二十六話
翌朝に出発して、およそ三日。
そこそこの大荷物を手分けして運んで再びのダンジョン内。
地下三階までの道は、前の時よりもずいぶんと短時間で行けた。
その理由は、ルンや私の体力向上であったり、コモス様の「俺の料理に割く時間を邪魔するな」と鬼気迫ってヌワと共に突っ切ったおかげだったり。あとは、ウータさんやオウィノー様が先手を取って防御してくれたなどなど、いろいろ上げられる。
人手の多さは正義なのかもしれない。
途中でオウィノー様の部屋でお着換えして、コモス様が作り出して凝り始めて兄妹喧嘩勃発しはじめたトラブルはあったものの、それを除いてはスムーズだった。
久しぶりのダンジョン地下三階。再挑戦と通路を抜けて入り込む。
薄暗くて広い空間を特別なダンスフロアだと思え。
私たちの教師役もとい鬼コーチもとい、オウィノー様たちにそう言い含められて、私たちは背を押されて段々丘の上に立った。
ダンスフロアというには、陰鬱な雰囲気がすぎるのだが、これはこれで趣があると思えばなんとかいけるだろうか。
蛍コウモリのランプも、その明かりに反射して青く光るような床も、おしゃれと思い込めばきっとそう。
段々丘は、下の段へ降りれば降りるほど幅が広がる。下りきれば、ハリオス様が長い間流した涙でできた毒の水に沈んだなだらかな平面がある。
もちろん毒は私もルンも平気ではないので、その手前で踊る寸法となっている。あんまり上だと踊るスペースも狭いし、ハリオス様に気づかれにくいかもしれないからだ。
万が一攻撃されても平気なようにと、オウィノー様がこの一か月凝りに凝った特別製の衣服を用意してくれた。
なんと物を溶かす毒でも簡単には溶けきらない強度を誇るとのこと。実際に毒の水で実験済みだそうだ。
それでいてデザインは私の意見も入れてくれて、裾はドレスにしては短めのミモレ丈。何度も裾を踏むからと妥協されたのが大きな原因だろう。
でも、ちゃんとしたドレスだ。ダンスのためだけなんてもったいないくらい。
白くて、華やかで、まさに女の戦闘服って感じで、着ているだけで気分が上がる。
衣裳負けしてないかという心配も、オウィノー様の腕にかかれば、私割と着こなせているのではと思えるくらいなので大丈夫だ。胸元のフリルやスカートがボリューム増し増しなのは、オウィノー様なりの気遣いだろう。
気にしないったら気にしない。
ルンも私と対称になるようなデザインをした、特別仕様のダンス特化なドレススーツ姿で息を落ち着けている。
ようやく筋肉がつき始めた細身の体によく似合う刺繍ベストにブラウス、リボン付きのズボンは前に着ていた服のアレンジだろうか。
「やるわよ、ルン」
「いつでも」
互いにヒールの付いたブーツを鳴らして慎重に降りていく。イノシシもどきことススカニの牙から出来たヒールブーツは、ヌワとオウィノー様の共同作品だ。
硬い床が鳴る音が響いてわずかに反響する。きっとコモス様やオウィノー様が演奏する音もよく響くことだろう。
最下部から一つ上の段。互いに手を取ってポーズを保つ。
やがて弦楽器の音色が辺り一帯に広まった。
それから、笛の音にまた違う弦楽器をはじく音。さらには打楽器。ロクタック兄妹は二人で四人分くらいの楽器を扱えるのだ。異世界の偉い人のたしなみだというけれど、増えた腕や脚でもこなすのはレベルが違う。
感心はさておいて、いよいよの本番。
曲が流れ始めるのをよく聞いて、呼吸を合わせる。私たちは互いに目を合わせてから、ゆっくりと体を動かし始めた。
最初は儀礼ダンスから。
儀礼という名前の通り、行事の始めやけじめでするもので、私の世界でいうと国家斉唱くらいにメジャーでされることらしい。ダンスありき社会だ。
──踊りの起源は人類史からしても古く、そもそもが宗教的な側面もあってだな。日本でも岩戸伝説があるだろう。ほら、天照大神が出るきっかけになった…… ──
ヒロ兄の講釈を思わず思い出してしまった。
さながら今の状況は、硬い岩戸の前で楽しそうに踊って騒いで興味を引く、異世界版天岩戸作戦なのではなかろうか。
そう余計なことを考えていれば、ルンの目が細まった。集中していないのがばれている。
一か月の猛特訓のおかげで、基本形は大丈夫、のはず。染みついた足さばきは、今のところは順調だ。
ごめんの意味を込めて、軽く合わせた手を握ってほほ笑む。
