第十三話「白き彼岸花」1
第一章 罪の焼却
ミサイア共和国・首相官邸。 その豪奢な執務室のさらに地下深く、一般には存在すら知らされていない極秘区画へと続く螺旋階段を、一行は静かに下りていた。
ひんやりとした冷気が、肌を刺す。 石造りの壁面は湿り気を帯びており、足音だけがカツン、カツンと反響して吸い込まれていく。かつてH.L.O.H.が異端審問の拠点とし、数多の「処理」を行ってきた地下牢獄。 今は改築され、厳重な封印が施された「特別浄化施設」となっていた。
「……随分と深いな。地獄まで続いてるんじゃねえか?」
ジン(夜刃迅)が、肩に担いだ重い金属ケースの位置を直しながら軽口を叩く。その額には玉のような汗が滲んでいた。物理的な重さではない。ケースの中から漏れ出す『黒胎』の瘴気が、地下の閉鎖空間で濃縮され、精神を削り取っているのだ。
「無駄口を叩くな。……集中を切らせば、飲み込まれるぞ」
先頭を行くルシウス・クロウリーが、背中越しに警告する。 彼はスーツの上着を脱ぎ、ワイシャツの袖をまくり上げていた。 その腕には、かつての戦いで刻まれた古傷が無数に走っている。首相としての顔ではない。 かつて世界を守るために戦った、一人の戦士の顔だ。
最下層。 重厚な鉛の扉が、重々しい駆動音と共に開かれた。 その先に広がっていたのは、ドーム状の広大な空間だった。床一面には複雑怪奇な魔法陣が刻まれ、壁面には対魔用の聖句がびっしりと書き込まれている。
「……ここへ」
シスター・ノアが、祭壇を指し示した。 ジンは、二つの『黒胎』のケース――虹海から運んできたものと、セプティマ・ザイオンで回収したものを、慎重に祭壇の上に置いた。ゴトッ、という音が、やけに大きく響く。
ルカ・ノクスが、心配そうにケースを見つめる。彼女の光の力で鎮静化されているとはいえ、その内側からは未だに、世界を呪うような低い唸り声が、地鳴りのように響いていた。ドクン、ドクン。 心臓の鼓動のような振動が、床を通して伝わってくる。
「……始めよう」
ルシウスが、祭壇の前に立った。彼は懐から、小さな結晶体を取り出した。十字架の形をした、白銀の輝きを放つ石。 聖遺物『ゴルゴダ』の欠片。かつて彼が背負っていた巨大な対魔兵装の、心臓部にあたる核だ。
「結界班、最大出力で固定。……漏らすなよ」
ルシウスの指示で、周囲に配置されていた術師たちが一斉に詠唱を開始する。 光の壁が祭壇を囲み、隔離空間を形成する。
キリコ(九十九霧狐)は、息を呑んでその光景を見守っていた。 これが、一国の首相が行う「公務」の裏側。 光の当たらない場所で、世界の歪みを処理し続ける、孤独な戦い。
「主よ。……迷えるあだ花に、真の安らぎを」
ルシウスが、聖遺物を掲げた。その瞬間、地下室の薄暗い空気が一変した。強烈な白光。 網膜を焼くほどの輝きが、ゴルゴダの欠片から迸る。
それは、ただの光ではない。 「存在の否定」を司る魔界の泥に対し、「存在の肯定」と「浄化」を強制する、絶対的な聖なる権能。
「消えろッ!!」
ルシウスが手をかざす。聖なる光が、レーザーのように収束し、『黒胎』のケースを貫いた。
ジュワアアアア……!!
断末魔のような蒸発音が、鼓膜を劈く。ケースが内側から弾け飛び、中から溢れ出した黒い泥が、光に触れた端から急速に脱色されていく。黒から灰色へ。灰色から白へ。 そして、無色透明な粒子へと還元されていく。
『ギャアアアアアッ……!!』
泥の中から、無数の顔が浮かび上がり、叫び声を上げた。 それは、10年前の災厄で死に絶えた者たちの残留思念か、あるいは魔界から紛れ込んだ悪魔の魂か。 ルカが、思わず耳を塞ぐ。
「……恐れるな、ルカ!」
エリアス・ノクスの教えを思い出すように、ルカは顔を上げた。 そして、ルシウスの光に合わせて、自らの《黎明の恩寵》を重ねた。金色の光が、白銀の光に混ざり合う。焼き尽くすような浄化の光が、優しく包み込む鎮魂の光へと変わる。
悲鳴が、安らかな吐息へと変わっていく。 それは破壊ではない。 この世界に存在してはならない「歪み」を、正しい因果律へと還す作業。
数分後。光が収まると、そこには何も残っていなかった。 黒い泥も、禍々しいケースも。ただ、さらさらとした無害な白い灰の山だけが、祭壇の上に積もっていた。
「……ふぅ」
ルシウスが、膝をつきそうになるのをこらえ、大きく息を吐いた。 額から汗が滴り落ちる。聖遺物の輝きが、ゆっくりと収束していく。
「……終わったか」
壁際で腕を組んで見守っていたチャーリー・Sが、サングラスを外して安堵の息を吐いた。
「へっ。……相変わらず、派手な後始末だぜ」
これで、世界を脅かしていた時限爆弾の一つは処理された。
「よく運んでくれた」
ルシウスは、汗をハンカチで拭いながら、キリコとジンに向き直った。その表情は、一国の首相としての硬い仮面ではなく、かつて戦友たちと肩を並べていた頃の、一人の人間の顔だった。
「これは、我々大人が10年前に残してしまったツケだ。……『白紙の審判』で消しきれなかった、過去の遺恨」
ルシウスは、自身の握りしめた拳を見つめた。10年経ってもなお、彼は戦い続けている。あの日、消えていった灯たちに報いるために。そして、彼女たちが守ったこの世界を、二度とあんな地獄にしないために。
「君たちのような若い世代に……こんな重荷を背負わせてしまったことを、詫びる」
ルシウスが、深々と頭を下げた。 その姿に、キリコは胸が熱くなるのを感じた。 この人は、逃げていない。 ずっと、責任を背負い続けてきたのだ。
「いいってことよ。……仕事だしな」
ジンはぶっきらぼうに答えたが、その目はルシウスへの敬意を隠せなかった。 この男もまた、過去の罪と向き合い、泥にまみれて生きている。自分たちと同じ、「こちら側」の人間だ。
「それに、俺たちにとっちゃ、いい修行になったぜ。……なぁ、キリコ」
「ええ。……追加料金は、たっぷりと請求させていただきますけどね」
キリコが茶化すように言うと、ルシウスは苦笑した。
「ああ。……国家予算の範囲内で、善処しよう」
緊張が解け、地下室に穏やかな空気が流れる。 だが、まだ終わりではない。 彼らには、もう一つ、届けなければならない荷物がある。 天帝・昊天から託された、『漆塗りの小箱』。 そして、その中身こそが、彼らの運命を大きく変えることになる。
ルシウスの視線が、キリコの懐に向けられた。
「……さて。次は『それ』だ」
彼の声が、再び緊張を帯びる。
「天帝陛下が、私に……いや、我々『生き残り』に託した、真のメッセージ」
ルシウスは、祭壇の灰を払いのけ、スペースを作った。 キリコは、震える手で懐から小箱を取り出した。 地下室の空気が、再び張り詰める。これは、ただの荷物ではない。10年前と現在、そして未来を繋ぐ、パンドラの箱だ。
自分が読みたい物語を書いています。
可能な限り更新できるようにしていきたいなぁと思っています。
(制作に関してAIを利用しています)




