二十三話
オウィノー様曰く、ハリオス様は踊りが大好きだという。
どんなに苦しくても悲しくても、踊りだけはずっと熱心に打ち込んでいたそうだ。もちろん、趣味の範囲で。
領都で開いたパーティーでも見事なダンスを披露して、それはそれは女性人気が凄まじかったそうだ。
この世界でのモテ要素の一つは、踊りがうまいことらしい。
ほかは容姿と財力。このあたりはどこも共通のようでせちがらさを感じてしまった。フォローなのか、異国情緒を感じる私の容姿は物珍しさもあって気にいる人もいるわよと言われた。それって珍獣要素では。
ともあれ、ハリオス様の気を引くにはまずをもってダンスであるとオウィノー様は力説された。
コモス様もウータさんも同意なのか、訳知り顔で納得していた。
「まずはハリオス兄様の様子を一度見てもらったほうがいいかしらね。ついてきて」
そう言ってオウィノー様が案内してくれたのは、階下への入り口だった。
荷物を一時オウィノー様の部屋へ預けてすこし歩いた先くらいの、意外なほど近いところにあった。
広いこの階を探し回ってもなかなか見つからなかった入り口は、蜘蛛の糸と苔、キノコなどでカモフラージュされていた。ぱっと見ただけではわからない巧妙さだ。
なだらかな下り坂は薄ぼんやりとしていて、見通しが悪い。
それでも慣れた様子で先導するオウィノー様は迷いなく六つの脚を静かに早く動かしてするすると降りていく。
じめじめとした通路は次第に、岩石まじりになってきた。
修学旅行で見た、鍾乳洞みたいな雰囲気に近い。
天井あたりに先端を突き出した湿った形の岩があったり、実際にじっとり濡れた天井からは雫がぽたぽたと落ちている。地底湖みたいなものがあるのかなと、頭の中で旅行雑誌に出てくる写真を思い浮かべてみる。
実際に水滴に穿たれて岩が天然の水盆になっているところがあったり、岩々の合間を染み出した水が出て小さな滝らしきものになっているところも現れてきた。
ただその水の色は半透明で、およそ自然界に存在するとは思えない蛍光色混じりなので飲み水には明らかに見えない。
そしてコモス様が驚異のチャレンジャー精神で指を突っ込んで味見をして、オウィノー様の繭玉でしばかれていた。
私よりも好奇心が旺盛すぎる人を見ると、わが身を振り返って反省できるのだなと思った。だから心配そうにルンは私を見ないでほしい。
いくらなんでもやらない。
「この先よ。あまり騒ぎすぎると危ないから、口をつぐむのが賢明ね。コモス兄様、いいわね?」
「騒ぐのはお前だろうが」
「余計な口を挟むなってことだっての! わかっているのに茶化さないでくださるかしら!」
人差し指をコモス様の胸元に何度も突き立てたオウィノー様の口元が引きつっている。見かねてウータさんが声をかけて促したところで、オウィノー様は深呼吸をして「では」と脚を進めた。
妙な臭いがする。
それは、わずかに甘いようで、でも鼻にツンとくるような刺激臭混じりだ。
耐えきれないというほどではない独特の臭いに自然と眉が寄る。
下りきったところでは広大な空間が視界いっぱいに映る。土で出来た地下から完璧に岩でできた洞窟へと見かけは様変わりしていた。
全体的に薄暗い。
ぼんやりと明かりが天井付近にあるなと見ていれば、ゆるやかに動いている。
それは近づくと羽ばたきと鳴き声がしたのでおそらくコウモリのような生き物だとわかった。
ただのコウモリというには、お尻と羽根が光っているので、蛍みたいなコウモリだなという印象を受ける。仮称蛍コウモリと名付けてあたりを見回す。
蛍コウモリとルンが出してくれた灯火で観察してみると、やっぱり洞窟地下だなという様相だった。
硬い岩盤状の地面にはもともと水があったのかさざ波のような模様が残っているのが印象的だ。
オウィノー様はルンの能力に興味深そうにしていたけれど、気を取り直して指先を奥へと向けた。
「あそこよ」
こもったオウィノー様の声が空間に響いて消える。
ルンの灯りが動いて先へと目を凝らしてみる。
おおむね水平な地面が続く先。下の方向へ段々となった丘があって、その先には波紋が見えた。水場がある。
水場の水深はそれほど深くはなさそうだけれど、広い。この空間のおよそ半分が水場なのだとわかった。
そして、その中心部には人影がある。
オウィノー様の指先はその人影を指している。
「近くへ火を灯しても大丈夫ですか?」
「それくらいならやってもいいわ。燃やせるなら燃やして驚かせてやりたいけれど、無理でしょうね」
「無理? わかりました、では」
提案を鷹揚にオウィノー様が許可をして、ルンがぽつぽつと人影の傍に火を灯した。小さな灯火に照らされた人影は、どんな人かと思ったけれど、わからなかった。
