二十八話
ハリオス様の提案は、私にとって願ったり叶ったりだった。
元の世界に繋がる手がかりを求めていたのだから、もしかしてが実現する機会に飛びつくのは当然のこと。
本当に帰れるのかと不安に思う気持ちは見ないふりをして、一も二もなく私は頷いた。
ここへ来てから、およそ三か月以上。
すっかりと馴染んで、現代の生活や記憶がなつかしさに変わっていくのは、仕方ないことではあったけれど恐ろしいことでもあったのだ。
もう少しゆっくりしていけばと言うオウィノー様には悪いけれど、ハリオス様に私はお願いをした。
ルンが何か言いたそうな顔をしているのは気になるものの、追及をしてもはぐらかされてしまった。もしかして寂しいのかなと聞けば、正直に「はい」と返ってきたのにはちょっと驚いた。ちゃんと思ったことを言えと言ったのは私だけれど、はっきりと言われるとなんだか照れくさい。
まごまごしてルンの顔を見ていると、なんだかしんみりしてしまってついつい話題を変えてしまった。我ながらいきなり暗闇は平気かとか、そういえば地下のあの蛍コウモリ食べられるかしらとか露骨だったと思う。
それでも私と違ってそういうところは追及したり茶化したりしないのだから、ルンはやっぱりよくできた性格だなあと思ってしまった。
もし最後になるのなら、見送りはいるだろうと大所帯で潜っていく。
鍾乳洞みたいな洞窟を抜けて、毒の水場を前に立ち止まる。
「いやあ、改めてすごいな。僕はどのくらいの間ここにいたんだろうなあ」
ぼんやりとした感想を言いながら、肩をすくめたハリオス様が一人で水場へと入っていく。
あの謎の金属っぽいブーツのような足で、硬い地面をリズムよく鳴らして進んで、奥のあたりで立ち止まった。
そして何やら壁や地面を触ったり叩いたりした。
すると、地面が揺れた。
ず、ず。
震動と底から響く音がして、天井にぶらさがっていた蛍コウモリが一斉に騒ぎだす。あたりに明滅した光が散乱して、目がちかちかとする。
瞬きを繰り返している間に、水場が割れた。
なにがどうなっているのか、まったくわからない現象が起きている。
水が落ちるところなんてないのにまるで急に排水溝の栓が抜けたみたいに真ん中だけぽっかりと空いた。見れば、ほかの地面より盛り上がって、段々丘の途中から続く一本道が出来上がっている。
その先には、まるで遺跡の玄室みたいな扉ができていた。
いや、このダンジョン自体が遺跡みたいなものだから、ありえることなのかも。とにもかくにも、大仕掛けだ。
仕掛けを作動させたらしいハリオス様が軽やかなステップで戻ってくると、大仰な仕草で私に先を促した。
「さあ、どうぞ。こういう仕掛けは、いくつになってもわくわくするものだね」
確かにヌワやウータさんは目を輝かせていたし、コモス様も興味深そう。そして私もだ。期待にどきどきさせながら、驚きに目を瞬かせていたルンの腕をとって引っ張った。
「よし、ルン。行きましょう。お願いごとは決まった?」
「私も、ですか?」
意外そうに見られた。
こっちのほうが意外だ。これまで散々一緒に行動してきたのだから、ルンも続けて願いを聞いてもらうのだとばかり思っていた。
ああでも、思い返せば、ルンは別に願いごとはないと言っていたんだっけ。私の価値観を押し付けるわけにはいかないけれど、それってやっぱりもったいないと思う。
「……いえ、そうですね。ご一緒します」
眉を下げてルンが言う。ちょっとへたっぴな笑顔でこくりとうなずいてくれた。
「ルンが付き添うなら、残るわ」
一本道の前に立ったところで、オウィノー様が後ろから声をかけてきた。
「この道、この体だとちょっと狭いし。それに扉の前で開門句を言うだけだもの。サエ、わかるでしょ?」
