第二話「迷子の旋律と錆びたオルゴール」2
第二章 路地裏の不協和音
第13居住区。 都市再生計画の地図から意図的に塗りつぶされた、コンクリートの墓標。 頭上を覆う高速道路の高架が雨を遮り、代わりに排気ガスと煤煙が滞留するこの場所は、東帝都の光が落とした最も濃い影だった。 不法投棄された家電の山が、まるで死んだロボットの墓場のように積み上がり、ドラム缶の焚き火が、行き場のない者たちの顔を赤く照らし出している。
その一角。 看板の文字が剥がれ落ちた寂れたバーの奥に、ターゲットであるケンジはいた。
かつて祖母・ウメが大切に持っていた写真――卒業証書を手に恥ずかしそうに笑う少年の面影は、今の彼には微塵も残っていなかった。頬は痩け、眼窩は窪み、瞳は焦点の定まらない虚ろな光を宿している。安っぽい合成皮革のジャケットの襟元から覗く首筋には、違法薬物組織『ドープシンドローム』の構成員であることを示す、注射器と髑髏を組み合わせたタトゥーがどす黒く刻まれていた。
「……あぁ?」
ケンジは、安酒の瓶を片手に、気だるげに二人を睨みつけた。 その視線は、泥酔者のそれでありながら、同時に怯えた小動物のような警戒心を孕んでいた。
「誰だ、テメェら。……ここは会員制だぞ」
「『黒狐便』です」
キリコ(九十九霧狐)は、淀んだ空気にも動じることなく、静かに一歩進み出た。 彼女は懐から、布に包まれた荷物を取り出した。
「お祖母様のウメさんから、お届け物です」
「……ババアから?」
ケンジの表情が、一瞬だけ強張った。 だが、すぐに嘲笑の仮面を貼り付ける。
「ハッ。……今更なんだよ。あのボケ老人が」
キリコが布包みを差し出す。ケンジはそれをひったくるように受け取り、乱暴に包みを解いた。中から現れたのは、赤錆びた鉄屑のような箱。
「……なんだこれ」
ケンジの手が止まる。 それは、彼が幼い頃、祖母の鏡台の上でいつも輝いていた宝石箱――ではなく、見る影もなく朽ち果てたオルゴールだった。
「ゴミじゃねえか」
ケンジの声が震えた。それは失望か、あるいは、変わり果てた思い出の品に対する恐怖か。
ガシャンッ!!
次の瞬間、彼はオルゴールを床に叩きつけていた。錆びた金属音が、悲鳴のように狭い店内に響き渡る。小さな歯車が一つ、外れて転がっていった。
「あぁ!? ふざけんなよ! ……こんなゴミ送りつけてきやがって!」
ケンジが怒鳴る。 その怒りの矛先は、祖母へのものではなく、自分自身への不甲斐なさと、世界への絶望に向けられていた。復興が進み、きらびやかになっていく東帝都において、自分だけが取り残され、底辺を這いずり回っているという劣等感。かつて祖母が期待してくれた「優しいケンジ」はもういない。 ここにいるのは、薬物に溺れ、過去を捨てた落伍者だけだ。
「俺の人生と一緒だ! 錆びついて、壊れて、もう音なんて鳴らねえんだよ!」
ケンジが、床に転がったオルゴールを踏み潰そうと足を振り上げた。靴底が、小さな箱を粉砕しようとする。
「……おい」
低い、地を這うような声。同時に、風を切る音がした。
ガシッ。
ケンジの足首が、空中で停止した。 ジン(夜刃迅)の手が、万力のような力で彼を掴んでいたのだ。
「放せ……ッ! 折れるッ!」
「荷物を粗末にする奴は……嫌いなんだよ」
ジンの瞳が、冷たく光る。 その殺気は、単なる暴力衝動ではない。 「想い」を踏みにじる行為に対する、根源的な嫌悪と憤怒。 かつて孤児だった彼にとって、誰かが誰かを想う気持ちは、何よりも神聖なものだからだ。
「な、なんだテメェ……! ここは『ドープシンドローム』のシマだぞ!」
ケンジの悲鳴に呼応するように、店の奥から足音が響いた。
「おい、ガキども! ウチの構成員に何してやがる!」
ドアを蹴破り、ぞろぞろと男たちが現れた。改造された義手、違法な魔導銃、そして禁止薬物で異常に膨れ上がった筋肉を持つ男たち。 『ドープシンドローム』の戦闘部隊。その数、二十人以上。 彼らの目は血走り、暴力への渇望で濁っている。理屈の通じる相手ではない。
「……交渉決裂か」
キリコはため息をつき、床に落ちていたオルゴールを拾い上げた。 埃を払い、愛おしそうに布で包み直す。彼女の仕事はここまで。ここからは、掃除屋の出番だ。
「ジン、お願い」
「へいへい。……追加料金もらうぜ」
ジンが前に出る。 ケンジの手を離し、彼を背後に突き飛ばした。そして、ゆらりと敵の群れに向かって歩き出す。
「殺すぞガキがァ!!」
先頭の大男が、チェーンソーのような駆動音を立てる義手を振り上げた。頭蓋を粉砕する一撃。
だが、ジンは避けなかった。彼が着ていたライダースジャケットの背中が、内側からの圧力で裂けた。
バサァッ!!
