閑話 対岸の話
また、サエが無茶をしている。
彼女は一度、縛って拘束でもしないといけないのではないだろうか。
大丈夫と言い張って、目の前から遠ざかる背中を私はまた見ている。
ともに磨いたダンスの技術も、こうなっては役に立てない。踊りに反応してくれるから平気だなんて、甘く考えるからこうなる。
自嘲混じりに品悪く罵ってしまいたい。
そうしたところで、意味なんてないし状況がよくなるわけはないのだが。
せめてと役に立たないなりにサエの足元を照らそうと火を送って、後悔する。
明るくなったおかげで、サエの損傷具合がわかってしまう。健康的な足に毒が飛ぶたびに溶け爛れていく。白いタイツも靴も血が滲んで色が変わるのだ。すぐわかる。
私がすぐに飛び出せたなら、がむしゃらにつっこんで彼女を抱えてしまっていただろう。
オウィノー様の糸を焼いた時点で、ヌワ様が転がり落ちるようにやってきて抱えられた。現在では、嫌でも待つしかできない。
火の通りが悪いヌワ様でさえなければ、今すぐにでも行ったのに。力では及ばないとわかっていながらも身じろいで、諦め悪くサエが踊る様を縋るように眺めている。
体も鍛えて、まともな生活が送れるようになって、精神的にもよくなったと言ってくれたのはサエだった。
けれどそのサエのせいで、また私の精神は簡単に落ちて崩れてしまいそうになる。情けなくて涙が出そうだ。
「ルン殿、どうかこらえなさいませ。女子が頑張っているのです。男子が堪えて見守らなくてなんとするのです」
「……っ堪えたところで、何になると。そんなもの、サエの無事に比べればっ」
「母上、ルンを刺激しないでください。ルン、焦れる気持ちはわかるが、お前まで飛び込んでどうする。ああして踊っているからこそサエはまだ襲われていないのだ」
あまりにサエが危険なら、直接相手の体内へ火を送り込めばとも考えた。
けれどそれをすれば、敵意は私に一心に向けられて排除へと傾くだろう。サエも巻き添えを食いかねない。もどかしい気持ちで最終手段としておいて、ただただ眺め続ける。
サエの手を取って、抱えて、回って踊る。その姿をただ、見つめて。
……胸の内に火がじりじりと灯って侵されるような気持ちだ。
焦れて、焦がれて、けれどどうにもできなくて。
私の見知った存在が隔たれて、指をくわえて見ているしかできない。それが不甲斐ないからだろう。
作った笑顔を向けられた存在が、憎たらしいまでもある。
「まあまあ、ルン殿。あまり唇を噛めば血が出てしまいますよ。それほどサエ殿を大事に思っていらっしゃるなんて……ああ、ハリオス様のためとはいえ、なんて厳しく辛い試練を与えてしまったのでしょう……!」
「母上、だからそう、ルンを刺激なさらないでください。ルンは見た目によらず力があるのです」
辛い試練。
それはそうだ。サエは今も辛く痛い思いをしているだろう。
すべてはサエの希望が先にあるからだが、元の世界はサエにとってそれほど大事な存在なのだ。私と違う、サエの世界は暖かで輝かしい日々があるのだと話から聞いてわかっている。
サエは、帰るのだろう。
ダンジョンの奥域という場所で願いを叶えてくれる存在があると聞いてから、より期待に目を輝かせて張り切るサエ。
私に家族のことを聞かせた姿は、何よりも楽しそうで。懐かしむ眼差しの柔らかさに、それが彼女の拠り所なのだと愚鈍な私でもわかった。
サエの大事と私の大事は違う。
私がケガをしないでいてほしいと願っても、そこに帰る選択肢があればサエは迷いはするがケガをしてでもその手段を取るのだ。今のように。
「ああほら。ルン、泣くのも堪えろ。吾輩とて臍を噛む心地なのだ。オウィノー様がああして踊っていれば、吾輩も同じく参じようとするだろう」
「……はい」
私にそう言ってきかせるヌワ様のほうが泣いている。情緒が豊かな方だ。
最初は警戒していたし、不信感もあったヌワ様だが、コモス様に比べればなんとまともな人だろう。
これまで出会った人ならざる形をした方々のなかでも、一番話が通じる方だ。私の気持ちも共感してくれ、鍛錬の際にもこうしたほうがサエは喜ぶだとか一般的なことについて教えてもらった。ヌワ様は、サエが言うには二人目の兄と似ているそうだ。
兄とは、このように穏やかで優しい感情を持つ人を指すのだろうか。コモス様とオウィノー様の兄妹関係は一般的ではないらしいので基準にはしないが、このように目下の者を気にかけてくれるならば、私が知っていたあの存在たちは人ではなかったのかもしれない。
あの世界で人扱いされなかった私が、今こうして逆に思えるようになるなんて、きっと昔の私が知れば信じなかっただろう。
それもこれも、切っ掛けはサエが私を引っ張って認めてくれたから。
ああ、やはり、何もできないことが歯がゆくてならない。
踊るサエの傍に、なぜいることができないのだ。
手を取ってリードしたのは、私だったのに。
抱えあげて身を寄せるのすら、耐えがたくもどかしい。
「サエ……」
ため息混じりに名前を呼んで、虚しさに体の内側から穴が開いたみたいに抜けていく。
もやもやする。