そのままくるりと回って、足を運んで、回って。
何度か繰り返せば、儀礼ダンスもいよいよ終わる。
ゆっくりと速度を落として止まって、互いに軽く膝を曲げるだけの礼をする。ひとまずは一息だと胸をなでおろしたところで、首元に何かが当たった。
軽く手で触れると、細い糸が指に絡む。オウィノー様の糸だと気づいて、段の上を見る。
オウィノー様たちの姿が見えるとハリオス様は逃げるかもしれないということで、ちょっと離れた位置で演奏をしているため考案された連絡方法なのだ。
確か、糸の付着が一回なら「続行」で、二回なら「注意」、三回なら「撤収」だった。
一回なので、次が始まるという解釈でいいのかな。ルンを見れば手を差し出されて次の準備に移行していた。
じゃあ、ハリオス様は。
ちらっと確認すると、なんだか近づいているように見える。距離が最初よりは近い位置にいるような。
うすぼんやりとした明かりの下で佇む服だけが見える透明人間は、感情も見えなくてなんだか気味が悪い。
コモス様たちのお兄さんだと知っていても、奇妙な不気味さがあるのだ。より人間離れした容姿のオウィノー様とかウータさんのほうがよほど安心感がある。
「サエ、あまり見すぎないように」
「でもルン、近づいてきている気がしない?」
「おそらくは、オウィノー様の思惑どおりなのかと。あまりいい感じはしませんが、ひとまずは集中をしましょう」
「それは……賛成。転ばないように気をつけないとね」
「はい、本当に気をつけてください。足はいくらでも踏んでもいいので」
「さすがにもう踏まないわよ。ルンこそちゃんと楽しい顔をしてね」
「ええと、ちゃんとしているつもりなのですが……」
むにむにと自分の頬を触ってルンが眉を下げる。手伝ってあげると、ちょっと照れたように視線が下がってはにかまれた。
そうそう、そういう顔だ。うん、と満足げにうなずけば「がんばります」と返される。
ほんの少し緊張も和らいだところで、また新たに音が流れ始めた。
次の曲だ。
儀礼ダンスとともに、この一か月間で朝から晩までほぼ四六時中聞かされ続けて数日夢にも流れ出た曲である。
陽気で、牧歌的な、懐かしいけど親しみのあるような。
アイリッシュとかヨーデルとかと雰囲気の近い旋律に合わせて、踵で地面をたたく。お城のホールとは違う、硬い石の地面が甲高い音を鳴らして響くのはほんのすこし面白い。
踊っている間は、これまでの教育のたまものか集中できた。
だから、周りを見る余裕よりも目の前の相手と次の動きばかりが頭にある。それはきっとルンも同じはずなのに、見えづらい足元に灯火で淡く光らせるようなさりげないフォローが光る。パートナーが優秀すぎる。
飛んで、回って、跳ねて。
抱えられながらくるりと一回転して床を鳴らしながら次の動きへ。
異世界に来て一番伸びた才能かもしれない。
そんなことを思っていると、ひときわ高く笛が鳴った。
馬が嘶くような、つんざく音が短くなって、音楽がピタリと止まる。
自然と私とルンの動きも止まってどういうことかとオウィノー様の連絡を待とうとしたところで、水音がした。
水音というよりも、水たまりの上を歩く音だ。硬い地面を鳴らす音と一緒に合わせて進んでくる。
それは、私の後ろあたりから。
「サエ!」
ルンが素早く私の肩を抱いて下がらせたところで、それが何か見えた。
ハリオス様だ。
いつのまにかハリオス様がこちらに早足で歩いてきていた。どんどんとこちら側ぎりぎりまで近づくと、急に屈みこんだ。
「え?」
まるで私の目線に合わせるように足を開いて緩く屈み、右手を差し出している。
近くで見たハリオス様は、服装こそとても古びているが立派な服を着ていた。片側をかけた深紫のマントに襟首まである赤と金の上着、黒いズボンの下は不思議な光沢の金属のブーツが目立つ。ほかは古びているのに、靴だけが驚くほど真新しくピカピカと輝いていた。
ほつれて汚れた白い手袋をした手は微動だにせず、私のほうに差し出したまま動かない。
「どう、すれば」
「サエ、戻りましょう」
私のつぶやきに、厳しい口調でルンが言う。肩に置かれた手に力が入っている。ルンの警戒を如実に表していた。
でも、そうするとせっかくの作戦が無駄になるのでは。
オウィノー様の連絡は、注意ときた。姿が見えないけれど、迷っているのだろうとわかる弱弱しいものだ。
