二十七話
目覚ましが鳴る。
二度、三度アラームが連続して鳴ったのを、目をこすりながら手探りであたりを探る。
スマホの目覚まし止めなきゃ。
手繰り寄せて寝ぼけ眼で画面をスワイプする。染みついた仕草でアラームを消して、時間を確認すればすでに七時を回っている。
「ん……んんー、寝坊!」
今日は出かける日だった。
それも家族旅行で、ちょっと遠出のキャンプ旅行。叔父と叔母の夫婦二人とも生憎の仕事だけれど、ヒロ兄と南美姉の新婚夫婦に、楓太兄の従姉弟と一緒の、楽しみにしていた日。
この日のために、好みのアウトドア用の服や靴、サイドポーチも揃えたのだもの。
ベッドから跳ね起きて手櫛で髪を梳きながら着替えて、洗面所に降りる。
寝坊をしていたせいか、西側一階の洗面所には誰もいない。我が家は古さに目をつぶりさえすれば、広い二階建ての日本家屋なので、生活区域が分かれているのだ。例えば、古野守家は西側の家屋、叔母一家こと六宅家が東側の家屋。真ん中が共同生活の場でついでにその二階は叔母夫婦が使うという感じ。
すでにヒロ兄たちは広間で準備をしているか、テレビを見ているのかも。
鏡を見ながら髪型を改めて整えて、クマができていないかもチェックして準備よし。
木の板の渡り廊下を早足で歩いて、広間の前まで急ぐ。
障子戸に人影が見えて、やっぱり先にみんな来ていたんだと慌てて取っ手に指をかける。
「おはよう!」
開いた障子戸の先の光景は見えなかった。
かわりに、空を切った手先と、がくんと落ちるような感覚がして。
は、と目が覚めた。
見覚えがある場所だ。
あるけど、それは私の部屋でも家でもない。
土壁も木目が目立つ天井もない、石レンガの壁に燭台がある。白い布で埋め尽くされた、ダンジョン内のオウィノー様のお部屋だ。私はどうやら、たっぷりとした布をクッション代わりに下敷きにして寝かされていたらしい。
手を上げたままなのがちょっとだけ恥ずかしくて、そそくさと起き上がる。
すると、私の寝言であったあいさつに溌剌とした返事がきた。
「まあまあ! お目覚めでございますね!」
しゃべる胸像つきのエプロンをした箒。ウータさんだ。
「おはようございます」
残念な気持ちもしたけれど、とても嬉しそうにしているウータさんにつられて笑顔で返す。
「サエ殿、お加減は?」
「とくに、大丈夫です」
ここにいる経緯はあんまり覚えていないけれど、私が踊って倒れたあとに連れてこられたのかなと予想はできた。
それにしてはウータさん以外に誰かがいる様子もない。
「あの、皆は?」
「ハリオス様に外の様子をお見せになると、出払っていらっしゃいます。皆様方も、サエ殿のことを気にかけていましたので、目が覚めたらきっとお喜びになりますよ」
「私、結構眠ってましたか」
「三日三晩くらいかと。あの毒の水が浸み込んでいたようで、御熱が出ていたのですよ。なのに、これほど回復されるだなんて……本当に、ようございました」
「三日……」
そういわれると、急にお腹が減る気がした。
そろりとお腹をさすると、承知したと言わんばかりにウータさんはさささっと食べ物を運んできてくれた。
「食欲もあるようで、ええ、とてもよろしゅうございます。こちら、コモス様から是非にも食べさせるように言い付けられております。ささ、どうぞ」
「ありがとうございます」
踊りといえば晴れの舞台。馳走がいるぞと張り切っていたコモス様の料理は食べられなかったが、また新たに作ってくれたようだ。
パッと見た感じ、豆と肉の煮込み料理っぽいもの。湯気が出ているので温めなおしてくれたのだろう。オウィノー様のお部屋は仮拠点としてコモス様が前に改造して兄妹喧嘩をしていたので、ちょっとした簡易調理場があるのは知っていた。
おそらくこのお肉、芋虫のアレだ。
何度か食べたから味も覚えている。元素材はともかく、美味しいのだ。思い出すと微妙な気持ちになるので、わあ美味しいなあと逃避をしながらほおばった。元を考えなければトロトロほろほろな柔らか絶品シチューだもの。
