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異方よりこいねがう  作者: わやこな
きづく
16/49

十五話

やや残酷な描写がございます。ご注意ください。



 駆けていく。

 目の前から通り過ぎて、離れていく。

 咄嗟に伸ばした手は届かずに、また遠ざかる背中を見ていた。


「サエ、サエ! まって」


 情けない声を投げかけても、彼女は止まらない。

 無茶をするなと、無理をしないでほしいと言ってきたというのに。

 命が惜しくはないのか。それとも本当に何も考えていないのか。


「あ……あぁ」


 はなから、こんな場所に潜ってうろつくのは反対したかった。

 ただ、サエは好奇心と期待に目を輝かせたから、その意思を尊重したかっただけだ。私と違って、サエは元の世界を懐かしんで恋しく思っていることくらい、わかっている。


 いつも明るいばかりではなく、たまに落ち込んでいることも知っている。

 日々の何気ない動作の端々に垣間見える表情の憂いも、心細そうな様子も、サエをよく見ていればすぐにわかった。

 愛されて育っただろうなかで、こんなところに居続けるのは負担なのだろう。私とは逆なのだ。

 私がもらえなかったもの、手に入れられなかったものを持っている彼女を妬ましく思ったことはある。でも、それ以上に、サエは今の私を支えてくれた人でもあった。


 視線を合わせて、言葉を交わして、案じてくれる人だ。

 私なんかを、同じ境遇の仲間と思ってくれる人だ。


 運命共同体といって、手を取ってくれることのむずがゆさ。心を満たすいいようのない感覚を教えてくれた。もしそれを手放したら、私は一人でまた生きていけるだろうか。

 失ったことに今度こそ、心が折れてしまうかもしれない。一度知ったものを、与えられたものをなくすことは、私にとって想像するだけでも嫌なことだった。


 だから、危険な目に遭ってほしくない。


 ここをよく知るヌワ様という高い地位にいた存在も、本当に信用できるかわからないのに。

 崩れた敬語で、気安く話すサエの姿が心配でならない。

 現に、守ると言ったそばからサエが助けに行かなきゃと走り出してしまった。

 見たこともない植物の異形相手に危なっかしく殴りかかるなんて。


「火を」


 だめだ。

 私の力では、大きな火は灯せない。ましてや、あの体躯の瑞々しい木を燃やすには相当な勢いと強さがいるだろう。

 試しても、一瞬ひるむがそれだけだ。もとから痛覚がないのかもしれない。

 逆にこちらを狙おうと体を向けてこようとして、サエが体を張って注意をさらに引くということをさせてしまった。

 これじゃあ、だめだ。もっとサエが危なくなる。


 息が震える。

 確かにサエは、私や石像のヌワ様よりは早く動ける。元気もまだ有り余っていて、相手を翻弄する役に一番向いている。

 でも、サエは。

 強張った笑みを浮かべた顔は、無理をしている。怖くてしかたないのを我慢している。あの「ほらあ」がだめと言っていたときと同じだ。


 無駄かもしれない。でも、サエが危ない目にあうよりは。


 ──火よ灯れ。


 強く念じる。

 剛腕でサエの肌が掠れて傷ついた。

 うっすらにじんだ血をサエの目線が追って、泣きそうに歪んでいる。

 無茶をするからだ。私まで悲しくなるのはどうしてだろう。きっと、サエのせいだ。


 ── 明々(あかあか)と灯れ。


 なら、私も多少の無茶をしないと。

 ああ、また。今度はサエの黒々とした髪の一房が。空を切った腕と直剣の振りの余波で切れてしまった。

 狂乱してサエを追い、ヌワ様の攻撃を受けた異形が暴れている。位置がぶれた。また調整しなければ。


 ──火よ。火よ。火よ。


 早く。もっと強く。

 どうして私の力はこの程度なのだ。

 歯がゆく思いながら、何度も何度も続ける。


「あ」


 早くしなければ、また、サエが。

 痛みを奮起に変えて、サエが懸命にこん棒をふるっている。

 でも、それもいつまでも続かない。

 蓄積した負傷箇所がはがれて、胸部が露出すると、あらたな植物の枝をより合わせた腕が現れた。それで襲い来る剣を受け止め、サエを弾き飛ばした。


「あああ゛っ」


 悲鳴。