「サエ、うかつに近寄れば攻撃をされます」
焦れたようにルンが呼ぶ。
それでも強引に私を逃がそうとしないあたり、私がためらっているとわかっているのだろう。ダンスの特訓を通じてさらに、私のことをよくわかってくれたのかもしれない。
ハリオス様の手を見て、その先の広がる水面を見渡して、やっぱり判断を仰ぐべきだとルンの手をとろうと腕を動かす。
肩に置かれた強張った手を、大丈夫だよと握ろうとした。
したのだ。
だけど、その拍子に、くん、と手を軽く取られて引っ張られた。
「わっ」
そして、唐突に踊りが始まった。
まだ音楽もないのに、まるでそこにあるかのようにハリオス様が踊っている。
私のことをおかまいなしで動くダンスは、これまで息の合ってたルンと比べると非常にやりづらい。まるでこちらが見えていないみたいな、そんな感じだ。
踊りの名手だったのでは、と思いながら必死にダンスについていく。ちょっとでも気を抜けば振り回されてしまう。
「あのっ、ハリオス様」
声をかけてみるが、ぜんぜん反応がない。頭が透明なので私のほうを見ているかさえもわからない。
やっぱり、私のことを認識しているようでしていないのでは。とにかく踊りたくて踊っている、それだけで、まるで暴走しているみたいに思える。
これは、もしかしなくてもあのゴリラの化け物と同じ感じがすると勘づいてしまった。
「サエ、大丈夫!? 今、兄様をぶっとばして」
「落ち着け」
上の段からオウィノー様とコモス様の声がする。バティストさんが近くに羽ばたいてきたが、夢中で踊るハリオス様が足先で地面をたたいて飛ぶ水のしぶきに阻まれてしまった。
呆気に取られていたルンも、慌てて私の周りに火を出したけれど即座に踊った足先や指先から跳ねる飛沫で消される。
「おい! 下手に近寄るな! 今のを見ただろうが、ルンも手を出すのをやめろ。サエに毒を被らせたくないだろう」
「それなら、もっと」
そう言ったルンの周囲にぱちぱちと爆ぜる音がした。けれど即座にコモス様の叱責が飛んでくる。
「逸るな愚か者めが! いざとなったら、俺が飛び込んで助けてやるから待て! オウィノー、そのまま縛って、先をヌワに持たせろ。バティストは補助を。ウータはルンについていてやれ」
コモス様にはわかるのだ。自分も暴走していたということもあったからだろうか。飛び出そうとするルンを、オウィノー様たちに指示して止めさせた。
私のほうをにらむようにルンが見ている。
糸でぐるぐる巻きだけど、都度火の粉が舞って焼けた臭いがしている。もしかしなくてもルンは火を出して焼こうとしている。
また、大やけどの再来になるのではとぞっとした。
もつれそうになる足をこらえて、舌を噛まないようにそれでも早くと口を動かす。
「ルン、止まって! 私なら平気! それに様子が変わってきているの!」
気のせいだと言われたら自信はないけれど、それでも微かに反応が次第によくなってきていると思うのだ。
ダンスの動きにキレが増して、洗練されていくような。独りよがりがペアダンスに変わりだしているような。
「音楽を!」
オウィノー様たちにも届くように声を張り上げる。
真っ先にコモス様が対応して、続けてオウィノー様も。さっきと同じ、ロクタックの舞踊曲が場違いなほど明るく響く。
曲の一巡、二巡と次第に踊りは変化する。
軽やかなステップがまるでタップダンスをするみたいにアレンジが入った。私の手を取って、くるりと回して、息を合わせるような素振りも出てくる。
やっぱり、踊り効果が出て我に返りかけているのかもしれない。
記憶の引き出しからひょこっと出てきたヒロ兄が「踊りには魔除け効果もあってな」と得意げに言っている。本当にそうだとしたら、踊り効果はすごい。
けれども、同時に問題が起きている。
足場はじりじりと水面へと移動していっているのだ。
このままじゃ、落ちちゃう。だけど、これで止めたら台無しになるかもしれない。
くるりくるりと回って、回されて、考えている間に、ぱしゃりと水を蹴る音が混じり始めた。
垣間見えたルンの顔が歪んでいる。
いや、まだ大丈夫。大丈夫だからそんな顔しないでほしい、私も不安になってしまう。
明るい曲調に見合うように笑顔を浮かべて、一瞬だけ頬をつつく仕草をする。せめて楽しい顔をしてくれと伝えたつもりだけど、伝わっただろうか。ハの字眉の口角が上がりきらないへたくそな笑顔もないので、心境的にそれどころじゃないってのはわかる。