自分ではわからないくらいとてもお腹が空いていたみたいで、ついつい何度もおかわりをしてしまった。
ウータさんはにこにこと空容器を回収して、ほう、と息を吐いた。
「ああ、しかし、なんてルン殿は間が悪いこと。不在のときになんて……ここは起き抜けで……あらやだそれは些かはしたないですわね。物事には段階がございますものね。ほほほ、これはこれで。これはこれで!」
そして一人で早口で興奮混じりに話して納得された。ルンがどうしたのだろう。
疑問に思っていれば、当の本人がやってきた。噂をすれば影が立つとは本当らしい。
入り口のハイテクなドアが静かに開くと、ヌワと一緒に山ほどの物を抱えながらルンが現れた。コモス様の注文だろう。資源生物からとれる物ばかりだ。
さえない表情で入ってきたと思ったら、私と目が合う。すると、「おお」と喜ぶヌワの横でかたまった。
けれどそれもわずかな間で、きょろきょろとあたりを見て、適当な場所に採集物を置くとこけそうになりながら慌ててかけよってきた。
「サエ! 具合はどうですか」
なんだか必死な様子は、まるで小動物が寄ってくるみたいな、いじらしい可愛さだ。クッションに腰かけて食べていた私の足元に屈んで、下から懸命に見上げてくる。
藍色の瞳が潤んで、表情いっぱいに心配と嬉しさがあるのがすぐにわかる。
なんだか、すごく好かれているなあとじんわりと喜ばしくなった。頬が緩んでしまう。
「平気。大丈夫って言ったでしょ」
「……何日も療養に費やしておいて、なにを平気と」
「だって、本当にもう元気だもの。なんなら触ってみる? 傷の跡も残ってないわよ」
起き上がるときに見えたけれど、私の足はつるつるのピカピカになっていた。毒で皮膚ごと溶けて除毛効果もあったのかもしれない。からかいまじりに言えば、言葉を詰まらせて、何かを飲み込んで、長い溜息をつかれた。
「いえ、いいです。あまり、そういうことは言わないでください」
「別に、足先くらい気にしないけど。ルンだもの」
「そっ、あっ……っさ、サエ!」
「こら、サエ。ルンの心配を茶化すな」
可愛らしいルンの反応を愛でていれば、かなり手加減した力で小突かれた。そのままわしわしと大きな硬い手のひらで撫でられる。
「元気なようでよかった」
「はい、元気です。ほかの皆は?」
「母上から聞いていないのか?」
「いえ、聞いてはいます。ハリオス様は元に戻ったんです、よね?」
大きくうなずかれて、ほっとする。私の頑張りはちゃんと実ったのだ。
ヌワは彫りの深い顔をくしゃっとして満面の笑みにすると、また私の頭を数度撫でて離す。
「お前のおかげだ。オウィノー様も大変感謝しておられる。もちろん、吾輩も。そうだ、そろそろハリオス様たちも戻られるので、お言葉も賜れるだろう」
「たまわれる……すごく偉い人なんですよね。いいんです?」
「何をいまさら」
そう言ってヌワはからから笑う。同じようにほほ笑んだウータさんが胸像の体を優雅に動かして手をそろえた。
「ハリオス様は、次期領主としてふさわしくある御方ですけれども、お優しい御方ですわよ。ましてや恩人ともいえるサエ殿ですから、ご心配はいりませんよ」
だとしても、気後れする。オウィノー様のときも貴族の美女だと思っていたけれど、コモス様のおかげでとくに身構えなかったし、コモス様の場合は出会いがしらの印象が強烈すぎてそれどころじゃなかった。
ハリオス様は、どんな人だったっけ。
最後、踊っていた時の正気に戻っただろう様子をなんとか思い浮かべてみる。なんかとてつもなくいい声の美青年っぽい人だった。透明人間ではあったけど、たぶん王子様みたいな感じだったのではと想像できてしまうような。
「ルンはもう会った?」
「はい、サエが休んでいる間に」
「どうだった?」
「……良識はある方、かと」