「あ、はい。ちちんぷいぷい、ですね! ばっちりです!」
「ええ。それなら、ルンと行ってらっしゃい」
「はいっ」
あでやかに微笑むオウィノー様に大きくうなずいて返事をする。
「そうかい? オウィノーが残るなら僕が付いて行こうか」
「ハリオス様、なりません、なりませんよ」
「そうよ兄様。わかってないわね! だから機微を知らぬ人と言われて尽く修羅場になるのよ」
「おや、二人とも。僕はわかっていて言っているつもりだけども」
「なら、なおさらだめじゃないの!」
「オウィノー様の仰る通りですわ!」
ひょこっと身を乗り出したハリオス様を、ウータさんとオウィノー様が厳しく言い含めている。
コモス様はそれをちらっと見ながら私たちに言った。
「帰るにしろ、帰らんにしろ、しばらくは待っててやるから行ってこい」
「ほうほう、コモス様。見ない間に、大分丸くなられて」
「やかましいぞ、バティスト」
「うむ。念願が叶うとよいな、サエ。ルンは、サエが突っ走らないように見ているのだぞ」
いまだに説教を受けているハリオス様を横に、男性陣は和やかに見送りの言葉をくれた。
癖の強い人たちだけれど面倒見のいい人たちに手を振る。そうしてルンの腕を取ったまま扉の方へと足を運んだ。
自然とはやる気持ちで早足へかわって、駆けて行く。
硬い石の床を蹴って、大股で長い一本道を進む。
道は奇妙に光っている。地面自体は鍾乳洞っぽい素材なのに、時折通信しているみたいにぴかぴかと点滅しているのだ。あえてその道に擬態している近未来的な感じがする。
けれどその不思議さも、期待へと塗り替わる。
扉の前に立って息を整える。
「あ、手。ごめん、ルン」
汗でにじんできている手のひらが申し訳なくなって、ルンに謝る。
ルンは視線を私が握っている腕の部分へとおろすと、短く「いいえ」とだけ返した。気を悪くした返事でないことにほっとする。
「ふふ、どきどきしてきた。よし、よおし、言うわよ」
「……はい。サエ、気をつけて」
「なあに? ルンは気になることがあるの?」
「そう、ですね。未知は、恐ろしいですから。あの……手を、触れてもいいでしょうか」
目を伏せて静かに言われた。
私は問答無用で腕を引っ張ったというのに、控えめに提案するなんて。言い分も可愛らしく思えて、即座にもちろんと了承した。
ふ、と表情が和らいだ。散々ルンの顔を幸薄いと思っていたけれども、こうして柔らかな顔つきをすれば穏やかで美しいとさえ感じる。丁寧に私が握っていた手先を取って、逆に包まれた。
「ありがとうございます」
「ううん、なんか、私のほうこそありがとね」
むずむずする。
そんな心地を追い出すために笑って、一つ呼吸をした。
それから、やるぞ、と気持ちを込めて口を開いた。
「ちちんぷいぷい」
痛いの痛いの飛んでいけ。
後ろに言葉が続きそうな呪文を大真面目に、期待をこめて言い放つ。こんなに真剣に言う日がくるとは思わなかった。
言葉がこだまして空気に溶けていく。
それと同時に、石造りの扉に光の線が走った。幾重にも重なって、まだらに明滅して、驚くほど静かに左右に扉は開かれた。
「行きましょ、ルン」
繋いだ手先を握って、足を踏み入れた。
*
一気に近未来チックになった。
明るい廊下は、最初の階の無機質な通路とも似ている。けれども、床や壁に天井まで境目がわからなくなって光線が空間に形作って駆け抜ける様子は、明らかに普通じゃない。世界観が違う。
この世界には超古代文明があって、それがこんな様子だったとか……なんて、小説みたいに考えながら歩く。
右も左もわかりづらいので、隣で手をつないでいるルンの存在がとてもありがたい。
足音もたたない空間は進んでいるのかもわからない。けれども、それほど歩くことなく私の目に異様な物が目に入った。
