第十四話「霧の森の吸血鬼王」1
第一章 不可侵の同盟
ミサイア共和国での束の間の休息と補給を終えた一行は、再び荒野へとその身を投じていた。 エリアス・ノクスから譲り受けた頑強なオフロード車は、泥を跳ね上げ、枯草を踏みしめ、地図にない獣道を突き進む。目指すは東欧の山岳地帯、ノクタルニア。 10年前、久遠灯たちがレオンハルト・ヴァルプルギスとの因縁に決着をつけ、そして真祖ヴィクトルが永遠の眠りについた、吸血鬼たちの聖域。
国境付近に差し掛かると、世界の色調が不意に変わった。 それまでの乾いた赤茶けた大地が途切れ、鬱蒼とした針葉樹の森が、拒絶の壁のように立ち塞がったのだ。 太陽は分厚い鉛色の雲に覆われ、昼間だというのに黄昏のような薄暗さが支配している。
「……ここから先は、人間の領分じゃねえな」
ハンドルを握るチャーリー・Sが、サングラスの奥の瞳を細めた。車が森へと踏み入った瞬間、フロントガラスの向こう側が、乳白色の絵の具で塗り潰されたように白濁した。霧だ。ただの水蒸気ではない。魔素を含み、粘着質に視界を奪う、生きた結界。
「おいおい、ナビが死んだぞ」
助手席のジン(夜刃迅)が、ダッシュボードのモニターを叩く。 最新鋭の衛星ナビゲーションシステムが、砂嵐のようなノイズを吐き出し、現在地を見失っていた。 手元のコンパスも、まるで断頭台で首を撥ねられた鶏のように、定まることなく狂った回転を続けている。かつて灯たちが経験した「迷いの森」。 科学の目を欺き、侵入者を永遠の回廊へと誘い込む、古の魔術的防御機構。
「……嫌な気配ね」
後部座席で、キリコ(九十九霧狐)が窓ガラスに額を押し付けた。彼女の狐耳が、フードの下で小刻みに震えている。 聴覚を澄ませても、鳥のさえずりひとつ聞こえない。風の音さえ、何者かの囁き声のように歪んで響く。
「森全体が……私たちを拒絶してるみたい。この霧、ただの目隠しじゃないわ。視線を感じるの」
キリコは両手で印を結び、『千里眼(狐の窓)』を発動させる。 指で作った窓から霧の奥を覗き込もうとするが、視界は白いノイズに阻まれ、深部までは届かない。 だが、そのノイズの隙間に、無数の「殺気」が星屑のように瞬いているのを、彼女の直感は捉えていた。 それらは、獲物がかかるのをじっと待つ蜘蛛のように、静かで、冷徹だった。
「……囲まれてる」
キリコの声が硬くなる。
「ジン、チャーリーさん。……来るわよ!」
警告と同時だった。 ジンの背中の翼が、本能的な危機感に反応して膨れ上がる。
「ッ! ハンドル切れェッ!」
ジンの絶叫に、チャーリーが反射的にステアリングを右いっぱいに回した。 タイヤが泥を削り、車体が大きく傾く。
ズドオォォォォン!!
直後、彼らが数秒前まで進もうとしていた空間を、青白い閃光が貫通した。 プラズマキャノンの直撃。 地面がえぐれ、樹木が瞬時に炭化し、爆風が車体を揺さぶる。
「ヒャッハー! 熱烈な歓迎だなオイ!」
車は横転寸前で体勢を立て直し、木の幹に激突して停止した。 静寂が破られる。 霧の奥から、無数の駆動音と、衣擦れの音が響き渡り、森の静謐を蹂躙していく。
「Target verified(目標確認)。……包囲完了」
無機質な合成音声が、霧の中から響いた。乳白色の帳が揺らぎ、空間の歪みが実体化する。 光学迷彩を解除し、姿を現したのは、マットブラックの強化外骨格に身を包んだ鋼鉄の兵士たち。 アークステイツ連邦・国家秘密部局『ゴーストライン』。
隊長イーヴォ・ハーケンの指揮の下、数十機のパワードスーツが一斉に火器を構える。 その銃口は、正確に車内の四人の心臓を狙っていた。
「抵抗は無意味だ。……『黒い遺産』、および『少女』を確保せよ」
さらに、反対側の藪からは、黒い影が泥のように染み出してきた。 それは地面を這い、木々を伝い、瞬く間に人の形を成す。黒い道士服を纏い、顔を覆うような布を垂らした集団。 凰華共和国・国家治安局『黒冠』。
その先頭に立つのは、優雅に扇子を広げた美少女、夜 華琳。 彼女の背後には、巨大な影の魔獣が、主人の殺意を反映して牙を剥いている。
「あら、奇遇ね。アメリカの兵隊さん」
華琳は、銃を向けるゴーストラインの部隊を見ても、眉一つ動かさなかった。むしろ、この状況を楽しんでいるかのように、艶やかに微笑む。
「こんな辺鄙な森の中でピクニック? ……それとも、獲物の横取りかしら?」
「我々の任務はオブジェクトの回収だ。……凰華の介入は想定内だが、邪魔立てするなら排除する」
イーヴォが冷徹に返す。一触即発。世界を二分する超大国の特殊部隊が、この霧の森で鉢合わせしたのだ。本来なら、ここで三つ巴の殺し合いが始まってもおかしくはない。
だが。
「……無駄な消耗は避けたいところですね」
影の中から、陰湿な男――黎 雲閻が現れ、イーヴォに視線を送った。
「あの運び屋ども……特にあの『黒い翼』と『銀の狐』は、中々にしぶとい。我々が争っている隙に、逃げられるのが一番の損失でしょう?」
