二十話
コモス様は静かに腕の一つを伸ばすと、容赦なく柄を鷲掴んだ。
すると、つんざくように悲鳴が上がった。
「あ゛ーっ!? イヤーっ! 乱暴はおやめなさい!」
「その趣味に世話役根性、相変わらずで心配になるぞ、ウータ」
しゃべる箒が抵抗で暴れるも、コモス様は半笑いでこちらへ持って歩いてくる。
ほかの三本の腕はどうしたのかと見て、後悔した。アリの顔をしたクモのような虫、それもお腹が薄く透き通ってパンパンに膨れている虫を捕獲していた。どれも私の頭くらいもある。
「蜜壺虫を探すついでで大した期待はしていなかったが、上々だな。しかし広くてかなわんぞ、ここは。おい、ウータ、俺だ。コモス様だ」
「イヤーっ! イヤー! この狼藉者……あ、あら!? まあ、まあまあ、コモス様! ずいぶんとまあお変わりになって! わたくしめとしたことが、気づきませんでしたよ!」
「男ぶりが上がったろう」
「威容さはあがりましたね! ええ、とってもよろしゅうございます」
箒の柄の上、貴婦人の胸像はコモス様をまじまじと見ると喜色満面の声を上げた。小さな腕付きの胸像だというのに、声量は抜群だ。両手を合わせて組んで振り、嬉しいと全力で表している。
ウータといえば、ヌワのお母さん。コモス様の家の使用人トップに立つ夫婦の一人だった人のはず。
ヌワやコモス様に限らず、同じように体の変化が起きているようだ。性格はコモス様の反応を見るに、こちらは変わりないのだろう。ダンジョンは未知と再三聞いてきたけれど、姿かたちが変わるなんて、異世界はよくわからない。
私たちの頑丈さも、まさかこれから姿が変わる予兆では。そう、ぞっとしない想像がよぎる。考えを振り払うべく頭を振った。
ともかく、ダンジョンの入り口で待っているヌワに良い報告ができる。家族と会えるのは羨ましいし、またちょっと寂しく思えてしまったけれど、嘆いたってしょうがない。
せっかくルンが慰めてくれたのだから、めげて心配をかけ続けるのも女が廃る。ルンが良い方向に成長したなら、もっとより良くなるように手伝ってあげるのだ。
息を整えてコモス様たちの会話を聞いていると、箒、もといウータさんをコモス様が手放した。そして、どや顔でアリとクモの合いの子みたいな虫を私たちのほうへ見せびらかした。
「見るがいい助手ども。蜜壺虫だ。この一級品は常では目にかかれぬ代物だぞ、喜べ」
まだ生きているのか、黒くて尖った足が微かに痙攣している。芋虫は慣れてきた私だけれど、昆虫特有の節ばった関節だとか大きな複眼だとかはまだ慣れない。
思わず後ずさる私とは逆に、ルンはじっと観察して尋ねた。
「その薄い膜を張った腹が採取部分となるのですか」
「ああ。その味はまさに甘露。砂中の貴石、雲霞の一滴……と言ってもお前たちは知らないのだったな、まあいい。ともあれ、期待し、栄誉に身を震わせていいぞ。このコモス様が腕を振るう至上の甘味を味わえることをな!」
コモス様のご機嫌具合を見るに、ウータさんと出会えたことももちろんだけれど、貴重な甘味素材を確保できたことがよほどうれしいに違いない。
蠢く虫を丸ごと食べるってわけではないし、必要部分は消えるから、まあ、きっと食べれる。食に関してのコモス様の言動はぶれがないし信用が置けるっていうのは、ここ数日で理解した。
そしてこのままだとウータさんのことはさておいて料理へ向かうのではという予想もできた。
「ところでコモス様、その人は?」
紹介してくれという気持ちをこめて聞く。胸を張って虫を掲げていたコモス様は空いた腕で顎を撫でた。
「ウータ」
「なんでございましょ、コモス様」
ウータさんが箒の体を動かして、ぴんとまっすぐ立つ。金属っぽい素材でできた貴婦人の胸像がコモス様を見据えると、略礼っぽい仕草をした。
「壮健のようでなにより。会えてうれしく思うぞ」
「コモス様……!」
「オウィノーは?」
「わたくしめとともに避難しております」
「そうか、無事か」
「はい、ご無事でございます。気丈に振る舞っておられます」
「ヌワは入り口に居る。お前同様姿はいささか変わったが、無事だ。あと、こいつらは俺の助手どもだ。ロクタックの地に攫われてきたらしいぞ。世話を頼む」
「まあ! まあまあまあ! ええ、ええ、かしこまりまして」
胸から上の体で目いっぱい優美に礼をしたウータさんは、体の先……箒の先っぽを足のように振って動かしてこちらに近寄ってきた。すすすっと進むのもなんだか上品だ。
「ロクタック家が家政婦長、ウータ・オロクヒェンでございます」
ウータさんがしてみせたお辞儀は、映画でみるようなお辞儀を連想させる。こう、箒の足先を器用にかがめて、胸像の部分を少しだけ下げるのだ。
それにならって、私もなるべく丁寧に頭を下げる。
「古野守サエです。地球の日本から来ました。それで、こっちが」
