうしてるから続けろ? えー……』
『もう、ぶり返さないの! えーっと、どこまで言ったっけ。ああ、そうそう、ヒロ、サエ、すごいものいっぱい見つけたのよ。いつか私の口から話せたらいいけど』
シンとユウ。
そう名乗って活躍していると誇らしそうに言う両親に、ああ、と息を吐く。
父は進、母は悠。二人して偽名で過ごしていたのだ。この世界での二人の道のりを聞いて、いろいろな新事実が明らかになるたびに頭が痛くなる心地がした。
これ、ヒロ兄や叔母さんが見たら怒髪天じゃないだろうか。いや、泣きながら笑うかも。
私も気づくと涙が流れて、それなのにおかしい気持ちがしてならなかった。
『お父さん、ほら、自慢とかもしときましょ。記念と思って!』
『あー……父さんな、ここではなんと領主さまと呼ばれているんだが』
『山へアタックしつづけて手がかりとかいろいろ探している間に、お偉い人に認められたのよ。領地までもらったのよ、すごいでしょ』
『場所はすごく見晴らしがいい高地でなあ。お前たちにも見せてやりたい……えっ、メルー、画像記録もつけてくれるって? おお助かるなあ! よろしく頼むよ』
『名前はね、ロクタックっていうのよ。ほら、母さんのもとの苗字、六宅でしょ。それからもじってね』
つまり、ロクタックは私とものすごく遠いけれど血がつながっていることになる。
同時に、私の両親は帰れなかったのだということを悟ってしまった。
映像の途中でワイプの上空から見下ろした領地が映し出されている。活気のある街並みと、ぴかぴかの白いお城だ。今の廃墟とは似ても似つかない有様に、また涙があふれた。
ロクタック領は国に襲われて、そのときの生き残りであるロクタック兄妹たちは異形に変わってここにいる。
数百年もここにいたとロクタックの人たちは言っていた。そして、祖先に転移者がいたとも話していた。
──どれもこれも、両親と私のいる時間軸は遠く隔てられているのだと教えている。
『ヒロ、受験はどう? うまくいった? サエはどのくらい大きくなったかしら』
『……いや、だめだ、限界だお母さん! なんか湿っぽくなる。おわりおわり! じゃあ、また。家族の無事を、離れていても祈っているよ』
『もうっ、お父さん! 仕方ない。あなたたちに迷惑をきっとかけているのだろうけど、きっと、いつか、帰るから。元気でね。無事でね』
油断すると嗚咽を上げそうになって、鼻をすする。
目も熱い。腕で涙をぬぐっている間に、映像が終わりを告げた。
メルーが、本を閉じる仕草をすると画面もふっと掻き消える。
「以上、シンとユウから万が一、億が一があれば見せるようにとメルーが承りました映像となります。いわゆる、これは、お詫びですね」
「……お詫び?」
「彼らが存命の間に、願ったもの。古野守サエ、あなたが願うものはおそらく同一と推察します」
嫌な予感がする。
心臓がばくばくとなった。それ以上を聞いてはいけないと思うのに、体は反してじっとメルーを見てしまう。
くりくりとした新緑の目は、瞬きもせずに私を見つめている。申し訳なさそうな表情を作っているのに、きっぱりと言葉は放たれた。
「シンとユウは技術確立が間に合いませんでした。そして、あなたは身体的に不可能です」
「それは、どういう」
「お見せしたほうが早いでしょう」
片手を上げると、今度は違う映像画面が空中に現れた。
「あ……」
キャンプ場の、脇道を私が歩いている。
スマホを持って、木の根元に近づいて、転がり落ちた。
あのときは長い時間にも感じたのに、一瞬のことだった。
あっという間に崖下の石へぶつかって、私は血を流して倒れてしまった。
それから少しして、土砂が降ってきた。地崩れが起きたのだと、このとき初めて知った。
倒れたまま動かない私を完全に土砂が覆う直前で、私の体が消えた。
映像が切りかわる。
曇天の空の下、荒れた石舞台に倒れた私が淡く光っていた。
呆然と見ていれば、冷静なメルーの解説が入る。
「シンとユウの願いは、彼らの子が理不尽な不幸にあわぬことでした。でしたので、彼らの没後、メルーは研究を重ねてシンとユウが招かれた原因である召喚術を解析し、古野守ヒロとサエを観察していました」
表情は安心させるような可愛らしい笑みなのに、ちっとも安心できない。