漆黒の翼が、爆発的に展開される。 それは鳥の翼ではない。 鋼鉄の刃が幾重にも重なり合い、冷たい光沢を放つ、処刑器具のような翼。 かつて天使の血を持ちながら、地上へと堕ちた一族が背負った、罪と罰の象徴。
「な、なんだコイツは!?」
「化け物か!?」
構成員たちがたじろぐ。 翼の長さは片方だけで2メートルを超える。 狭い店内では、その存在感だけで空気が圧迫される。
「ただの配達人さ」
ジンは、翼をわずかに羽ばたかせた。それだけで、カマイタチのような風が巻き起こり、店内のボトルが割れる。
「……ただし、『速達』専門だがな」
「撃て! 撃ち殺せ!」
乾いた発砲音が連続する。 魔導銃から放たれた魔弾が、ジンの身体を狙う。 だが、ジンは動じない。 背中の翼が瞬時に前へと折り畳まれ、鋼鉄の盾となって弾丸を弾き返した。
カン、カン、カンッ!!
火花が散る。
「……遅い」
ジンが呟くと同時に、彼の姿が掻き消えた。 『堕天の斬撃』。 重力を無視した高速機動。 彼は天井を蹴り、壁を走り、三次元的な軌道で敵の懐へと飛び込んだ。
「ひッ!?」
すれ違いざま、翼が閃く。斬撃ではない。通過しただけの「接触」。 だが、その翼の縁は分子レベルで研ぎ澄まされた刃となっていた。
キィン……。
男たちが構えていた魔導銃の銃身が、斜めに滑り落ちた。 義手の動力パイプが切断され、オイルが噴き出す。
「うわぁぁぁ!」
「俺の腕が! 動かねえ!」
殺しはしない。 だが、二度と歯向かえないように、徹底的に武装を解除し、無力化する。 それは、かつて彼が憧れた「東帝都の守護者たち」の戦い方でもあった。
「囲め! 翼を狙え!」
リーダー格の男が叫び、巨大なハンマーを振り回す。 だが、ジンはその攻撃を翼で受け流し、回転の遠心力を利用して回し蹴りを叩き込んだ。
ドゴォッ!!
リーダーが吹き飛び、カウンター席を粉砕して沈黙する。 圧倒的な実力差。数分後。暴力の嵐が過ぎ去ったバーには、立っている者は黒狐便の二人と、腰を抜かして震えるケンジだけだった。 床には呻く男たちが転がり、酒とオイルと血の臭いが充満している。
「……す、げぇ……」
ケンジが震えながら呟く。圧倒的な力。美しさすら感じる暴力。 それは、彼が薬物で得ようとして得られなかった、本物の「強さ」の具現化だった。 自分が憧れ、そして諦めた世界が、目の前にある。
ジンは翼を収め、乱れた息も整えずにケンジの元へ歩み寄った。そして、胸倉を掴んで強引に立たせる。
「……立てよ」
ジンの声は、先ほどまでの殺気が嘘のように静かだった。
「俺たちが運んできたのは、こんなガラクタじゃねぇ」
彼は、キリコからオルゴールを受け取り、ケンジの胸に押し付けた。
「受け取れ。……バーチャンが、記憶を失くしてまで守り抜いた、命削って頼んだ荷物だ」
ケンジは、冷たいオルゴールの感触に、涙を流しながら崩れ落ちた。その涙は、薬物で濁った瞳を、少しずつ洗い流していくようだった。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