「ルンです……特区域ヲライより参りました」
「コノモリサエ殿にルン殿。わたくしめのことはどうぞ、ウータと。寡聞にして存じませんが、遠くの国からのお客人と拝察いたします。このようにお若くして連れ去られてきたとのこと、お気持ちお察しいたしますわ」
「あ、ありがとうございます……あの、私はサエで構いません。サエが名前で、古野守が苗字なんです」
「ええ、ええ、承りましてサエ殿。貴女様は女子でありながら、かような恰好をされて苦労をなされて……ああっ、それでルン殿と苦労を分け合っていらしたのでしょう!?」
「はあ、そうですね……?」
ちら、とルンを見ると、うなずいて同意してくれた。
それにウータさんは胸像部分の手を合わせて喜色ばんだ。たぶん、上半身にあたる部位が胸像で下半身が箒なのだろう。
「お話ははしたなくも、わたくしめは聞いておりましたよ。なんって、素敵! ああ、いえ、御二方の苦労やご心痛は慮るしかできないわが身ではございますが、はあ、年若い二人のお話はこう、肌がつやつやする心持ちで……あらやだ、今のわたくしめには肌なんてございませんけども、ほほほ!」
次第に熱く早くなる語り口に気おされてしまう。身を乗り出して生き生きと話しだすウータさんは、実に楽しそうだ。
コモス様はこれを予想していたのか。黙々と背中を向けて処理をしている姿は、我関せずと言っているかのようだった。
「本当にこういったお話は久しぶりで……ハリオス様はともかくコモス様は御覧の通り色に縁遠い御方でございますでしょ? オウィノー様は我が家の授かり子を気に入ってくださっているから良いとして、目の当たりにできたのはいつ振りでしょう……あら、あらあら? まあ、コモス様! コモス様!」
「なんだ、ウータ。話すなら手短に話せ」
「実に、実にお久しぶりではございませんこと? 思えば、幾年、幾十年、幾百年ぶりでは?」
「知らんが、城は朽ちてたぞ」
「城が、朽ちて!? まああ!?」
「やかましい」
頭の低木を揺らして、コモス様が睨む。箒の穂先をばさばさと動かしたウータさんは慌てふためいて詰め寄った。
「オウィノー様にお知らせせねばなりません! コモス様、こうしてはおられませんよ。お早く!」
「今、いいところだぞ」
「コモス様! 貴方という御方は!」
「あーあーやかましい。サエ、ルン、代わりに行ってこい。俺は蜜壺虫の蜜を最高の状態で保管し、より良い調理法を考えねばならん。ウータがいれば、オウィノーなら問題なかろうよ」
「ご自身の兄妹のことでしょうに! 姿形が変わられてよりご自由におなりになったのではございませんか、コモス様。さあさあ参りますよ! ルン殿、見ていないで手伝ってくださいませ!」
頭の低木や蔦を胸像の腕が力いっぱい引っ張っている。
ああ、天然パーマみたいだった頭がさらにぼさぼさに。
なんともパワフルな人だ。あのコモス様が嫌々ながら立ち上がっている。
名前を呼ばれたルンはぎょっとしつつも、迫力に圧されてコモス様のほうへと向かった。ここは私も手伝うべきかと同じくして駆け寄って、コモス様の腕を取る。四本も腕があれば、つかみやすくて楽だなあと場違いな感想を抱きながら引っぱってみる。
見た目のムキムキに違わず、筋張ってみっしりとした重量のある腕だ。ルンよりはるかにたくましい腕に、失礼とは思いながらもついついルンの腕と比べてしまった。
「なんだサエ。この俺の姿に今更見惚れたか」
「いえ、ただ……ルンにもっと食べさせてあげなきゃなと」
ルンのほうから「えっ」と声がした。そして自分の体を確認して、こっちを見た。
ごめん、ルン。きっと自分でもわかっていると思うけれど、まだまだ不安を覚える細さだもの。私よりせめて体重は重くなってほしい。
「ほう。この俺の姿を見習わせたいと。なかなかわかっているな」
ルン、だからそんな悲しそうな顔をしないでほしい。コモス様のようになれとは言っていないから。
「あの、私よりもサエを。サエは前よりも痩せてしまっていますし、コモス様の料理はサエも楽しみにしていますので」
「ああ、いい、いい。どっちも食わせてやるさ。作っても食う奴がいないと作り甲斐がないというもの。お前たち、コモス様が居てよかったなァ!」
「コモス様大分おちょろくなりあそばされて……ともかく、オウィノー様のもとへ参りますよ。こちらです」
機嫌が上向きになった。案外ちょろいかもしれないコモス様は、仮拠点の荷物を手早くまとめると担いで持った。私たちにも分けて持たせてから、ウータさんの先導に合わせて歩き始める。
歩きながら説明をしてくれたウータさん曰く、ウータさんたちはここで罠に嵌まって分断されたあと、気づいたときにはずっとここでさ迷っていたそうだ。