「召喚術が疑問ですか? そうですね……現在の文明の二つ前あたりで成立したものだそうですよ。シンとユウの場合は、奇妙な運がかち合った末の事故でした。残念ながら、文明が変わった時点で失伝された技術のため誰もわからなかったとか」
私が返事をしないことを、納得したとでも思ったのだろうか。にこにこした顔でメルーは話を戻して続けた。
「そして、あなたの世界での間に合わぬ不幸……この場合はあなたの滑落事故がありましたので、即座に治療可能なこちらで受け入れることにしました。その際、あまりに損傷具合がひどかったため、奥域到達者オウィノーの願いを踏まえて治療を施しています」
「まさか」
──ここに来た皆を望む形で生き永らえさせる。
オウィノー様が家族のために祈ったことが、私に降りかかったのだ。
「あなたはこちらの世界とは異なる存在であるため、より最適化した肉体の形質変化が起こりませんでした。ですが、確実に治療を施しています。体は万全に動くでしょう?」
「じゃ、じゃあ、ルンは?」
「人間の精神性は、孤独に耐えがたいと記録しております。ですので、あなたをこちらへ招いた際に、過去の研究から磨いた召喚術の応用で選び取りました。いくつかの世界の中から、まったく同時期に、あなたと同じように身体損傷が激しかった人物は彼のみでしたので」
「なにそれ……じゃあ、ルンは巻き込まれたの」
「少なくとも、生き永らえることは望ましいのでは? メルーなりの奉仕精神だったのですが」
本当にわかっていないように首をかしげられた。
そうじゃない。そういうことじゃない。
カッとなりそうになったけれど、どこか冷静な思考で、私は本当に死にかけていたのだと理解する。
それなら。
なら、私は。私は。
「……帰れないの」
自分でも、思った以上に情けない声だった。
喉を絞り出して聞いた言葉を、メルーは困った顔で、だけどきっぱりと答えた。
「機能回復と向上を試みた改造によって、古野守サエおよびルンは、こちらの世界に紐づけをしています。帰還は不可能です」
断言された。
これ以上ないってくらい、はっきりと、容赦なく私の希望が切って捨てられた。
もしかしたらなんて甘い考えも、全部なくなった。
帰してよ。帰りたい。なんで。どうして。
それだけが頭の中で渦巻いている。罵声を上げて暴れまわらなかったのは、事前に私のあの状況を見せられたからだろうか。
ああしなければ、私は助からなかった。生きていなかった。
「ただし、願えば古野守ヒロを呼び寄せることは可能です。いかがしますか?」
「なによ、それ」
向こうの生活をすっぱりとなくして、こっちに呼び寄せろというのか。
ヒロ兄に確かに会いたい。叔母一家にも。でも、それは違うだろうと理性が叫ぶ。
私は帰れない。帰れないけれど、巻き込めるのか。
頭を横に振った。
できるわけがない。
ヒロ兄は新しい研究の糸口を見つけたと言っていた。南美姉は博物館と協力して展示を今度するという。楓太兄は内定が受かったばかりで、叔父さんと叔母さんは人のために働くことを誇りにしている人たちだ。
私は、諦めなければならない。
だけど、それとこのやるせない気持ちは別だった。
体の内側に爪を立てられて無遠慮に引き裂かれたみたいに、苦しくて痛くてたまらない。
こらえてうつむいても、悲しいがあふれて止まらなくなって、嗚咽となって出てきた。
「う、うぅ」
喉から通り抜けて出てくれば、あとからあとへと涙と声が漏れていく。
「古野守サエ、あなたの世界での例えで言えば、調理済みの卵焼きが生まれたままの生卵に戻るかというもので……ですので、別の願いを」
「う゛うぅううう」
しゃくりあげて、両腕でぬぐいながら頭を振る。何も考えられない。言葉にならない小さい悲鳴みたいな音が喉から出るばかりだ。
困ったとか鎮静はとか呟くメルーの存在もかすむくらいに、いっぱいいっぱいになっている。
しゃがみこんで、縮こまる。あふれてきた涙が止まらない。
「精神機能に負荷発生を確認しました。造物主による該当事例を参照、閲覧します。対症療法として人材……なるほど」
「え? あ、え? サエ?」
ルンの声にしゃくり上げながら顔を上げる。
隣に立ったルンが、驚いてこっちを見ている。私を見て、わからないだろうに、すぐに心配して膝をついてきた。