「Analysis(分析)……。肯定する。ターゲットの逃走阻止を最優先とする」
イーヴォが、瞬時に損得勘定を弾き出す。敵の敵は、一時的な味方。 目的が「確保」で一致している以上、まずは共通の障害を排除するのが合理的だ。
「Agreed(同意する)。……共通の獲物を追い詰めるのが先決だ。分け前は、その後で決めればいい」
「賢明な判断ね。……では、ここは一時休戦といきましょうか?」
華琳が扇子を閉じる音が、契約の合図となった。 米中の特殊部隊が、黒狐便を狩るために前代未聞の「臨時同盟」を結んだのだ。
科学兵器の弾幕と、東洋呪術の結界。 物理と精神、双方からの飽和攻撃。 最悪のシナジーが、四人を逃げ場のない檻の中に閉じ込める。
「……マジかよ。冗談きついぜ」
ジンがドアを蹴り開け、車外へと飛び出した。彼の背中で、黒い翼が展開される。だが、その表情はかつてないほど険しかった。
「総員、散開ッ! ……車を盾にするな、囲まれるぞ!」
「Fire(撃て)!」
「行け、影獣!」
号令と共に、地獄の蓋が開いた。 プラズマ弾の豪雨と、実体化した影の牙が、四人に殺到する。
「くそっ、数が多すぎる!」
ジンが翼を鋼鉄の盾に変え、前衛に立つ。 ガギィィン! ジュワッ! 振動剣を持つガブリエル・ストラドの斬撃を受け止め、同時に降り注ぐビームを弾く。だが、防ぐだけで手一杯だ。攻撃に転じる隙がない。 翼が削られ、火花が散る。
「ジン! 後ろ!」
キリコが叫び、呪符を投げる。 背後から忍び寄っていた『黒冠』の暗殺者を、青白い狐火で焼き払う。だが、彼女もまた、雲閻の精神干渉攻撃に晒されていた。 脳内に響くノイズ。トラウマを刺激する幻聴。『天帝の勾玉』が熱くなり、必死に精神汚染を浄化しているが、消耗が激しい。
「水よ、壁となれ!」
チャーリーが大地を叩く。 地下水を汲み上げ、氷の防壁を展開するが、イーヴォの放つ「対魔術ジャミング弾」が術式を阻害する。氷が脆く砕け、破片となって散る。 四神の力でさえ、最新鋭の対異能兵器の前では万全ではない。
「キャアアッ!?」
悲鳴が上がった。 防御の要であるルカ・ノクスが、爆風に煽られて吹き飛ばされたのだ。 彼女の展開していた光の結界に、ヒビが入る。そこを狙って、影の触手が伸びる。
「ルカ!」
ジンが翼を翻し、ルカを庇うように滑り込む。ドスッ! 影の棘が、ジンの肩を貫いた。
「ぐぅ……ッ!」
「ジンさん!?」
鮮血が舞う。彼らの狙いは、黒胎の運搬者であるジンだけではない。 黒胎を制御できる力を持つルカの捕獲、あるいは排除にも及んでいた。
「終わりだ、運び屋」
霧の中から、ガブリエルと華琳が姿を現した。二方向からの挟撃。振動剣の高周波音と、影の魔獣の唸り声が重なる。
「その娘と荷物を渡せ。……そうすれば、命だけは助けてやる」
「あら、私は手足の一本くらい貰ってもいいけれど?」
逃げ場はない。 弾薬は尽きかけ、体力も限界だ。 キリコは覚悟を決め、最後の呪符を構えた。 ジンは、貫かれた肩の痛みを無視し、ルカの前に立ち塞がった。
(……ここまでかよ)
絶望が、冷たい霧と共に彼らの心を侵食しようとした、その瞬間。
バサバサバサバサッ!!
頭上から、不気味な、しかし力強い羽音が響き渡った。ドローンではない。数千、数万の、生きた羽音。
「……な、なんだ!?」
兵士たちが空を見上げる。 濃霧の奥から、無数の黒い影が降ってきた。 コウモリだ。 視界を埋め尽くすほどのコウモリの大群が、嵐となって敵部隊に襲いかかったのだ。
さらに、地面からは影のように素早い狼たちが湧き出し、パワードスーツの足に噛み付く。 センサーが狂い、悲鳴が上がる。
「Target lost(目標消失)! ……視界不良! 何が起きている!?」
「式神が……食われている!? なんだこの獣は!」
戦場が混乱の渦に叩き込まれる。 そして、その混乱の中心。 霧がモーゼの海のように割れ、一人の青年が姿を現した。
月光のような銀髪。 血のように深く、しかし湖のように静謐な真紅の瞳。 漆黒のマントを夜風に翻し、その手には一振りの細剣が握られている。
かつては、ボロボロの貴族服を着て震えていた、ひ弱な吸血鬼の少年。 だが、今の彼にその頼りなさはない。10年の時を経て、父・真祖ヴィクトルの血と、この森の主としての責務を受け継ぎ、優しくも揺るぎない王の風格を纏った男。
エミル・ノスフェラトゥ。吸血鬼の宗主にして、ノスフェラトゥ家・現当主。
彼は、混乱する戦場を見渡し、困ったように、けれど凛とした声で告げた。
「……僕の庭で、あまり騒がないでいただけますか」
その言葉は丁寧だったが、森全体を支配する絶対的な「拒絶」の意志が込められていた。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




