第十五話「古都の黒き処刑人」2
第二章 ひび割れた鏡
ノクタルニアの崩壊から数時間後。 夜明けの光が荒野を焼き始める頃、一台のボロボロになったオフロード車が、ミサイア共和国の国境ゲートを滑り込むように通過した。
その姿は、奇跡としか言いようがなかった。城の崩落に巻き込まれ、降り注ぐ岩石の雨を潜り抜け、爆風に煽られながらも、この鉄の塊は形を留めていたのだ。 タイヤはパンク寸前で悲鳴を上げ、ボンネットからは白煙が上がり、ボディは落石と魔術による爆撃で穴だらけになっている。 それでもエンジンは止まらず、乗員を守り抜いて帰還した。 それは、地獄の底から這い上がってきた鉄の棺桶そのものだった。
「……着いた、か」
ハンドルを握るチャーリー・Sが、大きく息を吐いてエンジンを切った。 プスン、という情けない音と共に、車はようやく長い眠りにつく。 首相官邸の裏口、極秘の地下ガレージ。車が停止した瞬間、緊張の糸が切れ、全員が泥のようにシートに沈み込んだ。
「生きてるのが不思議なくらいだぜ……」
ジン(夜刃迅)が呻く。
「でも、持ち帰ったわ。……あの人たちの未来を」
キリコ(九十九霧狐)は、膝の上に抱えたケースを――今まで『黒胎』が入っていたものとは違う、エミルから託された防護ケースを、愛おしそうに撫でた。
出迎えに現れたのは、ルシウス・クロウリーとシスター・ノアだった。 二人は、ボロボロになって帰還した四人を見て、言葉を失い、そして深く安堵したように胸を撫で下ろした。
「……よくぞ、無事で」
「神のご加護です。さあ、こちらへ。手当と、報告を」
一行は、再び官邸の地下深く、あの浄化の儀式が行われた聖堂へと案内された。 静謐な空間。冷たい石の感触。 そこは、外の世界の喧騒から切り離された、安息と秘密の場所。
「……これです」
キリコは、テーブルの上に防護ケースを置き、慎重にロックを解除した。 プシューッ、という気密解除の音と共に、蓋が開かれる。
そこに収められていたのは、拳大の大きさを持つ、黒曜石の結晶体だった。 『次元の鏡の核』。 かつて真祖ヴィクトルが異界を渡るために用いた魔導器の心臓部。漆黒の結晶の中には、銀河のような光の渦が封じ込められており、見る者を吸い込むような魔性の輝きを放っている。
だが。
「……ッ」
覗き込んだ全員が、息を呑んだ。 その美しい結晶の表面に、不吉な亀裂が走っていたからだ。 稲妻のような鋭いヒビ割れ。そこから、微かだが確実に、内部の魔力が紫色の霧となって漏れ出している。 光が明滅している。 まるで、瀕死の心臓が不整脈を打っているかのように。
「……ヒビが入っています」
エミル・ノスフェラトゥが、蒼白な顔で呟いた。 彼は震える手で核に触れようとし、ためらって引っ込めた。触れれば、その衝撃で砕けてしまいそうなほど脆くなっている。
「古城という、魔力の供給源から切り離されたせいで……急速に劣化しているんです。この核は、あの城の地下水脈から汲み上げられる膨大な魔素があって初めて安定するものでした。……外の世界の希薄な空気では、存在を維持できない」
エミルの瞳に、絶望の色が滲む。 命がけで持ち出し、城を犠牲にしてまで守った希望が、今、指の間から零れ落ちようとしている。
「このままでは……完全に砕け散ります。ただの石ころになってしまう」
「そんな……! 修復できないの!?」
ルカ・ノクスが悲鳴を上げる。彼女の《黎明の恩寵》は、生物や呪いには効くが、無機質な古代遺物の修復には適していない。
「エネルギーが足りないんだ」 ジンが歯噛みする。
「ガソリンが漏れてるタンクみたいなもんだろ? 継ぎ足しながら走るしかねえが……普通の魔力じゃ代用できねえ」
沈黙が落ちた。ここまで来て、時間切れか。 灯たちを救うための鍵が、目の前で壊れていくのをただ見ているしかないのか。
「……あるぞ」
重苦しい空気を破ったのは、チャーリーだった。彼は腕を組み、壁に掛けられた世界地図を睨みつけていた。
「修復……いや、再充填するには、桁外れのエネルギーが必要だ。それも、発電所や魔術師が練り上げるようなちっぽけなモンじゃねえ。……星そのものが呼吸するような、純粋な大地の力」
チャーリーは、地図の一点を太い指で叩いた。 そこは、ユーガリア大陸の東側。
「『龍脈』の奔流に浸さなければならねえ」
「龍脈……?」
「ああ。大地を流れる気の流れだ。……そして、ここから一番近くて、大陸で一番デカい『龍穴』があるのは、ここだ」
