第三話 ちょっとお高めの洋食屋
翌日、定食屋の前まで来ると、のれんが出ていなかった。
引き戸に手書きの紙が貼ってある。身内に不幸があったため、急きょ休業するとのことだった。
ここで食べるつもりで出てきたので、ほかにあてはなかった。ひとまず道の端に寄り、スマートフォンで近くの店を探した。
いくつか店は見つかったが、午後一時を過ぎていると、そろそろ昼の営業を終えるところもある。営業時間を確かめていると、背後から声がした。
「あれ、今日は休みですか?」
振り返ると、いつも店で顔を合わせる彼女が立っていた。
「そうみたいです」
僕が答えると、彼女は引き戸の貼り紙に目を向けた。
「そうなんですね。残念」
「僕もです。昨日から、完全にからあげの口になっていたので。いま、ほかの店を探しているところです」
スマートフォンの画面に目を落としながら言うと、彼女が小さく笑った。
「いい店、ありました?」
「チェーン店か、ファミレスくらいですね」
「ちょっと高いですけど、向こうに洋食屋がありますよ」
彼女が指さした方には、思い当たる店があった。離婚する前に、何度か行ったことがある。オムライスには、デミグラスソースではなくケチャップソースがかかっている。元妻は、それを気に入っていた。
「行ったことあります?」
「ええ。オムライスがおいしいところですよね」
「ケチャップですけど」
「僕は、ケチャップの方が好きです」
「行きましょう」
いまから一緒に行くのか、とは聞かなかった。野暮な質問だったし、彼女が考え直す隙も与えたくなかった。洋食屋にからあげがないことも、いったん忘れた。
彼女は二歩くらい先を歩き、僕はそのあとに続いた。
店に着くと、彼女が店員に「二人で」と言ったので、ひそかにほっとした。途中で一度も振り返らなかったので、本当に一緒に食べるつもりなのか、確信が持てずにいた。
向かい合って席につき、僕も彼女もオムライスを注文した。
おしぼりで手を拭いていると、彼女が口を開いた。
「この辺に住まわれているんですか?」
「ここから歩いて五分もかからないところに。そちらは、お仕事ですか?」
「はい。すぐそこの会社で働いてます」
「いつも、お昼はあの時間なんですか?」
「交代なんです。早い人は十二時からで、遅い人は一時から」
「なるほど」
「私は、できれば遅い方にしてもらってます」
「店がすいているからですか?」
「コーヒーがつくので」
僕も同じ理由で通っていると話すと、彼女は笑った。
それから、お互いの仕事の話をした。僕が自宅で働いていると知ると、彼女は昼休みを好きな時間に取れることをうらやましがった。
やがて話は、昨日の注文まちがいに移った。
からあげが一個すくないと言われたとき、本気にしてしまったと伝えると、彼女は笑った。
「すぐに返事が来たので、おかしかったです」
あのときの自分の慌て方を思い出して、僕は恥ずかしくなった。
話しているうちに、店員が二人分のオムライスを運んできた。
「そういえば、まだお名前を聞いていなかったですね」
彼女は、スプーンを手に取りながら言った。
僕は、あまり名前を答えたくなかった。レビューを検索しやすくなるからだ。
もっとも、ひとりの女性が残した怨念は、名乗らなければかわせるような、生やさしいものではない。名前を伏せたところで、たいした役には立たないだろう。
せめて、レビューを読む前にいい印象を持ってもらいたかった。
僕は、なるべく感じよく名乗った。