正確には、容姿がわからない。見えないのだ。服はかろうじて古びた貴族っぽい服を着ているのはわかるが、それを除いた服以外の部分がない。ないのに、よくよく耳を澄ませば小さく嗚咽が聞こえてきた。
「透明人間……泣いてる?」
思わずつぶやいた言葉に、オウィノー様が肯定した。
「そう。ハリオス兄様は姿が変わってから、ある日突然ああして泣いていらっしゃって。それならまだいいけれど、その涙が問題で」
「声があるということは形があるということだろう。お前、その形なら糸を飛ばしてふんじばることもできただろう」
「試したけどダメだったのよ! やった方が早いわ。ちょっと、コモス兄様」
コモス様が目をすがめて言えば、オウィノー様は腕を振って憤慨した。
それから脚と手を使ってロープのようなものを即座に作り出すとコモス様へ投げ渡した。
「飛ばしてみて。あなたたちは私の後ろに」
そう言って私とルンをオウィノー様の後ろへと移動させた。
コモス様はいぶかしそうに渡されたロープを見ていたが、腕二本を使って勢いよく人影へと投げつけた。
狙い違わず当たったかと思った瞬間。
盛大な蒸発音が上がった。盛大すぎて、揚げ物の音みたいだった。
糸でできたロープはまだ形があるものの、じわじわと氷のように溶けていく。
「ハリオス兄様の涙。とても毒性が高いみたいで。うかつに近寄れないのよ」
「また面倒くさい兄に面倒くさい能力が……ルンの火も消えたな」
「近寄ってほしくないみたいで、すぐに泣きぬれた涙をぬぐった手で振り払うから、下手に刺激もしづらくて」
「ならバティストは? 傍にいるのだろう」
呆れた調子で言ったコモス様は残ったロープも水場のほうへ投げ入れた。やはり、音を立てて消えていく。
水場の毒には臭いがしないけれど、この水でほかの物をとかしているから臭いがするのだとわかった。
「わたくしめの夫、バティストは確かにお傍に控えているのですが……ハリオス様をおひとりにするわけにもいかず、残ってお世話をしております。体が体ですのでお運びもできません」
「バティストは、あれよ」
ウータさんとオウィノー様が、水場の上空を指さした。
蛍コウモリたちに混じって、ちょっと大きめの物体が懸命に羽ばたいている。
先ほどの音で気づいたのか、こちらに近づいてきていた。
やや細長い形でまるで燕尾服を着たようなフクロウ……に見えたがそうじゃない。
フクロウみたいな髪型をした背丈の低い老紳士だ。足は鳥のかぎづめ、腕は羽根と爪がついて、胴体は機械仕掛けの時計で振り子が動いている。
ヌワを始めとして例にもれず人ならざる外見をしているけれど、いかにも優しそうな感じが緊張をやわらげさせてくれた。
「ほうほう! オウィノー様、ウータ、もしやこちらのお方は」
「コモス兄様が、ようやく多少まともな様子に戻られたわ」
「まともとはなんだ、失礼な」
「いつも通りのコモス様ですわよ、あなた」
フクロウみたいな鳴き声で「ほう」と感嘆した声を上げながら飛び回る小さな老紳士。それからくるりと首をこちらに向けた。
「こちらは?」
「俺の助手」
「アタシの弟妹」
「わたくしめの第二の子らですわ、あなた」
それぞれの勝手な言葉が飛び出している。どれもこれも名乗った覚えがないうえに、私もおそらくルンも承知していない称号ばかりである。
「ほっほ。ロクタック家の客人ですな。ああ、飛びながらで失礼を。ロクタック家執事長、バティスト・オロクヒェンと申します。どうぞ、バティストとお呼びくだされ」
「はじめまして、バティストさん。古野守サエです。私のことはサエと」
「ルンとお呼びください」
「かしこまりました」
優雅に旋回をしたバティストさんが着地をする。そして片足を引いて軽く膝を曲げてほほ笑んだ。こちらでのお辞儀の作法なのかもしれない。軽く会釈をして返す。
くるんと曲がったひげを尖った指で撫でつけて、なるほど、とでも言うかのように頷かれた。
「あなた、ヌワも無事ですって。お二方、サエ殿とルン殿と行動を共にされていたそうですわ」
「おお、それはなんたる僥倖! コモス様もご無事とあれば、あとはハリオス様であるなあ」
寄り添ったウータさんを抱きとめて、バティストさんは水場の向こうに佇んだままのハリオス様を見やった。
「声をかけても駄目だったんですか?」
「そうですな。会話にすらならず、甲斐もなく……食事だけはオウィノー様やウータが用意したものをお運びして、口に入れておりましたのでどうにか」
家族の声掛けも届かないらしい。
そんなので踊りで気を引くなんて可能なのだろうか。
「そこでよ、バティスト。この子たちに踊ってもらって、過去の楽しかったことを思い出してもらうことで奮い立ってもらおうと思うのだけど」
「なるほど! ああ、それなら、ハリオス様のご関心を得られるかもしれませんな!」
そんなに踊りが好きなのか。
