十九話
それでも人間は、慣れる生き物だ。
住めば都とか喉元過ぎれば熱さも忘れるとか、図太さに関しては確かにと頷かずにはいられない。
はい。慣れた。
慣れてしまった。
我ながら恐ろしいことに、最初はきゃーきゃー喚きながら叩き下ろしていたのも、今では作業になりつつある。ついさっきに至っては、コモス様に私の力加減がへたくそ過ぎて食材がダメになるとお叱りの言葉を受けたところだ。
ますます普通の定義から離れつつある自分に落ち込みそうだ。
ダンジョンのおそらく地下二階。虫だらけの階。
ここをうろついて数日が経過した。正確な時間は、私にはわからないけれど。
ただ、コモス様がランタンと思わしき道具で計っていた。とても頑丈でガスも液体も漏れない特別製で、コモス様のお気に入りらしい。
計測方法はコモス様曰く簡単。ランタンの油や燃料を燃やし続けて消費量を見るだけ。その計測から、およそ六日くらいだろうとのこと。
しかしながら、こんなにさ迷う羽目になるとは思わなかった。
この階は、すごく広い。
横に広がったアリの巣と言えばいいのか、行き止まりの部屋がいくつもあって網の目のように通路が交差してわかりづらい。帰り道がわからなくなりそうで怖いので、サイドポーチに忍ばせていたメモ帳に記録をしている。
そんなのしなくても覚えているがとコモス様とルンが言うのだけど、たぶん彼らは私とは違う頭の持ち主なんだろう。
行き止まりの部屋で休憩を挟みつつの探索は、やっぱり疲れる。
あれこれ私たちに命令していたコモス様も、さすがに仏心を出したのか休憩をしていいと言ってくれた。
適当な部屋で虫を排除して仮拠点を設営する。
布にくるまるとはいえ、土臭い地面で寝るのも三日目であきらめがついてしまった。培われる私のサバイバル力と適応力が留まるところをしらない。
俺様で尊大でマイペースが過ぎるコモス様だけれど、頼りになるというのと面倒見がいいというのは間違いない。
採取した肉の脂身と燃えるらしい特殊な苔とで火を起こして香を焚くと、食事の材料をとってくるとふらっと出かけて行った。一応女子だからルンが見ておくようにと余計な一言つきで。
なお、ルンのコモス様に対する認識はまだ警戒心がある。
なんなら、私が芋虫に殴りかかって涙目になったのをみて、コモス様に苦言まで申し出てくれた。逆に暇だからと、組手まがいのことをさせられて転ばされていたが。ルンには申し訳なく思うばかりだ。
そういう経緯でちょっと険がある対応をするルンだけれど、コモス様の実力には納得しているみたい。まかせるの言葉には黙ってうなずいて了承していた。
なんだかんだで過ごしてきたことで、精神的にもちょっとたくましくなってきたのかもしれない。それはいいことだろう。
今だって、コモス様直伝の解体術でこの階のごちそうこと芋虫の部位を切り分けている。
虫だらけの階なので、仕方ないとはいえやっぱりまだ抵抗はある。
まざまざと虫の部位を見なきゃいけないのが、つらい。
──南美姉だったら、喜んだのかな。いや、やっぱり怒るかな。
ふっと湧いた感想に、なんだか物悲しくなった。
懐かしいと思えてしまったからかもしれない。
これまで一か月以上ここで過ごして、人間離れしちゃって。慣れない環境に慣れてしまって、元の生活が遠ざかってしまったような、そんな心細くなる感じ。
ぱちぱちと燃料を燃やして火が揺れている。
ハーブみたいな独特の香りは、コモス様がした虫よけの仕掛けだろう。ハッカ油の匂いとも似ている。それがまた、懐かしさに拍車をかける。
元の世界に繋がるかもしれないという期待を抱いてから、もしかしたらと希望を持つ反面で、どうしようもなく不安を覚えてしまう。
もう二度と、帰れないのかもしれない。一目たりとも会うことはできないかもしれない。
そう考えないように頑張ってきたけれど、今こうして思ってしまったことで張り詰めたものがほどけてこぼれてしまう。
これまでいろんなことがあって、私がなんとかしなきゃでやってきたから考えないでいられたのだ。
ヌワと会って、コモス様が現れて。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ考える余裕ができたからかもしれない。ちゃんとした大人が面倒をみてくれてほめてくれたことで、安心してしまったのかもしれない。
ルンと二人きりよりも、気持ちに余裕ができたのは確かだった。しっかりしないとと緊張しすぎる必要が減って、それで。
ヌワとコモス様が家族は無事かもという話に、よかったとその時は思えた。でも弱りが出てきた今は、羨ましいとも思えてきてしまった。
「……サエ?」
いけない、アンニュイな気分に浸りすぎてしまった。
布にくるまって三角座りでぼうっと火を見ていただけだけど、顔に出てしまったのだろうか。ルンが声をかけてくる。
