二十一話
ほどなくして、招きに応じて部屋に入る。
布が洪水を起こしているような、布だらけの空間に圧倒される。
色は白ばかりだけれど、それぞれレースや毛布やタイプの違う布が床に壁に掛けられていて、天幕みたいに覆っているのもあれば帳みたいに敷居を作っているのもある。それに紛れて、服っぽいものもいくつか飾っているようだ。
そんな布まみれの部屋の中で、一番の奥の位置にたっぷりとした布地を折り重ねて山になっているところで、ようやく違う色が見えた。
光沢のある白い生地をクッション代わりにして座った、桃色と青い色のドレスを着た女の人がいる。
世界史や美術で見たことがあるような、ゆったりしたタイプのドレスだ。金の刺繍や胸の下にある金の帯、細かな装飾からして、とてもとてもお高そうな代物だというのはわかる。
そばにはウータさんが控えていることから、この人がオウィノー様に違いない。
これぞお嬢様という感じの綺麗な人だ。
長くうねる赤毛の何房かを編み込んで結い上げ、後ろ毛をおろした上品な髪型。切れ長の目に、ツンと高い鼻筋。ぽってりとした唇は濃い赤。お化粧をしているのだろうか。目の色はコモス様と同じ深緑で、こちらを検分するかのようなきつめの眼差しは血筋を感じる。
骨太家系なのか、スレンダーというよりも程よく筋肉のついた体型でメリハリがある。オーダーメイドだろう刺繍にレースをこれでもかと使ったゴージャスドレスがよく似合っていた。
いや、違う。
たっぷりとしたドレスなのはそうなのだけれど、下半身のふんわりとした広がりはそれだけではない。フリルとドレープに見え隠れした毛の付いた丸い物体がある。
──あれ、蜘蛛のお腹だ。
大きな蜘蛛の腹部分から六つの脚が生えている。さらには、ちょっとごつめの帯だなと思ったものは顔のない蛇だった。
人間と蜘蛛と蛇が合体したような体をしている。
そう認識すれば、額の眉の上には化粧かと思っていたけれど、小さな目が一対ついている。
恐ろしいと思うよりも、ちょっと驚いたなくらいで済んだのは、事前にウータさんが言っていた言葉のおかげというのもある。
けれど、オウィノー様の恰好のおかげで和らいでいるというのもあった。
お腹はほとんどドレスに隠れているし、見えている節ばった脚も編み込みレースのレッグウォーマーを装着しているので、怖いよりもおしゃれだと思えるのだ。
「よく、ご無事でいらっしゃいましたね、お兄様」
顎をやや上向きに逸らしてオウィノー様が言った。口調もやっぱり、お嬢様然としていて、見た通りの高貴な地位の人なんだなと感心を覚える。
ややひりついたような、緊張する空気。じろじろ見ていて失礼だったなと反省しているなか、堂々と立つコモス様が返事をした。
「どうしたオウィノー。お前、そんな性格だったか? もっと年相応でない浅慮さがお前だったろう」
「ほ、ほほ……いやですわ、お兄様。長くお会いしていない間でお忘れになったのではなくて?」
「いや、ああ、わかった。お前、初対面の奴がいるから取り繕っているのか。お前の気性はすでに話してあるから詮無い努力だぞ」
「ほほ、ほほほ……!」
オウィノー様が赤い爪先をそろえて、口元で上品に笑う。そしてピタリと止まると、表情を一変させた。
「人が気を遣って立場ある者として迎えようとする努力を、無為に終わらせるんじゃないわよ、お兄様」
雰囲気をがらりと変えたオウィノー様は、さばさばとした口調で言う。姿勢も崩して、さっきまでのお嬢様然とした恰好が嘘みたいにくつろいだ。
「というか、やっと目が覚めたのね。アタシが起こそうにも耳も貸さないで暴れまわってたから、いつになるかと思ったけど」
「……記憶にないな?」
コモス様が首を捻った。
「いや、しらばっくれてんじゃないわよコモス兄様。アタシが止めても、未知の探求つって資源生物を食べてぶっ倒れて暴れてたの覚えてるわよ」
「そんなことあったか?」
「あったから言ってるんだってば! ああもう! アタシがどれっだけ! どれだけやきもきしたか! また会えてよかったわ!」
すっとぼけた返答は、多分本当にそう思っているのだろう。オウィノー様には腹立ちの燃料投下したみたいだけども。
蜘蛛の脚がだんだんと床を鳴らしている。ダイナミック。ちょびっとだけ、ルンの側にさらに寄った。
「心配していたなら最初からそう言え。茶番はいらんぞ。お前も無事……無事だな。縦と横にでかくなったな、オウィノー。どっしりしていいんじゃないか」
あっ、コモス様。なんてことを。
案の定、オウィノー様が噴火した。私も言われたならそうなる。わかる。