そう思ったのは私と、たぶんルンだけ。ほかのロクタックの人たちはめいめいに名案だという様子だ。本気なのか。
この世界での踊りに関する位置づけは、私が考えている以上にすごく高いのかも。異世界だ。
あとは熱中しやすい血筋なのかも。コモス様も食に関しては異様な探求心を示して行動しているし、ロクタックの人たちはそういう家系なのかもしれない。
「ええと、私はいいんですけれども、オウィノー様たちは踊ってみなかったんですか?」
「もちろんしてみたわよ。ただ姿が変わったことで、アタシだって思われなかったみたいで。踊りに興味は持ったみたいだけど、近寄った瞬間に警戒されて逃げられて無駄に終わったわ」
「わたくしめとバティストでも同様の結果でした……まあ、夫と楽しく踊れたのでそれはよかったのですが」
「ウータずるいわ。アタシだってヌワと踊りたかったわよ!」
乙女の会話を弾ませたあと、オウィノー様は咳ばらいをして続けた。
「まあ、それで何度かやってみたのよ。長い時間があったし、いつかはって。でも長く繰り返しているうちにだんだん反応が乏しくなって。現実逃避がさらに進んじゃって……下手に近づくと攻撃するようになって……」
「そして、空を飛んで自由に動けるバティスト以外はうかつに近寄れなくなったのです」
ウータさんが付け足すと、オウィノー様の目はわかりやすく泳いだ。
つまり、追いつめられて繊細らしいハリオス様は閉じこもってしまい我を忘れてしまった。そういうことなのだろう。家族のために躍起になる気持ちはわかったので、責めるわけにもいかず、ふんふん、とうなずくだけにして続きを待つ。
「……そういうわけで、音楽はアタシたちがなんとかするから、サエとルンは、こう、いい感じに楽しそうに踊ってくれないかしら。ハリオス兄様なら、あなたたちくらいの年の子たちが踊っているとふらふら寄ってきて踊るから。間違いなく、ええ。きっと」
「後進のために教えるとかやってたっけか、そういえば」
「そう! そうなの!」
コモス様が言えば、ぱっと表情を輝かせる。そのままオウィノー様は寄ってくると、期待に目を光らせて聞いてきた。
「で、あなたたち。ダンスはできて? どんなものでもいいわ。やってみて」
「あの、私は教わったことも機会もないので。まったく」
控えめに、申し訳なさそうにルンが言う。オウィノー様は残念そうにしたが、今度は私のほうを期待の眼差しを向けてきた。
「それならサエ、あなたは?」
「えっ、ダンス、ですよね? え、えーと、ソーラン節と盆踊りならできるかな、くらいです」
「聞いたことないけれど、異境の踊りね? ……もしかしたらお兄様も興がのるかもしれないわね。いいわ、見せてごらんなさい」
今やるのか。
ばっと周囲を見ても、オウィノー様を始め皆が私に注目している。
やるのか。やらないといけないのか。
いやでも、先に進むにはハリオス様をどうにかしないといけないというし、元の世界への望みもあるし。
ぐるぐる考えて、恥ずかしさをねじ伏せる。
「じゃ、じゃあ、私の国の学校の体育科目でわりと必修だったソーラン節を」
「ええ、いいわ。おやりなさい」
覚悟を決めるのだ、私。
こんなところでの羞恥心の一つや二つ。
すうっと息を吸って、吐く。
「構え!」
私は渾身の、ソーラン節を披露することにした。
音楽がなくても案外踊れるものだ。なんなら脳裏に合いの手も上がる。
きれいな衣服のままだし、儀式っぽいのでは。
大股を開いて手を伸ばし、屈伸しながらやーれんそーらんし始めると、ポン、と肩をたたかれた。
オウィノー様だった。
「おやめ」
華やかな美貌だというのに、表情を一切のせない真顔でもう一度言った。
「おやめ」
「え」
「今すぐその珍妙な股開きダンスをおやめ」
そしてなぜか糸でぐるぐる巻きにされてルンに押し付けられた。
なぜ。
ルンを見れば、優しい顔で「もういいんですよ、サエ」と労わられた。
なぜ。
私のとこの伝統舞踊だよと伝えても、うんうんと頷かれた。
蓑虫状態のままわけもわからず担ぎ上げられる。コモス様からは憐れみを浮かべた眼差しをよこしてきた。ウータさんやバティストさんにも慰めの言葉をもらった。
文化の違いか。
無音状態のソーラン節はそれほどダメだったのか。
「撤収っ!」
パンパンと軽やかに叩いて、オウィノー様が高らかに言うと、皆は一仕事終えたなという雰囲気で階上へ戻りはじめた。
戻りながらそれぞれが「練習」「指導を」「音楽の重要性」と言い合っている。私の尊い犠牲の上の成果だと思いたいが、これ、私の恥かき損では。
やれと言ったのはオウィノー様なのに。
納得しがたい気持ちのまま、ここに残ると言ったバティストさんの見送りを背に、私たちはオウィノー様のお部屋に戻ることとなったのだった。




