第二話 近所の定食屋
妻と別居してから、近所の小さな定食屋で食事をすませることが多くなった。
こぎれいで、安くておいしい店だった。午後一時を過ぎて店に入ると、食後にコーヒーも出してくれる。店員の愛想もよく、居心地がよかった。
僕は自宅で仕事をしているので、昼食の時間を自由に決められる。急いで食べる必要もないし、混んでいる時間に行く理由もなかった。
昼どきの混雑が落ち着いたころに店へ入り、定食を食べる。食後のコーヒーを飲んで、ひと息ついてから帰る。いつのまにか、それが日課になっていた。
離婚が決まったあとも、変わらず通っていた。
通っているうちに、よく顔を合わせる女性客がいることに気づいた。
僕が席についたころに彼女が来る日もあれば、彼女が注文をしているところに、僕が入っていく日もある。
いつもきちんとした服装をしていて、平日にはよく見かけるのに、土曜の営業日には見たことがない。たぶん、近くで働いているのだろう。
その時間になると、客は僕と彼女の二人だけということも多かった。ふと顔を上げたときに目が合うことがあり、いつからか軽く会釈をするようになっていた。
話したことはなかったが、感じのいい人だと思っていた。
ある日、いつものように昼食を待っていると、店員が僕の前に定食を置いた。
「お待たせしました」
「どうも」
箸を取り、皿に手を伸ばしかけて止まった。
目の前にあるのは、からあげだった。
僕が頼んだのは、しょうが焼きである。
何か言うより先に、店員が気づいた。
「あ、すみません。それ、あちらのお客さまでした」
隣のテーブルにいた彼女に向き直り、慌てて頭を下げた。
「ごめんなさい。まちがえて、ほかのお客さんに出してしまいました。すぐに作り直しますね」
そう言って、僕の前のお盆を持ち上げた。
厨房へ戻ろうとする店員を、彼女が呼び止めた。
「あ、そのままで大丈夫ですよ」
店員は足を止め、お盆と彼女の顔を見比べた。
「本当に大丈夫ですよ。もったいないので」
彼女が笑顔でもう一度言うと、店員もようやくうなずいた。謝りながら、定食を彼女のテーブルに置いた。
彼女は僕に軽く会釈をしてから、箸を取った。
僕も会釈を返した。
しょうが焼きは、まだ来ていなかった。水をひと口飲み、グラスを置いたところで、彼女がぽつりと言った。
「あれ、からあげが一個すくない」
僕は思わず、彼女の方を見た。
「……食べてないですよ」
すぐに答えると、彼女は僕を見て笑った。
冗談だったらしい。
僕も笑った。
明日は、からあげを頼もうと思った。