「どこか不調が出ましたか」
「あ、ううん。平気平気」
そうだ。
ルンに比べたら、私はまだ。元の世界でも不幸のようだったルンに比べたら、私はまだマシだ。
そこまで考えて、顔に出ないように唇を引き結ぶ。今、最低なことを考えてしまった。
自分より下の立場だと勝手に判断して、それで安心するなんて。
予想以上に疲れがたまっていたのかもしれない。余計なことを言わないように、膝頭に額を押し付ける。べたつく髪も余計に気を滅入らせる。ちゃんとしたお風呂、ぜんぜん入れてない。
ああ、嫌なことばかり目につき始めそうだ。そんな自分が情けなくなってきそうで、それが余計に嫌だった。
「ちょっと、眠くなっちゃって。大丈夫、うん、大丈夫だから。すこし休んだら元に戻るから」
こう言えばルンは引くだろう。どうにか頭を上げて明るい調子で伝える。
解体作業を追えたらしいルンが、じっと見てくる。そして少し考えた風に視線が動いて、片付けをしはじめた。
どうしたのかと見守っていたら、近くに距離を詰めて座ってきた。といってもパーソナルスペースを無視しない程度の間隔は、ルンらしい配慮を感じる。
「サエは、自覚されているのかわかりませんが」
そう前置きをしてルンは言った。
「サエがそう話すときは、無理をしているときです。すくなくとも、私が知る限りは」
「そんなことは」
ある。
自覚して考えごとをしていたからこそアンニュイに陥っていたのだ。
言葉が詰まってしまえば、ルンはやっぱりと言いたげに目を細めた。
でも視線は咎めて責めるというよりも、安心させるような労りを感じるものだった。
「前に、サエが言ったことをお返しします」
「……お返し?」
「気持ちは言わないとわからない。言いたいことは言え。そう私に願ったのに、サエは黙るのですか?」
「う……」
でも個人的なネガティブ発言をルンにぶつけるのは悪い気がする。
家族のこと、友達のこと、これから先の期待とか暮らしの展望とか。ルンにはなかったものをひけらかしているのではとも思えてしまう。いや、そう思うこと自体がバカにしていることになってしまうのかも。
返事に困れば、しんと静かになってしまった。
ルンは返事をせかすでもなく、仮拠点の荷物置きへ向かうと何かを探して手に取った。そしてまた隣に戻ってくると右手のひらに乗せた物を私の方へ差し出した。
「なに? 木の実? これ、え、どうしたの、ルン」
根っこのモンスターから採れる木の実だ。私が食べようとすると片っ端から燃やしていた例の実が、ルンの手のひらに転がっている。
「通りがけにすこしだけ取っていたんです。サエはすごく欲しがっていたので……安全も確認しましたし、あとで渡そうと思って」
安全とはコモス様が調味料として使っていたことからだろう。
そのまま手のひらで転がしていたかと思うと、乾いた音を立てて木の実の殻が弾けて割れた。中からほんのりと湯気が出てわずかに焦げた実がのぞいている。
「こういうときは温かい食べ物がいい、でしたね。今、私にできるのはこのくらいですが」
そう言ってルンは、「どうぞ」と私にさらに手のひらを寄せた。
思わず、きょとんと眼を瞬かせてしまった。ルンの言葉は私の言葉を借りたものだ。それを真面目に言って伝えるルンは、ぽかんとしたまま私が出した手に優しく木の実を移すと軽く握らせて小さく息を吐いた。
「……あの、下手な言葉はかえって気を遣わせてしまうでしょうし……私は、その、こうして話す機会はほとんど、いえ、あまりなく……気の利いたこともできません。それでも」
私と同じように細い体を折り曲げて三角座りをしたルンが懸命に言葉を探している。
本人が言う通り、励ます経験だとかないのだろう。あまり、というのはちょっとした見栄だろうか。視線が落ち着かなくさ迷って、やがて目を閉じた。ほっそりとした頬のラインが火の灯りに照らされて光っているように見える。
こうして落ち着いて、まじまじと見るのも久しぶりな感覚だ。
「サエ、あなたの気が晴れるならいくらでも聞きます……違うな、ええと、その、あなたの話をどうか聞かせてくれませんか」
一つ息を吐いて緊張気味にルンが言う。
まるで大事な告白をするみたいに、色白の肌を赤くして。目を潤ませているかと思えば、眼差しは自信がなさそうに揺らいでいるだけで、涙はない。
ルン、泣かなくなったんだ。
動揺や緊張で、ぽろぽろ泣いていた頃からの変化に気づく。
そうか、変わったのか。
それは喜ばしいことなのに、ひどく私を動揺させた。それくらい変わりはじめてしまうほど、時間が経過したのだとまざまざと知ったのだと思う。
今度は逆に、私の目が熱くなりそうでこらえる。
「……話が変でも、ちゃんと聞いてよね」
「はい、もちろん」
ほ、と表情を緩めたルンとは反対に、私はちょっぴり目に涙がにじんでしまった。
