第十四話「霧の森の吸血鬼王」3
第三章 古城への招待
霧が晴れた一本道の先。 黒曜石の岩肌が露出した断崖絶壁の上に、その城はそびえ立っていた。
『ノスフェラトゥ城』。
10年前、真祖ヴィクトルが眠りにつき、そして新たな王が座した場所。 月光を吸い込んで鈍く輝く尖塔群は、天を刺す槍の穂先のように鋭く、見る者を畏怖させる威圧感を放っている。 だが、かつてのような禍々しい邪気は感じられない。あるのは、長い時を閲した墓標のような、静謐で厳かな空気だけだった。
「……でかいな」
オフロード車の後部座席で、ジン(夜刃迅)が窓に張り付いて呟いた。東帝都の摩天楼とは違う、歴史と魔力が積み重なった重厚な質量。
「あそこが、今回の目的地……」
助手席のキリコ(九十九霧狐)が、懐の『漆塗りの小箱』を確かめるように服の上から押さえた。 箱の中にある『白彼岸花』が、城に近づくにつれて微かに温かさを増している気がした。 呼び合っているのだ。 城の地下に眠る「何か」と、箱の中の「花」が。
車は、エミル・ノスフェラトゥの先導で、城へと続く跳ね橋を渡った。 ギギギ、と錆びついた鎖が鳴き、巨大な鉄の門が独りでに開いていく。 目に見えない従僕たちが、王の帰還を迎えているかのようだった。
「ようこそ。……僕の城へ」
車を降りたエミルが、マントを翻して城門の前で振り返った。 その背後には、闇に沈む中庭と、朽ちかけながらも美しく手入れされた庭園が広がっている。彼は微笑んでいたが、その瞳の奥には、10年間たった一人でこの巨大な虚無を守り続けてきた者だけが持つ、深い孤独の色が滲んでいた。
「お邪魔します……」
ルカ・ノクスが、恐る恐る足を踏み入れる。彼女の聖なる気配に反応してか、庭園の枯れた薔薇が一瞬だけ色を取り戻したように見えた。
通されたのは、かつて「大広間」と呼ばれていた場所だった。 高い天井からはシャンデリアが吊り下げられているが、明かりは灯っていない。 代わりに、無数の蝋燭が空中に浮遊し、幽玄な灯りで室内を照らしている。
「座ってください。……今、お茶を」
エミルが指を鳴らすと、影の中から銀のトレイとお茶セットが「湧き出て」きた。 給仕はいない。影そのものが実体化し、主人の手足となって動いているのだ。 カップに注がれたのは、香り高い紅茶。
「……へえ。魔法使いってのは便利でいいな」
ジンが、出された紅茶を警戒もせずに一口啜る。 そして、その味に目を見開いた。
「……うめぇ」
「でしょう? ……父様が愛した茶葉のブレンドを再現してみたんです」
エミルは嬉しそうに笑い、自分もカップを口に運んだ。 チャーリー・Sは、そんなエミルを眩しそうに見つめていた。
「……変わったな、エミル。昔のお前は、自分の影にすら怯えてたってのに」
「ええ。……変わらざるを得ませんでした」
エミルはカップをソーサーに戻し、遠くを見る目をした。
「兄さんと姉さんが消え……父様が永遠の眠りについたあの日。……僕は、一人になりました」
10年前の戦後。 取り残された「弱き吸血鬼」は、王座の重みに押し潰されそうになりながらも、逃げ出すことを選ばなかった。
「『灯さん』たちが命がけで守ったこの世界を、僕が壊すわけにはいかない。……父様の静かに眠りにつけるように、そして、外敵がこの聖域を荒らさないように。……僕は、強くなるしかなかった」
優しかった少年は、孤独という毒を飲み干し、それを王の資質へと変えたのだ。
「立派よ、エミルさん」
キリコが、敬意を込めて言った。
「貴方は、灯さんたちが遺したものを、誰よりも正しく受け継いでいるわ」
「……そう言っていただけると、嬉しいです」
エミルは照れくさそうに頬をかいたが、すぐに表情を引き締めた。
「さて……。本題に入りましょう」
彼は、キリコとジン、そしてルカを見渡した。
「貴方たちがここへ来た理由。……それは、『次元の鏡』のためですね?」
「……知っていたのか?」
ジンが身を乗り出す。
「ええ。……ルシウスさんから、手紙が届いていましたから」
エミルは懐から一通の封筒を取り出した。 ミサイア共和国の紋章が入った親書。
「『彼らが来たら、地下へ案内してやってくれ。……彼らは、境界を超えるための翼を持っている』と」
エミルは立ち上がり、大広間の奥にある重厚な扉を指差した。
「行きましょう。……城の最深部、かつて父様が魔界から帰還した時に使った『門』の残骸が、そこに眠っています」