ルンのメンタルには申し訳ないけれど、そういうわけにもいかない。
オウィノー様謹製の特別衣装と靴は、ちょっとやそっとの毒には負けないはずなのだ。
ステップにつれられるがまま、「続けて!」と言いながら、私はとうとう水面に足を延ばした。
熱い。
溶けて、皮膚が焼けるときは、痛みより先に熱さを感じるものらしい。
視線を下に向けてちょっと後悔した。
せっかくのドレスの裾や靴、タイツが腐食したみたいに溶け始めている。つまりは、水場を踏んで飛沫を浴びたわたしの足もまた同様になってくるということで。
ひるみそうになって、でも今更戻るなんてできないし、根性でダンスを続ける選択肢を選んだ。
認めがたいけれど、私の体もまた人間離れした回復力がある。多少のケガや火傷、ちょっと溶けるくらいは治ってくれると信じて続けるしかない。
よせばいいのにと思う私もいるけれど、虚勢を張りたい私もいる。
このまま逃げたら、ルンの心配をさせるだけでなんの成果もないという結果が見えている。今も心配しているのだろうルンは、せめてと言わんばかりに私の足元を照らす火を灯して誘導してくれている。
熱くて、ひりひりして、どうなっているのか確認するのも怖い。
怖いけれど、止めるわけにもいかない。
ただリードに従って、水を跳ねさせながら床を蹴って回って踊る。
しゅうしゅうと蒸発する音。甘くて鼻につく臭い。
童話の赤い靴の女の子もこんな感じで痛い思いをしながら踊りあかしたのかな、なんて無理やり思考を足から逸らしてハリオス様について踊る。
軽やかな弦を弾く音に合わせて跳んで、伸びやかな弓を弾いてかき鳴らす音でターン。弾む笛の音色とハリオス様の金属ブーツが鳴らす打楽器代わりのリズムでステップを踏む。
私のヒールは溶けてちびってもはや音も鳴らない。踊りも次第に遅れが目立つようになってきた。
だけど、反比例にこちらを気遣ってフォローをするようになったハリオス様の動きは理性が見え隠れするような気がした。
顔を上げて、本来なら頭があるだろう位置を見れば、襟元が傾いて皺ができている。見えない頭と首が傾いでいるような動きだ。
私の腰を支えて手を引いて回しながら、私の位置に合わせてまるで不思議だと言いたげに様子をうかがっているみたいな。
また水が跳ねてふくらはぎに当たる。
もうどこが焼けているのかわからないくらい、膝から下がぜんぶ燃えるように痛い。唇を噛んで悲鳴を飲み込んでみるが、引きつれた息がもれてしまう。
「──……足が痛むのかい」
一瞬、痛みからくる幻聴かと思った。
抱えあげられてくるくると回される。地面に下ろさずに腕に乗せられた。
この世界の人の特徴なのか、はたまた異形となったからなのか、ハリオス様も背が高い。コモス様やヌワと比べるとスマートな体型だと思うけれど、ルンよりははるかに大きいのだ。
「いくら楽しくても、ケガをごまかして踊るのはいけないよ」
「あ……えっと、それは」
「見ない顔だね。ロクタック領には珍しい色の……」
耳朶に柔らかな男性の声が響く。こんな状態でなければ、思わずうっとりとしてしまうくらい甘い声だ。
だがそれどころじゃない。
私は戸惑ったのもわずかで、即座に声を上げた。
「はじめまして! 古野守サエ、です! お邪魔しています!」
「うん? うん……?」
「突然ですが、正気ですか!?」
「えっ?」
痛みをごまかすために声を張り上げれば、戸惑いながら踊りの手が緩まる。音楽もちょうどとばかりに終わりのフレーズが流れて止まった。
これは、元に戻ったのでは。
「お嬢さん、これは……ああ、ケガをしているね。待ってくれ、今」
「あの、よければあっちへお願いします」
何か言いかけて私の様子を改めて理解してくれたハリオス様は、快く抱きかかえて段々丘のほうへと向かってくれた。
いつのまにか最下段の水場の真っただ中で踊りまくっていたのだ。
そりゃあ、溶けもする。
恐る恐る足を見れば、真っ赤と黒と白が混在していて嫌な臭いと音を立てている。また痛みが襲ってきて、手を強く握りしめてこらえた。
バティストさんが飛んできて、「よくぞ」と褒めてくれたことに笑い返して、出迎えてくれたルンたちに気合で手を振って。
やり遂げた気持ちで、気を抜いてしまえば、すうっと意識は遠のいた。