 サエが、倒れた。


 倒れてしまった。私が、何もできないでいる間に。

 地面に転がる彼女の姿の痛ましさに息が止まる。

 息はしているのか? 起き上がらない。

 このままでは死んでしまうのでは。

 やっと見いだせた暖かなものが、こんな形で呆気なく失くなってしまう。私を置いて。

 それは、何より恐ろしくて、耐えがたい。


「あ……あ、あ」


 ちり、と空気が燃える。

 吐く息から火の粉が漏れ出ていく。

 視界に粒子が舞う。白く染まって、目が熱くなる。指先も、肌も、燃えるように熱い。


 間に合わない。

 石の剣が異形の手を薙ぎ払うより早く、サエが掴まれてしまう。以前と同じようにサエに庇われたまま、何もできないまま見て終わるわけにはいかない。


 ──なら、燃やさなければ。


 すべて、燃やし尽くさなければ。

 役に立たない私も、脅威も、すべて。


「あ゛、あぁ」


 熱い。

 望洋とした湯気に覆われた心地で、足が自然と前へ出た。

 喉が焼ける。目が焼ける。指先から灯る火の穂先が白から青へと揺らいでいく。

 使い慣れない武器は邪魔だ。持たされた短槍を落としたかわりに、さらに強く強く火を(こいねが)う。


「……っ」


 言葉も焼かれて、息とともに出てきたのは小さな火だった。

 ああ、こんなになっても、私はまだ駄目なのだ。

 それならば、せめて。


「ルン! なに──」


 何か聞こえる。

 でももう、途切れ途切れにしかわからない。

 ヌワ様が異形を止めながら何か言っているようだった。

 動きを止めてくれるなら、ちょうどいい。

 私が全部、燃え尽きてしまう前に。


 感情も何もないようにみえた植物の化け物が、私相手に慄いているみたいにたじろぐのが奇妙だった。

 古くなった表面の肌に一歩一歩近寄ってしがみついた。がさがさと乾燥した樹皮がある。

 これなら、ちゃんと燃えてくれるだろう。

 私ごと、きれいさっぱり。


 サエ、これですこしはあなたに恩を返せただろうか。希望の手伝いになれただろうか。

 サエが害されて消えるよりは、ずっとましな結果になるといい。

 残念ながら、燃えた視界では彼女を映すことは難しいけれど。


 強く殴られても、暴れられても、感覚がマヒしてきたからか痛みは少しもない。

 誰かの役に立って、燃え尽きてしまえるなら。

 これはこれでいい終わり方なのかもしれない。ぼんやりと思いながら、意識は白んでいった。





***





 意識が、飛んでいた。


 遠くで懐かしい家族が笑っているのを、遠くで見ている夢を見た。

 古い日本家屋の縁側で、蒸し暑い夜に花火をする夢。

 いくつも指先にもってふざけて見せる楓太兄を呆れたように叱る叔母さんと叔父さん。ヒロ兄は南美姉と線香花火で競っていて。

 私は、ぱちぱちと白い火の粉が弾ける花火を手にして、夏だなあとぼんやり眺めている。そんな夢。

 火花が当たると、ちょっと熱くて慌てて近くの水入りバケツに突っ込んで、みんなにそそっかしいと笑われるのだ。


 そう、今も感じるような、ぱちぱちとした、火の粉の。


 ──火の粉の?




 目を開けると、燃えていた。

 草木だらけのみっしりとした空間が燃え上がっている。

 私は、いつのまにか気絶していたらしい。

 どのくらいの時間かはわからないけれど、煙を吸い込まないように腕で口と鼻を防ぎながら体を起こす。

 低い姿勢であたりをよく見ると、火事だけど、ほかにも異様なものが目に入った。


「サエ、起きたか!」


 ヌワが焦げた人型らしき物と、ひどいやけどのルンを両脇に抱えていた。


「え、え!?」


 焦げた人型はなんなのかはともかく、なぜルンが。

 いやちゃんと見ればやけどどころじゃない。髪の毛先や指は炭みたいになっている。わけがわからない。


「ヌワ、これ、なにが」

「動けるなら、ひとまずここを出るぞ。入り口まで戻るのだ。早く」


 質問に答えるのも惜しいというように、ヌワがずんずんと大股で進み始めた。

 慌てて後を追う。

 延焼が広がる部屋を小走りで駆けて出る。不思議と帰り道はあの根っこのモンスターは襲ってこなかった。というよりも、奥の部屋からの火におびえているのか、木の影や隅でこちらをうかがっているのだ。