ルンは巻き込まれたんだよ。私の両親が願ったことから、私が来たことで、こうしてここにいて。
ぐちゃぐちゃと何も考えられないまま、ルンにしがみついた。
「サエ、なにが」
「ル゛ンーっ、うああああん!」
小さな子どもみたいに大声で泣いた。
恥も外聞もかなぐりすてて、悲しいだけの気持ちで喚いた。言葉にならない言葉で、嫌だだとか、悲しいとか、つらいとか、いろいろと言った。家族と離れたくないと泣いて、泣いて、わけもわからないまま泣き通した。
細かいことは覚えていない。
ただ、離れたら嫌だとか、独りぼっちは嫌だとか、ぎゅっとしてとかわがままも理不尽な言葉も勢いで浴びせた気もする。
帰りたい。そう繰り返し呟いて泣いて。
そうして、ふっと私の世界は暗くなったのだ。
*
揺られている。
私は背中の上で寝ぼけ眼をこすりながら、汗をかいているお父さんの肩から見える景色を眺めていた。
「サエ、もうすぐ着くぞ」
私の前をヒロ兄が歩きながら振り返って言う。そんなヒロ兄を見て、お母さんが小さく笑う。
「ヒロったら、お兄ちゃんねえ」
「……なんだよ、当然じゃん」
「昔はこーんなに小さくて、すぐお母さん無理ーって泣いてたのに」
「昔のことじゃん」
ぷいっとそっぽ向いたヒロ兄がおかしくて笑っていたら、不機嫌そうな顔のまま「心配して損した!」と言って大股で離れていく。
「あっ、待って、ヒロ兄! お父さん、急いで!」
「あのなあ、サエ、ペース配分は大事な……まあ、今日はいいか。よーし、しっかりつかまっていろよ」
「うん!」
ぐんぐんと追いかけて、楽しい悲鳴を上げながら走って登る背中で揺られる。
──これは、私が覚えているかぎりの、小さいころの楽しい記憶だ。
何回目の山登りだっただろうか。
ヒロ兄の誕生日だったと思う。家族でハイキングしようと山に行ったんだ。
お弁当をお母さんと一緒に作って、私はおにぎりを握ってヒロ兄とお父さんにあげた。
普段お父さんたちが登っている山ではない地元の山だったけど、こんなに素敵なところだったかしらと思うくらい、特別に思えた。
目いっぱい遊んで、疲れ切ったあとはまたお父さんの背中をタクシーがわりにして、揺られて、気づけばまたうとうと眠っては起きてを繰り返した。
ゆらゆら揺れている。
そう、ちょうどこんな風に。
ぼんやりとにじむ視界がゆっくりと変わって、暗くなる。
広い背中はすこし縮んだ。でも、落とさないように気を配ってゆっくり歩いてくれているところは同じ。
なのに、あのときの、楽しい記憶のように心は弾まない。
前を歩いている姿が、家族の姿が、溶けて消えて今は大柄の異形の一行が歩いている。
それが、無性に泣けてきて、背負ってくれている相手の肩に頭を押し付ける。
──今はもう、小さかった私と一緒にいた、あの家族とは居られないのだ。
お父さんとお母さんが、外国の山にアタックすると言って、私とヒロ兄を置いていったことを、思い出した。
古い傷口の薄い皮膚が剥がれてぴりぴりと痛む感覚と似ている。
叔母さんたちに抑えつけられて、お父さんとお母さんに手を伸ばしながら泣いていたんだった。
「置いていっちゃやだ! 一緒にいてくれるって言ったのに! 嘘つき! 嘘つき!」
ごめんねと何度も謝って、海外のチームに混じるんだと説明してくれても、幼い私には納得できなかった。ヒロ兄に「やめろよ、サエ。叔母さんたちに迷惑だろ」なんて偉ぶって言われて、唇を噛んで唸る。
「じゃあ、行ってきます」
「いい子でね、二人とも。あゆ美、誠司さん、よろしくね」
何度か振り返りながら行く二人の背中に手を伸ばす。やがて振り向かなくなって遠ざかる二人に、私はいつまでも泣いていた。
「いっちゃやだ、いかないで、行かないでよ」
この世の終わりかってくらい泣いてたって、ヒロ兄と楓太兄が言っていた。きっとそうだったのだろう。
あの時の私は、今生の別れなんてこともわからなかったはずだけど、本当にいなくなってしまうと必死で思っていたのかもしれない。
『──ヒロ、サエ、元気だろうか』
忘れかけて薄れていた記憶を、掘り起こしてしまうなんて。
やっぱりいなくなっちゃったんじゃないか。あの時の私は間違っていなかった。どのみち、帰ってこれなかったのだから。
そしてそれは、今の私も同じなのだ。
漠然と理解したことに、嗚咽が出た。