「アー!? 腹立つ! んんんぅうううああああ! 人が気にしていたことをしゃあしゃあと言うその態度! 相変わらずで安心ですこと!」
「まあ俺は不変的に素晴らしい男であることは確かだが。わかっていることを興奮して褒めるな褒めるな」
「褒めていませんけど!? 嫌味よ嫌味! あとその服アタシがヌワに用意したものじゃない! 袖を破っちゃって! なのに着こなしているのも腹立つ! 食狂人のくせにぃいい」
なんとも騒々しい兄妹の再会である。
もはやオウィノー様にはお嬢様のかけらも残っていない。近くのウータさんがそっと額を抑えて大仰に息を吐く仕草をしている。こっちが素なのを隠していたようだ。いや、もう割とすぐボロが出てたけど、言わないが吉か。
しかし、気性が激しいというのもなるほどと思うような言葉や態度だった。私はもちろん、ルンもその勢いに目を丸くしている。
そんな中、コモス様はにまにまとしていてなんだか楽しそう。やっぱり会えたことは嬉しいのだろう。
「兄妹は、このような関係を築けるのですね」
「だいぶ特殊な場合だと思うわ。私とヒロ兄はこれほどじゃないもの」
これに比べれば、私の兄妹関係はとてもおとなしいし穏やかに決まっている。コモス様もオウィノー様も強烈すぎる。
ルンの独言に突っ込むと、なるほどと感心したような目でまた騒がしい兄妹を眺めた。
頭を振り乱したダイナミックなお怒り具合が凄まじい。というか、このままでは火に油を注ぎ続けるだけではと思えてきた。
けれど私の心配は杞憂だったみたいで、オウィノー様は額に手をあてて、盛大にため息をついてから落ち着かせるためか息継ぎをした。
「コモス兄様はともかくとして、お供の……お客人? だったわよね? ウータから聞いてはいたけれど、なんなのその恰好。不格好にもほどがあるでしょうよ。ウータ」
「はい、オウィノー様。用意いたしますとも」
「ええ、そうねえ……二百七番と百八番がいいかしら。丈が長ければ直すわ」
「かしこまりまして。サエ殿、ルン殿、こちらへ。オウィノー様のご厚意ですよ」
そう言うや否や、ウータさんがすすすっとこちらへ来て私とルンを押した。
その先には布の帳で仕切られた空間があって、これでもかというほど白い様々な形の服が並んでいる。蜘蛛の糸で吊るされているのか、それを器用に選り分けてウータさんは二つの服を取り出した。
「さ、お召し換えになってくださいな。どちらも機能面を重視したお品ですし、オウィノー様の糸はとても強靭な素晴らしい素材なのですよ。かくいう私のこの前掛けもオウィノー様手ずからお造りになったのですが、汚れも破れもしづらく美しい! さあさ、ばっちりわたくしめが着付けてさしあげますからね」
次第にギアを上げて早く言いながらにこにこしたウータさんに気おされて、服を手渡された。さらさらとした手触りと不思議な光沢がある白い服だ。
「殿方はあちらで。サエ殿はそちらで。細かいところはわたくしめがお直ししますよ」
強制的なお着換えコースらしい。
きれいな服と馴染みのあるぼろが目立つようになった服を見比べる。嬉しいけど、なんか寂しいような。けれども「さあさあ」と勢いに圧されるがまま、着替え用に仕切られた場所に押し込められてしまった。ウータさん、箒の姿なのに妙な迫力があるのだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて……ルン、あとでね」
「はい、サエも」
これまで来ていた服を脱ぐと、改めて穴や傷に色落ちが目立つ。すっかり染みついてしまった薄い血の跡を見てなんだか感傷的な気分に浸りながら丁寧にたたむ。
なんと下着までついている。
ひと月以上過ごしているので、下着も申し訳なく思いながらも借りているのだ。これは素直に嬉しい配慮だった。そうだ、借りたことをあとでウータさんに説明しないと。ウータさんとウータさんの夫のお部屋を借りて私たちは暮らしていたのだ。
しかし、こんな綺麗な布の服を着る機会があるとは。
お風呂入って身ぎれいにして着たかったなあ。
一応、コモス様監修の荷物に清潔用の布があるので、最低限は整えられてはいるものの、本当に最低限なだけ。臭いは、たぶん、しないと思う……はず、だけども、気になるものは気になる。
でも着替えろと言われて、着替えないわけにもいかないので、恐る恐る身に着ける。
怖いくらい肌触りがいい。滑るような、それでいてしっとりしているような、新感覚。お高い布ってこういうのなんだろうか。下着も上紐のないスポーツブラぽいものとパンツはどう作っているのか、縫い目がない伸縮性のある優れものだった。