チャーリーの指が示した場所。 それは、ミサイア共和国と皇国の間。 大陸東部に位置する、巨大な都市。
「凰華共和国の首都……鳳京」
その名を聞いた瞬間、キリコとジンの背筋に冷たいものが走った。 鳳京。 そこは単なる大都市ではない。 彼らを執拗に狙う暗殺者集団、国家治安局『黒冠』の総本部が置かれている、敵の本拠地だ。
「……正気かよ、亀の旦那」
ジンが、乾いた笑いを漏らす。
「泥棒が、警察署の金庫に盗品を隠しに行くようなもんだぞ。……自殺行為だ」
「だが、そこしかねえ」
チャーリーは、サングラスを外してジンを直視した。 その瞳は、神獣としての真剣さを帯びていた。
「この核の劣化スピードは異常だ。虹海まで持っていく時間すらねえ。……鳳京の地下深くにある『天龍穴』。あそこの純度100%の龍脈に直結させれば、ヒビを修復し、エネルギーを満タンにできる」
「……」
選択肢は二つ。 ここで核が砕けるのを待つか。 それとも、敵の心臓部に飛び込んで、起死回生の充電を行うか。
「……面白いじゃない」
キリコが、顔を上げた。その唇には、不敵な笑みが浮かんでいた。 恐怖はある。だが、それ以上に「運び屋」としての血が騒いでいた。 困難であればあるほど、燃える。
「敵の心臓部で、電池交換しろってのかよ?」 ジンが呆れるが、キリコは肩をすくめた。
「灯さんに会うためなら、地獄の釜の底だって行くわよ。……それに、『灯台下暗し』って言うじゃない」
キリコは、テーブルの上の核を見つめた。 薄れゆく紫色の光。 それは、消えた灯の命の灯火のようにも見えた。
「一番警戒されている場所にこそ、一番安全な抜け道があるものよ。……黒冠の連中も、まさか私たちが自分たちの足元に潜り込んでくるとは思わないでしょうね」
「……へっ。言うねえ」
ジンも、覚悟を決めたように笑った。 リスク上等。 ハイリターンを狙うのが、黒狐便のやり方だ。
「わかった。……鳳京だ」
エミルが、地図を見つめて計算を始めた。
「……鳳京で『龍脈』のエネルギーを得て核を修復。……そこから最短ルートで虹海へ向かい、リーリンさんたちの協力で『虹海の龍穴』を使って再ブースト。……そして最後に、海を渡って東帝都の『皇国の龍穴』で安定化させる」
三段階の充電計画。 大陸の主要な龍穴を繋ぎ、核を完全な状態に戻す。 それは、敵地を横断する死の行軍を意味していた。
「……壮大なスタンプラリーだな」
ルシウスが、嘆息混じりに言った。 だが、彼もまた、止めるつもりはなかった。彼らの瞳にある決意が、かつての灯たちと同じ色をしていたからだ。
「我々ミサイア共和国は、君たちの『旅』を全面的に支援する。……だが、立場上、公式には軍を動かせん」
ルシウスは、懐から一通の封書を取り出した。最高級の和紙に包まれた、重厚な書状。表には、ミサイア共和国の国章が刻印されている。
「これを、持って行ってくれ」
「これは?」
キリコが受け取る。
「皇国大統領・常盤宗一郎に宛てた、極秘の親書だ」
ルシウスの声が、一段低くなった。
「君たちが東帝都に戻った時、必ず役に立つはずだ。……今はまだ、中身を明かすことはできないが、この先の未来を切り開くための『鍵』になる」
中身は不明。 だが、ルシウスの真剣な眼差しが、その重要性を物語っていた。かつて共に戦い、世界を守った男が託す、最後の切り札。
「……責任重大ね」
キリコは、親書を懐のポケット――天帝の小箱と同じ場所にしまった。 この胸ポケットには今、世界の命運が二つも入っている。
「任せとけよ、首相サマ」
ジンが、黒いケース(核)を担ぎ上げた。
「荷物が増えるのは慣れっこだ。……全部まとめて、東帝都まで届けてやるよ」
「頼んだぞ」
ルシウスが、二人の手を固く握った。 シスター・ノアが、旅の安全を祈って聖印を切る。
「行きましょう」
ルカが、扉を開けた。 外はもう夜だった。 星が見えない曇天。 だが、彼らの目には、はっきりとした道筋が見えていた。
目指すは東。 敵の懐、鳳京。 そこで待ち受けるのは、黒き処刑人たちの刃か、それとも新たな出会いか。
銀狐と黒翼。そして若き吸血鬼の王と、光の乙女。 神獣に見守られながら、一行は再び闇の中へと走り出した。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