幸いなことに、ダンジョンに慣れていた兄を持つオウィノー様の機転でうまく暮らしていけていたらしい。水や食べ物はダンジョン資源から摂ればどうにかしのげたし、この体に変わってからはあまり食事は必要がなくなったとのこと。
虫たちだって要領がわかれば対処できたという。現に、虫たちに遭ってもウータさんは動じずに箒の体を使って掃いて飛ばしていた。
慣れれば、生きているのだからどうにかなりましたよ。
そう言って軽やかに笑うウータさんの精神力に、尊敬の念を覚えてしまった。
「さあさ、この先です。隠しておりますので、少々、失礼を」
数ある通路を迷わず抜けた先にあったのは、一見、なんの変哲もない部屋だ。
この階に広がるいくつもある部屋の一つと変わりなく見える。土で出来た壁や地面、天井も同じで、ちょっと変わっているといえば部屋に生える光った苔やキノコ類の位置や大きさくらいだろう。
ウータさんは箒の穂先をしならせて進み出ると、壁の上あたりにあるキノコの周辺へ向かって咳払いをした。
「んんっ、こほん。ちちんぷいぷい」
そう言うと、続けて、キノコを小さな腕で下へ引っ張った。
聞き覚えのある言葉に気を取られている間に、壁には変化が現れた。
ダンジョン入り口が開いた時とまったく同じ。壁に光の線が走ったかと思うと上下に分かれてぽっかりと広がる。その奥には無機質な通路が伸びていた。
「では、こちらへ」
また進みだしたウータさんの姿を追って、中へ入る。
「隠し部屋か。よく見つけたな」
「偶然のたまものでございましたが、神はオウィノー様を救ってくださったのだと思います」
「神ねえ……」
ぽつぽつと話すコモス様をウータさんの様子を眺めながら、そういえばとルンのほうを見る。
「ルンのところは、神様っていた?」
「さあ……死後の管理者たる存在がそうだというのなら、いると信じられていた、になるかと思います」
「へえ。地獄や冥界みたいなものかしら。そういうのは似通うことってあるのね」
「サエのところは?」
「私の国では八百万の神様がいるという信仰がメジャーかな、たぶん。数えきれないくらいいるっていう考え」
「サエの兄君が研究されている事柄でしたか」
「うん。それも含めていろいろな伝承や伝説を趣味がてら収集してた。神様もいろいろで、人の形をしていたり、動物だったり植物だったりといろんな形があるのよ」
「それは、にぎやかなところですね」
「実際はそうでもないわよ。本当にいるかはわからないし。でも、そうね、ルンにも見せられたらいいな」
言いながら、もし可能ならいい考えだと思えた。
「ヒロ兄とか南美姉、楓太兄や叔父さん叔母さんにも会えたら、ルンのこと紹介できたのにね」
「……紹介ですか?」
「もちろん、サバイバルの大事な仲間で仲良くしてきたのよって。お礼のパーティーとか開くわ、絶対」
「お礼なんて私がするべきことです。サエには、まだ返しきれない恩がありますから」
「恩なんてあった?」
聞き返すと、ルンはきょとんとした顔をして、それからふっと表情を緩めた。
「はい、たくさん」
それは私が最初、ルンを助け起こしてお城に連れてったことだろうか。
それとも、飴と水をあげたことだろうか。
ぽつぽつと浮かべてみて過去を思い返してみる。これまでの一か月超の生活……大変にルンの力を借りて生き延びてきたことしか浮かばない。助け起こしたことや飴と水くらい、私の中ではほぼほぼ帳消し案件だ。
むしろ恩を感じるべきなのはこちらなのではとも思えてきた。
肉の件しかり、お化けが怖いのでつけてもらった灯りの件しかり、ゴリラの化け物への特攻の件しかり。
でもルンは律儀に感謝をし続けてくれているのかもしれない。
よく考えても、私がお世話になっている気しかしなくなってきたが、ドツボに嵌まる前にわかったふりをしてうなずいておいた。
目的地に到着したのは、ちょうど話が終わったころぐらいだった。
一本道の通路の奥。行き止まりに見える壁がある。
ただし、一定の間隔で光の線が走っていることから何かがあるのだなと思わせるものだ。
そこで立ち止まったウータさんは振り返って、コモス様に一礼をした。
「わが身の状態でお察しでしょうが、オウィノー様もまた変わっておいでです。ですが、ご気性は変わらず、お優しくいらっしゃる。どうか、驚かず接してくださいませ」
「だろうな。わかっている。まずはウータ、お前が入って説明をしておけ。オウィノーの準備ができたら向かってやる」
「では、お言葉に甘えまして」
それから私とルンのほうへと顔を向けると、ぱちりとウインクをして見せた。
「ばっちり伝えてまいりますわ!」
何か余計な情報まで伝えられてしまうのでは、となんとはなしに勘が告げている。
けれども止める間もなく、ウータさんは壁を箒の体ごとこつこつとぶつけた。
すると、また音もなく壁が開いて避けて口を開ける。
ウータさんは鼻歌でも鳴らしそうな調子で、喜び勇みながら中へと入っていった。