 けれどそれをよく観察するのもできない。

 足早に駆け抜けて、やがて無機質な通路が見えてくる。

 滑り込んで、ダンジョンの入り口前のちょっとした広間に戻ると、間もなく入り口は静かに閉じた。

 ヌワはすぐに私へ指示をしてきた。


「サエ、吾輩は手先がおぼつかない。片手も足りない。お前たちがもってきた荷の中に清潔な布があったはずだ。敷いてくれ」

「は、はいっ」


 有無を言わせない強い口調だ。厳しい表情もそれだけ深刻なことが起きたのだと物語っている。

 指示通り地面に広がれば、ヌワは丁寧に焦げた人型らしき物とルンをそれぞれ横たわせた。


 ひどい状態としか言いようがない。

 焦げた物も気になるは気になるけれど、ルンの状態のほうが私にとっては一大事だ。

 あえぐような息があるから、まだ生きてはいるんだろう。

 弱くて、今にも止まりそうな喘鳴まじりだった。最初のころを思い出すような死に体……いや、外傷ややけどからして、もっとひどい。

 燃え焦げた衣服や、やけどからにじむ血と透明な液が出ている。髪も燃えている。きつい臭いだ。


「やだ……! ちょっと、ルン、なんでこんなことに」


 震えた声が出た。

 ヌワは隣の、焼け焦げた物体の近くに膝をついてこちらを見た。


「燃やしたのだ」

「燃やした? それは、ルンが? あの部屋も?」

「うむ」


 口をつぐんだヌワがルンを一瞥して言った。


「回復は、している。吾輩が止めた時はもっと……動いているのも不思議なくらいの有様だったが。ルンの世界ではそれが普通なのかは知らないが、異様と言っていいほどの回復力だぞ」

「あ……」


 そうか。

 私たちは、前よりもずっと頑丈になっていた。人間卒業疑惑の再生能力っぽいのもそうだった。

 現に、私があのゴリラっぽいモンスターから受けた傷もきれいさっぱりない。

 それなら、ルンは治るだろうか。

 こんなひどいケガは見たことがないからわからない。私のしていたケガなんて目じゃない。

 でもヌワの言うとおり、ルンのやけどはじわじわと範囲を狭めているようだった。時間が巻き戻るみたいに非常にゆっくりと治っている。


「ルン、聞こえる?」


 声はまだ届かないのか、目は開かないしぴくりとも動かない。ただ息をしているだけだ。

 なんで、こんなことになっているのだろう。

 私が、援護してくれると嬉しいと言ったから?

 言い方は悪いけれど、ルンは従順すぎる人だ。それは育った環境のせいもあるのだろう。苦言を呈しても、いつだって私の意見を尊重してくれていた。だから、私の言うとおりにしてくれたのかもしれない。


 気絶している間に、逃げずにがんばったのだろうか。がんばりすぎて、こんなことに?

 でも、だからって。だからって、ここまでするのか。

 私が言ったことに一因があるのかもしれないと思うと、途端申し訳なさが勝った。

 私は、もっと簡単に考えていた。浅はかにも、なんとかなるかもという希望を抱いていた。それが、こう巻きこんでしまったなんて。

 強い罪悪感が襲ってくる。


「私、水。きれいな水とってくる!」


 いてもたってもいられなくて、ヌワの返事を待たずに私はその場から走り出した。

 火事場の馬鹿力ならぬ、走力で飛ぶように走る。到着次第、食堂あたりにある手桶をひっつかんで裏庭の水を汲んで抱えて急いで戻る。


「とってきたわ!」


 若干驚いた風のヌワが「早いな」とこぼすのを後目に、山となった大荷物を置いた一角からきれいな布を取り出して水にさらす。

 出た時よりも傷は良くなっている……ように見えるけれど、まだまだ痛々しいことに変わりない。傷に触らないようにふき取って、にじむ膿や血をぬぐう。


 新しい服もいるかも。

 見えないように布をかけている有様なので、汚れた水の入った手桶を抱えてまた戻ったついでに衣裳部屋から借りてきた。けれど着せるのは傷の具合をみるにまだ難しそうなので、大荷物の一角にたたんでおく。