球体が台座の上で、ぷかりと浮いている。
メタリックな流体を無理矢理球形に留めてみた、そんな感じの表面が不思議な物体だ。大人の頭くらいもある大きさで、時折ざわざわと細かく蠢いている。
ここにもモンスターがと思ったとき、音もなく形を変えた。そして、どこからともなく声がした。
「──来訪を確認。ようこそ」
例えるなら、機械音声のアナウンスが一番近い。
流体が形を変えて台座の上で動くたびに声がする。
驚いて一歩引きそうになって、ここまできたのだからと踏みとどまる。
「該当人物を確認。一部の休眠機能を再起動します。しばらくこのままお待ちください」
わっかの形になってくるくるとその場を回ると、パッと一瞬光った。
そして、半透明の女の子が空中に現れた。
栗色の髪の毛を三つ編みにした、元気そうな可愛らしい子だ。小学生くらいの年頃だろうか。ぱっちりとした明るい緑の目で、外国の少女モデルのように愛らしい。北欧の民族服みたいな服もよく似合っていた。
「んんっ……んーっ。再起動完了。当機能は、造物主イロより創造された自律型学習記憶搭載核の拡張機能。便宜上、メルーと命名されております。よろしくどうぞ」
声も調子も見た目に合わせたように変わった。
ぽかんと見守っていれば、メルーと名乗った女の子はくるりと一回転してにっこりと笑った。
「初期の約定に従い、メルーはお願いを聞くことにしています。ですが、その前に。古野守サエ」
「わ、私?」
どうして名前を。
にこにこと美少女の満面の笑みを浮かべたメルーは、どこからともなく本を表して開いた。眼鏡までかけている。
「貴女に映像を預かっています。再生されますか」
「伝言? 誰から」
「シンとユウ名義です。再生されない場合は、破棄をさせていただくようご用命いただいています」
誰だ。
日本人っぽい名前だけども、私の知り合いにそんな名前の人はいなかった気がする。クラスメイトにも多分いなかった。
けれど破棄されるのはまずい。何かの情報が失われてしまう。慌てて返事をする。
「大丈夫、いいです。再生してください」
「了承しました。前方をご覧ください。記録の上映を間もなく行います。お付きのお方……対象、ルンは契約上の秘匿事項にあたるため、別室へご案内します。そのまま、該当者、古野守サエとの相互伝達が終了するまでお待ちください」
「えっ」
急に手の先にあった感触がなくなった。
ルンが消えた。
「ルン!?」
辺りを見回しても、姿がない。
「あの、ルンは?」
「別室待機をしていただいております。ご安心ください。メルーは千を超える経過年数ではございますが、現在も問題なく機能しております。未だ劣化しらずでございますので、異空間隔離の失敗はありえません」
「大丈夫ってこと?」
「ご心配でしたら、ただいま鎮静として意識を刈り取っています。おや、精神状態の高揚確認……はい、問題ございません」
問題しかないことがおきていないだろうか。
本当に大丈夫なのか、言おうとして、私は失敗した。
『──……あー、マイクテスト、マイクテスト』
どこかで聞いたことがある声だった。
ふと視線を上げて、固まった。
『メルー、これ撮れてるのか? ああ、撮れてる? それならいいんだ。あー……ああ、緊張するな』
見覚えがある男の人が画面いっぱいに映っている。
『登頂記念インタビューより照れてるんじゃない? あ、こっちも映ってる? ほら、しゃんとして、これ使われる日がくるとしたら情けない様を見せることになるんだから』
男の人の方を軽くはたいて女の人が割り込んだ。
ああ、ああ、見覚えがある。
「お父さん、お母さん」
私が小さいころに山で行方不明になった両親がそこにいた。