最初は、ちょっとした愚痴。
次は、どうしてこんなことになったんだろう、とか。また家族に会いたいとか。そんな泣き言。
それから、私の家族の思い出話をした。話しているうちに忘れかけていることとかうろ覚えになったこととかに気づいて、またちょっと泣きそうになりながら続けた。
ルンは私のしっちゃかめっちゃかで、飛びに飛ぶ話をしっかり聞いてくれた。
穏やかで聴き上手で、ルンは本当にできた人だ。思うところはきっとあるはずなのに、顔に出さないで静かに相槌をうつなんて、私には真似できそうにない。
おかげで区切りがつくくらいまで語り倒したころには、胸のつかえがとれたような気持になれた。
すっかり冷めた木の実を分けあって二人で食べて、特別美味しいわけでもないねと笑って、嫌な気持ちごと飲み込んですっきりした。
「──ありがとう、ルン。ねえ、ルンは何かない? 私ばかりじゃ悪いから、話したいこととかあれば言って」
そう言うと、ルンはちょっとばかり考えるようにして「では」と呟いた。
「私の唯一の家族だった人の話を……」
今までしなかった話をしてくれるルンの表情は、前に自分の話をしたときよりも明るい。
血のつながらない世話役だけれど、実の母のような人。温かくて、まっすぐで、尊い人。
ルンの性格の根底や信条はきっとこの人のおかげなのだろう。そう思えるひだまりみたいな微笑ましいエピソードが出てくる。
幼いころのルンはどのような感じだったのかなと思い浮かべて、可愛いのだろうなと自分の想像のルンを動かす。ちいちゃくて、か弱くて、目の大きな薄幸の美少年……ちょっと盛ったかもしれないけれど、今のルンから想像しているので多分あっている想像のはずだ。
ルンの世界は聞いた限りだと、ディストピア気味の特殊能力が飛び交うSFファンタジーだと改めて思う。
特区域ヲライ。それがルンのところの国名にあたるものらしい。
絶対的な能力主義の階級制度がある国。
地位が下がることはあっても上がることはほぼなくて、植物も動物もほぼ根絶していて権力者の娯楽にのみ残るだけ。だから食事もキューブ状や液体状の合成食品。特殊能力ありきだから技術力は比較すると地球のほうが高い場合もある世界。
城もあって、街並みは一昔前の西洋みたいなので、なんともちぐはぐな印象を受けた。異世界って度し難い。
でもそれはルンも思っているのだろう。私の話で出てくる単語に不思議そうにしていたり、理解が及ばないと思案していたこともあった。
わからないことでもこうして話し合うと、わかることもある。ルンと以前よりも仲良くなれたと実感したのもそうだ。
不安はくすぶっても、こうして一緒にいて会話をしてくれて気持ちを汲んでくれる相手がいるのだから、私はついている。それはきっと間違いない。
和やかに時間が過ぎていく。そのなかで、ルンがきょろとあたりを見回した。
「どうしたの?」
「いえ、今、なにか音がして」
言われて耳を澄ましてみるが、私の耳にはなにも聞こえない。
ひょっとするとコモス様が帰ってくる足音だったのだろうか。それか虫が這いまわったり闊歩する音。
私もルンにならって周りを見回す。
そこで、一つ、見覚えのないものを見つけた。
「ルン、あそこ」
腰を浮かせて部屋の入り口あたりを指さす。
壁に立てかけてある物があった。そんなもの、ここに入ったときはなかったのに。
それは、箒だった。
エプロンを着た、柄が太くて長い箒。使用人みたいに前掛けエプロンをしていなければ魔女の箒みたいだけど、どうしても印象がエプロンにいってしまう。柄の上の部分には恰幅のいい貴婦人の胸像がはめ込まれていて、なんだかお高そうな印象を受けた。
新手のモンスターだろうか。
ルンへと目くばせすれば、そっと袖を掴まれた。もしかして勝手に触らないようにということだろうか。
視線を掴まれたところに落とせば、ゆっくりと首を横に振られた。
それと同時に、箒がかたりと動く。
「……わたくしめは道具、道具、ええ、道具ですとも」
続けて小さく呟く声も聞こえた。
ちょっと高めの優しそうな女性の声。年はけっこう上で、品のよさそうな感じがする。
「ああ、久方ぶりに人を見たと思ったら、このようにもどかしくも暖まる若人の機微を見れるだなんて……覗いて見てよかったこと! ああ、ああ、いいですとも。わたくしめがしっかりと見守っておりますからね」
すごくしゃべる箒だ。
目を凝らせば、胸像の貴婦人が表情豊かにしゃべっているのも見えた。
「あまり、害はなさそうだけど」
「確かにそう見えますが、サエ、このまま」
小声で言いながらルンは私の腕を引いて傍にとどめた。
途端、箒の毛先がぶわりと広がって、そわそわと細かく動く。
姿勢はそのままで、ルンが入り口をそっと指さした。
目線を向ければ、スン、とした顔のコモス様が仁王立ちをしていた。