 そうしてようやく、ちょっとだけ落ち着くことができた。


 ルンのことは、すごく、ものすごく気になるし、早く目を覚ましてほしいし、話したいこともある。

 あるけれども、ヌワが傍に控えている焦げた人型物体も気になるのだ。


「……あの、ヌワ、そちらは」

「む……そうか、サエは気を失っていたのだな。あの木でできた異形がいただろう。あの中から出てきたのだ。あいにく燃えて動けないようだから、せめて弔いでもと思ってな」


 もしかしたらヌワの仲間だったのではないだろうか。

 そう思ったけれど「そうですか」とだけ言うことにした。わざわざ傷つけることを言う必要はない。

 黒焦げとなった体に巻き付いていた植物だろう枝葉も、形を残したまま炭と化している。どれほどの勢いで燃えていったのだろうか。

 その火を出したルンの体も、きっとこんな感じだったのかもしれない。

 化け物っぽいとはいえ、死体をじっと見るのも気が引けてルンのほうへと視線を移す。

 手持ち無沙汰は気が詰まるから、何度か傷の様子を見たりして過ごす。


 そうして何度か繰り返して、やっと綺麗になったくらい。

 ルンの呼吸もようやく静かに落ちついたころ、瞼が震えた。


「ルン!」


 思わず大きく声を上げて腰を浮かす。

 けぶるまつ毛の下に藍色の瞳が見えて息がこぼれた。


「大丈夫? ルン、調子は?」


 ぼうっと見返したルンが、ゆっくりと目を瞬かせている。焼け焦げて出来た汚れや煤が目元に入らないよう避けてやる。

 されるがままにぼんやりとしていたルンは、状況がつかめていないみたいだ。視線がさ迷っている。


「起きれる? 話せる? 元気になったらいろいろ言いたいことあるから覚悟してよね」

「落ち着け、サエ」

「落ち着いています! ただ、ルンが目が覚めたから。ねえ、水飲む? 今いれるから」


 ヌワの声に言い返しながらサイドポーチの水筒を取り出す。

 カップに水を入れて差し出す。そこでようやく意識がはっきりしだしたみたいだった。ルンが数度目を瞬かせて、唇を動かした。


「……ぁ……っ」


 声はまだうまくでないのか掠れた息が漏れるばかりでよくわからない。ただ、かわりとばかりに小さな音がした。

 きゅう、というようなお腹の鳴る音。

 それの発生源はルンのほうから。きょとんとした表情をして、困ったように眉が落ちはじめてにわかに目元が赤らむ。

 やけどで表皮がめくれた桃色の肌も色づくんだなと妙な感心を覚えるのと同時に、気が抜けた。なんだか、こう、大丈夫だなって実感できたのが大きいのだと思う。


「お腹空いた? じゃあ、作ってきましょっか。あ、着替えはあそこに置いているから、あとで……ううん、とりあえず先にあったかいごはん用意してくるから待ってて。水ここ、あるからね」


 余裕をもって答えるつもりだったのに、ついつい気が急いて早口になりながら立ち上がる。水筒を近くにセッティングして服の裾を払う。


「ザエ゛」

「ルン、おはよう。おつかれさま。ありがとう。でもあとで怒るからね」


 今度はちゃんと言葉になった。

 だけど、濁った声だ。自然と自分の表情がしかめっ面になるのがわかる。

 喉まで焼けてしまったのだろう。

 痛そうだと思うと同時に、無茶をしてと叱りたい気持ちもわく。こんな自爆みたいなことをするなんて。

 私に無理をするなと言った口でこんなことをするのだから、怒らなければ。


「ヌワ、ルンの見張りよろしくおねがいします。早く戻るので!」

「わかった。任せるがいい」


 鷹揚にうなずいたヌワに任せて、きっとルンをきつく見てから「おとなしくしているのよ!」と指をつきつける。

 たじろぐルンをあとに、今一度足に力を入れて私は古城に駆け戻った。



サエ→ルン ……基本おとなしいのに、時折予想だにしないことをする。私がしっかりしないと。

ルン→サエ ……無茶をよくするし無鉄砲。そそっかしいので、私がしっかりしないと。

ヌワ→二人 ……二人して無茶をする。吾輩がしっかりしないと。

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