用意された服は、袖が大振りの花柄レースなのが特徴的なミモレ丈のワンピース。透かしで刺繍の花柄や蔦模様が裾に出るのがとてもおしゃれだ。こんな場所でこんな状況でなければすごくテンションがあがる素敵な服である。
いや、嘘だ、結構テンションが上がる。おしゃれや可愛い服は心の健康とリラックスに効能があると実感する。
着替えて体をひねるとわずかに浮いて広がるスカートの裾に満足感を覚えつつ、自分の服を抱えて戻る。
「まあまあ、まあ! よくお似合いですよ、サエ殿。さ、細かなところはわたくしめにお任せくださいな」
出迎えてくれたウータさんによって、畳んで持っていた服を取り上げられた。かと思えば、手際よく用意されていた白布で風呂敷包みをして、再び渡された。服と似たような素材の布地は、これもオウィノー様が拵えたものなのだろうと予想できた。
礼を言って受け取る。
ウータさんの後ろには、すでに着替えたルンが私と同様に同じ風呂敷包みを持っていた。
「わ、ルン。あなた、そういう恰好似合うのね」
「そうでしょうか。あの、サエも」
「そう? ありがとう。ルンほどじゃないと思うけど、嬉しいわ。本当に、すごくすごく似合ってるわよ」
白い丈夫なブラウスっぽい形にところどころ装飾でつけられたリボンがアクセントな服だ。肩口のあたりを絞ってたり、腰元の帯がわりであったり、ズボンの腿あたりを絞めているリボンは可愛らしさよりも機能的な良さを感じる。
何より、幸薄い印象を受けるルンの容姿とかち合っていた。
こうしていると、いいところのお坊ちゃん感がすごい。白い窓辺で小鳥に餌とかあげてそう。少女漫画で見たことある。
まじまじ見つめていたら、気まずそうに視線をそらされた。耳が赤いので照れているのがよくわかった。カワイイ奴め。
「ではでは、少々手をお上げになって……ええ、そうですわ。そのままで」
ウータさんはそんな私たちの様子をにこにこ眺めて自分の箒の体を使ってさっさと私の体を掃った。埃やちょっとした体の汚れがそれだけできれいに落ちていく。
「わたくし、この体になって悪いばかりじゃないと思っています。こうして変わった特技が増えましたからね。なにより、長い間お嬢様たちをお守りすることができますし、お客様ももてなすことができますので……まあ戻れるにこしたことはないのですが、それはそれ。はい、できましたよ」
「ありがとうございます」
「いえいえ。ささ、オウィノー様たちをお待たせしてもよろしくありません。あのお二方は仲がよろしいのはそうなのですけども、ついつい過ぎてしまうのですからね」
右手で人差し指を立てて軽く振って言うウータさんに促されて、さっきのお部屋へと戻る。
ちらちらとルンがこちらを気にしている。
もしや私の姿に見惚れているのでは?
ちょっぴり自惚れかけたけれども、実際は珍しいだけだろう。普段ズボンで走ったりモンスターに突撃したりとしていた私が、恰好だけとはいえお嬢さんぽくなったわけだし。私も着たことないジャンルの服で物珍しくて楽しいもの。
……いやもしかすると、転ばないか心配されているのでは。
「ちょっと。私、転んだりしないからね?」
「えっ、はい……? あ、そう、そうですね。気をつけてください、サエ」
私が言えば、わずかに驚いてから心配へと表情が変わった。藪蛇だった。
それから横から手を差し出された。
「言われてみれば、地面は布があって足元が悪いですし、どうぞ」
「どうぞ? 手?」
「はい。サエには頼りないかもしれませんが、支えるくらいなら。私でよければ、いくらでもしますので」
「おお、エスコート。様になるわね、ルン。でも大丈夫だと思うけどな、ほらこうして軽やかに歩いてみて」
言った傍から、滑りかけて留まる羽目になった。調子に乗りすぎはよろしくないという証明をしてしまった。
「……サエ」
「……はい」
物言いたげな視線に屈した私は、遠慮なく腕を掴ませてもらうことにした。いや、布が悪いのよ。布が。私の足元が不注意だったわけではない。たぶん。きっと、そう。
おとなしくルンの細腕を握る。
しかしほんとうに服の手触りがいい。さわさわ撫でてたら、赤い顔をしたルンに「サエ」と注意された。
伏せがちの眼差しは潤んで、頬から耳や首筋にいたるまで赤い。困り眉が一層下がって、現在進行形で戸惑っていると丸わかりである。
なんだか、きゅんとしてしまった。
服効果も相まって乙女心をくすぐる。それに大分心を許されている気もして嬉しい。
けれどもやりすぎるとまたルンが困るしネガティブになられてもいけない。軽く謝罪をして、私は大人しく歩くのに集中をしたのだった。