一行は、エミルの案内に従い、城の地下へと続く螺旋階段を下りていった。 空気は湿り気を帯び、温度が下がっていく。
「気をつけてください。……ここから先は、時間の流れも曖昧です」
エミルが警告する。 そして、長い階段の終わり。巨大な封印の扉の前に、彼らは立った。
「この奥です」
エミルが手をかざすと、扉が轟音と共に開かれた。
ゴゴゴゴゴ……。
開かれた闇の向こう。 広大な地下空洞の中央に、それはあった。
『次元の鏡』。
高さ20メートルはあろうかという、巨大な黒曜石の鏡。 だが、その鏡面は無惨に砕け散り、中央には大きな亀裂が走っていた。10年前の戦い、あるいはそれ以前の歴史の中で破壊された、古代の遺物。 映し出しているのは、何も映らない暗闇だけ。
「……壊れてるじゃねえか」
ジンが、落胆の声を漏らす。 これでは、ただの巨大な石だ。
「ええ。物理的には、機能を停止しています」
エミルは、鏡の前に歩み寄り、その冷たい表面に触れた。
「今のこの鏡には、次元を繋ぐ力はありません。……修復しようにも、そのためのエネルギー源である『黒胎』は、もうこの世に存在しませんから」
「……ああ、アレなら燃やしちまったよ」
ジンが頭をかく。 ミサイア共和国で、ルシウスの手によって完全に浄化されたからだ。 燃料がない以上、この巨大な装置を動かすことは不可能だ。
「ですが……希望はあります」
エミルは、鏡の中央――亀裂の奥に手を差し入れた。そして、何かを引き抜いた。
それは、拳大の大きさの、黒く透き通った「結晶体」だった。 壊れた鏡の中で、唯一、脈動するように光を放っている心臓部。
「これは……?」
「鏡の『核』です」
エミルは、その結晶を大切そうに両手で持ち、キリコに差し出した。
「この核には、次元を超えるための座標データと、術式の基礎が記録されています。……鏡本体は動かせませんが、これなら持ち運べる」
「……つまり?」
「これを持ち帰り、別の手段でエネルギーと器を用意できれば……再び次元の門を開くことができるかもしれません」
「受け取ってください」
エミルが、結晶をキリコに手渡す。 冷たく、そして重い。亡き父が遺した、最後の遺産。
「いいのか? ……大事なもんだろ」
「構いません。……灯さんたちに会うためなら、父様もきっと許してくれるはずです」
エミルは微笑んだ。そして、真っ直ぐにキリコとジンを見つめた。
「それに……僕も、行きます」
「え?」
「僕も……連れて行ってください」
エミルの言葉に、その場にいた全員が驚いた。彼はこの城の主だ。城を離れるわけにはいかないはずだ。
「この核の使い方は、僕にしかわかりません。それに……」
エミルは、寂しげに天井を見上げた。
「僕も見てみたいんです。灯さんたちが生きている、その『向こう側の世界』を。……そして、もう一度会ってお礼が言いたい」
10年前、無力だった自分を変えてくれた人たち。その恩人たちを探す旅に、自分も加わりたい。それは、彼が初めて示した、王としてではなく「エミル」としての我儘だった。
「……へっ。言うようになったじゃねえか、三男坊」
チャーリーが、嬉しそうにニカっと笑った。
「歓迎するぜ。……賑やかな方が楽しいからな」
「エミル……」
キリコは、結晶を強く握りしめた。仲間が増えた。 これなら、行けるかもしれない。
「……決まりだな」
ジンがニヤリと笑う。
「一回、東帝都に戻ろう。……アタシらのホームなら、何か手がかりがあるかもしれねえ」
その時。
ドォォォォン!!
遥か頭上。 地上の城門付近から、爆発音が響いてきた。城全体が揺れ、パラパラと埃が落ちてくる。
「……なっ!?」
「敵襲か!?」
チャーリーが色めき立つ。エミルの表情が凍りついた。
「……結界が、破られました」
彼は、信じられないという顔で天井を見上げた。あれほど強固だった「霧の迷宮」が、物理的な火力と、桁外れの呪術によって強引にこじ開けられたのだ。
「僕の霧を……焼き払いながら、何者かが侵入してきました」
「……まさか」
キリコの脳裏に、嫌な予感が走る。 この森の結界を力ずくで突破できる存在。 そして、執拗に自分たちを追ってくる、米中の連合部隊。
「……懲りない連中だ」
ジンが舌打ちをし、翼を展開した。鏡の核を手に入れたこのタイミングで。 最悪の邪魔者が、到着したのだ。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