息苦しくて、見ているだけでも言いようのない感覚がして、だけど目を離すわけにもいかなくて見続ける。
どんどんとサエの脚が赤く染まっていく。倒れそうになって、踊りも遅れが目立って、それから。
ゆっくりと二人で戻ってきた。
ただし、サエは抱えあげられたままぐったりとして今にも意識を飛ばしてしまいそうな状態で。
皆に自分の成果を誇らしそうに報告して、私に視線を止めると小さく笑って目を閉じた。
もう留められることもなく、ハリオス様と声をかけられている存在なんて無視をして腕の中から奪い取った。
「サエ、サエ」
しっかりしてください。起きて。目を開けて。私を見て。
口からついて出そうになる言葉はどれ一つも出てこずに、ただ気を失ったサエの名前ばかりが出てくる。
小さな、まだばあやがいたころの幼子だったころに戻ったみたいに、彼女の体調を顧みずに抱き着いて額をすり寄せた。
こんなに頑張る必要があるのか。体を張って、気を失うほど帰りたいところなのか。
わけもなく悲しくなった。
それは、サエの無茶が悲しいのかそれとも別の理由なのかはわからない。
ただただ、離しがたくて、胸が痛い。
サエが痛い思いをするのは嫌だ。
無理をした笑顔を見るのも嫌だ。
──私は、かけがえのない存在であるサエを失うのが、嫌なのだ。
ぼろぼろと涙腺を押し上げて出る涙が止まらない。
なんて身勝手で、傲慢で、浅ましい思いだろう。
「……ルン、泣いてる?」
うっすらと目を開けたサエが頬を撫でる。視線は私をすり抜けてどこか遠くを見ている。まだ夢うつつなのだろう。
「私のダンスで、感激しちゃった?」
へへ、と笑ったサエが微かに笑う。力なく落ちていく指先をつかみ取って握りしめる。
「はい、とても」
こんなに心が揺さぶられたのはこの先は絶対にないくらいの踊りだった。できれば、二度と経験したくないくらい。
返事ははっきりとした声にはならず、涙混じりでみっともない。けれども嬉しそうに笑って、サエはまた目を閉じた。
本当に、もう二度としてほしくない。
治り始めている足はまだ血濡れで、本当にもとに戻るのかすら疑問に思うありさまだ。よくこんな足で踊りとおしたものだ。
「……ルン、ルン。ちょっと、サエを離しなさい」
声に顔を上げると、オウィノー様が屈んでこちらをのぞき込んでいた。美しい異形の女性でも、私の知る女性とはやはり違う。世界が違えばそういうものなのだろうか。
ぼんやりと見返していると、表情を曇らせて「そのままでいいわ」と言われた。オウィノー様の手には滑らかな白い糸の玉がある。
「気休めだけど。アタシが言いだしたことでこんなことになったのだから、させてちょうだい」
白糸がサエの負傷箇所を覆っていく。傷跡がみえなくなるまで丁寧に巻いて、今度は私の手を指さした。
「手」
「……手?」
「サエの手が血で汚れるじゃない。お放し」
言われて見てみれば私の手のひらから血が出ていた。踊りを見守っている間に爪を立てて破ってしまったのかもしれない。
そのままサエの手を握ったために、手首まで血が伝って汚してしまっている。
慌ててぬぐおうとしたところで、私の手も糸で巻かれた。オウィノー様はそのまま私とサエごと蛇の尾を使って持ち上げた。異形の蜘蛛の突き出た腹の上へと乗せたのだ。豪奢なドレスを下敷きにしているがいいのだろうか。
「淑女たるアタシの背に乗るなんて、そうないことよ……悪かったわね」
なんと答えればいいのだろう。サエを抱えたままの私を背に乗せて静かに滑るようにオウィノー様が歩く。
「あなた、ヌワみたいに泣くんだもの。ほら、あれみたい」
赤い爪の指が示すほうに、嗚咽をあげているヌワ様がいる。隣にはヌワ様の家族が。
「サエが起きるまで、その恰好付かない顔は直しなさいな。嫌われるわよ」
「きらわれ……はい」
思わず腕に居るサエの顔を見てしまった。
失うのも恐ろしいが、嫌われるという言葉はそれ以上に恐ろしい。知れず、抱えた腕に力を入れればサエが唸った。
「撤収よ、撤収! 功労者を休ませるわ。コモス兄様、ハリオス兄様を抱えてくださる?」
「コモス? お前はコモス? 嘘をつくのはやめてくれ、僕の可愛らしい弟は……面影がある……え、まさかあのレディはオウィノー? 可憐で凛々しかった、あの子が?」
「コモス様、ささっとお願いいたします。また意識を忘我されるまえに」
「言わなくてもわかってるから、詰め寄るなバティスト。逃げるなハリオス。この俺がわざわざ運んでやるんだ、泣いて感謝しろ」
「ああっ、その口振りはまさしく僕の可愛い弟コモス!?」
「そうだが。お前のせいで、そのコモス様の料理をあいつらに食わせられなくなった、詫びてその分食え」
「もが……お、美味しいよ。美味しいが押し付けて詰めるのはやめてくれコモス」
騒々しい。
ただその騒がしさにもサエの反応はなく、そのまま青い顔で眠っている。弱く浅い息だが、きちんとしていて、そのことに安堵する。
ぽたぽたとまた涙が落ちる。サエの頬に当たって、いけないとは思いつつも、やはりなかなか止まらない。
嫌われたくはないのだが。
サエが無茶をする限り、簡単にこうして泣いてしまいそうだと自分で自分にうんざりしてしまった。