ルンが言葉を選んでいる。
これは多分、何か含みがある人なんだな。ロクタック兄妹は大分濃い方々だし、きっとその長男であるハリオス様もそうなんだろう。
「なるほど。ありがとう」
「いえ」
なんにせよ、このままの恰好はよろしくない。
着替えはいつの間にか寝間着っぽいのに変わっている。もしも会うのならちゃんとした格好がいいはず。
服の襟口をつまんで、ちら、とウータさんを見たら、それだけでわかってくれた。パチンと、両手を合わせて鳴らしたあと、箒の穂先をはくように男性二人を追い立てた。
「女性のお着換えですので、紳士であればあちらでお待ちなさい。本来なら、寝所へ押し寄せるのもよろしくないのですからね。さ、サエ殿こちらへ。オウィノー様渾身の衣装がございますよ」
さすがウータさん。言わないまでも伝わったことにお礼を言いながら、ゆっくりと立ち上がった。
ちょっぴりふらついたけれど元気に歩ける。ルンがすかさず手を伸ばしてきたのを大丈夫と返す。それから、はあい、と良い子のお返事をして滑るように進むウータさんの後に続いた。
着替えも終わり、私が眠っていた間に起きたことを話している間にロクタック兄妹とバティストさんが戻ってきた。
オウィノー様の隠し部屋はさすがにこの人数だと少々手狭だ。布だらけに資源生物の素材だらけっていうせいもある。柔らかさと煩雑さで圧迫されそう。
けれどもそのなかで、私はわくわくとした気持ちで彼らを迎えた。
なぜかっていうと、オウィノー様が私の服を直してくれていたからだ。
元の世界から一緒に来た私の服は、ほつれも破れも見事になくなった。多少の色が変わったりしたけれど、それもいい具合にアレンジして逆におしゃれになったと思う。
相変わらず淑女にあるまじき変わった恰好とヌワには言われたけれど、すかさずウータさんに叱られていた。ルンを見習ってほしい。サエらしいと褒めてくれたのに。褒めてくれた……はずだ。
ついでだからとサイドポーチまで補強して繕ってくれたのも嬉しい。オウィノー様の趣味なのか小さな花の刺繍をほどこされていた。中身もあるのを確認して、ほっと息を吐く。
戻ってきた四人は、バティストさんが入り口のほうにヌワとウータさんと控えて、めいめいにオウィノー様の作ったクッションに腰かけた。それから、私とルンにも席につくように勧めてから一息ついて話し出した。
「そこまで畏まる必要はないからね。気を楽にしておくれ。まずは、感謝と謝罪をさせてもらいたい」
初めに口を開いたのはハリオス様だ。
耳に残っていた、あの艶っぽくて低い美声の持ち主だ。そしてすっと立ち上がると長い足を引いて跪いた。
すると、コモス様もオウィノー様も席を立って同じように私に向かって跪いている。
「勇敢なお嬢さん。ハリオス・ロクタックは、貴女に感謝を申し上げる。そして乙女の肌に傷をつけてしまったこと、心より詫びよう」
「あ、いいえ」
「如何なる理由があれ、貴女に危険を強いたこと、脅かしたことは消えることはない。我が家門を代表して我らの謝意を受け取ってほしい」
「いえ、そんな。私の意地もあったし、目的もあったので」
「本来ならば、責任を……と言えたらいいのだが、事情や苦言もあって実現は難しい。なので、別のお礼をしたいと思う。いいだろうか」
頭がちゃんと見えていたなら、ウインクでもしていそうな気さくさで軽やかに言う。ハリオス様の語り口は軽妙だ。畏まった口調が改まると、一気にとっつきやすくなった。
事情や苦言は気になったものの、隣に座っているルンが首を横に振っていたので、深くは突っ込むまい。ルンのこういう危機察知は大変に有能なのだ。なので、口をつぐんで愛想よく笑うにとどめた。
ハリオス様は私の反応に「よかった」と言うと、ゆったりとした仕草で腰掛けた。なんとも様になっている。続いてコモス様たちも座ったところで、再びハリオス様は言った。
