第二話「迷子の旋律と錆びたオルゴール」3
第三章 黄昏の音色
「……なんで、ここまで」
ケンジは、床に座り込んだまま、震える声で問うた。たかが老婆の妄想だ。ただのガラクタを届けるために、なぜこれほどのリスクを負い、圧倒的な暴力を行使するのか。 彼のアウトローとしての常識では、理解不能だった。
キリコ(九十九霧狐)は、静かにしゃがみ込み、彼の目の前にオルゴールを差し出した。 赤錆に覆われ、塗装が剥げ、側面がひしゃげた、ただの鉄屑。 だが、キリコの手つきは、王冠を捧げ持つかのように恭しかった。
「壊れていても、捨てられないものがある。……そうでしょ?」
キリコの言葉に、ケンジは押し黙る。捨てられなかった。 薬物に溺れ、悪事に手を染め、過去を塗りつぶそうとしても、心の片隅には常に「棘」が刺さっていた。 帰りたかった。許されたかった。 「お前は優しい子だ」と言ってくれた、あの縁側に戻りたかった。
「……でも、これ……壊れてて……」
ケンジが、恐る恐るオルゴールに触れる。冷たくて、ザラザラしている。ゼンマイは固着し、シリンダーは回らない。
「直せばいいのよ。……形あるものは無理でも、『想い』なら」
キリコは、オルゴールに手をかざした。その指先から、白い妖力が糸のように流れ込み、錆びついた歯車の隙間へと浸透していく。 物理的な修理ではない。そこに染み付いた「過去の記憶」、残留思念を読み取り、音として再構築する霊的な再生。
「……聞いて」
キリコが、動かないはずの背面のネジを回した。
キリキリ……ポロン。
乾いた音がした。 そして、錆びついた箱の中から、拙い、しかしどこまでも優しいメロディが流れ出した。
『――夕焼け小焼けで、日が暮れて――』
それは、有名なクラシック曲でも、流行りの歌でもない。10年前――世界が激変する前、まだ平和だった頃の縁側で、幼いケンジが祖母の膝枕で聞いた童謡だった。
音が飛んでいる。 リズムが狂っている。だが、その歪みこそが、この世界に残された「真実」の欠片だった。 10年という歳月と、激動の時代に耐え、老婆が命を削って守り抜いた記憶の音色。
「……あ……」
ケンジの目から、涙が溢れ出した。 ボロボロと、止めどなく。 薬物で濁った視界が洗われていく。
10年前。 あの日、世界中で魔力が暴走し、多くのものが失われた。 人々は恐怖し、そして復興の中で、辛い記憶に蓋をした。「昔は良かった」と懐かしむ一方で、誰もが必死に新しい時代に適応しようとした。その過程で、多くの「小さな約束」が置き去りにされた。
だが、祖母だけは違った。 ボケて混濁した意識の中で、社会が変わろうとも、時代が変わろうとも、彼女の中の時計だけは止まっていたのだ。 孫への愛だけは、決して風化させないと。
「ばあちゃん……。ごめん……俺……俺……ッ!」
ケンジはオルゴールを抱きしめ、子供のように泣き崩れた。薬で誤魔化していた空虚な心が、錆びた音色によって満たされていく。 暴力でも、金でも埋まらなかった穴が、たった一つの古い歌で塞がっていく。
「……配達完了ね」
キリコが、優しく微笑んだ。 形のない荷物が、確かに心に届いた瞬間だった。
数日後。 祖母のウメは息を引き取った。 病院のベッドで、駆けつけたケンジに手を握られながら、安らかな顔で眠りについたという。 最期に彼女がケンジを認識できたかはわからない。 だが、その手には、あの錆びたオルゴールが握られていた。
ケンジは組織を抜け、まっとうに働くことを誓い、街を出ていった。どこか遠く、夕焼けの綺麗な場所でやり直すと言って。
夕暮れ時。 仕事を終えたキリコとジン(夜刃迅)は、不死川の雑居ビルの屋上で、並んで缶コーヒーを飲んでいた。 雨は上がり、西の空が燃えるような茜色に染まっている。 ビルの窓ガラスが、その光を反射して輝いていた。
「……あのお婆さん、幸せだったのかな」
ジンが、空を見上げてポツリと呟く。 彼はプルタブを開け、苦いブラックコーヒーを流し込む。
「ボケちまって、孫の顔もわからなくなって……。最期まで、過去の中に生きてた」
「そうね」
キリコは、自分の手をかざして夕日を透かした。 その指の隙間から、かつて自分を救ってくれた灰色の翼が見えた気がした。
「でも、だからこそ守れたものもあるわ」
キリコは静かに言った。
「この世界は、前に進もうとしすぎているのよ。……『白紙の審判』以降、みんなが復興、復興って、新しいビルを建てて、便利な機械を作って、過去の傷跡をコンクリートで埋めようとしてる」
彼女は、眼下に広がる不死川のハイテクな街並みを見下ろした。そこには、妖怪も、古い神も、入り込む隙間がないほどに整備された「正しさ」がある。
「綺麗になりすぎた世界では、こぼれ落ちてしまう想いがある。……あのお婆さんのように、時代に取り残された人たちの『願い』が」
「……違いない」
ジンは、背中の翼が疼くのを感じた。 自分たちもまた、この綺麗な世界からはみ出した「異物」だ。 だからこそ、拾えるものがある。
「俺たちがやってるのは、そういう仕事なんだろうな」
ジンは空になった缶を握りつぶした。
「光の当たる場所じゃ見えない、影の中に落ちた荷物を拾って届ける。……『白紙の審判』で忘れ去られた記憶を、繋ぎ止める」
「ええ。……それが、『黒狐便』の流儀よ」
風が吹いた。 冬の気配を含んだ、冷たくて澄んだ風。 それは、昔どこかで吹いていた風に、少し似ていた。
「帰ろうか、ジン。……お腹空いたわ」
キリコが伸びをする。狐の尻尾が、夕日に染まって揺れた。
「へいへい。……今日は牛丼でいいか? 特盛の」
「卵もつけてね。……あと、味噌汁も」
「贅沢言うなよ。……ま、今回の報酬は悪くなかったしな」
銀狐と黒翼。 二人は影を長く伸ばし、夕闇の中へと歩き出す。
街には、まだ無数の「届かない手紙」が彷徨っている。 次の依頼が、また彼らを待っている。誰かの想いを、誰かに届けるために。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