「僕の可愛い弟妹から、君たちの事情は聞き及んでいる。この国以外の……いや世界? から来たのだったかい?」
「はい」
「異世界とはまた、御伽噺のようだ。ああ、いや、馬鹿にしているわけではないよ。なにせロクタック家の開祖は異なる世界から来たとされているからね」
「そうなんですか!?」
思わず腰を浮かせて聞けば、オウィノー様とコモス様が口を挟んだ。
「それ、古い家柄ならどこでも言ってることじゃない」
「お前らあまり真に受けすぎるなよ。ハリオスは、笑って心無いことを言えるからな」
弟妹の突っ込みがあったが、ハリオス様は楽しそうに軽く笑った。
「おや、可愛い僕の弟妹はよほど貴方がたを気に入っているようだね」
「そうよ。アタシとヌワの弟と妹ですもの」
「ついでに俺の助手でもあるな」
「それはそれは……ならば僕の身内のようなものだね? だというのなら、安心だ」
指を組んで、優雅にクッションへ身を預ける。表情は見えないけれど、その分仕草の一つ一つが表現豊かな人だ。もしかすると、見えないからこその工夫かもしれない。
「それでは、改めて。僕は、ハリオス・ロクタック。ロクタック領主フィドモンが嫡男、可愛い可愛いコモスとオウィノーのお兄さんだ。君たちさえよければ、兄と思って接してくれたまえ」
お礼と謝罪をしてきたときと声音が変わっている。顔が見えたならば満面の笑みじゃないかというくらい、声が弾んでいた。
呆気に取られていれば、コモス様がぼそりと付け足してくれた。
「迂闊にうなずけば、しつこいくらい擦ってくるから注意しろ」
「コモス、どうしたんだい。自分だけが可愛い妹と弟を増やすのはよくないと兄は思うのだけども。ああっ、もしかして、この兄を独り占めしたかったのかい!? しょうがないなあ、僕の可愛い弟は! 大きくなってもお兄さん子なんだね、僕は嬉しいよコモス」
「こうなるからな」
ハリオス様のでれでれとした言い分を無の表情でスルーしながら指をさしている。
つまり、ハリオス様はブラコン。度合いでいえば、なかなか強めのブラコン。
「あのねえ、サエ。ハリオス兄様は、これがひどくなければ……踊りも達者で見目もよろしくて、性格もまあまあなのに。不信をこじらせてからまたひどくなっていて……」
「オウィノー、僕の美しく愛すべき妹よ。この溢れる家族愛こそが僕の根源たる生き様なのだから、否定をしないでおくれ。兄は悲しいよ」
「そもそもハリオス兄様、話が逸れているわ。サエにするお礼のお話をしてくださらないかしら」
「ああ、そうだった」
ぽん、と手を打ったハリオス様は、私とルンを見るような仕草をしてから人差し指を立てて振った。
「君たちは、奥域へ行きたいのだったね?」
「奥域……あっ、はい、そうです!」
願いが叶うところ。
慌てて答えれば、そうだろうそうだろうという感じでハリオス様も襟にしわをつけてうなずいている。
「あそこは誰でも入れると少々まずい。そう判断して、僕が番を務めていたんだ。バティストと話して、いろいろ工夫をしてね、それでまあ、気づけば我を忘れてしまっていたわけだけども……いや、そもそも僕の可愛い弟妹たちの姿を変えてしまうほどつらいことが起きたことに、僕は実に心を痛めて」
「ハリオス兄様、長い。要点をまとめて」
「オウィノーが奥域に入ったあと、僕は一人で奥域へ入った。そのあとバティストと合流し、封印することに決めてああして道をふさいでいた」
「なにそれ、アタシ聞いてないけど!」
「秘密を握るのは少ないほうがいいものだよ、オウィノー。さて、そういうわけで封印して道を塞いだのも僕なのだから、開放するのも問題なくできるとも」
柳眉を吊り上げて、ついでに一対の小さな目まで険しくしたオウィノー様をなだめながら、ハリオス様はさも簡単だと言うかのように言ってのけた。
「毒の水をどかして、奥域への道を開けよう。勇敢なお嬢さん。僕の可愛い新たな身内。君が望むなら今すぐにでも」




